ロシア旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
オランダ・フランドル絵画の巨匠
エルミタージュ美術館にて
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
さてエルミタージュ美術館の絵画鑑賞はまだまだ終わりません。オランダ絵画を代表するレンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)は、自分のこだわりと美術品などの浪費を貫き通した為に、生前築き上げてきた名声と富を後年は失ってしまいます。
そして無一文になった後年は貧しいユダヤ人街に転げ込み、多くの老人たちの肖像画を描きました。レンブラントの作品は途中までは華やかさもありますが、後年はその時代の心境が絵画の中に現れているように、何も語らないけど顔には深い皺が入った老人たちが、静かにこちらを見つめながら何かを物語っている絵が多いのです。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
レンブラント作品でもこれらのように老人が静かに座る肖像画は、彼の前期の作品とはガラッと趣が変わっている。当時の肖像画というとパトロン貴族の家族などの人物が描かれる事が多いのだけど、レンブラントが後期に描いたのは名もなき家の周辺に住んでいた老人たちである。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
芸術家というものも最初は自分の好き勝手に作品を作れるけど、段々名声を得ていくうちに外部の意見を作品に入れざるを得なくなってくる。というのもスポンサーが出来ると収入は増えるけど、スポンサーの好む場面や表情や人物を反映しないと逆にスポンサーは離れてしまうから。
ある程度の売れっ子になり国王の宮廷画家とかになったりすると、ひたすら国王の機嫌取りみたいに絵を描き続けていかなかったりする。そうやって最初は自分の好きなように自分の心の思った通りに描いていた画風が、いつの間にか描けなくなる芸術家も多いと思う。
そう考えると無一文になり苦しみながらも、少なくとも自分の好きなものを自由に描けたレンブラントは幸せだったと思う。画家にとっては”自由に描ける”という事が、一番の幸せなのかもしれない。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
左の『運命を悟るハマン』という作品に登場するハマンという人物(真ん中の人とされている)は、旧約聖書の「エステル記」(Megillat Esther)に出てくる人物。当時エルサレム付近を支配していたペルシャ王の宰相だったハマンは、自分の命令に服従しないユダヤ系民族出身のモルデカイという人物に怒り、彼と彼の民族であるユダヤ人達を死刑に処する事に決めた。
しかしペルシャ王はある晩にモルデカイが自分の命を救った事があるのを知り、合わせてモルデカイの娘であるエステルから死刑免除を懇願されて、逆にペルシャ王はハマンをモルデカイが吊るされる予定だった柱にて処刑したというお話。
なおこの絵にはもう一説あり、『ダヴィデとウリア』というタイトルも付けられている。旧約聖書の「サムエル記」の中でイスラエルの王となったダヴィデが、家臣のウリアの妻バテシバ(バト・シェバとも)を見染めて、ウリアが戦場に出ている隙に彼女に手を出してしまった。家臣想いの名君としてその名を広めていたダヴィデ王が。。
そしてダヴィデはバテシバが妊娠してしまった事を知り、慌ててバテシバの夫である勇敢な戦士だったウリアを戦場から呼び戻して、「家に帰って足を洗うがよい」と彼に告げてウリア夫婦に夜の営みをさせて自分の行為を隠蔽しようとした。しかし勇敢な戦士だったウリアは今も戦場で仲間たちが戦っているのに、自分だけ家に帰って寛ぐという事に反感を感じて、家には帰らなかった。
結局その作戦は上手く行かずにダヴィデが取った次なる作戦は、ウリアを再び戦場(最も危険な)へ行かせて彼を殺す事であった。そしてこのウリアがダヴィデに再び戦場へ行くように指示された時のシーンを、レンブラントは描いたのだという。中央に送り出されるウリアは自分の運命を知りつつあったように下を抜きながら歩きだし、右奥のダヴィデは普通の顔をして彼が戦場へと赴くのを見ているような雰囲気である。
