南海平野線跡(2023年6月)-10
訪問:2023年6月
目立たない現役の柱!
このように今まで気付かなかった廃線跡を辿ってみると、意外と今まで見過ごしていた廃線跡の面影や痕跡を見つけ出す事が出来る。
これはただ単にボケ~~っと歩くのではなく、”廃線跡の面影を探す!”という目的意識を持って歩いた結果だろうと思う。
【南海平野線の駅】
・今池駅(阪堺線と共通)
・飛田駅
・阿倍野駅(斎場前) ⇐今回はココ
・苗代田駅
・文ノ里駅
・股ヶ池駅
・田辺駅
・駒川町駅
・中野駅
・西平野駅
・平野駅
※天王寺駅前方面は含まず
阿倍野駅跡方面に向かう!
南海平野線の廃線跡を阪神高速道路の下を辿って、北西方面にず~~っと歩いてきた。
航空写真を見れば分かるけど、「駒川町駅跡」から「阿倍野駅跡」手前までは、このように南海平野線の線路は一直線に敷かれていた。
その為に線路敷地内に築かれた阪神高速道路も、同様にここまで真っ直ぐな道路となっている。
この阿倍野交差点の少し東側付近から緩やかなカーブを描いて、南海平野線の線路は駒川/針中野付近を目掛けて南東の方角に進んで行っていた。
これはあくまでも推測に過ぎないが、ここから大きなカーブを描いて南東の方角に進んだのは、このまま真っ直ぐ東に線路を引くと、大阪鉄道(初代/現:JR西日本)の平野駅とニアミスしてしまうからだったのかもしれない。
そして阪神高速道路に沿って、下の道を西側へと進んで行く。
ちなみにこの信号の先に阿倍野交差点があるのだが、何でそんな交差点の手前近くに、わざわざ別に横断歩道が設置されているのかという事を今まで疑問に感じていた。
そんな”疑問”も、過去にこの場所を走っていた南海平野線の動画を見れば、その答えが分かったのである。。
『南海平野線その1 前面展望 平野→阿倍野→恵美須町 1980年撮影』
「阿倍野駅跡」にて
この横断歩道を渡った右手には今では駐輪所となっている場所があるが、かつてはこのエリアに南海平野線の「阿倍野駅」が存在していた。
だからこの横断歩道は、その阿倍野駅を利用する人向けの横断歩道として整備された物だったのだ。
また謎が解けたな!
住所:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋3-9周辺
南海平野線「阿倍野駅」の上りホームは、この阪神高速道路の下に存在していたようだ。
昔の動画を見ると、さっき手前にあった横断歩道からこの先端部分までは路面電車が2両停まれそうなスペースが見受けられた。
しかし、廃線間近の1980年には1両に対応した短いホームとなっていたが、最盛期には2両連結で運行していた平野線の名残だったのかもしれない。。
それとこの阿倍野交差点には、未だに運行している「阪堺電車:上町線」が通る場所でもある。
南海平野線は元々は「今池駅」から「平野駅」を往復する1路線だったが、1929年にターミナル駅となりつつある天王寺駅前とを結ぶ『天王寺駅前~~平野系統』が追加された。
右に曲がる線路が上町線に合流していたんやで!
『天王寺駅前~~平野系統』は人気路線となって2両連結が続けられたが、1960年に利用客が減少した為に1両編成となる。
その原因ともなったのは、さっき見た「文の里駅跡」でも触れた、地下鉄:御堂筋線が延伸して1951年に誕生した「昭和町駅」などに客足を奪われた事が大きいようだ。
鉄道は競争激しいからな・・・
現在の阿倍野交差点には、かつて走っていた南海平野線と上町線が合流するレール部分は、このようにもう既に消え去っている。
平野線の廃線から約40年が経過している為に、そのレールは既に撤去されていた。
そうそう、昔はここから天王寺に向かう路線があったんヤ!
しかし、そんな阿倍野の交差点で、まるで緑の中に隠れて”カモフラージュ”して生き延びたかのような、南海平野線の架線柱がナント生き残っていたのだ。
小野田一等兵みたいな、生き残りに見えるデ!
阿倍野交差点の北東側には、ちょっと前まで銀行の建物があって、その手前に2本の大きな木が植えられている。
そんな2本の木々の中に隠れるように、南海平野線の架線柱が未だに立っていたのだ。
この緑の中に隠れた架線柱は、南海平野線が阪堺電車:上町線内に乗り入れる際に、その橋渡しをしていた物である。
そして南海平野線が廃線となった後は、上町線の架線柱として今でも現役で使われているのだった。
こちらの可愛らしいパンダの外装となっている路面電車は、路面電車の生き残りである「阪堺電気軌道:上町線」である。
阪堺電気軌道(初代)は、元々「大阪馬車鉄道」という馬に曳かせる馬車鉄道の会社からスタートしており、天王寺駅前から東天下茶屋区間までが、明治時代の1900年に開業したのが起源となっている。
明治時代~大正時代には、難波や天王寺から堺に向かう路線は”ドル箱路線”だったらしく、その為に阪堺線や南海電車などが競うように路線を展開していった。
しかし、南海電車も阪堺線も同じような路線だったので競争が激化しての共倒れを危惧し、両社は合併して路面電車は南海電鉄グループの一員となった。
だが戦後になって、阪堺電気軌道(阪堺線と上町線)が分離され、独自に大阪市内と堺市を繋ぐ路面電車として生き残っている。
ただ、阪堺電車も度々廃線の話が浮上した事があり、それなりの乗客が今でも利用する上町線と比べて、利用客が少ない阪堺線も廃線の危機が何度もあった。
しかし、堺市としても阪堺線が廃線となると活気が無くなる事に繋がるのを危惧して、阪堺線への支援を行っている事もあって、未だに何とか運行できる状態となっている。
阪堺線もそろそろ危ないかもな・・・
それと阿倍野交差点から西側に延びる阪神高速道路の下にも、南海平野線の架線柱が生き残っている姿が見られる。
道路を渡って架線柱が生き残っている南側にやって来ると、このようにこの付近には緑に囲まれておらず、裸で立ち尽くしているようにも見える架線柱が奥に向かって並んでいたのである。。
※電車好きでもない人間が調べた内容なので、間違っている情報や追加情報などがあれば、コメント欄にてご指摘頂ければ幸いです。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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