九州縦断旅行記(秋)2020年-64
旅行期間:2020年10月24日~28日
(At Kumamoto Airport, which used to be a prefab shack, we ate Kumamoto Ramen and headed home.)
民営化で新ターミナル建設中!
この2020年10月下旬に訪れた九州旅も、今回でやっと最終回。九州入りしたのは福岡空港からだったけど、そこから佐賀県~長崎県~熊本県と移動し、今日は少しだけ大分県に足を踏み入れたけど、無事最終目的地である熊本空港に到着します。
熊本空港にてチェックイン!
今日もアチコチとドライブして熊本空港近くのレンタカー屋さんに、無事車を返却。そして初めての熊本空港に到着したけど、イメージしていたような空港ではなくて、工事真っ最中のプレハブ小屋みたいな空港となっていた。
この熊本空港は2020年から完全に民営化されて、名称も「阿蘇くまもと空港」に変更となり、2023年度から運用開始する国内線と国際線が一体化された複合ターミナルビル建設中の真っ最中だったのだ。どうりでこのようなプレハブ的な建物となっていた訳だ。
熊本空港は国際線ばかりかと思っていたけど、一応台湾・香港・韓国・ラオス行きの国際線なども運行しているようだ。ただこの時はコロナ禍の影響もあって、それら国際線はほぼ動いていなかった事だろう。そして帰りのJAL・・・ではなく、今回はANAの飛行機を予約していたのでまずは自動チェックイン機に向かい、チェックインを済ませる。
一応プレハブ的な建物だけど、このようにちゃんとお土産屋さんなども適度に用意されている。さすがに空港は多くの人々が利用する場所なので、工事中の簡易な建物でもしっかりとお土産などの販売はされている。
そんなに利用者がいないように思ったけど、このようにボチボチな感じの人の姿が見える。コロナ禍であっても移動を必要とする人はいるので、多少なりは飛行機に乗る人もいる。
この熊本空港内でも熊本名産のいきなり団子が販売されていたけど、さっきの草千里ケ浜で80歳を超えるおばあちゃんが心を籠めて作っていたいきなり団子を味わっているので、それに比べるとこのような空港で売っているいきなり団子には興味が湧かない。。
今日は移動の時間がタイトだった為に昼飯は結局食べずだったので、ここ空港内で飛行機を待つ時間に何か食べる事にする。
こういう空港内に出店している飲食店の料理って、ちょっと割高っぽい感じがするし、バイトちゃんが作っているお店が多いので普段はあまり食べたいとは思わないけど、たまに食べる位がちょうどいいのかもしれない。
ちょっと前までは某大手ハンバーガーチェーン店のハンバーガーなどを食べていたけど、最近は全然食べなくなった。パンに挟まれている肉も何が使われているか変わらないので、変なものは避けるようになってしまったのかもしれない。
ただ川崎マダムである朋ちゃんは、そんなハンバーガーを食べたくて仕方ないようで、「今すぐ食べさせろ!」とばかりに注文しているような後ろ姿をしていた。
そういう言い方して、すぐに出てくるんだったら言うけどさ~!
ボクが注文したのは、こちらの熊本ラーメンで780円。熊本ラーメンというと世界の「味千ラーメン」をイメージしてしまうけど、特にこれといった特徴が無いようにも思えるが。
会社員時代にラーメンマニアの先輩がいて、得意先との接待代わりでラーメンを食べに行く程で、しかも一晩にラーメン屋をハシゴするという話を聞いて、驚いてしまった事を思い出す。そしてラーメンのハシゴをする為に、わざわざ昼飯を抜いたりするというマニアぶりだった。。
ここで食べた熊本ラーメンは豚骨味の、至って普通のラーメンだった。国内ではそれぞれご当地ラーメンがあるように宣伝しているけど、ラーメンに興味があまりない人からすると、普通にラーメンを食べたという感じだった。。
こちらは朋ちゃんが注文したハンバーグで、照り焼きソースみたいなのがたっぷり掛かった肉が見える。こういう過剰な味付けの食べ物は最近敬遠しているけど、このような若者向きの食べ物が食べれるという事は朋ちゃんもまだまだ若いという事だろう。
悪かったわね、ハンバーガー食べて!(怒)
さてそれぞれに食欲を満たした後は、満を持して保安検査を受けて国内線ターミナル内へと入っていきます。熊本から伊丹空港行きの飛行機も、それなりに乗客がいるような感じ。
この仮国内線ターミナルもこのように大きなワンルームとなっていた。そして朋ちゃんが搭乗する羽田空港行きの飛行機がそろそろ搭乗開始になっていたので、ここでお別れとなる。
何だかんだで楽しかったよ~!
