九州縦断旅行記(秋)2020年-㉜
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Visit Yutoku Inari Shrine, the second most visited shrine in Kyushu)
風鈴がいい感じ!
さて次にやって来たのは佐賀県鹿島市にある、日本三大稲荷神社とも日本五大稲荷神社などの1つに数えられるという「祐徳稲荷神社」。個人的には稲荷神社の本家とされている、伏見稲荷大社に何回か行った事があるので、全国にある稲荷系神社には興味が湧かないが・・・。
祐徳稲荷神社の参拝!
祐徳稲荷神社の前には浜川というあまり水量が多くない川が流れているが、2020年や2021年には豪雨が九州に降ったので、どんどん激しい豪雨になればこの川もいつか氾濫する可能性もなくはないような・・・。
そしてこちらが祐徳稲荷神社の最初にある、石造りの鳥居。稲荷神社というと朱塗りの鳥居が何個も並べられているのが特徴的だけど、このように石造りの鳥居もちゃんと設置されていた。
祐徳稲荷神社入口の景色 動画
その入口脇には色付けされたタイルで表示されている、この祐徳稲荷神社敷地内の地図も設置されている。この祐徳稲荷神社の本殿は少し高い場所にあって、京都で有名な清水寺のように木組みの足場の上に造られているのが特徴的。そしてそれ以上に有名なのが、後ろの山の上に造られている奥の院で、そこまで上がると御利益があるというけど、実際にはかなりの階段を登らないといけないので年配の人にとっては訪れるのが大変な場所になっているという。
さて入口を進んで行くと、また別の鳥居と共に稲荷系神社らしく、狛犬ではなくて、狛狐が出迎えてくれています。そして今日も快晴に恵まれたので、気持ちいい雰囲気の中、歩いて進みます。
稲荷神社ではやっぱりこの狐の印象が強い。この狐は神様の使いとされていて、昔の人達は農作が始まる頃に山から現れて、収穫時期の秋に山へと帰っていく狐を見て、農作物が出来上がったのを神様が見届けたと思い込んで、このような神社に祀られる存在となったようだ。
そして進んで行くと、確かに京都の清水寺のような雰囲気の足場の上に造られている建物が見えてくる。てっきりあのような足場がある神社は清水寺だけかと思っていたけど、他にもあったのである。

