宮崎県旅行記2020年-㊹
旅行期間:2020年10月18日~22日
(Passing by at night, I stopped by the Obi Castle, which was lighted up in a modest way.)
真っ暗な本丸・・・
宮崎県南端の都井岬を後にして暗くなった帰り道をカーナビの指示通り戻っていると、途中で日南市にある「飫肥城」の近くを通りかかった。この飫肥城も訪れてみたかった場所だったので、周辺のお店などは全部閉店していて真っ暗だったけど、城の門は解放されていたので中に入ってみるとする。
夜の飫肥城訪問!
近くにあった無料の駐車場に車を停めて、歩いて飫肥城を訪れる。この時は18時30分頃という事でそんなに遅くない時間帯だったけど、全然ひと気がなかった飫肥城の大手門付近。この周辺には飫肥城の城下町が形成されて未だに残っているのだが、お土産屋さんなどはもう既に閉まっているので、駐車場も一見には分からない程に暗くなっていた。
この飫肥城は中世時代から伊東氏と島津氏が抗争して奪い合いを続けた場所。そして伊東氏の最盛期を築いた伊東義祐の時代の後半に、伊東氏の勢力は弱まって豊後落ちして飫肥城は島津氏の城となる。しかし何とか生き残った伊東氏は関ヶ原では東軍に味方した為に、江戸時代には徳川家康からこの飫肥城の支配を認められて、それから明治時代に至るまで代々伊東氏が飫肥藩を守り続けた拠点である。
このように何気なく大手門から奥に進んで行くけど、この飫肥城も明治時代に入ってからの廃城令によって、取り壊されてしまっている。なので今見られるこれらの大手門などは、1978年頃に再建された物だそうだ。
そして一部が再建された飫肥城だけど、元々ここにあった城跡を忠実に再現したものではなくて、あまり資料がなかった為に当時の城を研究する専門家の意見を取り入れて造られているので、昔の城を復元したものではないのである。
飫肥城の敷地内にはライトアップ用の大きな照明が何個か設置されていて、大手門正面側はこのように壁などがライトアップされているのが見える。
そして飫肥杉でも有名な飫肥藩だけあって、城の敷地内にはこのように飫肥杉が立っているのも見えている。飫肥杉は飫肥藩の象徴でもあるので、この城内に調和するように植えられているのかもしれない。
この飫肥城は宮崎旅の途中に立ち寄りたかった場所だけど、宮崎県南端の都井岬の帰り道にこのように立ち寄れたので満足した。しかし翌日の午後に日向から高速道路を飛ばして再びこの飫肥城に来る事になるのだけど、その際にもいい出会いが待ち受けていたのである。
そんな様子はまた後日にアップします!
さっき見た飫肥城大手門には再建の時に樹齢100年以上の飫肥城が使われているそうだけど、この城敷地内にもこのように大きな飫肥杉が見えている。今日都井岬まで向かう途中に立ち寄った飫肥杉峠展望台から遠くに見えた飫肥杉が綺麗に立ち並ぶ光景は、自然に出来た林ではなくて、この地方の人達が植林した物であった。
森や林を育てるという行為は、それらが育つのに何十年という月日が掛かる。なので息子の世代ではなくて、孫や曾孫の世代の事を考えて、先人たちは植林してくれているのである。そう思うと現代を生きる我々も、100年後の人類の事を考えた行動が必要になるのだろう。
100年も先の事なんて、全く考えられんわ!
この飫肥城は廃城となった後に、本丸となっていた場所に小学校や中学校が建てられた。その為に本丸は再建されておらず、城の敷地内にはこのように小学校のグラウンドと校舎が見えている。明治時代に廃城となった城の本丸などは、民間に格安で払い下げられる事が多かった。軍事の重要な拠点として選ばれた城は、そのまま残された物もあるけど、大半はその城の姿が消えてしまったのである。
こちらは城の敷地内に造られている「飫肥城歴史資料館」で、有料施設で内部は写真撮影NGとなっている。。
写真撮影NGという言葉ほど、ガッカリする事はないです・・・
そして本丸跡の奥に進めば進むほどに、薄暗くなってくる。本丸跡と言えばそのお城の中心地で一番重要な部分だったハズだけど、廃城令が出てから取り壊されてしまって本丸の建物は再建されていないので、今は何もない場所となっているだけのようだ。
この飫肥城も最後の藩主は、この本丸御殿には住んでいなくて、大手門の外にある屋敷に住んでいたという。殿様って本丸に住んでいるイメージが強くあるけど、実際には本丸という場所はもっとも防御が堅い建物だけに、有事じゃない時に住むには不便な場所だったようだ。
このように夜の飫肥城も再建された大手門付近は煌々とスポットライトで照らされているけど、奥に進めば進む程に暗い。なので興味本位に夜の飫肥城を見に来た人は、大手門付近だけを見るだけでいいかと思う。