ここで凸凹トリオの朋ちゃんともお別れしてまた1人に戻ったけど、さっき仲間になったくまモンがいるので、何気に心強い。こういう喋る人形を持っている子供だったら周囲から温かい目で見られるのだろうけど、40歳のオッサンもどきが1人でくまモンに喋りかけている姿に対しては、周囲から見て見ぬフリをされていたような。。
ただボクが乗る飛行機はまだ1時間くらいの待ち時間があったので、さすがにくまモンと遊んでいるだけだと疲れてきたので、ターミナル内にあるお土産屋さんを物色する事に。
こちらは熊本のお土産用お菓子として今までに色んな賞を受賞している「誉の陣太鼓」という、大納言小豆を求肥で包んだもの。なおこちらのお菓子を包んでいる包装パッケージは、約40年程前に特許を取得した紙缶詰製法だそうだ。なお食べる際は付属の紙製ナイフを使って、このパッケージを直接切って食べるようだ。
どうしても商品の中身より、その外側を包んで商品を守ってアピールする包装資材に目が行ってしまうのは、ボクの職業病である(といっても辞めてますが・・・)。だからこのようにお土産屋さんでも、特徴的なパッケージの商品ばかりに目が行ってしまう。こちらはこの年2020年7月に九州南部で集中豪雨が降って被災した地域に、一部寄付金として渡される機関車型のボトルをしたお酒である。
こちらも牛乳焼酎という、あまり聞かない牛乳が使われたお酒。こちらもボトルを前面に出すのではなくて、ボトルを不織布の袋で包んで、牛乳っぽい白さをアピールしているように見える。
伊丹行きの飛行機に搭乗!
そして待つ事約1時間程で、やっと伊丹行き飛行機が搭乗開始時刻になった。なお国内線ターミナルは仮のプレハブとなっているので、飛行機の搭乗する場所まではバス移動。そこでもくまモン人形と遊ぶが、電池の残量によって聞き取り精度が変わる傾向があり、新しい電池に変えた途端にアンパンパンみたいに元気になるくまモン人形であった。。
今までに旅行で100回以上は飛行機に乗ってきたけど、このようなプロペラ機は今までにあまり乗った記憶が無い。たぶん乗った事はあるのかもしれないけど、飛行機自体には全然興味が無いので、もし乗った事があっても忘れてしまっているだけなのであるが。。
こちらの飛行機は「DHC8-Q400」という、ボンバルディア・エアロスペース社が生産するプロペラ機。「ターボプロップエンジン」で両翼に付いているプロペラを駆動させて、また翼が窓よりも高い場所に設置されているので、機内からの見晴らしもいいという。
しかし暗い時間帯にフライトすると、住宅などの電灯などが光っている景色だけしか見えずに、少し居眠りしている間に無事伊丹空港に到着。小さなプロペラ機だけに、珍しくタラップでの飛行機乗り降りが一般的な伊丹空港でも、このように地面を歩いてターミナルへ向かうのであった。
そして家に帰って、購入したお土産を見直すと意外と買ってしまっていた。持って行く服などの荷物を減らした分、このようなニンニク関係の商品をついつい買っていたのであった。
そして天草で毎日食べるニンニクもお買い上げ。そういえば最近お土産で買う物でニンニク関連の品が増えてきている。それだけニンニクを欲するようになってきた、今日この頃なのであった。。
<まとめ>
さて今回の九州旅は宮崎県から帰ってきて中一日を挟んで、また九州に帰ってきたのである。そして数年ぶり訪れた福岡から始まる旅のスタート。数年前とは違って色んな所に旅に出かけて経験値が増えているので、前回訪れた時とは違って色んな発見を各所でしたのである。
九州でも玄関地である博多の街は、大昔から朝鮮半島や中国大陸との貿易の拠点だった事もあって、だいぶ昔に建立された仏教寺が意外と多い。すっかり日本の中でも大都市化した博多だけど、このように昔の趣を残す場所も残されている。
個人的にはあまり興味を惹かれない、九州で一番の歓楽街である中州。しかし昼間に来るとこのように那珂川が爽やかな風を運んでくれる場所で、意外と気持ちいい。
正直今回博多を訪れるまでは、福岡城なる城がある事すら知らなかった。ここでは天守閣の建物が無くて当時の石垣しか現存していない城跡だったけど、あの黒田官兵衛が築城に関わり、商人の町:博多と武士の町:福岡が融合された土地となったのである。
そして福岡県ではこちらにある像を見れば分かるように、サザエさんの原作者である長谷川町子さんが数年間住んでいた場所でもある。サザエさんの家族構成というのは現代人からすると違和感があるけど、それだけ昔に造られたアニメが未だに人気を博している事が凄いのである。
そのサザエさんの中に登場するキャラクター達に海産物系の名前が多いのは、長谷川町子さんが近くにあった海岸付近を散歩しながら漫画の構想を考えていたからとされている。しかし現代では長谷川町子さんが散策していた海岸は大幅に埋め立てられ再開発されており、今ではこのようにその当時の面影を残していない場所になってしまっている。
そんな場所に造られていた福岡タワーでは、博多の街を一望する景色と共に、クロちゃん推しのイベントが開催されていて、どこを見てもクロちゃんワールドが展開されていた。芸能界で人気を得る為には、好かれるキャラクターだけではなくて、嫌われるキャラクターになる事も大事なようだ。
そして翌日合流した旅仲間の凸凹トリオのお2人。以前に訪れた海外旅行ツアーで出会った人であるが、それぞれに旅好きでパワフル。アチコチ行く人は好奇心が旺盛であると共に、体力と気力も持ち合わせているようだ。
やっほ~~久々ね~~!
