飫肥城城下町で飫肥藩最後の藩主が住んでいた豫章館を訪れる【宮崎旅行記53】

宮崎県旅行記2020年-53

 旅行期間:2020年10月18日~22日
(Visit the Yosyoukan Hall, where the last leader of the Obi Clan lived in the Castle Town.)

日本家屋の見学!

宮崎旅4日目はまず日向市に行って綺麗な海岸周辺を散策した後は、一気に宮崎市を通り過ぎて南側にある日南市まで移動してきました。ここは昨日の晩に都井岬からの帰り道の途中に立ち寄った、飫肥城跡がある城下町。

 

 

下道のドライブだと結構時間が掛かりそうだったので、今回は高速道路を使って移動(高速道路代2,280円)。

宮崎県の高速道路は一本道が多いので、少し疲れました・・・

 

 

飫肥城:城下町にて

飫肥城手前にある城下町には、観光客向けに大きめの無料駐車場が用意されている。このように地方の観光地でも無料の駐車場が用意されていると、少しホッとする気持ちになる。ただ青島のように昔から観光地化されている場所は有料駐車場が多いので、個人的にはそういう場所にはあまり行きたいという気持ちにならない。。

 

 

昨日の夜にここを訪れた際にもこの駐車場に車を停めたけど、その時は暗かったのでこのような『あゆみちゃん』というマスコットキャラクターのパネルには全然気が付かなかった。飫肥城のキャラクターというよりも、城下町での食べ歩きを促進する為のキャラクターのようだ。

 

この飫肥城跡は名前の通り、昔江戸時代までここに存在していた飫肥城が明治時代になってから廃城となってしまった為に本丸跡は残念ながら残されていない。今見られる大手門などは昭和時代に復元されたもので、ここは城を見るというよりは城下町の雰囲気を楽しむ所となっているようだ。

 

そんな飫肥城:城下町は、色んな名物の食べ物屋さんが並んでいる。その中でも「おび天」という、魚のすり身と豆腐などを混ぜたのを揚げたものがここの名物となっている。

 

そんな「おび天」を提供するお店の中でもこの城下町で一番人気なのが、この駐車場からすぐの場所にある「おび天 蔵」というお店。江戸時代には藩役所として使われていた建物を活用して、昔ながらの手作りでおび天を揚げている。なお外務大臣などを務めた、この地出身の小村寿太郎の父:小村寛がここで商社を営んでいた場所でもある。

 

 

そんな名物のおび天を食べながらの城下町散策も楽しそうだけど、あまり食べたいという気持ちも湧かなかったので、後で立ち寄る事にして城下町散策を先に進める。しかし結果的には飫肥城跡で思った以上の時間を過ごしてしまった為に、それが終わって駐車場に戻る頃にはこの辺りのお土産屋さんが全て閉まっていた。。

 

こちらは「小村寿太郎の生家」で、1921年にこの場所に移築されている。この飫肥城付近出身者で一番の有名人が、この小村寿太郎のようだ。しかし名前はなんとなく聞いた事があるけど、どんな人かは全然知らない。

 

小村寿太郎は明治時代に活躍した外交官で、学生時代は優秀な成績を収めていた為に留学生に選ばれて、アメリカのハーバード大学ロースクールに留学する。そこでも成績優秀者となり、明治時代の初めにも関わらず英語堪能で大学卒業後には現地アメリカの法律事務所で実務を行った。そういった堪能な英語力と世界的な法律を習得していた為に、優秀な外交官として明治政府に雇われる事になる。

 

 

豫章館の見学!

そしてこの飫肥城の城下町には何軒かの見学有料施設があったので、その共通入場券(4つ:豫章館/松尾の丸/歴史資料館/小村記念館)620円を購入して、まずは「豫章館(よしょうかん)」へと向かいます。

 

この「豫章館」は明治元年(1868年)に造られた、伊東家家臣の邸宅だった日本家屋。明治時代になって飫肥藩の藩主から藩知事になった伊東祐帰が明治2年(1869年)にこの家に移り住んだ。その為この城下町では一番格式が高い家とされていて、昭和58年に伊東家より日南市に寄付されて、今では日南市が管理する建物となっている。

 

入口を入っていくと、まずは建物に辿り着くまでの道が長く、その道中には綺麗に刈られている植木などが見える。流石に一番の権力者が住んでいた場所だけあって、この地方でも最も豪華な庭になっているようだ。

 

今では日南市の指定文化財となっている豫章館だけど、よほどの金持ちじゃないとこのような家を維持するのが難しい。というのも広い庭には色んな植木があるけど、これらも定期的に職人に刈ってもらわないといけないし、日本家屋も文化財に指定されると自由に取り壊したり改造も出来ない。なのでこのような歴史的な建物は、市町村に寄贈される事が多いようだ。

 

