九州縦断旅行記(秋)2020年-㊺
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Ohe Tenshudo in Amakusa, the first Tenshudo to be built in Japan.)
一神父の私財を投じた教会
さて天草下島北西の富岡城から車を約30分走らせると、奥の方に「大江天主堂」という昭和初期に建てられたロマネスク様式の白い教会が見えてきます。なお教会だけではなくて、この周辺には教会に関わる施設なども見られるので、その道中に見える街並みも眺めておいた方がいいようです。
しかしキリスト教に興味の無い人間からすると、目に付くのはキリスト教関連の建物よりも、このような道端に置かれていたくまモンの顔が塗られた、手作り感満載のオブジェ。。
や~~可愛い~~!
「大江天主堂」に到着!
そして高台の上に建てられた「大江天主堂」に到着します。周囲には緑が目立ち、駐車場から見るとこのように背景の青空にその白い建物が映えて、とても雰囲気良く感じる教会である。
江戸時代には厳しく弾圧されていたキリスト教だったけど、キリシタン達は江戸幕府に隠れて信仰心を持ち続けていた。そして江戸幕府の長い時代が終わり明治時代を迎えると、海外からの文化が大きく入って来て、それに合わせてキリスト教も解禁された為にこのようなキリスト教の教会が国内に新たに造られていく事になる。
こちらは駐車場脇にあった休憩スペース。この大江天主堂のある雰囲気を壊さないように、観光客がやって来るこの場所に造られた休憩所もこのようなデザインとなっていたのだろう。
まずは教会の建物を訪れる前に駐車場周辺にこのような記念碑らしき物が見えたので、まずはこれらから先に見ていく事にする。このような記念碑とかも何かしらの関係があるから設置されているので、一応目を通しておくに越したことはない。
白秋とともに泊りし天草の
大江の宿は伴天連(バテレン)の宿by 天草曽遊之詩録一首 勇老痴
こちらは明治40年(1907年)にこの教会を造ったガルニエ神父に会いに訪れた、新詩社を創設した与謝野鉄幹を始めとする北原白秋・吉井勇などの青年詩人5人の来訪を記念した碑。
長崎経由で天草の富岡に到着し、そこからガルニエ神父を探して南下していった青年詩人5人組。途中の下田温泉に立ち寄ったり、鬼海ヶ浦の景色を楽しんだりして、この大江に辿り着く。そして旅の目的でもあったガルニエ神父に出会えて、ここで大いにキリスト教や隠れキリシタンの歴史を学んで、その知り得た知識を後に書籍化している。
こちらはその時に訪れていた吉井勇が昭和27年に再訪した際に、詠まれた詩が残されている。また与謝野鉄幹も昭和になってから妻だった与謝野晶子と、この地を再び訪れているという。それだけ彼らの印象に大きく残った場所だった事だろう。
ともにゆきし 友あらず 我一人
老いてまた踏む 天草の島
by 吉井勇
こちらの記念碑は平成13年と、まだ最近造られた物。明治40年に訪れた時には仲間たちが一緒だったけど、この時は1人だけだったので、その寂しさが詩に現れているような気がする。
そして駐車場脇には誰も人が居なかったけど、このような珊瑚の石が露天販売されているのを見かける。
このように大が500円、中が300円、小が2個で300円という値段になっている。確かこの天草は『雲仙天草国立公園』に定められている場所なので、勝手に動植物や石などを訪問客は採取してはいけないのであるが、地元の人達であればこのように販売していいのだろうか?!
いくらでも海岸に落ちているから、少し位やったらエエんやろ?!
こちらの看板には「ルルドの聖母」と文字が書かれている。この「ルルド(Lourdes)」というのはフランスの南西部に位置する町の名前であるが、この町は1858年にある少女が聖母マリアを見たという証言により、一躍有名になって今では世界的なキリスト教巡礼地となっている場所である。
明治時代初期にキリスト教の布教で日本へやって来たのはフランス人宣教師が多かった為に、長崎やこの天草ではそのフランスでの奇跡である『ルルドの聖母』がここ日本でも多くの信仰対象として、ルルドの泉なども造られている場所もある。ちなみにその1858年にルルドの町で聖母マリアを見かけたという、当時14歳の少女ベルナデッタ。彼女は合計18回も聖母マリアを見かけたそうだけど、他の人には聖母マリアは見えなかったという。
ここは大江天主堂を中心とした、小さな集落になっている大江の村。ここから見える建物は和風の家が多いけど、キリスト教を信仰する人も多いのだろう。
こちらの白い建物がフランス人カトリック司祭だった「フレデリック・ルイ・ガルニエ」(Frederic Louis Garnier)が、自費を投じて造ったという「大江天主堂」。1933年に建てられたとは思えない程に外観が綺麗で、2019年頃に改修工事が行われたようだ。
その近くにはこのようなお墓が見えるけど、キリスト教のお墓というよりは、日本的な墓に十字架を合体させた”和風キリスト教の墓”のように見える。
日本で見かけるキリスト教の建物も色んな種類を見かける事が出来るけど、ここ大江天主堂ではロマネスク様式となっている。ロマネスク様式とは中世西ヨーロッパの建築様式の事であり、9~11世紀頃の建築様式を再現している。ちなみにこのロマネスクという言葉は「ローマ風の」という意味があるそうだ。
