南海平野線跡(2023年6月)-8
訪問:2023年6月
面影を残す喫茶店!
大阪市内の阪神高速松原線脇をかつて走っていた、「南海平野線」の電車。
今から約40年前に姿を消した路線なので、もう殆ど残っていない線路跡の面影を追って、今回は「股ヶ池駅跡」と「田辺駅跡」の探索をしていきます。
【南海平野線の駅】
・今池駅(阪堺線と共通)
・飛田駅
・阿倍野駅(斎場前)
・苗代田駅
・文ノ里駅
・股ヶ池駅 ⇐今回はココ
・田辺駅 ⇐今回はココ
・駒川町駅
・中野駅
・西平野駅
・平野駅
※天王寺駅前方面は含まず
線路跡を西に進む!
これまで「駒川町駅跡」・「中野駅跡」・「西平野駅跡」・「平野駅跡」と駅跡の面影を確認してきた。
意外と今まで全く気付かなかった駅跡だったけど、頭にアンテナを張っている状態であれば、僅かな痕跡や違和感のある空き地にその面影を見出す事が出来た。
この阪神高速松原線は駒川より西側に向けては、このように真っ直ぐに道路が延びている光景が見られる。
これは元々は南海電鉄の鉄道用に取得した土地の上に造られているので、阿倍野付近まで真っ直ぐに貫くように延びていたという訳だ。
「田辺駅跡」にて
そして西に向かって歩いていくと、高速道路の下側に必要以上の空き地が見られる場所にやってきた。
この廃線跡の探索では、このような不自然な空き地が意外と何かしらの秘密が隠されている場合がある。
住所:大阪府大阪市東住吉区田辺5-11付近
この田辺駅跡は駒川駅跡などに比べるとまだ判り易い。
ただ、それは駅跡が残っているというよりも、その脇にある建物が目印になっているからだ。
その目印になるのが、高速道路脇にある「喫茶サンレモン」と「萬盛庵(まんせいあん)」という老舗店舗。
このように1980年撮影の動画にも、しっかりと右側に「喫茶サンレモン」の建物が写っている。
また、陰に隠れて見えなかった「萬盛庵」も創業から50年以上の老舗で、当然南海平野線が走っている時代から営業していた店舗である。
『南海平野線その1 前面展望 平野→阿倍野→恵美須町 1980年撮影』
ただこの田辺駅跡付近にも、その当時の線路跡を説明するような看板は全く見当たらず、何も知らない人がここで線路跡に気付ける可能性は殆どない。
ただ近くには、こちらの「N」というアルファベットだけが上に刻まれた石碑が埋められていた。
この「N」とは、ひょっとしたら「南海電鉄」の「N」だったのかもしれない。
特にコーヒーが飲みたい訳でもなかったのだが、情報収集の為に「喫茶サンレモン」に入ろうとした。
しかし、営業時間が17時までとなっていて、残念ながらちょうど17時を過ぎた頃だったので「今日はもう終わりました・・・」と言われてしまった。。
それに負けず「昔、ここに電車って走ってたんですよね!」と聞いてみたら、「ハイ・・・」という一言が返ってきただけであった。。
そら年配の人がやっているお店なので、営業終了と同時にエネルギーも切れてたんや!
こちらも前から何回も前を通った事がある「とんかつ定食」がメインの食堂で、トンカツ好きなボクだけにとても興味があったお店だった。
しかし前までは「こんな何も無い所になんでお店を構えているのかな??」と思っていたのだが、田辺駅があったからだという事で、ここでも
謎は解けた!!
という思いになった場所でもあった。
その田辺駅跡は駐輪所ぐらいしか見られなかったので、更に西へと足を進める。
すると「大阪府道26号(長居公園東筋)」を渡った先に、地下鉄メトロ谷町線の「田辺駅」が見えてくる。
なお、地下鉄:谷町線が天王寺駅から八尾南駅までを開業した日が、南海平野線の営業最終日でもあった。
地下鉄:谷町線は地上を走る路面電車の南海平野線の代役として計画された路線でもあったので、地下鉄延伸と共に南海平野線が廃線となったのである。
地下鉄メトロ谷町線「田辺駅」の近くには、こちらの「田辺」という地名の由来などが書かれた看板が設置されていた。
この「田辺」という名前は、大昔に大陸側から渡来した「田邊氏」が治めていた地区で、その名残りから「田辺」という名前が付けられたようだ。
田辺というと「北田辺(近鉄)」、「西田辺(地下鉄)」、「南田辺(JR)」と、3つの鉄道駅が設けられている。
しかし、今までその由来など全く気にした事もなく、その由来を調べようという気もなかったのである。。
”灯台下暗し”やで!
