スリランカ旅行記:5日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
スリランカ風建築物
スリランカでもコロンボ(Colombo)はポルトガルが造った都市で、その後に渡ってセイロン島では一番の大都市で首都機能こそ移転したものの、実質的には未だに首都の街である。
住所:3, 11 33rd Ln, Colombo 00300
ジェフリー・バワの自宅兼オフィスにて
こちらはスリランカ人で最も有名な建築家であるジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)が、自宅兼オフィスとして改造した建物。その建物でも3階部分のテラスに登ってきています。
バワ氏は既に亡くなっていますが、その建物は今では見学者向けに解放されていて、更には1日1組だけですがここで宿泊する事も出来るのです。
短いスリランカ旅行だったけども、色んな奥様方やお姉様方と仲良くなれて、今回も楽しい旅である。
こちらは上から下を見てみた様子で、先程下で見学した天井が空いていて植物が植えられている場所も見える。この建物はこの周囲4軒の住宅を最終的に買い取り、改造して合体させた物である。
建物の屋根は瓦になっている部分も見える。
更に上に登る階段もあったりして、まだ本来は上に登れるのだけど見学者はここまでみたい。
階段内に少しでも太陽の光が届くようにという工夫なのか、ガラス張りとなっていて晴れた日には明るい階段となる。
このテラスに置かれていた石のテーブルには、何かの模様が刻まれている。もしここで何かを書こうとすれば下敷きが必要になるであろう。
世界的にも有名な建築デザイナーが凝った趣味の物を集めていただけあって、椅子やテーブルにもそれぞれにバワ氏の拘りが垣間見れるデザインの物ばかりである。
暑い国に行くと、基本的には赤い色のTシャツか真っ黄色のTシャツしか着ない男。そんなTシャツの中でもスペインの”闘牛の街”ロンダで購入した、こちらの赤い闘牛マークが入ったのはお気に入りのTシャツ。
ボクの親父もデザイナーだったので、デザイナー目線からすると機能性よりも自分を満足させるデザインの椅子なのかが重要なので、それが他の人にとって使いやすいかどうかは別なのである。だからこれらの椅子やテーブルが使いやすいかという意味では、あまりそうでない事が多いデザイナーの家である。
だからデザイナーズマンションって、意外と住みにくいんじゃ!
スリランカは自然の多い国だけに、その自然を大胆に取り込んでバワ氏の建物には植物などを沢山採用しているのである。
こういう扉の取っ手も、たまたまこういう取っ手が近くにあったから使っている訳ではなく、デザイナーであるバワ氏の拘りが詰まった取っ手なのである。こういうデザイナー関係の人達の感性はその本人にしか全ては理解できないけど、ある程度自分なりに「ここはこういう考えや思想があったのかな?!」と妄想して見てみるだけで、少しは面白く見学できると思う。
今回のツアー参加者さんの中にはデザインセンスが溢れるような人はあまり居なかったと思うので、テラスの見学も皆さんアッサリと退散して行っていた・・・。
このテラスでは緑に囲まれてとてもリラックスできるし、太陽の光も当たる場所と当たらない場所があるので、どちらにも対応できるようにもなっていた。
さてこれでバワ氏の自宅兼オフィスの見学は、これにて終了となります。
階段の途中にあった、こちらは部屋の扉で鳥の絵が彫られている。あまり塗装がキレイではなくて、ちょっと剥げ気味であるけど、これはあえてそのままにしているのだろう。
階段の途中には窓が設けられていて、このように窓が開いていると風が入って来て、とても気持ち良く感じるし開放感もある。
手すりの端がこのように渦巻いているのも、これがデザイナーの拘りである。世界的にも有名なデザイナーは、どんな細部にもこだわって自分の世界観を仕上げるのである。
スリランカの人々は基本靴下を履かない人が多いようで、寺院とかでもそうだったけど、皆裸足だった。
こちらの玄関の扉は先程、表側から見えていたものを反対側から見てみる。ちょうど今の時間帯だと太陽光が当たって、太陽の塔みたいな顔が何ともいい感じに見える。
そんな太陽の塔を創り出した岡本太郎も、昔は近鉄バファローズのロゴを作った”閃きの芸術家”という感じでしか彼の事を知らなかった。でも最近岡本太郎氏の著書を読んだり彼の記念館を訪れてみると、彼が単身ヨーロッパに渡り、どれだけの修業と勉強をしてきて人生を磨いたからこそ、あの芸術が表現できていたのであるという事に気が付いた。
そう思うと芸術やデザインなどはとても奥深い職業でもある。答えは無いし、生きている時に評価されなくて死後に評価が上がったりする事もあるしで。
ここで案内してくれたスタッフのオジサンは、防塵用と見られるマスクをしていた。彼曰く「一日に何十人も見知らぬ人を相手するんだから、これ位のマスクをして当然だ!」と言っていた。今となればこの時からこのようにシッカリとマスクを着用していたのは正解だったと感じる。
スリランカが生んだ稀代の芸術家ジェフリー・バワの生き様が凝縮した場所であった。
ジェフリー・バワの自宅周辺にて
建物の見学が終わり路地を歩いて帰る途中に、スリランカではよく見かける三輪タクシー「スリーウィーラー」が置かれていたので、ちょっと見物してみた。
インド製のスリーウィーラー(トゥクトゥクとも呼ばれる)は新車で約30万円程の車両価格。渋滞が多い街では車に比べて、三輪のスリーウィーラーは小柄なので車間をすり抜けて走り易いので、人気があるのかもしれない。
スリランカでは子供の通学は1人で行かせずに、だいたいは親か親戚により登下校時は送迎をするという。だから現地ガイドのパリタさんが日本に来た時に、日本の子供達が1人で通学している姿を見てビックリしたという。
車に比べて値段も手軽だし、簡単に乗れるしという事で人気のスリーウィーラー。ただしシートベルトはなく事故も多いので、乗る際は注意が必要である。
シートベルトが無いので、事故時の負傷率もあがるのじゃ!