今から約150年前に造られた日本家屋だけあって、見た目にも古そうな感じが見て取れる。このような日本家屋も昔ながらの生活を続ける人が住むならいいけど、今の21世紀となるとドンドンと便利な物が出てきて、生活様式もすっかり変わってしまっているので、現代人はまずここに住むという発想にもならないのではなかろうか。。

オカン
オカン

私は日本家屋には住みたくないです・・・

 

まずは入口から建物内を眺めてみるけど、特にこれといった特徴のある建物でもないような。。日本人からすると、このような日本家屋は色んな場所で見る事が出来るので、特に変わったものがないと目新しさを感じないのである。

 

昔の人達はこのような畳や襖や障子といった空間内で生活していた訳だけど、今では洋式の生活様式などが多くなっているのでまず一般の家では逆に畳や襖や障子といった物を目にする機会がとても少なくなっている。田舎などの家に行けばまだ畳などがある家は見れるけど、都会ではまず新しい家には畳などは見られないようになっている。

 

この飫肥城の城下町での一番の権力者だっただけに、そういった人達の家には必ず付き物の植木が沢山植えられた豪華な庭が広がっている。このような植木も定期的に管理しないと次々に伸びてくるので、意外と維持費がかかる。逆に言えばその維持費を払えるだけの家だったという訳でもある。

 

この母屋はこのように結構大きく、屋敷に使われている木は飫肥藩だけに飫肥杉が使用されているという豪華さ。なおこの地方は高温多湿なので、床下が高く造られているという。

 

この屋敷の広大な庭には竹も生えていて、九州地方の日本家屋の中でも有数の大きさを誇る庭だという。ただこの飫肥藩を14代も支配していた伊東家自体にはあまり目立った人物がいなかったのか、この付近では圧倒的に小村寿太郎推しだし、先日行った綾町でも日本イチの刀鍛冶:田中國廣推しだったし。。

 

 

このように何とも贅沢な造りになっている豫章館の建物。現代人が住むにはちょっとシンドイように見える日本家屋だけど、このように観光地で眺めるだけだと、何とも心が落ち着く光景でもある。

 

 

豫章館の庭  動画

 

 

この豫章館南側には目隠しのように植木が配置されており、この先は先程車を停めた無料駐車場がある。またここは少し高台となっているので、ここから城下町を見下ろす事が出来る。そういう意味ではやっぱり藩主は、一番いい場所に住んでいたという事が分かる。

 

敷地内には茶店のような建物もあり、この時は着物を着た女性3人組が楽しそうに敷地内を散策している姿が見えた。日本人女性も普段着物を着る機会がまず無いだけに、このような昔ながらの城下町が残る場所を着物姿で散策するのが好きみたいだ。

 

こちらの旗などに入っているのは、伊東家の家紋。伊東家は本来はこの家紋ではなくて、『庵木瓜(いおりもっこう)という伊豆の藤原南家を流れに持つ工藤氏の家紋もある。ただ一般的に目にした家紋は、この九曜紋(十曜紋)ばかりだったが。

 

このように今では豫章館の建物内はシンプルになっていて、特にタンスなどの調度品は見られない。単純に畳と襖と障子だけの、レトロ日本ワールドが広がっている。

 

そしてこの母屋の反対側に回ると建物がL字型になっていて、このように中庭部分には凝った形をした盆栽も見られる。てっきり庭は建物の南側だけかと思っていたけど、反対側にも目を楽しませる庭があった。

 

昔懐かしの障子はさすがに全部綺麗だった。小さい頃はまだ障子がある家に住んでいたけど、子供がいる家だと必ず破けている箇所があったのを思い出す。昔の人達はこのような障子は全て水糊を塗って和紙を張っていたのであるが、今の子供達にはそんな障子張替えという行為すら想像が出来ない事だろう。

 

そして大きな母屋だけかと思っていたけど、まだ奥にも何かあるようなのでもう少し奥まで進んでみる事にする。なお、道沿いにあった看板には「苔で滑りやすくなっているので、足元に注意!」と書かれていた。

 

奥に進んで行くと母屋程は大きくないけど、また日本家屋が見えてくる。昔の日本家屋には母屋と離れという風に、建物が2つ以上あった家が多かったようだ。

 

こちらの日本家屋は建物内に入る事が出来るようになっており(※土足厳禁)、何か見るべきものがあるかもしれないので、少しだけ中を見学してみる事にする。

 

ただこちらの建物も内装は普通の日本家屋で見られるものとなっていたので、特に目新しさが無かった。イメージ的にはボクらの世代のおじいちゃんの家に来ているような雰囲気だった。

 

まだボクらの世代からすると特に不思議にも思えない日本家屋の内装だけど、今の若い子達からすれば目新しい物に見えているのかもしれない。

こんな旅はまた次回に続きます!

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