ロシア旅行記:5日目
阪急交通社ツアー「お1人様参加限定:ロシア7日間」
-2020年3月12~18日
ファベルジェの芸術品
さてこのロシア旅行も終盤戦に入ってきました。今日はまずサンクトペテルブルグ郊外にあるエカテリーナ宮殿の見学を終えて、午後は再びサンクトペテルブルクの街の市内へと戻ってきました。
サンクトペテルブルクの街にて
そしてお次に見学するのもまた博物館だという。昨日のエルミタージュ美術館にて約4時間に渡る見学で絵画などを眺めてたらお疲れが出ていて、そろそろ博物館や美術館ではなく、もっと外の散策をしたい気分ではあった。
住所:Fontanka river embankment, 21, St Petersburg, 191023
ファベルジェ博物館にて
まずはここでも入口付近にあるクロークで上着を預けます。ファベルジェ博物館は写真撮影が可能なので、上着のコートの中にスマホを入れたまんまで、預けてしまわないように注意しましょう。
こちらの階段が博物館の入口でもある。エルミタージュ美術館やエカテリーナ宮殿の入口もそうだったように、まずは豪勢な階段の間を上がる事によって、ロシア帝国の威厳を示そうと考えて造った階段なのかもしれない。
階段を登る前にツアー団体はこちらの先導役の係員の指示に従ってから、上に進んで行く必要があるみたいです。かといって長時間待たされる訳でもなかったけど。
そして赤いベルベットが敷かれた階段の真ん中を登って、博物館内へと進んで行きます。この博物館は2013年にオープンしたばかりで比較的新しいのですが、この建物自体は18世紀に造られたシュヴァロフ宮殿を約7年間に渡って改修したもの。
入口の大階段の中腹には、こちらの足元に蛇を従えた裸婦人の像が待ち受けています。
ここにはロシア皇帝でも最後の2人であるアレクサンドル3世とニコライ2世が、宝石商の金細工師であるピーター・カール・ファベルジェ(Peter Carl Fabergé)に皇后や母親への復活祭(イースター)用プレゼントとして造らせた「インペリアル・イースター・エッグ(Imperial Easter Egg)」がこの博物館の目玉でもある。
こちらの像は昨日のエルミタージュ美術館でも見たような気がするけど、やっぱり左手に持っていたと思われる弓は握っている部分しか無かったね。
まずはこれらの像が入場客をお出迎えしてくれる。この博物館兼美術館には総勢4,000点を超えるコレクションが所蔵されているという。その中でも目玉のイースターエッグはロシア人実業家のヴィクトル・ヴェクセルベルク(Viktor Vekselberg)が、アメリカの新聞大手で有名なフォーブス家が所有していた9つのインペリアル・イースター・エッグを総額1億ドルを超える金額で購入したものである。
ロシア人の富豪が国外流失したロシアの至宝を、買い戻したのよ!
ロシア国内でも有数の資産家であるロシア人実業家のヴィクトル・ヴェクセルベルク氏は、100億ドルを超える資産を所有しているとされる。それを築いたのはエリツィン大統領時代に民主主義に転換した時にアルミニウム事業を興し、その後は大手石油・ガス会社の経営などで巨額の富を手にしたのである。
元々ファベルジェが造った皇帝用インペリアル・イースターエッグは全部で50個製作(今では42個が現存)されたが、1917年のロシア革命以降に外貨稼ぎの目的で海外に転売される事になる。なのでこのイースターエッグの所有国は今ではロシアが一番多いけど、アメリカなどでも多く点在しているのである。
イースターエッグの事で頭がいっぱいになっていると、こちらのドーム型天井の様子を見るとイースターエッグの蓋部分に見えてしまう。。
