九州縦断旅行記(秋)2020年-㉒
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Visit Yobuko, Karatsu City, which is also famous as a squid town, and take a walk through a town full of squid.)
人よりイカが多い町?!
さて佐賀県唐津市でイカ尽くしの昼食を堪能した後は、再びレンタカーに乗り込み、これからそのイカで昔から有名な呼子の町へと向かいます。「その前に唐津市内でちょっと見せたい物がある」という事で、同行するエロ坊主オジサンの指示で唐津市内の中心部へと車を走らせると、赤レンガの建物が見えてきます。実はこの唐津、あの東京駅や日本銀行本店などの頑丈な赤レンガ建造物を設計した名建築家「辰野金吾」の出身地でもあるという。
こちらの赤レンガの建物は1912年に「旧唐津銀行本店」として、辰野金吾が監修し彼の弟子である田中実という人が設計したものである。1997年まで旧唐津銀行の後身となる佐賀銀行として使われた後、今では「辰野金吾記念館」ともなって建物内に無料で入る事が出来るようになっているようだ。
呼子の町にて
そんな辰野金吾記念館に寄り道する時間はなく、エロ坊主オジサンの道案内に従って車を走らせる。すると約30分程で昔からイカで有名な呼子の町に到着する。
住所:佐賀県唐津市呼子町呼子4185-15
営業時間:9時~17時頃
電話番号:0955-82-3426
この呼子の町は漁港があったので、昔から『呼子の朝市』としても全国的に有名な港町だという。そんな豊富に獲れた魚介類の中でも、特に名物になっていたのがこちらのガチャガチャマシーンの形にも見て分かるイカである。
まず呼子の町を散策する前に現地ガイド役のエロ坊主オジサンより、「是非ここで有料だけど案内した場所があるので、まず先にそちらに行きましょう!」と真面目な顔をして案内してくれた。なおこのエロ坊主オジサンは北九州市で長年中学の社会科教師として、多くの生徒達に教え続けてきた経歴があるという。なのでよく引率や社会見学で自由に動き回る生徒たちの面倒も見ていたので、このような先導役には慣れているという。
オレの言う事を聞かない、性格の悪い生徒を引率してるつもりで案内します!(笑)
このように呼子の町も”イカの町”としての町お輿も兼ねて、このような手作りのイカオブジェを店頭に飾られていたりして、なかなか面白そうな町である。
鯨組主:中尾家屋敷の見学!
そんなエロ坊主オジサンがまず案内したいと言っていたのが、「鯨組主:中尾家屋敷」という、昔にこの辺りの玄界灘に来ていた鯨を獲っていた鯨組主の屋敷で、今は佐賀県の重要文化財にも指定されているそうだ。
そんな建物の前にはこちらの銅像が置かれており、「辻畑隆子」という大分県出身の彫刻家の作品のようだ。
こちらがその「鯨組主:中尾家屋敷」の建物で、江戸時代~明治初頭の約170年間で8代に渡って捕鯨業をしていた人々の屋敷である。なおここは有料施設となっており、大人は210円となっている。
日本ではかつて鯨漁が盛んで、江戸時代には全盛を誇っていた。ただ最近では世界的な愛護団体による動物愛護活動の影響で、調査捕鯨ほどしか狩猟が認められていないので、昔ほどに鯨を捕まえる事が出来ずに日本の捕鯨は廃れてしまっている。
ただしそんな捕鯨も江戸時代には全盛を迎えて、現代人が思っている以上に鯨に価値を見出していた日本人ならではの、エピソードなどを学べる場所となっているようだ。そして知らないアメリカ人も居ているけど、江戸時代頃にはアメリカでも捕鯨活動が盛んに行われており、アメリカが日本に開国を迫ったのも、そんな捕鯨途中の補給基地を日本に求めた事も一因である。
そしてまずは入口で検温を行う。自称新型コロナウイルスの免疫をどっかで獲得しているハズなのでオレは罹らないと豪語しているエロ坊主オジサンだけど、マスク無しで建物に入ると「館内はマスク着用をお願いします!」と注意されていて、しぶしぶマスクを付けていた。。
ホント、オレには感染症なんて効かないんやけ!
本当に無茶苦茶な事を言う先生ね!
