九州縦断旅行記(秋)2020年-④
旅行期間:2020年10月24日~28日
(Seeing the works in the Asian Gallery at the Fukuoka Asian Art Museum gives me new inspiration!)
色んな解釈で楽しむ!
ここは福岡県博多市の中心部にある博多リバレインモールという、近代的な建物の中に設置されている「福岡アジア美術館」の中。美術館の割に200円で大人は入場できるので、気軽に訪れる事が出来る美術館ともなっている。
「福岡アジア美術館」の作品を眺める!
よく宣伝される美術館の展覧会とかは大体がヨーロッパの有名画家作品などが展示されている機会が多いけど、このようにインド人の画家の作品やアジア系の人達の作品を見れる機会というのも、普段絵画などを見る事が少ない人からすれば新鮮で楽しめる。
こちらはインドの絵画とされているが、作者は不詳だという。インドもイギリスの植民地になった国であるが、植民地になったからこそ、こういったインドの絵画が先進国に出ていき、その先で保管された為に現存している場合もある。
イギリスにある大英博物館は別名”泥棒博物館”とも揶揄されているが、それを入手した手段が強奪したからそう嫌みを言われている。しかしその美術品などが現地に残されていれば、大英博物館で今見られる程の綺麗な状態で現代にも残っていた可能性は少ないので、綺麗な作品が保存されて残っているという事実に目を向ければ、それはそれで良かった事かもしれない。
このような絵画も時代を追う毎に色んな技法や画風が出来て、実に奥深い。元々あまり芸術系には疎いボクだけど、エルミタージュ美術館に行ってからこのような絵画に少しだけど興味を持つようになってしまった。
かと偉そうに言っても技法などの名前は全然知らないし、その前に自分で絵を描く事をしないので、やっぱり絵の大事な部分を読み取れない。ロシア旅でツアーに参加していたオジサンは「自分の描く絵は毎回下手だと怒られてばかり・・・」と言っていたけど、そんなオジサンも自分で絵を描くからこそ、絵画を見て理解できるポイントがあるようだった。
こちらは20世紀に活躍したフィリピン人画家の作品らしいけど、フィリピンはスペインの植民地になっていた時代が長かったり、その後はアメリカの統治下にあったりで、西洋的な宗教作品のようにも見える。
元々ポルトガルから大航海時代でインド地方に進出していったのは、イスラム人が支配していた香辛料取引を打破する目的もあったけど、それに便乗したカトリック教会の信者を世界的に増やすという目的もあった。それで世界的に信者を多く獲得したカトリック教会だけど、その宗教を更に植民地化支配の為にも使われたのである。
絵画というものは絵を描いた本人の意向が伝えられていればその意図が分かり易いけど、そんな前情報が無い絵をいきなり見せられても画家のセンスも無い人間からすると、全く何も読み取れない。こちらもボクが見ると「白髪を抜いてくれと頼んでいる人と、それを抜こうとしている人」にしか見えない絵である。。
ここの美術館では作品毎にこのような細かい説明書きが添付されているので、非常に分かり易い。これによると、どうやら白髪を抜いていた訳ではなくて、シラミ取りをしていたようだ。。
こちらの絵は20世紀に活躍したシンガポールの画家が描いた作品だけど、パリに留学していた時期があるので、あまり珍しいというか中国風なタッチなどが見られない作品ともなっている。
やっぱり芸術というと岡本太郎も留学したパリが、芸術面では一番有名な所である。こちらの絵は上海出身の中国人画家の作品だけど、あまり中国人らしい特徴が見れないような気がする。。
こちらの絵はピカソなどに代表される『キュビスム』タッチな画風作品であるが、あまりアジア人らしさが感じれないような気がする。
キュビスムの画風ではあるものの、アジアの戦後復興する様子の人々を描いた物がアジアらしさを象徴しているようだけど、そこまで深読みは素人には出来ない・・・。
こちらの絵はスリランカの古都であるキャンディ出身のスリランカ人による作品。この絵にもキュビスムの画風が取り入れられているけど、この画家がキュビスムを取り入れたからこの美術館に展示される作品となっているのか?
