ロシア旅行記:4日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
エルミタージュのピカソ
by ハンス・トーマ(Hans Thoma)
さてロシアのサンクトペテルブルクにある、世界的にも大規模な美術館である「エルミタージュ美術館」に来ています。ただ美術館の見学開始から既に3時間は過ぎているので、そろそろ体というよりも脳が刺激を受けすぎて疲れてきたような感覚となってきました。。
エルミタージュ新館にて
ここは一番メインの冬宮殿跡ではなく、その向かいにあるエルミタージュ新館の4階。こちらには近代アートが置かれていて、モロゾフ兄弟とセルゲイ・シチューキンのロシア人実業家やドイツの実業家などの個人コレクションだった絵画が主に展示されています。
これらの実業家が所有していた作品は買い上げた訳では無く、ソビエト連邦時代に没収したのよ。だから強引に国有化したものなのよ!
by イグナシオ・スロアガ(Ignacio Zuloaga)
1日に映画を2本鑑賞するとよほど2本目が面白くなかった場合を除くと、大体後から見た2本目の印象しか記憶に残りにくい。合計約4時間に渡るエルミタージュ美術館の見学も、そういう感じになっているのかもしれない。。
戦争は人類の歴史だけどこういった絵画も、人間の芸術性の歴史が現れているのだろう。
「ピカソの間」にて
そして次の部屋からは誰もが知っている、世界的にも有名な芸術家であるパブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の絵が沢山展示されています。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。パブロ・ピカソは91歳まで生きたので1万点を超える油絵を初めとして、10万点を超える版画なども制作しており、ギネスブックにも載る位の多作な芸術家とされている。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。あまり芸術に興味のない人間からすると、風変わりな絵を描いているイメージを持っているピカソ。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
『ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ』
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
そんなピカソは最初からこのような画風ではなく、ある程度の境地に辿り着けたから新しい画風を生み出していったのである。素人からすると誰でも描けそうな画風であるが、そこには行きついた人間だけが描き残せる作品となっているのだろう。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
『芸術は悲しみと苦しみから生まれる。わたしは立ち止まりはしない。』
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
人生では色んな経験をする。喜怒哀楽という人間の感情を経験すればする程に、いいかどうかは別として人間の味を濃く深くしていくのである。その中でも哀しみと苦しみは心に大きな傷跡を残して行くので、より大きな影響を与える。そんな哀しみと苦しみを解放して表現できれば、それが大きなパワーになるのだろう。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1902年頃の作品。この辺りの時代にはまだ”キュービズム”(Cubism)という、画風が生まれていない頃の作品である。
こちらのエルミタージュ美術館には、ピカソの作品だけで30点を超えている。ギネスブックに載る位の芸術家なので、その生涯で残した作品数に比例してここにも多くの作品が所蔵されているようだ。
なおバルセロナにあるピカソ美術館には、ピカソの作品だけで3,000点を超えるという。ただしあまりメジャーで知られている作品は少ないので、よほどのピカソマニア位じゃないと見学するだけでシンドク思う場所かもしれない。
ピカソの代表作で今まで見たもので記憶に残っているのは、マドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されている「ゲルニカ」である。というかそれ以外の作品はあまり記憶に残っていないだけなんだけど・・・。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1907年頃の作品。この時代のピカソは”アフリカ彫刻の時代”と呼ばれる画風の絵を描いていた時期。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。こちらも”アフリカ彫刻の時代”の作品だが、画風を変えていくのも同じ画風を一生続けるのもそれぞれ芸術家たちの自由である。画風の問題よりかはその画家が心の中で感じている事を、そのまま表現できていればいいのである。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
『想像できることは、すべて現実なのだ』
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。こちらの絵はギリシャ神話に出てくる木の精霊である「ドリュアス」を描いたもの。まず美術館などで展示されている作品を描いた他の芸術家には、このような画風の絵が描けないだろうと思う。描けないという事はこういう画が頭に想像できないという事でもある。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。ピカソの作品が偉大なのは、このような他人がしていない画風を取り入れて、作品を見ただけでピカソの物と素人まで分かってしまう事なのかもしれない。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1907年頃の作品。”アフリカ彫刻の時代”と呼ばれる画風なので、木彫りの彫刻作品のような立体をイメージしているように見える。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