ただしこの捕鯨関係の資料館となっている内部は、全て撮影禁止になっている。日本にとっては捕鯨というのは昔から受け継がれてきた文化になっているのだけど、今は世界的に捕鯨を大きく謳う訳にいかないという時代背景を考慮しての事だったかもしれない。
この江戸時代に行われていた捕鯨も実は職人が命懸けで行っていた漁でもあった。というのも船よりも何倍も体の大きい鯨に銛を打ち込む訳であるが、それに失敗すると船毎転覆させられて溺れ死ぬ事も多々あったという。
「大きな鯨を獲ってはいけない」と言いながら、日々小さな命を殺して食べている愛護団体の主張も、何とも納得いかないもの。
この内容は昔美味しんぼのアニメでも勉強したけど、結局はその裏には政治団体がいて、その運動を政治利用している集団の金儲けに使われている可能性が高い。なのでそういった人間からすると、クジラは道具であり、本当はその命が惜しいとも思っていないのであるが。。
呼子朝市通りを散策!
こちらはさっきの鯨組主:中尾家屋敷があった通りを南の方に進んでいくとあった「呼子朝市通り」。しかし朝市の行われていない時間帯で、しかもこの2020年はコロナ禍の影響で観光客も激減した為に、ご覧のように閑散とした通りとなっていた。。
このように呼子はイカで有名だけど、近年はイカの水揚げ量が減ってしまっており、全国的にもイカの水揚げ量が多い漁港とは言えなくなってしまっている呼子。なので先程唐津市内で食べたイカ料理も、この呼子で獲れたものではなくて、長崎で獲れたものを提供しているというし。。
観光客が減って閑散としていた呼子朝市通りでは、あまり営業しているお土産屋さんが無かったけど、このように営業していたお土産屋さんもなんだか店主の人が元気なかった。というのもお店側からすれば、観光客は減って、来たとしてもあまり購入していかないので、売る気が減ってしまっているようにも見える。
こちらにはこの呼子でイベントが行われる時に使われる、イカの着ぐるみが展示されていた。しかしここは扉が固くしまっていて、この着ぐるみにも触れる事が出来なかったが。。
こちらの黄色いテントが目立つお土産屋さんは、明治30年から営業しているという呼子の中でも老舗の名店「木屋」。イカの一夜干し/いかしゅうまい/イカの蒲鉾/イカの塩辛など販売しており、この観光客が少ない時期も頑張って営業していた。
こちらは”日本の珍味5種の1つ”に数えられているという「松浦漬」の缶詰。唐津では昔から郷土料理として人々に愛されてきた物で、鯨の上顎付近の軟骨を刻んで水にさらして脂を抜いてから酒粕に漬けた物だという。
基本的にはイカが名物の呼子だけあって、このようにイカ関係のお土産が並んでいる。特にお酒のアテになりそうなせんべいや揚げ物が何とも美味しそうな雰囲気を放っていた。
この木屋の壁には、このお店の人が過去にやって来た芸能人と撮った記念写真が飾られていた。今を時めく『出川哲朗の充電させてもらえませんか? 』でもちゃっかりこの呼子を訪れていたようだ。
適当に旅しているように見えて、有名な場所はちゃんと抑えてますね!
「当店人気No.1」と書かれているのが、こちらのイカせんべい。旨いのは間違いないだろうと思えるけど、このようなせんべいをお土産として買ってしまうと荷物になるので、ここは買いたい気持ちをグッと堪える。。
この呼子では『呼子イカ検定』という、イカにまつわる100問の問題が出されて、その内70問以上を正解すれば合格になるという(受験料3,000円で合格率95%以上とか)。
世の中には資格を取得する事に情熱を挙げる資格マニアがいるけど、それを狙ったイカ検定なのかもしれない。しかし合格率95%以上で、HPで販売されている公式テキストから70%以上が出題されるというので、あくまでも町興しを兼ねた検定なのかもしれない。
呼子は昔から豊富に魚介類が水揚げされてきた漁港で、このように玄界灘に面した場所にはたくさんの漁船が停泊しているのが見える。
この呼子ではそんなイカが普通に日干しされている景色が見られたりしたようだけど、この訪れた時にはそんな風景は全く見かけなかった。勿論イカには収穫時があるし、いつでも見かけれるものという訳でもなさそうだ。
しかしこの呼子にやって来る観光客は、そんな「イカの町:呼子」に釣られてやって来る人ばかり。だからもしイカがなかったらそんな観光客が怒りだすので、他所で水揚げされてきたイカを提供せざるを得ないのかもしれない。
呼子の景色 動画
イカ漁は夜間に行われて、イカ漁をする船はこのように電球を沢山取り付けているのが特徴。というのもイカは夜に光りに寄って来る習性があるので、それを逆に利用して釣り針に掛けるのである。
また呼子の漁港ではこのようなイカの形をした遊覧船が定期的に運行していて、船底から海底を覗いて魚見物したり、近くの洞窟をクルーズしたりしているようだ。
という事で先程唐津市内でイカ料理を堪能した後だっただけに、呼子でイカ料理は食べなかったけど、昔イカで栄えた町という認識を得れた呼子の町散策であった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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