そこから更に西側に進んで行くと、高速道路の下に差し込むように、JR阪和線の高架線路が横切る場所に出てくる。
ちなみにこの阪和線は南海平野線が開通した後に造った路線だったので、南海平野線の線路を超える必要があった為に、天王寺駅から南田辺駅手前までは最初から高架として造られた路線である。
昔はこの辺りから高架から地上へと線路が降りてくるポイントでもあったが、昭和の高度経済成長期を経て人口が大幅に増えた大阪市で、JR阪和線は”開かずの踏切”が大きな問題となっていた。
その深刻な渋滞問題を解消する為に、平成時代になってから南田辺周辺から我孫子駅を過ぎた付近までを高架線路に変更した。
その為に現在見られる高架線路は平成時代に新しく造られた物であって、その脇に金網で囲まれている不思議なエリアが、昔の阪和線の線路跡なのである。
この阪和線の高架化によって、それまで使われていた線路跡の土地は、このように活用されずに放置されている所が多く見受けられる。
駅前部分などは空き地を開発して建物などが造られている所も見られるが、駅の間など人通りが少ない場所は、このように勿体なく放置されている所が目立つ。
この空き地も”金のなる木”になりそうなのに・・・
「股ヶ池駅跡」にて
そんな新しい阪和線の高架下部分が、かつて「股ヶ池駅」という南海平野線の駅が存在していた場所でもあった。
ただ新しい阪和線の高架に付け替えられた平成時代には、もう既に南海平野線は廃線となっていたので、その線路跡に高架の支柱を置いてもよさそうに思えたが、やっぱり南海電鉄の敷地だった事もあって支柱をその空き地に置く事はしなかったのだろう。
この「股ヶ池駅跡」は殆ど痕跡が残されておらず、股ヶ池駅跡を探しに来た人でも思わずスルーしてしまいそうな、面影が殆ど見られない場所となっている。
昔の映像を確認すると、古い阪和線の高架の西側すぐに「股ヶ池駅」があったので、今のこの新しい阪和線の高架が通っている真下に「股ヶ池駅」が存在していたようだ。
住所:大阪府大阪市東住吉区北田辺5-1付近
最初はこの植え込みがある部分を怪しいと睨んでいたのだが、全くの見当違いであった。
今までの駅跡で見られた痕跡では、このような”怪しい空き地と緑”に駅跡があったが、この股が池駅跡は”ヒッカケ(騙し)”部分だったようだ。。
ちなみにこの高架下にあった建物は「阪神高速トール大阪(株) 桃ケ池営業所」で、この会社は阪神高速道路株式会社の小会社で、阪神高速道路の料金徴収や保全などを行う会社となっていた。
この辺りも中途半端な斜めになっている道路や歩道がある場所で、前から何となく違和感を感じていた場所だった。
ただ、この股が池駅は平野線が開業した当初に設置された駅だが、周辺には全く商店が見られなくて、余計に駅跡があったという面影を感じさせない場所となっている。
ちなみにこの「股が池」というのは近くにある池から付けられた名前であるが、今では「桃ヶ池」と町の名前も漢字表記が変更となっている。
なので余計に「股が池駅跡」の面影を感じにくいが、近くにある桃ヶ池の小さな神社には、このように昔の「股が池」という漢字が見られる場所も確かに残っていた。
「股が池」だと「またがいけ」と間違えて読む人も居たかもな!
普通の人なら思わずスルーしてしまいそうな「股が池駅跡」を見つけれた喜びもあって、更に線路跡のあった西側に向って歩いて行くのであった。。
※電車好きでもない人間が調べた内容なので、間違っている情報や追加情報などがあれば、コメント欄にてご指摘頂ければ幸いです。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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