個人的にはこのような西洋画家のスタイルは他所で沢山見る事が出来るので、アジア人の画家はアジア人らしい作風を持って描いて欲しいと思う。このような西洋チックな画風だと、イマイチ新鮮さも感じないし・・・。
しかし今まで見て来たアジア人アーティストの作品も、まだまだ序の口。これからの方が如何にもアジア人らしさを思わせる、大胆な作品が待ち受けているようで楽しみである。
こちらは”東南アジアに現れた、新種のウルトラマンもどき”とも思えるような展示で、顔部分だけ見ているとジブリ映画『もののけ姫』に出てくるシシガミ様のようにも見える顔をしている。
こちらはインドネシア人の近代彫刻界を代表する作者が作ったもので、手のクロスした様子や涙しているのは胸の痛みを表しているとか。
こちらの作品にはこのように所々に鏡も散りばめられており、創造力の豊かな作品の大胆さを感じる。芸術品に感性の欠片を感じない男からすれば、作品内にある鏡で自撮りをしている方が楽しいのだろう。。
芸術作品というのはその作品を見る人によって、千差万別する。ただ単に絵と見るだけではなくて、その作者が「何を見る人に訴えかけてきているのか?」という観点から見た方が、より深く作品を捉える事が出来るのかもしれない。
中世のヨーロッパでは魔女狩りが行われていたというけど、そのように魔女という概念はチベットにもあったようだ。なおチベットに伝わる伝説によると、チベットが仏教国になったのはその魔女を撃退する為に各地に寺院を設立したのがきっかけだという。。
眉唾な話ばかりの世の中じゃ・・・
ちなみにボクの親父はデザイナーで、昔は何回か個展を開いた事がある。その時の思い出話にいつも言っていたのは「個展を開くと如何にも誰かの知り合いのような顔をして、タダ酒やタダ飯を食いに来る奴がいる」と、よく言っていたのを思い出す。個展を開く人間からしたら、知らない顔だからと言って無下にあしらう事が出来ずに、仕方なしにそんな人間を受け入れてしまいやすいようだ。
絵というのは厳密には基本という画法はなくて、ただ自分の直感に対して、それを素直に目の前に表せばいいだけ。しかしそう言いながらもこのような作品を描こうという発想まで自分だったら辿り着けないので、今回のようにこのような絵画などの作品を前にして下手な論評は避けるに越した事はないのである。。
このような絵も近くで見ると、結構細かい所まで繊細に描き込まれているのが分かる。松の葉も1本ずつ細かく描かれており、1枚の絵の制作時間もだいぶ掛かった事だろう。
昔ボクが小学生4年だった頃に大阪城に連れられて写生会が行われたけど、ボクはその時に城を支える大阪城の石垣に注目して、その石垣1つずつを描いていった。特に城の中でも石垣が大事だったという事を認識したのではなくて、まずは人を描くのは足からという感じの発想だったので石垣を丁寧に描いていった絵が入選作品に選ばれる事もあった。
しかし描いた絵で記憶に残っているのはそれだけで、その絵自体も今は残ってないし・・・
こちらの絵は結構なお気に入りの1つで、今まで見た絵画の中でも独創的な絵に思えた。白髪の女性の垂れた髪の毛が、よ~~く見ると滝になって流れ落ちているのである。
こちらはウランバートルとモスクワで美術を学んだモンゴル人の作品のようだ。偉大なる自然に女神を調和した作品で、太古の昔から人類が大自然を遥かなる信仰対象としてきた印象が表れているようにも見える。
このように女神の髪の毛が滝になっている発想というのがとても珍しいし、その様子を見ているロバを引いているような少年が見入っている姿も面白い作品だった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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