結構年季の入ったようにも見えるシートはボロボロ。まあ乗り心地は悪くても、走りさえすればいいのである。
このスリーウィーラーではこのようにお酒が入ったようなボトルが大体装備されているが、これはお酒ではなくて水が入っているそうだ。
このジェフリー・バワの自宅兼オフィスがある通りは結構大きな家が多くて、高級住宅街のような街並みであった。
ジェフリー・バワ氏の建物のように呼ぶなら、こちらは「Number 4」の建物である。
家の前とかに植物などを栽培している人は、それなりに心に余裕がある人か、それとも植物の栽培が好きな人だと思う。
こちらが先程見学したジェフリー・バワの自宅兼オフィス。ガレージには約4000万円はするロールスロイスと共に、その横にはスタッフ通勤用の世界のSUZUKIの車が置かれていたのはちょっと残念だった。
こちらの札は「Enter at your own risk」とあって、見れば分かるように猛犬注意の表示である。日本とは違って「アナタにとってリスクがある」と表記しているのが面白い。
こちらの通りには何台かスリーウィーラー(トゥクトゥク)が置かれていた。これは持ち主が自分の使わない時間帯に借りたいドライバーに貸し出して、使いたい時間帯には返してもらうといった方式を組んでいる人が多いという。
こちらはそんな住宅街にあった、とある家の電気メーター。最近はクーラーを付ける家が増えたので、電気需要が増えているのだろう。
スリランカでは1990年代の初め頃に日本ドラマ「おしん」が夜20時の時間帯に放送された事もあって、スリランカ人にとって日本を思い浮かべると大体の人から「オシン」と返ってくる程に知名度があるそうだ。
それ以外にはスリランカを訪れた事のある小説家の夏目漱石や、映画監督の黒沢明などがスリランカでは有名なんだとか。
こちらには高級外車などが家の前に停まっていて、お金持ちのような家に感じる。しかもとても大きい家が前だったし。
車はTOYOTAやSUZUKIが海外では多いけど、バイクはやはりYAMAHAやHONDAが多い。日本では造っていない海外産日本メーカー車も、こうやって海外で見られるとなんだかちょっと嬉しく思える瞬間。
こちらは豪邸の「Number 01」。
スリランカの標識にはこのように必ず3種類の言語で表記されている。上から①シンハラ語 ②タミル語 ③英語となっていて、①シンハラ語 ②タミル語がスリランカでは公用語になっていて、③英語は連結語としてシンハラ人とタミル人を繋ぐ意味合いで用いられている。なのでシンハラ人とタミル人が会話する時には、英語を使うのである。
この3言語での標識になった背景には、複雑なスリランカの多民族国家が見え隠れしている。一時はスリランカでの多数派を占めるシンハラ人だけの国にされようとした時に反発し、内戦を起こして戦ったタミル人達。そして最終的にはタミル人の武装勢力は鎮圧されてしまったが、このようにタミル語も公用語になり標識に入れられるようになったのである。
そう考えるとタミル人が起こした内戦も、無駄ではなかったかもしれないんじゃ!
だからこのように一般的に見られる標識にも、スリランカの重要な歴史が表れているのである。
こちらは外壁をアメリカンチックなデザインの絵にしていたレストラン。
シーマ・マラカヤ寺院の見学へ
そして次に向かうのは、同じくジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)が設計した寺院である。その場所に辿り着きバスを降りると、こちらの大きな建物が嫌でも目に飛び込んでくる。コロンボの街は今中国資本が大量に入って来ていて、このような高層ビルディングが建築ラッシュになっているそうだ。
そんな周囲のビルに気を取られてしまったけど、反対側にある池の中に造られているのが「シーマ・マラカヤ寺院 (Seema Malakaya Temple)」でジェフリー・バワが設計した寺院である。
こんな旅はまた次回に続きます!
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