だがこのダヴィデの行為は預言者ナタンを怒らせて、またその後のダヴィデも自らの罪を悔いた。そしてその後バテシバとの間に生まれた子供は神様に殺されるが、その次に生まれたのがその後古代イスラエル王国3代目の王になるソロモンなのである。
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
こちらは1668年頃とレンブラントの死の数年前に描かれた終盤の作品。こちらも聖書に関連する内容となっていて、新約聖書「ルカの福音書」に出てくる有名な話だという。
ある親に息子が2人いて、その弟は父親が健全な内に財産を要求した。そして父の財産の半分を受け取り、国を出ていった弟。しかし息子(弟)は財産を浪費し一文無しとなり、働き口を探すが汚い豚の飼育係しか与えられなかった。そして息子(弟)はそんな豚の餌を食わないといけない位に困窮した生活を送っていた。
そんな息子(弟)は藁をも掴む想いで国へと帰り、父親の元へと帰ってきたのである。すると周囲の者は息子(弟)に対して「自業自得である」と軽蔑するが、父親はそんな放蕩息子に対して涙ながらに抱擁し、彼の為に宴の席を設けるのである。この絵を見れば裕福な恰好をした父親と、頭の髪の毛は禿げ落ちて貧しい乞食の恰好をした息子(弟)の様子が分かる。レンブラントの晩年に描かれた作品だけに、自分の落ちぶれた気持ちも籠められているのかもしれない。
右側に立って冷たい目線を浴びせているのは、この老人の息子であり、出ていった放蕩息子の兄であろう。この絵の世界の中にこの放蕩息子である息子(弟)を歓迎するのは、父親しか居ない。この聖書の話は、神に対して罪を犯した者も受け入れる許容と憐れみを象徴している。そして更にはキリスト教を侮辱した者までを受け止めるという内容にもなっているそうだ。罪を起こした者でも悔い改めれば許すという、現代にも残る考え方を表しているようだ。
光の反射で右側の靴底はあまり見えないけど、靴の踵部分は穴が空いてめくれ上がっている。キリスト教の中でも愛と許しは、キリストが残した大事な教えである。
そんなレンブラント作品が20点近くも展示されていた「レンブラントの間」。実はこれらの絵に描かれた内容は、この見学時には全然無知なボクは知らなかったのである。なので帰って数ヶ月後にこのブログの記事を作りながら、これらの事柄について考察しているのであった。
こういった絵画も見た後にそれらを描いた画家やその経緯などを知れば、より一層絵の深みを感じれるのよ!
by レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)
こちらは旧約聖書の「創世記」で有名な話。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の始祖であるアブラハムは1人息子であるイサクを連れて、モリヤの山へと向かう。ここでアブラハムは生贄の貢物を出すよう、神から啓示を受ける。しかしアブラハムはそれを大事な1人息子を差し出すと勘違いし、彼を山へと連れて行き、ナイフで彼の喉元を切ろうとした。すると神の使いである天使が現れて、アブラハムの手を止めたという場面。
このシーンは神への忠誠心を象徴する場面として、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教それぞれで語り継がれている。神様の為ならば自分の大事な1人息子をも差し出すというアブラハムは、最も聖なる行いをしたという風に解釈されているのである。
by ニコラース・マース (Nicolaes Maes)
こちらは1678年頃に、バロック期のオランダ人画家によって描かれた作品。優しそうな顔をしたお姉さんが描かれています。
こちらは生々しい豚が解体された後の様子を描いている。内蔵などは全部取りだして横の手車に乗せているが、左の隅では子供達が腸を風船のように膨らませて遊んでいる姿も見られる。
「17世紀オランダ美術の間」にて
そしてそれからも17世紀頃のオランダ絵画が、沢山展示されているコーナーへと進みます。
ここでは結構凝縮して絵画が飾られています。この時代はバロック絵画の全盛期でもあり、それ以前のルネッサンス絵画に比べると、一瞬の感情や情熱などが表されている作品が多いという。