さて早速博物館の中へと入って行きます。こちらでは裕福なロシア人実業家ヴェクセルベルク氏が購入したコレクションをリンクオブタイムズ財団(the Link of Times foundation)へ譲渡し、それらの品々がこうやって見られる訳である。
まずはロマノフ王朝のシンボルにもなっている双竜の鷲に目が行く。頭が2つの鷲だけど王冠は1つしかないので、常に喧嘩してしまいそうな感じに見えて仕方がない・・・。
こちらの大きな器にはワインやウォッカなどのアルコールが、たっぷりと入れられていたように思える。
その器の周りにはこのような小さめの取っ手が付いたカップが、何個か置かれていた。このサイズを見ているとワインでは無くて、ウォッカを飲む為のカップサイズに見える。ちなみにこのカップは戦いに貢献した将軍達に贈られたもので、彼らの名前が彫られているという。
結局今回の旅では殆ど理解できなかったキリル文字。だけどアルファベットに似たような文字もあったりで、ローマ字などを前提にした考えを捨てて頭を柔軟にして覚えたら、意外と覚えれそうな感じはした。
こちらは軍事記念品の1つでアレクサンドル3世の宮廷騎兵連隊の将校に、元帥からプレゼントされたもの。贈られたウラジミール・セルゲービッチ・オボレンスキー少将はアレクサンドル3世の親友でもあり、彼と共に戦場にも出向いた事が何度もあったけど、彼はこのプレゼントを貰った2ヶ月後に44歳で亡くなってしまったそうだ。
勿論絵画なども沢山壁に展示されていて、見所がたっぷりの博物館。一昔前まではこのように馬に乗って戦争に行ったりするのが普通の光景であったが、それが機関銃の開発で騎兵隊は鳴りを潜めるのである。そして第一次世界大戦ではそんな大量の銃弾を連写できる機関銃を避ける為に、塹壕が戦場に掘り巡らされて長期戦になる。膠着化し出す戦況を打開する為に戦車が開発されて、第一次世界大戦後半には戦車が活躍するのである。
しかしそんな大戦争に一番大きな影響を与えたのは”スペイン風邪”と呼ばれる新種のインフルエンザであった。それにより世界中で多くの死者を出し、戦争の終結を早めたそうだ。
個人的には絵画や宮殿巡りよりも、このような見た目に分かり易い高級金細工工芸品を見ている方が、その価値が分かり易いので好きである。
それにしても「よくこれだけの細かい装飾をしたな!」といつも感嘆してしまう程の造りである。なおこの手前にはちょっと控えめなサイズの「大砲の皇帝(ツァーリ・プーシュカ)」のミニチュア版も置かれていた。
エリツィン大統領時代に民主化になったものの、国営企業は彼の利権が生じる取引相手に売却されたりする事が多くて、一部の限られた人間にしか大きな富が渡らなかった。しかしそんな偏った富もこのように国外に売却されていったロシア帝国のお宝を買い戻して、ロシア国内にて保管し展示される事に繋がるので、結果的には少なくともロシアの為になっていると考えれるのかもしれない。
サンクトペテルブルクの観光ではエルミタージュ美術館を始め、多くの美術品や芸術品などが展示されている場所を案内するので、現地ガイドさんもそれなりに知識が無いと案内出来ないかもしれない。だから現地ガイドさんもこれら収集品の数々についてはそれなりに勉強しているのだろう。
しかしそんな現地ガイドさんの話を聞く側の我々は、意外とその話を聞いてそうだけど、結構耳に入るだけでそのまま脳ミソをスルーして、反対側の耳からそのまま出ていく事が多いのである。。
ロシア人はウォッカを飲むイメージしかないけど、それが原因で男性の平均寿命が短いという説も正しいとは言えないそうだ。ただしウォッカはアルコールが強くてストレートで飲むお酒なので、勿論飲み過ぎは体にとっては良くないのは事実であるが。。
こちらは1898年にニコライ2世から国産ワイン製造の発展に貢献したゴリツィン王子に贈られた記念品である。銀細工でファベルジュのサンクトペテルブルク店にいたジュリアス・ラポポートによって造られた品。
