再訪したけどあまり修復が進んでいなかった熊本城【九州縦断秋旅行記53】

九州縦断旅行記(秋)2020年-53

 旅行期間:2020年10月24日~28日
(Kumamoto Castle, which we revisited but hadn’t made much progress in its restoration.)

人手が増えていた?!

九州旅は熊本市内に入って来て、同行していたエロ坊主オジサンがこの日で北九州市に戻るとの事で、まずは熊本駅でお別れをしてから、熊本城の見物にやって来ました。ボクは約2ヶ月前に訪れたばかりの熊本城だったけど、朋ちゃんがまだ見た事が無いというので再び訪れます。

 

 

 

熊本城にて

ボクが前に熊本城に来た2ヶ月前の8月中旬には、他に観光客の姿が全然見れない時期だったけど、この2020年10月下旬には社会見学のような小中学生が沢山来ていて、ボクが以前訪れた時に比べると賑やかさが違っている光景に出くわす。

 

日本全国の色んな場所を訪れた事がある朋ちゃんも、この熊本県は初訪問らしく、始めて見るくまモンの像に嬉しさを隠せない様子で写真を撮っている姿が見られる。

朋ちゃん
朋ちゃん

や~~、生くまモンよ~~!

 

そんな熊本城入口付近の看板には、先程エロ坊主オジサンと朋ちゃんが食べていた熊本名物の「太平燕」の写真が載っていた。こちらの写真だけ見ていると、豪華に卵や海老や貝などが入っているけど、これは観光客向けにゴチャ混ぜして盛った写真だったのかもしれない。

 

そして一度熊本城に来た事がある経験があるので、自称現地ガイドというエロ坊主オジサンが抜けた穴をボクが代わりに引き受けて、朋ちゃんを案内する。そしていきなり熊本城の天守閣を見に行く前に連れてきたのは、そのもっと手前の行幸橋手前に陣取る、熊本県が誇る英雄の加藤清正公の像。

熊本に来たなら、まずは加藤清正公に挨拶しないと!

 

訪れた観光地などでこのような小中学生の大群に出くわすと、あまりいい思い出が浮かばない。彼らの動きによって、こちらの行動が制限される場合が多いので、あまりこういう大群に出くわすのは好ましくない。。

 

しかしこの時はまだ天守閣の修復は完了しておらず、前に来たのも2ヶ月前だったのであまり熊本城内の風景は変わっていない。朋ちゃんに聞くと、特別お金を払ってまで熊本城を近くに見たい訳でもなかったようなので、ボクがオススメする無料で天守閣などを見れる場所に連れて行く事にする。

 

熊本城は2016年の大地震によって被災して、大小の天守閣や宇土櫓や、他にもある櫓や塀なども崩壊している場所がある。しかし城の修復工事というのは繊細な作業で、昔ながらの技法を再現して修復するのでとても時間が掛かるのである。だからこの修復は全体が完了するのに20年の歳月を見込んでいるという、大掛かりな修復作業である。

 

だから前回もこのような光景が見えたけど、修復箇所が多過ぎて全部に手が追い付かない為に、優先度の低い場所はこのように一部モルタルで固めて放置されているのだ。ただ2020年・2021年と集中豪雨が一時発生して熊本県にも多くの雨が降っており、その際には一部被害を出している。

 

 

前回ボクが熊本城を訪れてからそんなに日にちが経っていないので、まだあまり修復されたという感じがしない熊本城の天守閣。ただ予定していた通り、2021年4月26日から大小天守閣の内部見学が開始されており、とりあえずは順調に工事が進んでいるようだ。

 

 

こちらには潰れた塀や建物などの瓦などが、このように1枚ずつ回収されてキチンと保管されているのが見える。ただこんな瓦よりも復元工事が大変なのは、建物を載せる土台となる石垣。元あった石垣と寸分たがわず正確に石を配置しないといけなく、また割れてしまった石は元通りにくっ付けないといけない。この作業に途轍もない時間を要するんだとか。

 

こちらは「戌亥櫓」で大地震によって建物が倒壊するまでは至らなかったけど、この建物が立っている石垣が部分的に崩れ去り、今では石垣の角に積まれた角石になんとか支えられて立っているのである。その様子は後程見る事になる。

 

 

加藤神社から熊本城天守閣を眺める!

