スリランカ旅行記:5日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
寺で飼い慣らされたゾウ
ここはスリランカでも最大の経済都市であるコロンボ(Colombo)市内。スリランカ人の有名建築家ジェフリー・バワが設計したというシーマ・マラカヤ寺院を見学した後は、その寺院を管理しているガンガラーマ寺院に向かいます。
コロンボ市内にて
先程ベイラ湖に浮かぶシーマ・マラカヤ寺院を見学しましたが、そこからは徒歩で行ける距離にあったので徒歩で移動して行きます。
ガンガラーマ寺院の見学
そして辿り着いたのが、こちらのガンガラーマ寺院(Gangarama Temple)。コロンボ市内でも古く、かつ最も大きい寺院で単なる寺院では無く、職業訓練所や孤児院の機能もある珍しいお寺です。
ガンガラーマ寺院の入口ではオレンジ色の袈裟に身を包んだ僧侶と、すれ違います。
まずは正面ゲートから中に入って行きますが、ここも神聖なる寺院なので勿論脱靴する必要があります。
このガンガラーマ寺院は世界中から寄進された工芸品などが、多く飾られている珍しい寺院でもあります。なので中国仏教圏から寄進されたと見られる『関聖帝君』(三国志時代の武将:関羽が神格化された神様)の像が飾られています。
関羽はワシも個人的に好きな、熱い心を持った漢じゃ!
そして入口脇の場所で、こちらの籠に靴を入れます。ここでは靴を預けるというよりは寺院側は特に管理をしていなかったので、単にこの籠に靴を投げ込むだけという感じでしたね。
世界中から寄進された物品が飾られている寺院だけど、スリランカの寺院らしくガードストーンが参拝客をお出迎えしてくれています。
他にもこのような銅像が置かれていたけど、顔の部分や頭などがテカっているのはこの部分を多くの人達が触っていった証拠である。このような銅像は元々造られた当時はこのテカっている部分のように光り輝いているのですが、時間経過と共に銅が酸化していき、このように黒ずんでしまいます。そして顔や頭部分を人々が触る事によって、酸化していた部分が取れていき、このように下に隠されていた光沢が復活するのです。
そして靴を脱いだ後はこちらの建物に入って行きます。この寺院の見学は無料ではなく、有料で靴置き場辺りにチケットを売っているお兄さんが居ます。
そして建物前で”マジシャン会長オジサン”に記念写真を撮って貰っていると、何やら右手の方に動きがあります。
と思ったら、何とゾウさんがこちらに向かって「ノッシ、ノッシ!」と歩いて来るではありませんか?!
寺院で飼っている象さんの行進 動画
首に鎖を巻いて、何ともワイルドな感じでのびのびと歩くゾウさん。想像以上に目の前をどっしりと歩いて行ったので、「足を踏まれなくて良かった・・・」と思わずホッと胸を撫で下ろした瞬間でした。
そんなゾウさんを眺めた後はツアー参加者さん達の跡を追い、建物内へと進みます。まずはその建物の入口でヒンズー教の神様であるガネーシャ(gaṇeśa)様にご挨拶。
この寺院はコロンボで最も古いそうだが、元々コロンボの街自体はポルトガルがスリランカに進出してきた時に造られた街なので、元々仏教寺院が無かったようだ。ポルトガルはカトリックを普及しようという戦略だったので、仏教の普及は禁じられていた。
そして17世紀に入り、オランダがキャンディ王国と手を組んでポルトガルを追い出した後は協定を無視して、コロンボの街を占領したオランダ。しかしオランダ自体はスリランカの人々が元々信仰していた仏教やヒンズー教には寛大で、それらの宗教活動を規制する事は無かった。
仏教も各地で色んな迫害にあった歴史があるんじゃ!