『太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる』
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。この時代になるとより繊細な風景へと進化していったハズだけど、そんな道とは全然違う道を選んだピカソ。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1907年頃の作品。他の画家たちが描く裸体画とは、全く一線を画す作風である。裸体には性的な表現で賛否があるけど、この作品には無いのだろうと思ってしまう。。
ただ逆にピカソの絵にはこのような画風を勝手に、見てしまう側は思い浮かべてしまうかもしれない。ただしピカソもこれで良しとは思っていなくて、この後も画風は進化を続けていくのである。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
どちらも1908年頃の作品。そろそろ次の画風へと進化していきそうな感じの絵に、変わってきたように見える。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。
『私の創造の源泉は、私が愛する人々である』
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
我々絵を見る側からするとピカソは多くの絵を描いたり見たりして、芸術家としての経験値を育んでいったのだろうと思うけど、実際にはピカソからすると彼の愛が大きく濃厚になっていった結果なのかもしれない。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
どちらも1909年頃の作品。この頃になると”アフリカ彫刻の時代”から、次なる”キュービズム時代”へと変貌していく頃である。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1908年頃の作品。この作品はまだ木彫りの彫刻のような、昔の地層から発見されそうな土偶のような感じにも見えるような。。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
どちらも1909年頃の作品。左側の『マンドリンを弾く女』を見ると、先程までの木彫り彫刻作品のような感じとはだいぶ画風が変わってきているのが見て分かる。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1913年頃の作品。先程までの作品と3~4年飛ぶと、だいぶ画風が変わっていったのがとても分かる。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1912年頃の作品。ギターとバイオリンって似ているように思うけど、それがこんな作品と化すとは全然想像にも付かない・・・。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1912年頃の作品。
『ひらめきは、自分で呼び込めるものではない。わたしにできるのは、ひらめきを形にすることだけだ』
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
このような作品を見るとこの絵が何を描いたものなのかを、見る人達に謎かけしているようにも思える。
by パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
1912年頃の作品。楽器関係の絵が描かれた作品が続いているので、この辺りに何か音楽関係についての大きな出来事があったのだろうか?!
このサンクトペテルブルクでの現地ガイド:ナターシャさんはガイド歴が長いのか、それぞれの作品について色々と解説などをしてくれていた。ツアー参加者さん達からはその案内が好評だったけど、ボクはあまり絵画には興味が無かったので全然聞いていなかった・・・。
こちらの壺などもパブロ・ピカソの作品である。彼は陶器や彫刻なども300点ほど、残しているそうだ。
こういった作品はお皿などとして実際に使われる事を想定して作ったものなのか、それともこのようにして最初から展示作品として作られたものなのか? どっちなんだろうか?!
ただピカソのデザインのお皿だと、そのお皿に乗せられる食事よりも存在感を放ってしまうので、食事用のお皿には向いていないだろうな。。
人間ってのは創造力が豊かな生き物なので、単なる線の集合体を見るだけで、勝手にこれが人が生き生きと動いているように見えるのだろう。もし猫ちゃんなどの動物からしたら、人間のようには見えないのかもしれない。
ここまで世界的に高名な画家の、このような陶器作品が展示されているのってあまり見た事がないような。。
これが蚤の市などで売られていたら素人の作品と思ってしまうだろうけど、このような美術館でピカソ作と表示されているだけで違った物に見えてしまうのだろう。
サンクトペテルブルクの街は、西欧かぶれだったピョートル大帝が築いた街なので、西欧らしく壁がくっ付いたアパートなどが立ち並んでいるのが見える。
外の空気を吸いたくてもここは美術館なので、窓は固く閉められていて新鮮な空気を吸えない・・・。
「マティスの間」にて
さてまた次の部屋へと入ってきました。こちらはアンリ・マティス(Henri Matisse)の作品が展示されていて、色彩豊かな作風の絵が目に飛び込んでくる。
美術館の見学などをしているとたまに部屋に椅子が置かれていて、今までは「椅子なんて邪魔だな~!」と思っていたけど、この時は「椅子に座りたい・・・」と思う位に意外と疲弊していた。。
by アンリ・マティス(Henri Matisse)
フランス人画家のアンリ・マティスは、彼も彫刻作品を残している。こちらは約30cm程の高さで、足を蹴り出している瞬間を再現したかのようだ。走る時のスピードには足の指を上手く使い、「足で地面を掴む」という感覚の走り方をする事で、より早く走れるのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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