さて無料で熊本城天守閣を眺めれるポイントなのが、敷地内の北側に位置する「加藤神社」である。名前の通り、この熊本城を築いた加藤清正公を祀っている神社である。

 

この熊本城は3つの天守閣を備えていた城としても有名だけど、奥にある大小の天守閣は明治時代に起きた西南戦争で、この熊本城が攻防の舞台となる前日に焼失してしまった。その後は今見られる大小の天守閣が1960年に再建される事になった訳だけど、その間ここにあった天守閣の建物としては手前に見える「宇土櫓」しかなかった。なので地元の人からすると、この宇土櫓が真の天守閣というイメージを持っている人ばかりだという。

 

奥に見えている大小の天守閣は昭和時代に再建されたもので、それの修復工事をしているのである。熊本県にやって来る観光客からすると、やっぱり天守閣に入りたいという気持ちはあるものの、そんな昭和時代に再建された天守閣よりも歴史的に価値があるのは江戸時代初期に建てられた、手前に見えている宇土櫓の方である。この宇土櫓も大地震によって被災し今は内部の立ち入りが出来ない。また2022年頃から修復工事に移るのであるが、その土台を支える石垣に膨らみが確認されており、石垣からの修復となるとかなりの時間を要するという見通しのようだ。

 

加藤神社の真ん中に立つクスノキは、この日も大きく枝葉を広げており、まるで「この下でゆっくり休憩していけ!」とでも言っているかのようにも感じる光景である。

 

ここを訪れた時は着々と大小の天守閣の復元工事が進んでいる様子が伺える。ただ個人的には昭和時代に再建された天守閣よりも、江戸時代初期に建てられたという宇土櫓の方が中に入ってみたいと思っている。宇土櫓はこの場所に約400年間に渡って鎮座している、この熊本城敷地内で一番歴史ある建物なのである。

 

ただ修復に時間が掛かりそうな宇土櫓よりも、まずは観光客の一番目当てであり、また比較的補修工事がスムーズに行きそうな天守閣から工事は行われている。お城って地震が襲ってもビクともしないイメージがあるけど、さすがに大きな地震が襲うとダメージを受けてしまうのである。

 

さて加藤神社で念願の熊本城天守閣を見れて、ご満悦の顔をしている朋ちゃんの記念写真を撮る。そして神社好きの朋ちゃんは、ここでもしっかりと御朱印を入手していたのである。

 

熊本城全体の修復工事には20年という長い年月が掛かり、それと共に莫大な予算も掛かっている。しかし熊本県としてはそれだけの日時と費用を掛けてまで修復する価値のある物と考えており、完全に工事が完了するのが待ち遠しい日々である。

 

この加藤神社は元々は本丸の内側にあった神社で、明治時代になって熊本城の観光客が増えた為に、参拝客などの利便性を考えてこの場所に移された。なのでこの辺りでは掘れば、何かしらの遺構跡が発見される可能性があるようで、この時も囲いをした中で発掘調査が行われていた。

 

こんな加藤神社の真ん中付近で発掘調査をして、保存すべき遺構が見つかれば、参拝客にとってはちょっと邪魔な場所になるかもしれない。しかしそれよりも歴史的な遺構が発見されれば、それは保存せざるを得ないのであるが。

 

 

こちらが先程内側から見た「戌亥櫓」である。このように外側から見ると、下の石垣が崩壊して角石のみで建物を支えているのがよく分かる。またこの熊本城ではボランティアガイドの人が居て、その人に質問すると色んな熊本城の歴史などを手軽に教えてくれたりするので、もし熊本城を訪れる機会があれば是非声を掛けてみるのをオススメする。

 

戌亥櫓はこのような状態でも崩れないと判断されているので、解体作業は後回しになっている。なお今では解体されてしまっている飯田丸五階櫓はもっと極端な角石での一本足となっていたが、今ではこの戌亥櫓でしか角石で支えられている姿を見れなくなってしまっている。

 

途方もない修復工事の最中だけど、このように石垣が崩れたりしている光景も今しか見れない珍しい光景なのかもしれない。そして江戸時代からあった強固な加藤清正が築いた石垣も、300~400年経つと大きな地震によって崩壊するという事が分かる光景でもある。

 

このように塀や石垣が崩れている光景を見ると無残な光景にも見えるけど、人が作ったものは必ず壊れるようになっており、これもそのサイクルの途中であるという理解も出来る。なので壊れればまた新しく作るだけで、壊れた中からも新たに知識を得れる事もある。

 

そしてそんな熊本城をじっくり見学してから、熊本市内にはそれ以外に特に目立った観光地も無いので、今晩宿泊する阿蘇山麓のホテルを目指してドライブする事に。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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2020年10月下旬に訪れた、福岡県から開始して佐賀~長崎~大分~熊本を巡る旅の開始。なお今回は旅仲間と巡りますが、初日の福岡巡りは前乗りという事もあって、1人で巡ります!
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