この17世紀頃のオランダ美術は特に栄えた時代だったので、このように風景画や静物画などにも特化して描く画家が増えたそうな。
by パウルス・ポッテル(Paulus Potter)
1650年頃に描かれた作品。オランダの画家であるパウルス・ポッテルは、馬や牛など動物を描いた絵が多く残っているという。
このバロック期にはカラヴァッジョ、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ベラスケスなどの錚々たる顔ぶれが揃っている。
by ヤン・ステーン(Jan Steen)
1668年頃の作品で、オランダ人画家ヤン・ステーンのもの。彼は日常生活の一幕を描いたものが多く、約350枚の作品が現存しているそうだ。膝まづいて結婚の許しを得ている様子だろうか。
by ヤン・ステーン(Jan Steen)
こちらも同じヤン・ステーンにより、1660年頃に描かれた作品。彼の作品には彼自身と妻のマルガリータの人物像が描かれているが、作品には道徳的な彼の思考が隠されているという。こちらの作品は「よく働かない道楽者の妻を選んだら、こうなって大変だよ!」という暗示かもしれない。
by ヤン・ステーン(Jan Steen)
1660年頃のバロック期に活躍した、オランダ人画家のヤン・ステーンが描いた作品。そしてそんな日々を送っていると、すぐにこんな日がやって来る。ぐったりとした妻の手を取り、脈を図っている医者の様子。。
by ヤン・バプティスト・ウェーニクス(Jan Baptist Weenix)
1647年頃の作品で、作者は39歳という早めの年齢で死去している。そして彼の遺した作品は死んだ為ではなく破産した為の競売に掛けられたそうな。
by アブラハム・ブルーマールト(Abraham Bloemaert)
1608年頃の作品で、作者アブラハム・ブルーマールトは油絵と共に版画も残しているそうだ。これも旧約聖書の話で、金貸しであった父トビトは失明してしまい、債権回収の命を彼の息子に与える。そんな命を受けて家を出ていく息子トビアス。そのお供にと目の前に表れた青年アザリアは、実は神が遣わした大天使ラファエルであった。そしてそんな天使に守られたアザリア、無事借金を回収し、更には妻になる女性までゲットするのである。
当時のお金持ちだった商人たちはこの話を幸運なストーリーとして、こぞって画家たちに描かせたという。本来は大天使ラファエル1人しか守護天使として付いていないのだが、人によっては大天使3人を描かせたりと、債権回収の無事を祈る心が強く出ていた事が見えるような感じである。
こちらには壺の中を覗き込んでいるようなライオンが取っ手となっている壺が見える。
こちらは小屋の中で各自それぞれにお仕事中の様子のように見える。
この辺りもオランダ美術のゾーンが続いている。ただこの辺りは純粋にオランダとは違い、ベルギーと北フランス地方を支配していた旧フランドル伯領(Flandre)で発展したものなので”フランドル美術”とも呼ばれる。この地方で日本人に馴染みがあるのは、このフランドルを英語読みした「フランダース(Flanders)」である。
by ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)
1608年に描かれた、オランダ人画家ヘンドリック・ホルツィウスの作品。彼の作品の特徴でもある等身大に描かれた人物像で、”禁断の果実”を手にしたアダムとイヴが描かれている。
このように昔はロウソク立てだった女神像も、今では光らないライトを持ち続けているようだ。
それにしても沢山の絵画があり過ぎると、贅沢にも既に見たものが記憶に残っていかない。次から次へと見ていく絵画がどんどんと記憶を上書きしていき、脳のメモリーも限界がある。。
「ルーベンスの間」にて
そしてフランドル美術の中でも、特に高名なのがピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)である。彼は若くして自分の工房を開き、弟子達を使って多くの注文を捌いた。なので絵の全てをルーベンスが仕上げたのではなく、最初にチョークでラフスケッチを描き、それを弟子が色付けして、最後にルーベンスが仕上げした作品も多いようだ。
当時の絵画の売価はルーベンスが費やした絵画制作の割合によって、決められたという。また外交官として活躍したルーベンスは、イギリスとスペインではナイトの爵位が与えられた程の多能な人物だったそうだ。
by ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)
こちらは十字架から降ろされるキリストを抱える、信者の姿を描いている。なお「フランダースの犬」で最終回に主人公ネロが見たかったベルギーにあるアントウェルペン大聖堂の絵画は、このルーベンスの作品である。
by ピーテル・パウル・ルーベンス工房(Peter Paul Rubens-school)
こちらはルーベンスと彼の息子であるアルベールの肖像画である。なおこちらの作品は1610年代に描かれたものだが、その後行方不明となり、ルーベンスの死後に彼の工房の弟子達によって複写されたものである。ちなみにルーベンスは62歳まで生きて8人の子供をもうけたが、最初の妻と死別した後に53歳だったルーベンスは16歳の女性と結婚する。そしてルーベンスが亡くなった時に、生まれたての生後8ヶ月の子供がいたそうな。。
by ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens) & フランス・スナイデルス(Frans Snyders)
1618年に弟子のフランス・スナイデルスと共同で描かれた作品。右は古代ローマ神話に出てくる海の神様ネプチューン(Neptune)、左は大地母神であるキュベレー(Cybele)、中央の勝利の女神であるヴィクトリア(Victoria)によって、その婚姻が認められて祝福されている様子を描いている。
ルーベンスは痩せた女性よりも”肉感”のある女性の体を好んだ。そしてフランドルではそのような女性を”ルーベンス風の女性”などと呼んでいたらしい。ちなみに現代オランダ語にはこの語源を残した表現の言葉が、未だに使われているそうな。
by ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)
1634年頃の作品。1634年4月に行われたネルトリンゲンの戦いで神聖ローマ帝国&スペイン王国などの軍が勝利し、その戦いにも参加したスペイン領ネーデルラント総督フェルナンド・デ・アウストリア(Fernando de Austria)を讃えて、その後に描いた凱旋門の絵だそうな。
ルーベンスの絵もエルミタージュは多く保管していて、この部屋にはそれらの作品が沢山展示されている。
by ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)
1620年頃の作品。こちらは先程レンブラントの間で硫酸を掛けられた「ダナエ」の、絵のモデルとなっているダナエに全能の神ゼウスが手を出して生まれたペルセウスが中央に描かれている。そして有名な目が合った者は石に変えてしまうとされているメドゥーサ退治に出掛け、盾を鏡代わりにして見事メドゥーサを討ち取る。そしてその時に翼が生えたペガサスが飛び出したとされている。
メドゥーサの首から滴り落ちる血が大地へと落ちると、そこには蛇が生まれたという。そんな蛇らしきものも絵の下側に描かれている。そしてその後、海の神であるネプチューンに怒りを買っていた女神アンドロメダと出会い、生贄にされる寸前のアンドロメダを襲う海の怪獣と闘って見事撃破して、彼女と結婚するのである。
メドゥーサから飛び出して来たペガサスも思わず目を背けてしまうメドゥーサの首だけど、古代ギリシャなどでは悪者ではなく不吉なものを追い払うものとして、神殿や家などで魔除け的な装飾として使われていた存在なのである。
by ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)
こちらは葡萄酒と豊穣の神様として崇められているバッカス。ギリシャ神話ではディオニュソス(Dionȳsos)と呼ばれる彼は、苦労を重ねて十二神に認められた努力型の神様だったみたい。ただ日本人からすると常にお酒を飲んでいて、飲んだくれの荒くれ者というイメージしかない。。
先程見た階段の部屋に出てきました。これでとりあえずは現地ガイドさんによる、有名どころの画家作品の簡単な説明が終わり、この後は約1時間もの自由時間となる模様。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓ロシア旅行記:初回↓↓