こちらにはナベツネさんのような、眼鏡を掛けた顔をしている胸像が置かれているのが見える。こちらの元日南市の市長を務めていた「河野禮三郎」という人物の記念碑となっている。
この河野禮三郎氏は1974年に日南市長に就任すると、「飫肥城復元事業」や「大油津港建設事業」などの事業に力を入れて活動し、町興しに繋がる事業を行った偉大な人物のようだ。
この市長さんが居なければ、飫肥城も復元されてなかったかも・・・
このように何も知らない観光客からしたら、日本全国でこのようにお城跡を見られるのは当然の事だと思っているけど、その大半は陰で城の復原の為に奮闘した人達の汗と努力の結晶なのでもある。そういう意味ではこういう銃眼から見れる景色も、有難く思わないといけないのである。
中世から戦国時代までは日本国内に無数のお城が存在していた。しかし江戸時代になって一国一城令が出ると、その多くの城が姿を消していった。そして明治時代になってからは時代遅れとなったお城の姿は、廃城令によって更にその殆どが消え去っていった。江戸時代に造られたお城の天守が現存している城も、日本国内では僅かに12箇所しか残っていないのである。
お城という建築物は基本的には争いが多い時に役立つもので、平穏な時期にはあまり役に立たない建物である。約250年程続いた江戸時代にはその城の役目があまり無くなり、江戸幕府を転覆させた明治政府からすると、時代遅れの建造物は邪魔でしかなかったのでその多くを廃城して、その場所は格安で払い下げられた。
しかしそんな時代から100年程経つと、この日本らしい伝統建築物の城の価値が見直されて、経済大国から観光大国へと生まれ変わろうとしている日本の中では、続々と全国で城の再建が行われている。
そして過疎化に苦しむ地方の町が、この飫肥城のように町興しも兼ねて城門などを復元しているが、これはこれで数億円の工事費用が掛かったりするので意外と再建するのも大変な事である。しかし日本の古き良き伝統を未来にも受け継がそうという志を持った人達の寄付金によって、こんにちでは生まれ変わった城跡を見る事が出来ている。
そんな飫肥城跡を見学して、再び大手門から外に出る。しかしこのように大手門や中の城壁はライトアップされているけど、その手前にある城下町は真っ暗。田舎の観光地も店が閉まるのが早いだけに、この近くで晩御飯を食べたかったけど、宮崎市内に戻るまで我慢する事になる。
今ではこのようにアスファルト舗装された道路も、昔はお城への参道だったのもあって階段が続いていたという。なのでこのアスファルトの下には、昔使われていた階段が埋まっているとか。
帰り道の途中に飫肥城に少し寄り道した事もあって、宮崎市内のホテルに戻ってきたのは21時前頃。まだ晩御飯を食べていないので、今日も宮崎で一番の繁華街である「橘通り」へと繰り出す。
宮崎イチの繁華街「橘通り」で晩飯を!
もう3日目という事で、この橘通り周辺を歩くのも3日連続なので、だいぶ土地勘が付いてきた。しかし居酒屋が多いので1人でゆっくりと晩飯を食べれるようなレストランが少ないので、今日もお店選びに難航する。。
ここも3日連続で通った横丁のような雰囲気のある場所だったけど、1人で賑やかな居酒屋に入りたい気分でもないし、ボクはどちらかというとそういうのは向いていないように思っているので、今回も通り過ぎるだけ・・・。
という事で結局入ったお店は、昨晩と同じ「とりえもん」である。
そう、あのマネキン美女が入口をガードしているお店です!
さすがに今日は昨日注文した物とは別の物を頼み、まずは「梅しそきゅうり」から頂きます。
やっぱり宮崎は野菜が美味しいので、野菜を食べるとホッとします!
そしてこちらは餃子の皮を鳥皮に替えて焼いた「鳥皮餃子」である。
人間っていう生き物は、恐ろしい事を考えおるッコ~!
あまり詳しく味は覚えていないけど、中身の触感がプリプリだったのはかすかに覚えているような・・・。
今日も相変わらず入口で何も喋らずに、ず~~っと立っているだけのマネキン美女。ただ立っているというよりは、小型カメラが仕込まれていて、実は働いているスタッフを監視しているのかもしれない。。
こちらは宮崎地鶏の炭火焼きがアクセントとして入っている焼きそば。
宮崎と言えば、チキン南蛮と地鶏の炭火焼きだよッコ~!
宮崎県は野菜も美味しいし、鶏料理も美味しいという素晴らしい県。ただウチのオカンは小さい頃に近くの料理店から脱走してきた鶏を見て以降、それがトラウマになったらしく鶏料理は一切食べないとか。。
もう鶏すら見たくない!
今日も往復6時間以上のドライブをして、昨日今日で宮崎県を北に南にと縦横無尽に走り回った。明日は天気の加減によるけど、海岸が綺麗な日向と、時間があれば今日の夜に訪れた飫肥城も行く予定にしている。
こんな旅はまた次回に続きます!
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