九州縦断旅行記(秋)2020年-⑰
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Kagamiyama, a trapezoid-shaped mountain with a panoramic view of the city of Karatsu and Niji-no-Matsubara.)
唐津を一望!
さて凸凹3人組による唐津の観光は、まず九州観光ガイドを自称するエロ坊主オジサンのオススメでもある「鏡山」へと向かいます。エロ坊主オジサンは全国を旅慣れているベテランだけど、特に九州は自分が住んでいる大陸だけあって、特にその地域の説明などを詳しくしてくれる。
観光の事は全部オレに任せて、あとは金だけ出してくれ!(笑)
鏡山の頂上にて
この鏡山は標高283.56mの山で山頂に登ってしまうと分からないけど、遠くから見ると台形型の山になっている。その台形型の山になっているのは昔かららしく、人工的に削られて出来た訳でもないという。
ただそんな鏡山では昔から多くの言い伝えがあって、「元々は普通の山型だったけど、神様が上半分を切り取って、それを海の中に置いて、それが今の高島になっている」とか。
ただ不自然にも思える台形型の山だけど、同じような山が全国的にあるので、それ相応の原因があって今その形に至っているのだろう。
この鏡山の頂上に設置されている展望台は無料で、その山頂にある駐車場も無料。なので料金が掛からないので安心して進める場所。なおここには車道以外にも登山道が出来ていて、約1200段の階段を登って歩きで訪れる人も増えているという。
唐津市内でも少ない観光地の1つなので、このように道はちゃんとコンクリート舗装されているので歩きやすい。
その道を歩いていると、ため池のような大きな池が見えてくるけど、これは川ではないので濁っていてあまり綺麗には見えない。しかし山の頂上にこれだけの水があるという事は自然な湧き水というよりも、降った雨水が溜まったのか、それとも人為的に水が溜められているのか?
この鏡山は福岡から長崎へと続く『玄海国定公園』の指定エリアに含まれているようで、当然の如くゴミなどを捨てるのは勿論ダメで、ここに生えている植物なども勝手に採取してはいけない。
綺麗な花だからと、勝手にもぎ取ってはダメなのです!
この鏡山ではつつじや藤なども植えられていて、開花時期になるとそれらを見に来る人でいっぱいになるという。また登山道脇には桜も沢山植えられているので、春にも綺麗な景色を見る事が出来るようだ。
知らない場所に行く時は個人的には前もって、その現地の情報を詳細に調べる事はあまりしない。あらかじめ調べ過ぎてしまうと、その土地の景色がパンフレットなどの写真で既に見慣れしまっているので感動が無くなり、楽しめない。言うなれば新作映画を見る際に、事前に浜村淳などの長い詳細な映画解説を聞いてから映画を見るような感じかな?!
駐車場から約3分ほど展望台を目指して歩いて行くと、急に開けた場所に辿り着く。展望台はこの先をもう少し行った場所にあるようだ。
こちらはそんな展望台の近くに造られていた、唯一のお茶屋さん。
しかしこのお茶屋の店内から、何やら怪しい視線を感じるような・・・?!
そんなお茶屋さんに近づいてみると、なんとマツコ・デラックスや渡辺謙などの顔パネルが、如何にも本人が立っているかの如く置かれていただけだった。でも人間って、他人から見られているという視線を意外にも感じやすい面がある。
今流行りの猫ブームに乗っかってか、こちらには手彫りの「猫神」が置かれていた。しかし肝心の猫ちゃんは、この展望台付近で見かける事は出来なかったけども。。
こちらの椅子には既にクマさんの人形が座っているのか? それとも椅子の上にクッション代わりで置かれていたものなのか?
鏡山の展望台にて
この日も相変わらずの晴天が広がっていて、観光日和である。同じ展望台からの景色を眺めるにしても、雨が降っていたり、雲っていたりする時に比べると、晴天だったら格段に綺麗な景色となる。
この頂上にある展望台はどうやらこの先を真っ直ぐ行った、先端付近にあるようだ。奥の方に観光客など、景色を楽しんでいるように見える人々の姿が見える。
そんな展望台まで向かう途中には、このような岩の上に立つ像が見えてくる。こちらの像の人物は「松浦佐用姫」という、万葉集にも出てくる”佐用姫伝説”という悲しい恋の物語で有名な人物らしい。
松浦佐用姫はこの唐津市に実在した人物とされているが、物語によると537年頃に今の朝鮮半島の新羅に出兵する為にここを訪れていた大伴狭手彦という男と恋仲になる。しかし大伴狭手彦は朝鮮半島に渡る命令があった為に、ここから船に乗って朝鮮半島を目指して出発して行った。松浦佐用姫はそんな恋焦がれた人物が離れていくのを、この鏡山の頂上から見送り、その後とある島で一週間泣き続けて終いには石に化してしまったとか。
だからこの松浦佐用姫の像は、大きな岩の上に建てられていたようだ。なお、この鏡山からは大伴狭手彦が乗った船が見えなくなるまで、袖を振り続けて見送った為に、鏡山は別名「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれているとか。
ここは失恋した女性が多くやって来るけ!