正直佐賀県の唐津市なんて何があるか全く知らなかったけど、ここは九州現地ガイド役を自称するエロ坊主オジサンの案内で、唐津市の名所を的確に案内してもらう。こちらは元々は天守閣が無かったとされている唐津城だけど、今では観光資源として活用する為にこのような模擬天守が建造されている。
九州の案内は、オレに任せんしゃい!
模擬天守というのは歴史的にその城に天守閣が無かったとされている場所に、その城が建造された時代に造られていた平均的な天守閣を再現して造られたものである。だから城の内部は近代的な造りになってあまり楽しめないけど、城は高台に造られている事が多いので、唐津城でも天守閣からはこのように見晴らしのいい景色を楽しめたのである。
この佐賀県唐津市は海に近い事もあって、昔から海産物が豊富に獲れた場所。そして呼子と言う漁港では昔から沢山イカが水揚げされた事もあって、料理屋ではこのようなイカの活け造りを味わう事が出来る。冷静に考えれば残酷な料理のように思えるけど、我々が口にする食糧の殆どは何かしらの命を犠牲にしている訳で、そう考えると残酷なのではなくて、それらの命を大事にしっかり残さずに平らげる事の方が大事なのかもしれない。
イカの活け造りを食べた後は、その呼子の町を訪れる。しかし近年はイカの水揚げ量が減ってしまっており、また過疎化などの影響で寂れた町と化していた。またさっき食べたイカもこの呼子で水揚げされたものではなくて、最近は長崎で水揚げされたイカが提供されている事が殆どなんだとか。
それから佐賀県の北西端にある西松浦半島の波戸岬では、目の前に広がる玄界灘よりも、駐車場脇に立ちならぶサザエのつぼ焼きなどを提供する屋台の方が観光客には大人気であった。
旅行って人によって楽しみ方は違うけど、素晴らしい景色よりも、やっぱりこのように地元の名産品など美味しい物を食べる方が楽しみだという人が多い事だろう。
そしてボクが行きたかった名護屋城跡はスルーして、エロ坊主オジサンの強引な案内で連れて来られたのは、伊万里焼の里。しかし18時を過ぎて暗くなった現地に到着すると、その窯元の雰囲気はあまり感じられなく、お店なども殆ど閉まっていた。。
スマンスマン、でも暗くても雰囲気だけは楽しめたやろ?!