宝石商の息子として生まれたカール・ファベルジェはイギリス・ドイツ・フランスなどの金細工職人から技術を学び、国へ戻り職人頭が亡くなった後は彼がファベルジェ工房の責任者を引き継いだ。そして紀元前4世紀に造られた金の腕輪の瓜二つの複製品を造り、その精巧さを見て感動した時の皇帝アレクサンドル3世は1885年にファベルジェ工房をロシア帝国御用達に任命する。
そしてその1885年から段々と繊細さが増して行くインペリアル・イースターエッグが、ファベルジェ工房へと毎年発注されるのである。当時のファベルジェ工房は西欧各地に支店を出し、約500人を超える従業員を抱える大会社でロシアで最大の宝石商となった。
ロシア皇帝もお気に入りになったファベルジェ工房の技術は全世界からも高く評価されて、1882年からロシア革命の起こる1917年までの間に約15万点以上の作品が生み出されたという。そしてその後には株式会社となり、順風満帆な人生を送るハズだったが、それはロシア革命を機に大きく暗転してしまうのである。
1917年に起こったロシア革命の影響で、共産主義を理想とするソヴィエト政権によってファベルジェ工房の株は全て没収されて、1918年にファベルジェ工房は国に吸収され国営化されてしまう。ロマノフ王朝の皇帝達に寵愛を受けていたカール・ファベルジェは、自分も捕らえられる可能性を感じて足早に海外に亡命したのである。
彼はラトビア・ドイツ・スイスへと逃げて行ったが1920年にスイスで失意の中に死去する。カール・ファベルジェは亡命していた晩年に崩壊したロシア帝国を嘆き悲しんで、それが原因で元気が無くなり死去するに至ったとも言われている。
これだけの金細工と精密さを兼ね合わせた技術がロシア革命によって失われたのはとても残念な事ではあるが、今こうして目の前で見れるだけでも幸せである。しかしこれらの収集品の中でも特に素晴らしいのは、ロシア皇帝達が注文したインペリアル・イースターエッグである。
カール・ファベルジェが造ったイースターエッグは、感動に値する作品よ!
こちらにも色んな物が展示されている。右側に見える、羊の頭部の形をした物は1889年に造られた水差しだそうだ。
こんなウォッカを入れる容器も豪華過ぎて、実際に使うのがはばかられる位である。もし使っている時や洗っている時に落としたりして割ってしまったらと思うと、怖くて実際には使えないだろう。。
こちらは1861年頃にサジコフ社が作った「トロイカ」と呼ばれる文鎮のようだ。孔雀石の敷石の上に銀細工された小さな像が乗っかっている文鎮。これなら日常的にも使えそうな代物である。
こういった装飾品などは主に贈り物などに使われたものばかりで、実際には実用的に使われるのではなく、それを他の人達に見せびらかす物だったようだ。確かに日常的に使う水差しとしては、だいぶ扱いづらいのであろう。
インペリアル・イースターエッグの間にて
そしてこちらの部屋が、このファベルジェ博物館の目玉展示であり、ロシア人実業家のヴェクセルベルク氏が1億ドル超の費用を掛けてロシア国内へ買い戻したイースターエッグの数々が展示されているのである。
こちらは1902年に作られた「マールボロ公爵夫人のイースターエッグ」である。このファベルジェ工房が作ったイースターエッグはロシア皇帝専売ではなく、他の有力者も入手は出来たのである。こちらはイギリス貴族の第9代マールバラ侯爵(チャールズ・スペンサー=チャーチル)の夫人宛に、作られた作品である。
なおこちらは背面部分だが正面部分にはこのように文字盤があり、それを差す蛇はダイヤモンドで装飾されていて、文字盤のローマ数字部分にもダイヤモンドが散りばめられている。
まさしく豪華絢爛な調度品よね!
