大濠公園から「サザエさん通り」を経由して、福岡タワーへ向かう【九州縦断秋旅行記⑫】

九州縦断旅行記(秋)2020年-⑫

 旅行期間:2020年10月24日~28日
(From Ohori Park to Fukuoka Tower via “Sazae-san Street”)

サザエさん発案の福岡

ここは福岡市内にある、広大な敷地を持つ福岡城跡の大きな堀だった「大濠公園」。明治時代になってからその一部が埋め立てられて、今ではご覧のように市民などがアヒルボートで遊覧したり、池の周囲を散歩して楽しむ場所となっている。

 

 

福岡城跡横の大濠公園にて

この大濠公園には真ん中に浮島のような物があり、そこまではご覧の橋が繋がっているので遊覧ボートをレンタルしなくても渡る事が出来る。特に今日は過密日程ではなくて、完全なフリータイムだったので、気の向くままにそんな浮島へと歩みを進める。

 

この浮島の西側には全然アヒルボートの姿は見えずに、手漕ぎボートばかりしか見えない。アヒルボートだと橋の下を渡れないから、こっち側には来れないのかもしれない。

 

 

アヒルボート(タイムラプス) 動画

 

 

そんな浮島に飛び出る様な形で造られていた、中国風な建物は「浮見堂」というもので、戦後になってからここに移築されてきたものらしい。この浮見堂は元々は福岡市動物園に設置されていたが、福岡市動物園が戦争の影響で閉園となってしまった為にここに浮見堂だけ移動されたようだ。

 

なお約11年間に渡って営業していた福岡市動物園、戦時中の空襲で檻が壊された際に中の動物達が逃走して市民を襲うと困るという事で、多くの動物が殺されてしまったという。そういう訳でこの浮見堂は、福岡市動物園で飼育されていた動物達の悲しい逸話を後世に残しているのでもあった。

 

そんな浮見堂を見た後に水面を見ていると、こちらの斜めになった亀を見つける。体を斜めにして寝ているのかと思っていたけど、プカプカと波に揺られていたのでもしかしたら・・・・。

 

 

大濠公園の鴨や鯉達 動画

 

 

相変わらずアヒルボートは大人気のようで、次から次へと新しいお客さんを載せて出港していく。思ったよりもレンタル料金が高くは無かったので、それで多くの人が利用していたのかもしれない。

 

この大濠公園は元々は大きな堀となっていて、その名残りが今の名前の由来となっている。またその堀の面積は今よりも広くて、今住宅地になっている部分は堀が埋め立てられている跡だという。

 

こういった公園もこの公園が辿って来た歴史を調べずに散策していると、特段変わった印象を受けない。しかし江戸時代頃からの歴史を遡って少し勉強するだけで、大きく人類によって形を変えられた場所だという事が分かる。

九州チャン
九州チャン

人間の都合で地理を変え過ぎ!(怒)

 

さて福岡城を見終わった後は他に特に見たい場所もなかったけど、とりあえず福岡市内を見渡せれる福岡タワーに向かうとする。その前に福岡市で国民的漫画『サザエさん』の作者がこの福岡市に住んでいる時期があって、その際にサザエさんを発案したという「サザエさん通り」があるので、そこを通って福岡タワーまで向かう事にする。

 

そんな道中に歩いていると、こちらの金龍寺という寺が見えてくる。個人的に寺にはあまり興味が無いけど、寺の掲示板に張り出されている、このような言葉にはとても興味がある。たまに意味不明な呟きとかも記載されているけど、深い言葉ばかりで見ているだけで面白い。

 

 

西新中央商店街にて

そして進んで行くと、こちらの西新中央商店街が見えてくる。この周辺がサザエさんの作者:長谷川町子さんが約2年程住んでいたという西新町3丁目付近のようだ。

 

サザエさんは毎週楽しみにしていた日曜日の終わりを告げる、暗くなってくるタイミングで放送されていたので、その放送を見て憂鬱になる”サザエさん症候群”になった人も多かったという。

 

ただこの西新中央商店街はサザエさんのイラストが少し飾られてあったけど、商店街自体は特段サザエさんっぽい雰囲気は感じない。この商店街は福岡市内の賑わいのある地区にあるので、意外と繁盛しているように見えた。

 