こちらは展望台となっていて、そこには2階建ての建物が見える。また左側にはバリアフリー対応の通路が造られているので、車椅子の人でも気軽に訪れる事が出来るようになっている。
鏡山からの景色 動画
このように展望台の2階から周囲の景色を眺めると、下に大きな「虹の松原」という防風林の松林が眼下に広がっているのが見える。それにしても周囲には都会のように大きな建造物が無いので、とても見晴らしがいい場所である。
どうや、いい景色が見れるやろ?!
そして左手には松浦川沿いに発展した唐津の街が見えている。あまりイメージの無かった佐賀県だけど、逆にあまり都会のように発展しなかった街だからこそ、このような綺麗な光景が見えているのだろう。
この虹の松原の先端の方に今日宿泊する「ダイワロイヤルホテル ホテル&リゾーツ 佐賀唐津」という大箱のホテルがあり、その更に先には小さくだけど唐津城も見える。ただ唐津城は多分このような天守閣があっただろうという推測に基づいて再建されている城(模擬天守)なので、あくまでも観光客向けの建物となっているらしいが。
この展望台も2階側にはあまり人がおらず、写真撮影に来ていたベテランのようなオジサン達は、みんな下側の虹の松原に近い方に陣取っている姿が見られた。そして中央上の方に海にプカっと浮いている小さな島が、この鏡山と同じように山のテッペンが削られて台形になったかのような高島である。
この高島、宝くじが当たり易くなる場所らしいので行きたい~!
なお、この唐津から北西側に進んだ半島の先には戦国時代の終わりに豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、全国の大名が集結して陣を張っていた名護屋城跡がある。佐用姫伝説じゃないけど、この唐津付近が朝鮮出兵する際には地理的に重要な場所だったのだろう。
この唐津市内を流れる松浦川だけど、戦国時代後半までは左側に曲がって海に繋がっている川ではなくて、それまでは虹の松原の真ん中付近で唐津湾に流れ出ていた川だそうだ。というのも戦国時代終わりに豊臣秀吉の名によって家臣:寺沢広高がこの地に送り込まれ、今の唐津城の場所に城を建てた際に合わせて松浦川の流れを変えて、城の真横を通過するように河川を工事したそうだ。
このような失恋話は昔から女性達に欠かせないストーリーで、同じような話が沢山派生していったという。
ここに1人で来る女性は、失恋したばっかりのヤツやけ!
そんな、決めつけないでよ~!(怒)
そんな寺沢広高がこの地を収めて松浦川の流れを変えた際に、今でも見られる「虹の松原」を造らせたようだ。後で実際に訪れてみると、そんな松林もバラバラに植えるよりも、このように整えて植えるだけで数百年も続く景観地になるのである。
今回の凸凹3人組トリオの中でも、トップ2がこちらの2人。それにしても喋り好きな御二人なので、車移動中は常に喋り続けていて、喋りが止む瞬間がない。それなりの人生経験をしてきただけあって、喋り足りない位の感じなんだろう。
王子の場合は、突き刺さる言葉がたまにあるけ!(笑)
『行く船を 振り留みかね 如何ばかり
恋しくありけむ 松浦佐用姫』
by 山上 憶良
と文字が彫られた石碑が見える。
こちらは万葉集に収められている、奈良時代の貴族だった山上憶良が詠んだ歌。山上憶良は奈良時代に遣唐使にも選ばれて、この時代に険しい海を越えて唐を実際に訪れている人物でもあった。
この旅行は10月下旬と、まだもみじの紅葉は早かったけど、そろそろ良い感じの色に変化してきそうに見受けられる。個人的にはもみじの紅葉についてはあまり興味が無いけど、年配の方々にとっては秋の桜といった感じに大人気であるが。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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