翌日の朝イチには前日渡し船に乗れずに行く事が出来なかった、唐津湾に浮かぶ高島を訪れる。ここにある「宝当神社」が名前からも分かるように『金運アップ』とか『宝くじの御利益がある』とかを謳って、島興しの一環として活用されているようだ。
しかしこの凸凹トリオは誰もこの高島で肝心の宝くじは買わなかったので、その御利益が実際にあるかは証明できず・・・。そしてこの島の看板猫がこちらの猫ちゃんで、このようにお祈りしてくれるポーズをしてくれるので、是非高島に来た際はこの猫ちゃんに会うべきである。
それから南下して、佐賀県を代表する温泉街の武雄温泉に到着する。こちらは竜宮城の門を彷彿とさせる入口だけど、これを設計したのは佐賀県出身の歴史的な建築家:辰野金吾である。この温泉街を活気づけようと地元で運送関係の会社を経営していた社長が、奮発して地元の有名な建築家に依頼した建物であった。
その後に訪れた祐徳稲荷神社は九州では2番目に参拝客が多いという大人気の神社だけど、ここのウリはこの階段を登ってハイキングを楽しむ事にあるようだ。正確には山の上に造られている奥の院でお参りする為に登るのであるが、多くの人は普段運動しないのでハイキング代わりに楽しんでいるような姿に見えた。
こちらは有明海が干潮時にはこのように水が引いて、その鳥居の下をくぐれる「大魚神社の海中鳥居」。有明海沿いの中でも特に満潮と干潮時の水面差がある場所で、普段は半分以上が水に浸かる鳥居もこのように干潮時にはモーゼの奇跡なみに歩けるのである。
そしてここでこの旅で一番面白かったハプニングが起こる。エロ坊主オジサンが先に車に乗り込んでいたのであるが、なんとその車は我々のレンタカーではなくて、全く他人の車だったのだ。エロ坊主オジサンの地元である北九州ナンバーに、自然と惹かれてしまった事だろう。。
この車がオレを惹きつけたんやけ!
そして自由奔放なエロ坊主オジサンは、有明海に栄養を注いでいる姿も見せてくれる。自称:元中学社会科教員だったらしいけど、破天荒な教師で度々校長先生に怒られる事もあったとか。ただこれぐらいの豪快さが無いと、色んな場所をゴリゴリと旅する事ができないのであろう。
そんなエロ坊主オジサンが栄養を注いだ有明海沿いで、新鮮な牡蠣などを目の前でバーベキューして味わう。海が近いと、普段はなかなか食べれない魚介類なども食べる事が出来るので、旅先ならではの食材である。
そして長崎県側の諫早湾沿いでは、このように県営バスのバス停を可愛らしいフルーツ型にして、観光客を楽しませていた。ここで勉強になっていたのはフルーツと野菜って明確に分類されているのかと思っていたけど、実際にはその分類は明確にされておらず、扱う側によってまちまちだった。
そして数十年前に噴火した雲仙岳を前にして、エロ坊主オジサンの解説が始まる。ここも阿蘇山のように1つの山という訳ではなく、合計20個以上もの山が集合した総称で雲仙岳と呼ばれているのである。
そんな活火山がある場所の近くには、このような熱そうな源泉が湧き出ている。こちらは小浜温泉で意外と九州の中でも海外客に人気な温泉街となっているそうだ。
そして江戸時代にはキリシタン達が迫害されて処刑されたという、こちらの雲仙地獄。まるで地獄絵図のようにモクモクと煙が地面から湧き出る光景には圧倒される。
そんな人間から見れば地獄のように思える場所も、猫ちゃんからすると地熱の暖かさでのんびり昼寝を楽しめる場所となっていた雲仙地獄でもあった。しかし2021年8月に九州地方で集中豪雨が発生し、この雲仙地獄も被災して一時立ち入り禁止地域となってしまった。この時に可愛い寝顔をしていた猫ちゃん達は、果たして無事なんだろうか?!
雲仙岳のある島原半島からフェリーに乗って、天草諸島の中でも一番大きな島である天草下島に移動。そしてその島の北西部にある富岡城は、この地方で江戸時代初めに発生した『島原の乱』で大きな戦いが繰り広げられた場所でもある。
キリスト教の弾圧と共に、この天草の土地の適正な生産量に対して、その2倍にもなる苛酷な税が設定された為に怒り狂った庶民の怒りが爆発した一揆だった。しかし最終的に一揆は鎮圧されてしまうが、その後に赴任した代官が自らの命を懸けて江戸幕府に税を半分にするよう懇願した為に、後にそれが幕府に認められる事になる。そのように天草と言うと一揆だけのイメージしかないけど、その一揆後にこの土地を立て直した人達の苦労も勉強に値するのである。
そしてキリスト教弾圧が一転して開放された明治時代に、この地方ではやっと公にキリスト教の布教が始まる。こちらは大江天主堂で、日本の教会の中では珍しかったロマネスク様式の天主堂の先駆けとなった教会であった。
