南海平野線跡(2023年6月)-4
訪問:2023年6月
奈良街道が横切る場所
南海電鉄:平野線の線路跡を辿って、大阪市平野区にある「平野駅跡」にやってきた。
この平野駅は平野線の東端の終着駅でもあるので、これ以上進んでも線路跡はないのだが、その駅跡周辺に残された平野線がもたらした街並みを見てみる事にする。
「南海平野モール」にて
その平野駅跡のすぐ隣には道路が走っていて、そこには「南海平野モール」という商店街が延びている光景が見られた。
この昔は賑わっていただろう商店街は何回か通った事があったけど、南海平野線の平野駅があって、その駅から流れてくる人々で賑わっていた商店街だったというのは、今回初めて知ったのである。
ただ、今ではこの通りもかつての面影を少しは残しているものの、全般的にシャッターが閉まったお店が多い。
平野駅が廃止となってから約40年近くも経過している為に、電車が走っていた当時の賑わいを感じさせてくれるお店は見当たらない・・・。
駅跡から北の方に少し進むと、町の東側に延びる「平野本町通商店街」というアーケード商店街も見えてくる。
この商店街はそこそこに長さのあるアーケード商店街となっているが、ここも営業しているお店よりもシャッターが閉まっているお店が多くて平野区衰退の匂いを感じる場所となっていた。。
こちらは、西脇門筋を挟んで反対側にあった短いアーケード商店街だが、このように天井部分がボロボロになっていて、既に活気はなくて自転車置き場のような場所になっていた。
このすぐ近くにスーパーマーケットが建っている為に、この辺りの個人店は軒並み淘汰された様子を感じる。。
この商店街の名前に「南海」と入っているのが、この平野区まで南海電車が走っていた証拠でもある。
普通に街歩きしても、絶対に気付かへんデ!
西脇門筋を更に北上して、昔からこの辺りにある「大念仏寺」と「杭全神社」へと向かう事にする。
この平野区は戦争時の空襲に遭わなかったので、昔の町の雰囲気が残されているエリアだが、さすがに21世紀ともなると、比較的新しい現代風の住宅などが目立つようになってきている。
大念仏寺に寄り道!
西脇門筋を歩いて行くと、左手に「大念仏寺」が見えてくる。
この大念仏寺は平安時代の1127年に創建されたという、長い歴史のある”融通念仏宗の総本山”でもある。
この大念仏寺の本堂は、1938年に再建された建物となっているが、その建物は”大阪府で最も大きい木造建築物”ともなっていて、『大阪市指定有形文化』にも指定されている。
その大念仏寺の正門的存在になっている、こちらの「山門」は江戸時代の1706年に再建された門が現存している。
明治と平成時代に大修理が行われているので、今でも比較的綺麗な姿でここに立ち続けている門でもある。
ただ境内に足を踏み入れると、このように『令和の本堂大改修』として今年2023年5月から、大規模な改修工事が始まっていた。
つい最近訪れた時はこの周囲に組む足場を本堂脇に用意している段階だったけど、すっかり工事に移っていたようだ。
なお、この工事は来年の令和6年度中の終了を予定しているとか。
大念仏寺の見学は早々に終了して、その山門の前に延びる道を進んで行く。
この道は「泥堂(でんど)筋」とも呼ばれる、やや東南方向の斜めに進む道でもある。
その道の先には「奈良街道」もあり、昔は大念仏寺参道の門前町としても栄えた事だろう。
ただ、このように斜めになっている道でもあったので、後にバイパス道路として「国道25号線」が新しく整備される事になる。
このように現代では車社会となっている為に、交通のメインは「国道25号線」となっていて、今ではそんな栄えた泥堂筋は静かな住宅街となっている。
老舗和菓子屋「塩伊」
そんな江戸時代から斜めになっていた泥堂筋を東に進んで行くと、交差点っぽい場所に古そうな道標と、歴史ありそうな和菓子屋を見つけたのである。
その歴史ありそうな和菓子屋がこちらの「塩伊」で、江戸時代末の慶応元年(1865年)創業だそうだ。
女将さんの話では、元々「塩屋」だった事もあって、お店の名前に”塩”が入っているという。
そんな歴史ある和菓子屋と共に目が行ったのが、こちらのこれまた歴史ありそうな「道標」である。
奈良街道沿いにあり、多くの人がこの道標を見てきた事だろう。
道標の右側面には「かうや山(高野山)」、「大峯山上」、「葛井寺」と文字が彫られているようだ。
「かうや山」とは昔の口語体らしく、現代日本人には読みにくい。。
この和菓子屋「塩伊」の前の道は、奈良街道だけではなく、この先にある杭全神社の参道にもなっており、とても立地が良い場所にあったようだ。
明治~大正~昭和初期にかけて電車駅周辺が発展したように、昔は街道や参道沿いが大きく発展していったのだ。
ちなみにこの平野区で毎年7月11~14日の4日間に渡って行われる、『杭全神社 平野郷夏まつり』を今年になって初めて見学してきた。
その4日間の祭の中でも、7月13日に行われる『九町合同曳行』が人気イベントとなっていて、平野区の9つの町内のだんじりが杭全神社の宮入を行う日でもある。
『平野郷夏まつり2023.7.13』–背戸口町:だんじり
そのだんじりは杭全神社の宮入する前に、この塩伊の目の前の「旧奈良街道」を進んできて、上の写真のように杭全神社の鳥居に向けてちょうど塩伊前でだんじりが回転するポイントでもある。
このポイントがだんじりを一番楽しめる場所やで!
そして塩伊の女将さんが「前の道がすぐボロボロになる・・・」と言っていたけど、その時はそれを聞いても全然ピンと来なかった。
しかし、このだんじり祭りを見ていると、重たい山車が何台も通る道で、しかもわざわざここで回転する為に、道路が削られていた。
毎年の風物詩とはいえ、毎年道路が削られていく為に、簡単な応急処置しか施されないのかもしれない。。
山車が回転した所は、道も削れてるで!
どの町にもこのような昔から続く和菓子屋が見られるが、まさにその土地の歴史を今に伝えるお店のような雰囲気を感じる。
なお、この和菓子屋さんは最近1度立ち寄った事があるのだが、その際にご近所の常連さんが「ここの、どれも美味しいのでオススメですよ!」と声を掛けてくれた。
近所に住んでいる人の口コミ評価は、信頼度”激アツ”ヤデ!
お店の中に入ると、大きなショーケースがあった。
その中には200円以下の和菓子サンプルが並んでいるが、今回は「生チョコ大福」目当てであった。
この和菓子屋「塩伊」さんは、昔ながらの雰囲気が漂う店内で、対応してくれた女将さんもそれなりに年齢のいった方だった。
ちなみにチョコ大福を購入した際に、この平野区の歴史を聞くと色々教えてくれて、更には今年放映の大河ドラマ『どうする家康』を見るのが毎週の楽しみだとかも教えてくれたのだった。。
やっぱ、年配の人は大河ドラマ見てるんやな!
こちらは購入した「生チョコ大福」1個152円(税込)で、1個入りケースと2個入りケースを付ける場合には、”容器代+11円”という値段だった。(ちなみに保冷材は無料で1つ付けてくれた)
そんな「生チョコ大福」を4つ購入してオカンにプレゼントすると、
瞬殺・・・
で一気に4つとも食べてしまったのであった。。
ウマかったで!(笑)
※電車好きでもない人間が調べた内容なので、間違っている情報や追加情報などがあれば、コメント欄にてご指摘頂ければ幸いです。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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