コロンボでは古い寺院ではあるが、それでも歴史的には120年程しか経過していない寺院。19世紀末に造られた寺院は純粋な仏教というよりかは、ちょっと欧米系の教会チックな様式の内装にも見えるような気がする。
この寺院が造られた時代はイギリスの統治下時代だったので、もしかしたらカトリック教会を造り慣れている設計家がこの寺院を設計したから、このように教会の天使っぽい彫刻が見られるのかもしれない。
ガンガラーマ寺院の建物内 動画
今まで見てきた寺院とはやっぱり雰囲気がどこか違うような気がする。流石、元首都であり欧州に支配されていた都市だからなのかもしれない。
こちらの寄付箱はクリアケースで出来ていたので、中に入れられているお札がリアルに見えてしまうようになっている。
こちらのガンガラーマ寺院では、1979年から行われだした”ナワン・ペラヘラ祭”が開始する場所でもある。ペラヘラ祭はキャンディだけで行われると思いガチだが、実は何箇所かでも行われているのである。ただキャンディとは実際される時期が異なり、コロンボの”ナワン・ペラヘラ祭”は今月2月の満月の日である「ナワン・ポヤデー(Navam poya day)」の前後2日間に渡って行われる。
今回のシギリヤ~キャンディ滞在時に満月の日で、レストラン等でアルコールを飲めなかった日にここコロンボで”ナワン・ペラヘラ祭”が開催されていたのである。初日のホテルが一緒だった阪急交通社の団体さんは、この”ナワン・ペラヘラ祭”を見学するツアーだと言っていたし。
こちらの風神雷神の像はひょっとしたら日本から寄進されたものなのかもしれない。スリランカの仏教は日本とも親交があるので、お互いに像などを送り合っているかもしれない。
寺院の奥の方で人だかりが出来ていたので、そこに近寄ってみると先程目の前を行進していったゾウさんが何やら餌の時間となっていたようだ。
こちらのゾウさんはこの寺院で飼われているゾウらしく、すっかり寺の僧侶から餌を貰うのも慣れている模様。空になったお盆や籠を器用に長い鼻を使って、僧侶に手(鼻)渡していた。
ムシャムシャと餌を食べるゾウさん 動画
そんな餌やりの瞬間をこんな寺院で見れるとは思っていなかっただけに、少々驚く。もしかしたらこのゾウさんがナワン・ペラヘラ祭で仏舎利を担いだゾウさんだったのかもしれない。
そんなゾウさんとは対照的に、こちらではゴロ寝しているワンちゃん達の姿が見える。
寺院のミュージアムにて
こちらのミュージアム内には仏舎利が展示されているという。どうもツアー参加者さん達が群がっている、ガラス張りの所にそれが置かれているようだ。
そしてこちらの金キラ金の容器に入れられているのが仏舎利、つまり仏陀の聖遺物だそうだ。
写真をアップにして撮ってみると、豪華に輝く容器のガラス部分に白い綿の上に紐で縛られた髪の毛が置かれているのが見える。こちらの仏舎利は仏陀の髪の毛の一部で、バングラデシュで発見されたものだという。
それにしても仏陀が存在していたと考えられているのは、今から約2500年も前の事。そんな昔の時代に生きていた人の髪の毛が、未だに風化せずにこの世に存在しているのか?
でも確か仏陀の髪の毛は「螺髪(らほつ)」と呼ばれていて、右側に渦を巻いたような髪の毛になっていたハズ。
という事はこの仏舎利(仏陀の髪の毛)が偽物なのか? それとも仏陀の”三十二相八十種好”と呼ばれる身体的特徴が嘘情報なのか?
古代から信仰されている宗教は、このように結構矛盾する事例が多かったりする。しかしそんな事も神様には超人的な肉体や力があるとして、更には奇跡も起こせるという事で今まで誤魔化されてきた。だが科学が進歩した現代では、このような細かい事でも矛盾を突っ込まれる時代になっているので、宣教師などには布教のしにくい時代になったのではなかろうか?
ワシにもこれが本物かどうかは分からんのじゃ・・・
こちらには本物っぽい象の剥製が置かれていた。なんでもこの寺院の先代ゾウさんが亡くなった時に、剥製にしたんだとか。
こちらの孔雀に乗っている像は、ヒンズー教の軍神「スカンダ(Skanda)」である。ヒンズー教の最高神シヴァ神の息子とされていて(色んな伝説があるが・・・)、更にゾウの頭部をくっ付けられたガネーシャの弟ともされている。
こちらは日本では「苦行釈迦像」と呼ばれる、仏陀が約6年に渡って飲まず食わずの苦行を行っていた時の様子を表したものである。生物学上はここまで断食をしたら臓器が活動せずに死亡してしまうと考えられているが、あくまでもこれは想像上のイメージで造った像である。ちなみにここまで激しい苦行を行っても悟りは開けないという事を、仏陀は悟るのであった。
さすがにこの時は死にかけたんじゃ!
この寺院の住職は世界中を周るのが好きらしく、色んな所を訪れた時に買ってきた置物なども沢山ここに展示しているそうだ。
こちらは帽子を被っていれば、笑うセールスマンの「喪黒福造」にも見えてしまうような布袋様である。この布袋様は日本国内では七福神の1人として有名であるが、中国では9世紀頃に実在した伝説的な僧侶とされている。
そしてこちらはまたもやガネーシャである。一応ヒンズー教の神様であるが、ヒンズー教とも関りが強い仏教でも神様として信仰されているのである。
ちなみにこの布袋様やガネーシャの彫り物は、手前に盛り上がっている彫り物では無く、このように奥に向かって掘り下げられたものである。
そして世界中を飛び回る住職だけに、こんな仏教寺院にも関わらず、このようなプーさん人形まで置かれていたのである。。
世界の仏教関連の置物コレクターで収集癖がある住職が、集めた自己満足品が所狭しと置かれている場所であった。
そして建物脇にある階段から、先に進みます。
スリー・マハー菩提樹の子供
こちらに植えられている菩提樹は、あのアヌラーダプラに植えられていた”スリー・マハー菩提樹”の挿し木が成長した物であるという。
という事はインドのブッダガヤで仏陀が悟りを開いたとされる”ブッダの菩提樹”の孫か、その曾孫に当たる木?!
血は受け継がれるじゃないけど、菩提樹も受け継がれていっているのじゃ!
だからか普通の菩提樹とは祀り方がちょっと違っていて、周辺にはこの菩提樹に向かって祈りを捧げているような人達も見受けられた。
「全ての菩提樹はインドに通ずる」訳ではないけど、一応インドの仏陀が悟りを開いた菩提樹のDNAはこのように受け継がれているようだ。
こんな旅はまた次回に続きます!
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