九州縦断旅行記(秋)2020年-⑱
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Passing through the “Niji-no-Matsubara” (rainbow pine grove), which blocks the wind from Karatsu Bay, to Karatsu Castle with its mock castle tower.)
唐津湾を一望
佐賀県唐津市にやって来て、まずは唐津市を見下ろす景色が見える鏡山の山頂に登ってから、その展望台から海岸線に沿って松が生え揃っている「虹の松原」の中を進んで行きます。
住所:佐賀県唐津市鏡
日本三大松原の1つ「虹の松原」にて
こちらは虹の松原の中間地点付近にある、休憩所のような場所になっている空き地。ここに車を停めて、少し松だらけの景色を楽しむ事にする。
この虹の松原は相互1車線の道があり、一本道となっている。なおこの松林は幅が約500mで全長は約4,500mとなっていて、起源は唐津城を築いた寺沢広高がここに防風林として松を築いたのが始まりとなっているようだ。
約100万本におよぶクロマツが植えられている光景は、上から見ているのとは違って圧巻な風景となっている。この松林は昔から唐津藩によって管理されており、勝手な伐採を行うと死罪とされていた程に徹底的だったようだ。また今では国有林となっていて、佐賀県が管理しているという。
ただ松といっても植物なので、いずれは木が高齢化して枯れて倒れる時がやって来る。2019年7月には倒木事故が発生して、その際に通っていた車に松の木片が突き刺さり、11歳の子供が亡くなったという死亡事故も発生している。その際には倒木の可能性が高い29本の松を伐採したが、昔から大事に扱われてきた松という事で伐採には慎重な声が挙がっているようだ。
「虹の松原」の景色 動画
そんな「虹の松原」には、このようなインスタ映え撮影用じゃないけど、記念写真撮影用のパネルがわざわざ設置されているのが見える。なお松原というと”日本三大松原”として、「三保の松原」(静岡県)や「天橋立」(京都府)なども有名でもある。
さっきこの虹の松原での倒木事件に触れたけど、その後に倒木する可能性がある木約200本については、伐採されずに様子見としてまだ残されているという。昔であれば1つの命よりも大事な松という認識だったのだろうけど、時代と共にそういった考え方は変わっていく。だけどこの道を使うのであれば、倒木してくる可能性も考慮して利用した方がいいのかもしれない。
さてそんな「虹の松原」に置かれていた記念写真撮影用パネルにエロ坊主オジサンを誘導し、記念撮影を行う。エロ坊主オジサンは自称:機械音痴なのでカメラなどは持ち歩かずに、未だにガラケーもうまく使いこなせないという。だから旅行先では一切写真を撮らなくて、その分記憶に残っていると言うけど、バルト三国の話を振ると意外とその際の記憶は既に消えてしまっているようだったが・・・。
このパネルの端っこには「虹松まもる」という、この虹の松原のキャラクターが恥ずかしそうに立っているのが見える。そんな可愛らしいキャラクターと、60歳を過ぎても全国を精力的に安旅で回るエロ坊主オジサンのツーショット写真が何とも愛らしく見えてしまうような。。
愛嬌はあるよね!(笑)
唐津城へ向かう!
虹の松原の間を走る「佐賀県道347号(虹の松原線)」を西へと進んで行くと、すぐに高台の上に造られている唐津城が見えてくる。ここは江戸時代に唐津藩が拠点にしていた場所で、今では1966年に模擬天守などが再現して造られている。
こちらは唐津城の道を挟んだ向かい側にある駐車場(有料)。唐津城周辺はこの駐車場しかないので、こちらに車を停めて唐津城の見学へと向かう。
この駐車場から唐津城まで徒歩で向かうには、地下道が用意されているのでなるべくそちらを使おう。というのもこの城と駐車場の間にある道路は信号が用意されていないので、歩行者が横断するにはリスクがある道となっているから。
唐津城は本丸・二ノ丸・三ノ丸という造りになっていた平城で、1608年頃に名護屋城の廃材を利用して九州全土の大名の力を借りて建造されたという。なのでこの周辺にある堀には、その際に尽力した各大名の名前が付けられているという。
今街としてそれなりに発展している場所と言うのは、元々は昔に藩などが築かれて城下町として栄えていた場所が多い。特にこの唐津のように海から近くて平地のある場所は、昔から重宝されていた場所なのかもしれない。
こちらの唐津城は別名「舞鶴城」とも呼ばれて、明治時代になってから唐津城が廃城となった後は、払い下げられてここは「舞鶴公園」となった。そういえば昨日訪れた福岡城も舞鶴公園と呼ばれていたけど、同じ名前だったので似たような由来があるのかもしれない。
ここで同行するエロ坊主オジサンから提案があって、
オレは何回も唐津城見とるんで、2人だけで見てきや!この辺で待っとくわ!