ちなみにこちらの作品はマールボロ公爵との結婚が解消された後に夫人がチャリティーオークションに出品して、金持ち婦人の手に渡った後に1965年にフォーブス家の手に渡り、今はここに収容されているのである。
精密な造りの工芸品などは中国4000年の歴史が一番だと思っていたけど、このファベルジェ工房のインペリアル・イースターエッグの精密さと豪華さはそれと対等に勝負できる傑作であると思う。
こちらの手前にある黄金のブレスレットは、紀元前4世紀にスキタイ人によって作られた腕輪を模倣してカール・ファベルジェが作成した作品。
スキタイ人によって作られた本物の腕輪はエルミタージュ美術館に収容されているようだ。なお、この腕輪の完成度を認められて、ファベルジェ工房はロシア皇帝御用達になるのである。
そしてカール・ファベルジェの力量を高く評価した皇帝アレクサンドル3世は1885年に、彼の妻であるマリアに贈る為に最初のインペリアル・イースターエッグを彼に発注した。そして出来上がってきたのが初代イースターエッグのこちら『雌鶏のイースターエッグ』(Hen Easter Egg)である。
カール・ファベルジェが最初に作った初代イースターエッグは意外とシンプルで、マトリョーシカのように3層構造になっている。ただし一番外側の殻は実は純金製で外側にはエナメルが厚塗りされて、白く見えるようになっている豪華さ。それを開くと出てくる黄金の黄身を開くと、中は巣のようにスウェードが張られており、そこに雌鶏が出てくるのである。
そして今は失われたそうだけど完成した時には、この雌鶏の中には小さなダイヤモンドで出来た王冠とルビーのペンダントヘッドが内蔵されていたという。このファベルジェの力作を高く評価したアレクサンドル3世は、この年以降毎年に渡ってファベルジェにイースターエッグを発注し、さらなるギミックを組み込んだ作品を要望したのである。
これらのイースターエッグはオークションに出ると、1個が1000万ドルもの高値で取引される事もあるそうだ。当時のロシア帝国の皇帝の為に作った、年1回だけの傑作作品だけに、金やダイヤモンドなどの宝石をふんだんに使った豪華な作品になっているのである。
こちらは1894年に作られた『ルネッサンスの卵』(Renaissance Easter Egg)と呼ばれる作品。この1894年11月にアレクサンドル3世は49歳の生涯を閉じる事になるので、奥様であるマリアへ贈る最後のイースターエッグとなる作品でもある。
こちらの卵は過ぎ去った過去の歴史を取り入れて、18世紀に作られたエッグ作品をモチーフにして作られた。卵部分は瑪瑙(メノウ)で金やダイヤモンド・ルビーなどの装飾が施されている。
こちらの『復活の卵』は確証はないものの、このケース内に一緒に収められている『ルネッサンスの卵』の中に納められていた卵だと考えられている。このイースターエッグはキリストの復活祭に合わせて作られているものだが、ファベルジェの作品の中でキリストが関連して出てくる作品はこれのみだという。
こちらはアレクサンドル3世が亡くなった翌年1895年に、彼の息子で新たなロシア皇帝に即位したニコライ2世が父親の意向を継いで、奥様となったアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后に贈ったイースターエッグ『薔薇のつぼみ』(Rosebud Easter Egg)である。
イースターエッグの中から現れた黄金色したつぼみのスイッチを押すと、このつぼみが開いて中から宝石が散りばめられた王冠が出てきたそうだ。ちなみにこの年からニコライ2世は自分の母親にあたるマリアと、自分の妻の2人用に毎年2個のイースターエッグを発注する事になる。
こちらはニコライ2世と妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后、そして1895年11月に誕生した第1皇女のオリガ・ニコラエヴナと見られる家族の写真が入れられている。
この時は幸せの絶頂だったニコライ2世も、その後に悲劇に見舞われるとは想像にもしていなかっただろう。。
そしてこちらの大きめの黄金に輝くイースターエッグも中々の代物である。このイースターエッグを開けると左中央に見える小さな馬車が出てきて、ミニチュアがらも実際の馬車と同様の可動部分が動くようになっているのである。
1897年に妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ皇后へ贈られた『戴冠式の卵』(Imperial Coronation)である。中に入れられていた馬車はニコライ2世の戴冠式の時に彼を運んだ、1793年製の黄金の馬車のミニチュア・レプリカという凝った造りになっている。なおこの馬車レプリカは実際に車輪部分が動いたりする。
ファベルジェ博物館のイースターエッグ 動画
こちらは『戴冠式(嗅ぎタバコ入れ)』(Сoronation snuffbox)である。蓋には18個の双竜の鷲のマークと17個のダイヤモンドで装飾がされている豪華な箱。
こんな旅はまた次回に続きます!
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