そして西新中央商店街を過ぎると、次はすぐに「なかにし商店街」という看板が見えてくる。こちらもさっきの商店街のようにサザエさん効果に便乗している商店街のようだ。

 

ただこちらの通りも特に目立つお店もないし、全国チェーンの店舗があったりで、サザエさんにコラボしている程の特徴性が全く感じられない商店街であった。。

 

そんな商店街を後にして福岡タワーのある海側に進んで行くと、入口の表札がとても古そうな学校が見えてきた。こちらは「福岡県立修猷館高等学校」という、元々は1784年に開設された福岡藩の藩校:甘棠館を起源に持ち、1885年に福岡県立修猷館として開設された歴史ある学校のようだ。

 

 

「サザエさん通り」にて

そんな歴史ある福岡県立修猷館高等学校を脇目に見つつ、福岡タワーを目指して進んで行くと、やっとこちらの「サザエさん通り」の看板が見えてくる。サザエさんという漫画は勿論漫画からスタートしているが、我々が一般的に目にしているのはテレビアニメのサザエさんなので、昔の漫画の絵を見るとそのギャップに少々驚く。

 

そんな「サザエさん通り」を進んで行くけど、宮城県石巻市にある『いしのまきマンガロード』という石ノ森章太郎の生み出したキャラクターとコラボした通りのようにそこら中にキャラクターが立っているような通りでもないようだ。

 

「サザエさん通り」を意識させるものはというと、道沿いに掲げられていたこちらの旗のみ。ちょっと町興しにサザエさんを起用しているけど、遠慮気味にしているような感じを受けてしまう。。

 

もう少し進んで行くと、建物の脇にサザエさんでお馴染みのキャラクターの像が見えてくる。やっぱりこういった像があちらこちらに置かれていないと、雰囲気が出てこないのである。

 

この『サザエさん』の漫画は1946年に連載が開始されたが、サザエさんの苗字を知っている人って意外と少ない。そういうボクも知らなかったのだけど、このサザエさんは「フグ田 サザエ」という名前だそうだ。フグ田という苗字は結婚したフグ田マスオの名前が付けられているようだ。

 

1946年から連載されたという事は第二次世界大戦後の翌年からスタートした漫画な訳だけど、その設定内容が現代から比べると昔過ぎて、今の時代の子供達には付いていけないような家庭環境になりつつある。だけど作者が生まれた年代を思うと、それが普通なのであって、そんな昔の漫画が未だにアニメとして続いている事自体が凄いのであるが。

 

ちなみにこの「サザエさん通り」は日本で2番目で、一番最初に「サザエさん通り」が造られたのは世田谷区桜新町で、そこの近くで作者:長谷川町子さんが長年暮らして、更には長谷川町子美術館も開館している。2番目に造られた「サザエさん通り」だったので、ちょっと遠慮気味だったのかもしれない。

 

そんなサザエさん像の近くにあった、こちらの「西南学院大学」は西南戦争に関係ありそうな名前だけど、戦争には全く関係のないアメリカのキリスト系大学。

 

そんなサザエさん通りを進んで福岡タワーを目指していると、「サザエさん発案の地」という案内板が見えてくる。

 

こちらの案内によると、サザエさんの作者である長谷川町子さんがこの近くに住んでいた頃は、ここから先は海岸だったそうだ。だからこの辺りを散歩して海などを見ていたので、サザエさんに出てくるキャラクターは海で生活している魚などの名前が付いているのだという。

 

こちらはサザエさんの・・・・ではなくて、近くにあるショッピングモールの前に設置されていたオブジェ。残念ながらこれはサザエさんに関係するものではなかったけど、サザエさんのキャラクターをここに設置しようと思うと、版権の問題で色々と手配が大変なんだろうな。。

 

そんなサザエさん通りを歩きながら、今では埋め立てによって陸地となってしまった為に長谷川町子さんが見ていた海を見る事は出来なかった。長谷川町子さんが昔に見ていた福岡の海岸には、今ではこのように大きな福岡タワーなどが建っているので、もし長谷川町子さんがこの様子を見ていたらサザエさんの登場人物の名前は大きく変わっていた事だろう。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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2020年10月下旬に訪れた、福岡県から開始して佐賀~長崎~大分~熊本を巡る旅の開始。なお今回は旅仲間と巡りますが、初日の福岡巡りは前乗りという事もあって、1人で巡ります!
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