との事。特に唐津城は元々ここにあった天守閣を復元したものではなくて、あくまで想像上の理想的な天守閣として建てられた「模擬天守」なので、初めての人はいいけど何回も来ている人からすると、そこまでお金を入って入りたい建物でもないようだ。
この唐津城も福岡城と同じように、天守閣を建てる為の足場である天守台は残っているが、その上に天守閣が存在したという明確な記録が残っていないという。豊臣秀吉の忠実なる家臣だった寺沢広高は、秀吉が亡くなった後に勃発した関ヶ原の戦いでは東軍に参加した。その見返りに唐津の地を約8万石与えられたが、家康に反抗する意図がないというのを示す為に天守閣を建造しなかった可能性がある。
しかし福岡城のように天守台という石垣を造ってまで、その上に天守閣を造らなかったというのは同じような意図があったのかもしれない。また実際には天守閣という建物はあくまでも殿様の権威を見せつけるものであり、藩政を行うには無くても支障が出なかったようだ。
階段を登って本丸の方へと上がってくると、このように虹の松原や鏡山などがよく見えてくる。このような景色を見ると、やっぱりお城はよく周囲の景色を見渡す事が出来る場所に建造されていたという事が実感できる。
目の前には唐津城脇から唐津湾へと流れ込んで行く松浦川が見えているけど、この川も実は寺沢広高が唐津城を建造した際に行った治水工事によって、この城の脇をわざわざ通るように流れを変えたのである。なので唐津湾から船が出入りする際には、必ずこの唐津城の横を通過しないといけなかったので、監視する役割もあった唐津城である。
1966年というと今から約50年以上も前に建てられた唐津城だけど、2017年に大幅な改修工事によってリニューアルされているので、このように壁は真っ白くなっていてまだ新しい城のような外観をしている。
オレ、この辺で待ってるから、城の見学楽しんでこいや!
と送り出してくれるエロ坊主オジサン。ただ何回かこういうシチュエーションが今までにあったけど、その大体で見学を終えて戻って来ても一箇所にジッとしている性格ではないエロ坊主オジサンなので、まずその姿をすぐに確認する事が出来なかった。
今回もまさにその結果となったね!(笑)
ここ唐津城が昨日訪れた福岡城と違っているのは、このように天守閣が無かったとされているけど、この模擬天守などが建てられている事。この模擬天守が建てられた1960年代というのは戦争後の高度経済成長期前半で、昔にあった城の再建ブームが起きていた時期。福岡は大きな街なので天守閣など無くても観光客がやって来る場所だけど、この唐津は小さい街であまり観光名所というのもない。だから新たな観光資源を作る目的で、この城が建てられたようだ。
この模擬天守、城の建物自体は1966年に新たに建てられたものだけど、その土台となっている石垣は寺沢広高の時代に造られた物で約400年が経過している年代物。
城の石垣もキッチリと石を組み合わせて造られているから何百年も持つと思ってしまうけど、長い時間を経過するとその途中に遭う地震などの影響もあって、微妙にその石垣のバランスが崩れて倒壊してしまう可能性が出てくる。そんな400年物の石垣もせり出してきたり、ひび割れしている石材を修復する為に2019年に石垣改修工事が行われている。
唐津城の本丸には金刀比羅神社も造られている。このような場所に神社が造られているのも、日本的な感じがする。
この模擬天守というのは「恐らくこの時代に造られたとしたら、こういう城郭様式だっただろう」という推測による考察で建造された物を示す。なので昔こういった天守閣があった城という間違った固定観念を産み出しかねない建物なので、忠実な歴史考察の観点からすると、あまり喜ばしい城の再建ではない。
しかしこの唐津城がある為に、このあまり人気ない佐賀県の唐津に来た観光客がわざわざ年間10万人近く立ち寄る場所ともなっている。そういう風に観光資源という観点からすると、このような立派な天守閣を備えた建物があるかによって、大きく観光客の訪問数が変わるので何とも悩ましい選択でもある。
特に現代人からすると歴史に忠実な再現ではなくても、これだけ観光が一般化した時代に生きていると、全国どこの城跡に行っても天守閣などの建物が復元されていて当然という考えにもなっている。なのでそういった城の建物ありきという考えになってしまっている現代人も、今一度そういった考えは見直さないといけないのかもしれない。
この唐津を訪れたのは10月下旬だったので、この「唐津くんち」という祭を見るのには少し早く行き過ぎた。毎年11月の2~4日頃に行われる祭なので、もしこの時期周辺で唐津行きを計画しているのであれば、その日程に合わせて訪問する事をオススメする。
ただ、この2020年はコロナ禍で中止になってしまったんやけ!
コロナ禍で全国的に例年行われているお祭りは、ことごとく中止に追い込まれた。なので例年はこの10月末頃になってくると、祭りに向かって盛り上がりを見せる街の雰囲気も、祭りが中止になった影響で寂しい感じになっていたとか。
エロ坊主オジサンは辞退したけど、初めて唐津を訪れる人間はまず入りたい唐津城の天守閣。ただ建物内での展示品については、写真撮影が禁止されている物も展示されているので、館内はあまり撮影出来ないのが難点であるが。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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