こちらには「大江カトリック教会」との文字が刻まれている。あまりキリスト教に興味が無い人からすると全部一緒に思えるけど、キリスト教ではカトリックとそれに対抗するように現れたプロテスタントというように、大きく2種類に分かれており、更にそれらから派生した派閥も数えきれない程存在している。
カトリックというとバチカン市国のローマ法王を頂点にする組織であるが、昔からお金優先の組織だったので、それに異を唱える形でプロテスタントが生まれた。それまで好き放題に勢力を伸ばしていたカトリックはそんなプロテスタントの勢いに押される形で信者が減りつつあった所に、大航海時代に便乗してインドやアジア地方に新規信者を求める事になる。
そのような弱い状況に置かれていたカトリックの影響もあって、アジア地方には多くのカトリックの宣教師が訪れた。なのでこれらの地方には多くのカトリック教会が存在しているのである。もしの世界だけど、この時にプロテスタントが生まれなくてカトリックが追い込まれる状況になければ、これだけ全世界にカトリック教が拡がっていなかったかもしれない。
なお日本にある教会では内部の写真撮影が禁止されている所が多く、この大江天主堂も残念ながら写真撮影が禁止となっていた。教会内部としては普通の建物なのであるが、ステンドグラスが太陽光に照らされて綺麗だった。
キリスト教って一神教の宗教なので、基本的にはイエスキリストのみを神とする考えである。しかし今ではそのイエスキリストを生んだマリアも聖母として、神様と同じようなレベルでキリスト教信者からは慕われている。聖母マリアは神様ではないけど、偉大なる人物といった認識なのか。
そんな大江天主堂の脇にあったのが、こちらのガルニエ神父の胸像。この大江天主堂を造った人物であり、この天草の地でキリスト教の普及に尽力した人物でもある。この大江天主堂は25歳頃に日本に来日し、32歳の時に天草の地に渡り、そこから49年間に渡って大江教会の主任司祭を続けたという。
ガルニエ神父は貧しい天草の人々と同じ食生活に合わせ、服なども質素にして倹約に務めた。信者が貧しい中で自分が贅沢に過ごす訳にはいかないという信条で、天草の人々に付き添ったという。人は贅沢な暮らしから貧相な生活にはなかなか戻れないけど、それだけ信念が強かった人物だったので多くの人々が彼に付いていったのであろう。
こちらは教会の側面で、勿論この教会の中は自由に立ち入りが出来る(※ただしミサなどの行事がある場合は入れない)。また教会では奄美大島でよく見たソテツ(蘇鉄)が見られるけど、これは寺などにも多く植えられていたりと、宗教に関係なく人類に愛されている植物である。
天草では2018年に『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』として、12件の構成資産からなる世界遺産にも登録されているけど、この大江天主堂は残念ながらその中には入ってはいない。この世界遺産は元々は長崎県に多く残るキリスト教会という事で申請していたようだけど、最終的には隠れキリシタンに照準を絞った為にこの天草の﨑津集落が熊本県としては唯一入れられている。
こちらの看板にはルルドの聖母はこの奥と表示されているけど、この時はあまり興味が無かった事もあって見つける事が出来なかった。でも後から調べてみると、この下辺りにルルドの泉が造られており、その脇に聖母マリア像が設置されているようだ。
こちらはガルニエ神父の墓で、彼は32歳で天草のこの地にやって来てからは二度と国には帰らず、この地で宣教活動を生涯続けた。そして81歳で亡くなったガルニエ神父のお墓が、この大江天主堂敷地内に造られている。
元々は大江教会という簡素な建物があった場所であるが、そこに私財を投じて住民達と協力して、このロマネスク様式の大江天主堂を造ったガルニエ神父。そしてこの際に大工達がロマネスク建築様式を勉強して、他の場所にもロマネスク様式の建物が増えていく要因になったという。
海外旅行でヨーロッパに行くと、そこら中でこのような教会を見かけるので特にこのような建物が珍しいとは思えないけど、やっぱり日本でこのような建物は珍しいので思わず見惚れてしまう。そして今日は天気がいいだけに、白い壁の色がまた一段と綺麗に見える。
ただ日本にある教会では内部が撮影禁止になっている場所が多いので、内部の写真をお見せできない事が残念である。しかし内部はそこまで特徴がある訳でもないので、この外観だけ見るだけで充分だと思う。海外では特に信者の邪魔をしなければ写真撮影は許されている場所が多いので、日本もそういう風になっていけば嬉しいのであるが。。
隠れキリシタンという江戸時代に禁制されていた宗教を、密かに代々に渡って信仰していたキリシタンの人々。度重なる弾圧にも負けずに宗教を守り抜いた凄さと、それが一切バレずに100年以上に渡って受け継がれていった事に驚きを隠せない天草であった。
大江天主堂周辺をドライブ 動画
こんな旅はまた次回に続きます!
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