王子、ドコでも訪れてみると色んな勉強になるんやけ!
すると太鼓橋の向こうに派手な装飾が施された楼門が見えてくる。ちょっと逆光になっているから分かりにくいけど、かなり豪華な装飾となっていた。
楼門周辺の景色 動画
上に見えているのが本殿で、今見えている建物は1957年に再建された3代目だという。昔から使われている漆塗り技法の建物は、その表面は漆が渇くと酸や塩分やアルコールなどで溶けるという事がなく綺麗な外観を保てるけど、漆は燃えやすいので漆塗りの建物が消失してしまうのは首里城の火災の例などでも御存じの通り、よく起こる事である。
(※漆は紫外線には劣化するが、今では紫外線に劣化しない漆が使われている事が多い)
このように比較的新しそうな建造物に見える建物の脇にあるのは、何と有料のエレベーターだという。この本殿がある場所は15メートルの高さにあって、従来はそこまでは歩いて階段を登るしか方法が無かった。しかし参拝者には足が不自由な人もいて、そのバリアフリー化でこのエレベーターが導入されているが、実はエレベーター使用料として300円が必要なのである。
こちらは楼門正面に掲げられている、祐徳稲荷神社の文字が見える。この祐徳稲荷神社は1687年頃に鹿島藩主の奥さんが、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請した事がきっかけで造られた神社。
そんな楼門にはお決まりのイカツイ顔をした仁王像が鎮座しているのかと思いきや、この祐徳稲荷神社ではこのように有田焼で造られた「随身(ずいじん)」が飾られているのが見える。この聞き慣れない「随身(随神)」というのは、貴族が外出する際に警護の為に随従した近衛府の官人の事で、今でいうボディーガードの役目だった人である。
平安時代以降にこの随身という役割が出来て、また神社では「神を守る者」として門守神ともされている。またこのように入口の門に阿吽像の代わりに随身を設置されている門の事を、「随身門」と呼ぶ事もあるそうだ。
この祐徳稲荷神社は鍋島氏の神社だったので、楼門には鍋島氏の家紋だった「杏葉紋(ぎょうようもん)」のマークが見られる。この杏葉紋は元々は公家で使われていた家紋で、それを豊後の戦国大名:大友家が使用し、その家紋の美しさに九州の人々が憧れたという。そしてそんな大友家を打ち破った龍造寺がこの杏葉紋を戦利品として使い、更にはそれが鍋島家へと引き継がれていく事になる。
そんな楼門を通り過ぎて進んで行くと、この時は通行禁止になっていた階段の脇にそれぞれ馬の彫刻が見えてきた。昔は神社で馬を奉納していた事もあって、その馬を捧げるのが金銭的にとても大変だったので、その代替え品として絵馬が生まれたのである。
こちらの馬は普通の馬ではなくて「左馬(ひだりうま)」という、とても縁起のいい馬だという。というのも馬を反対に読めば「まう」となり、「舞う」という祝宴の席などで行われる行為を連想しているから縁起がいいのだとか。また”馬には右から乗ると転ぶという習性”があって、左から乗ると転ばない事から「長い人生で躓く事なく、無事に過ごせる」という意味合いも込められているとか。
なおこの馬の文字が反対に向いているのは、駒の生産で全国的に有名な天童市で生まれた天童市独自の将棋駒デザインでもある。そんな縁起のいい左馬なので、この祐徳稲荷神社の参拝客達はみんなこの馬の像を触って行くのだとか。
そして更に進んで行くと、神社で浄化の儀式にも使われる「茅の輪」が設置されていた。この茅の輪は全国的に神社で見られるもので、厄除け的な感じでこの輪を通り抜ける「茅の輪潜り」をする人の姿がよく見られるのである。
祐徳稲荷神社の境内 動画
ボクは神事など全く信じないので、このような輪っかが設置されていたら、逆に罠が仕掛けられているのではと警戒して、そこを通る事はしない。しかし日本人の多くは、このような茅の輪を見かけると、穴を見かけたら入りたくなる人間の習性かの如く、その輪っかを通り抜けてしまうようだ。
最近の若い子達は宗教や神様などを信じない人が多いらしいけど、そんな若者達も神社に来たら、日本人の習性で茅の輪潜りを無意識にしてしまうようだ。
そして茅の輪を抜けて正面に見えてきたのが、こちらの「御神楽殿」。これが本殿でもいい位に豪華な装飾となっている建物だけど、こちらは昭和41年(1966年)に新しく新築された鉄筋コンクリート造りの建物である。
祐徳稲荷神社の楼門を通り抜けて真っ直ぐ行った場所にあるので、この御神楽殿の参拝が一般的だという。そして時間に余裕があったり、他の場所でも参拝したい人が上にある本殿や奥の院まで登っていくようだ。
こちらには『御鎮座300年記念』として、この祐徳稲荷神社が出来てから300年経った記念に奉納された鬼の面のような物が見える。鬼は昔の人達から嫌われていたと思いガチだけど、実際には「敵の敵は味方!」という言葉もある通り、鬼がいれば悪いものを払ってくれるので重宝されていたようだ。
ボクとは違って神社を参拝すると、必ずお賽銭を入れてお祈りするエロ坊主オジサンと朋ちゃん。個人的には何を祈っても無駄だと思っているけど、古風な日本人は神社でお祈りをするという習慣付けされているので、特に何も疑問を持たずに行っているようだ。

神社は日本人の魂やけ、罰当たり者!
そんな朋ちゃんは御朱印マニアでもあるので、ここでも受付に行って御朱印を貰いに行っている後ろ姿が見えた。それにしてもこんな立派な御神楽殿もあるし、清水寺のような大きな木組みの足場の上に造られた本殿もあるし、さすが日本三大稲荷の1つに数えられる中にも入っているから、参拝客が多くてかなりの収入がありそうな神社にしか見えない。
先程の楼門にしてもこの御神楽殿にしても、これだけ豪華な装飾にお金を掛けれるのは、沢山の参拝客が訪れるからだろう。そして参拝客が多いから装飾にお金を掛けられる程の予算になるのか?、それともこれだけ豪華な装飾の神社だから多くの参拝客が訪れるのか?
ここを訪れた時期は上に造られている本殿まで登る階段に風鈴が設置されていて、とても爽やかな音色が聴こえている。普段都会に住んでいると、このような風鈴の音色なんて聴ける機会はまずないだけに、その音色が余計に良いものに聴こえる。
この風鈴は普通に設置されていた物ではなくて、実は1個500円で買って、参拝客が風鈴の短冊に願い事を書いて、ここに飾っていたものである。だからここの風鈴にはそれぞれに、参拝客の願い事が書かれているのが見える。しかしこの有料風鈴も祐徳稲荷神社の商売上手さが分かる物で、これだと一定期間展示後に回収してリサイクルも出来るハズ。

これらの儲けがあるから、綺麗な装飾が出来るのだろう!
神社に響く風鈴の音色 動画
勿論ボクは神頼みしない人間なので、このような願い事を書いて風鈴を設置するという発想すらならないけど、参拝客達が沢山この風鈴を1個500円で設置してくれていたから、とてもいい気分になれたのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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