そんな大江天主堂を造ったのが私財を全部投じてまで、この教会を建てるという強い気持ちを持っていた、フランス人宣教師のガルニエ神父。江戸時代後期に外国人居留地にだけキリスト教は認められ、その時に日本に渡ってきた宣教師の多くはフランス人だった。そしてこのガルニエ神父は日本に来てからは、一度も故郷へ帰る事もなく、この地の信者の為に全身全霊を尽くしたのであった。
そしてこちらは天草諸島の中で世界遺産に認定されている「﨑津集落」。江戸時代には隠れキリシタンが多く居た集落だけど、地理的にも他の地域と切り離されていた為に、この集落独自の文化を長年継承してきたのである。
そして天草と聞くと、やっぱり頭に浮かぶのがこの「天草四郎」。若干17歳ほどの若い少年が大きな一揆軍を指揮したとは考えにくいけど、ジャンヌ・ダルクも同じような年頃でフランス軍を率いたので、無きにしも非ずかもしれない。
そして2ヶ月ぶりに再訪した熊本城だったけど、いざ熊本城の歴史を勉強してしまうと、再建中の大小天守閣よりも、手前に見えている江戸時代初期から現存している宇土櫓にしか目が行かない。熊本県民からすると、この宇土櫓こそ真の天守閣と言う、その理由が分かる気持ちだった。
2016年に起きた熊本大地震で被災したのは熊本城というイメージが強いけど、勿論熊本県内の他の場所でも沢山被災している。こちらはその地震の際に地滑りが発生し、無残にも倒壊した橋がそのまま残されている。このような被害は時間が経過すると風化しやすいので、このように後年にそのまま壊れた残骸を残していく事も大事だと感じた景色だった。
そして大分県まで少し足を伸ばして訪れたのが、こちらの「稲積水中鍾乳洞」。ここは単なる鍾乳洞ではなくて、途中から湧き水が出てきて水没した鍾乳洞でもある。だから水中鍾乳洞でしか見れないポイントなどもあるので、鍾乳洞好きな人にとっては訪れるべき場所だと言える。
今では見学しやすいようにと大部分の水は排水されているけど、このような穴を見ると水中鍾乳洞だという事が分かるのであった。またこの鍾乳洞は約40年前に開発されて観光地化したが、最初は別府市が経営していたけど経営難に喘ぎ、別府市内で不動産業や観光業を営む会社に売却された。しかし今ではその新しい会社が力を入れて整備し、他の施設なども建設して、今では多くの観光地が訪れる場所となっているようだ。
その稲積水中鍾乳洞への道の途中にあったのが、”東洋のナイアガラ”とも称される「原尻の滝」。ここやさっきの稲積水中鍾乳洞なども阿蘇山麓から車で約1時間以上は離れている場所にも関わらず、約9万年前に起きた阿蘇山カルデラの大噴火に大きく影響を受けている場所だった。それだけその際の噴火が凄まじい規模だった事が分かる光景でもあった。
そして阿蘇山周辺の道を迷って、たまたま見つけたのがこちら「明正井路一号幹線一号橋」という、日本で一番長い石橋水路。日本国内には色んな日本イチという称号が付与されているけど、たまたま見つけたという事もあって、とても印象に残った石橋であった。
私は通関橋の方が見たかったな~!
そして熊本県というと、あか牛と馬肉でも有名。阿蘇山の麓では広大な大自然の場所で、のびのびとストレスなく放牧されているあか牛を目の前で見れて、素晴らしい体験であった。日本でも牛の扱い方には歴史があり、元々は農耕用だった牛は明治時代になって肉用も増えていき、農耕機械などの普及もあって現代では食べられるだけの存在となってしまった牛である。。
そして前回訪れた時には全然気付かなかったけど、阿蘇山山頂近くにある草千里ケ浜では、80歳を超えるおばあちゃんが現役として、熊本名物でもある「いきなり団子」の製造・販売を行っていた。コロナ禍で現地の人とのコミュニケーションもだいぶ減ってしまったけど、やっぱり地元の人達の話などを聞く機会の重要さを思い知ったのである。
そして楽しみにしていた阿蘇中岳の噴火口は、今回も残念ながら立ち入り禁止となっていて見れなかった。これはまた次の機会にリベンジしたい項目として、記憶しておく事にする。
そして最後には”喋るくまモン人形”という心強い相棒が出来た。
今回は途中から旅仲間が加わって旅をしたけど、他人と行動する事によって自分の行動範囲外の体験などを出来るので、たまには他人との行動を楽しむ事の大事さを思い知った今回の九州旅であった。。
2021.8.30
新しい相棒”喋るくまモン人形”で、ちょっと動画と作ってみました。
良ければ見てやってください!
1985年にクイーン(queen)が出演した伝説的ライヴ『LIVE AID』で、もし くまモンが観客だったら?!
『カリオストロの城』の名シーン【銭形警部とクラリスのやりとり】をマネする、くまモン人形
もしも、くまモンが『ジャパネットたかた』の販売員だったら?!
電池を新品に変えると、とても元気になるくまモン人形!
<完>
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