天草の「ホテル四季咲館」近くにある、復原された富岡城を訪れる【九州縦断秋旅行記㊸】

九州縦断旅行記(秋)2020年-㊸

 旅行期間:2020年10月24日~28日
(Visit the reconstructed Tomioka Castle near Hotel Shikisakikan in Amakusa.)

気持ちいい、天草の朝!

さて迎えた九州旅行4日目の朝。天草下島で宿泊した「ホテル 四季咲館」の売りの1つであったのが、こちらのように全部屋から見えるオーシャンビュー。昨晩ホテルに到着した時点で真っ暗だったので夜は全然海が見えなかったけど、このように西側に広がる海と朝モヤの景色が気持ちよく朝イチから見える部屋。

 

 

「ホテル 四季咲館」での朝食!

そしてこのホテルのもう一つの売りでもある、ホテル内にある天然温泉の大浴場へと朝イチに向かいます。やっぱり天然温泉があるホテルは、まず朝イチから目を覚ます為に温泉に浸かりたくなります。

 

そして朝7時にオープンした朝食会場へ向かいます。今日は天草にある、世界遺産となっている教会群などを巡り、熊本市内まで行ってエロ坊主オジサンを降ろした後は、阿蘇山へと向かうスケジュール。なお、一言に天草と言っても結構大きな島なので、アレコレと簡単に行けると思っていたらアカンとの事。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

意外と天草って広いけ、行きたい所は絞っとかないと!

 

こちらのホテルの朝食は、何とも日本人らしい和の朝食が用意されています。朝食がビュッフェだとついつい知らずの間に洋食の料理を取ってしまうだけに、最初からこのように和食に設定されていないと、意外と朝から和食を食べれる機会がないのである。

 

天草は海に囲まれた島なので、このようなワカメのめかぶなどを見るだけで、他の場所で食べるよりも美味しそうに見えてしまう。食べる前から美味しそうに思えてしまうのは、脳みそが勝手に動いているからである。

 

日本人もつい200年程前までは昔ながらの日本的な食材を調理して日本食を食べ続けていたのであるが、鎖国が解けた後は海外からの食文化も沢山流入してきて、今ではこのような和食の朝食を食べる家庭が激減している。でもこのような和食の朝食を見るだけで嬉しく見えてしまうのは、自分にちゃんと日本人としてのDNAが流れているからかもしれない。

朋ちゃん
朋ちゃん

アレ、王子は宇宙人ちゃうの?!(笑)

 

昨日は珍しくホテルの部屋内の写真を撮り忘れていたので、朝のちょっと乱雑な部屋の景色を撮影する。1人でホテルに宿泊するとまず部屋内の写真を撮るのであるが、誰かと一緒に部屋に泊まると写真撮影を忘れがちになってしまう。

 

こちらが天草で宿泊した「ホテル 四季咲館」の外観。夜に来るとこの辺りは真っ暗になるので、これだけ大きな外観をしているホテルなのにあまり存在感が無かった。ただ天草下島の北西側にあるホテルなので、ゆったりできるいいホテルであった。

 

さてまずは近くに富岡城という、江戸時代に造られたけどその後に廃城となった城が、約15年前程に復元されているのでそれを見に行く事にする。すると通り道にあった建物の壁に、このような今流行りのインスタ映えスポットのようなレインボーの羽が描かれていたので、ここで早速写真タイムに。

 

エロ坊主オジサンは今日熊本駅でお別れする予定だけど、今日も相変わらず元気な様子。まだ60代前半らしいけど、特に持病もないようなので元気満々。また本人曰く精力も全然落ちていないので、まだまだ盛んな時期であるとの事。。

 

この2020年は国内を1人旅で色々と回ったけど、行けば行く程に荷物を減らすようになっていった。その荷物の中でもやっぱり大部分を占めていたのが衣服。そしてこの頃になると、中に着るTシャツやパンツなどは毎日替えるけど、外に着るパーカーやズボンは同じのを着続けていたので自分の写真を見返すと同じ格好ばかり。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

旅慣れてくると、服装なんでどうでもよくなってくるけ!

 

 

富岡城跡へ向かう!

さてこれから向かう富岡城は近くにあるのだけど、ボク1人だったら歩いて行っていたかもしれない。しかし今回は凸凹トリオでの移動なので、城までは車で向かう事に。奥の高台の上に顔を覗かしているのが、これから向かう富岡城である。

 

この富岡城は江戸時代前半期に起きた『島原の乱』で、一揆軍との戦いが繰り広げられた場所でもある。この天草で有名な天草四郎を筆頭とする一揆軍、百姓が一揆する程に過酷に搾取され続けていた事情もあったようだ。

 

この天草は江戸時代の最初に統治していたのは、前日訪れていた唐津城を居城としていた寺沢広高。唐津城とこの天草では遠すぎて飛び地の統治になったのであるが、その背景には関ヶ原で西軍に加担した小西行長の領地没収が寺沢広高に回ってきたのである。だが結果的にはこの天草の領地が寺沢家の系譜を断絶させてしまう結果になる。

 

そういう意味では一揆というのはだいたい時間が経つと忘れやすいけど、現在でも歴史的な一揆として語り継がれているのは勇気をもって行動した結果の表れなのかもしれない。そして富岡城の駐車場に向かうと、こちらの「アダム荒川殉教公園」という看板が見えてくる。

 

そして富岡城の駐車場に車を置くと、その近くにこちら先程看板にもあった「アダム荒川殉教公園」が見えてくる。キリスト教ではこのように棄教せずに処刑された人を「殉教」という言葉で、主イエスへの従順さとその勇気を讃えているのである。

 

アダム荒川は長崎県南島原市南有馬町吉川周辺で生まれた日本人。ある時に犯した罪の罰として処刑されそうになった所をイエズス会宣教師に赦されて、それ以降はイエズス会に身を捧げた人物。江戸時代初期に諸外国の宗教を厳しく取り締まった徳川家康の命によって、この天草でも宣教師は次々と国外追放になって、そんな宣教師の後にアダム荒川のような改宗した日本人がキリスト教を守った。

 

しかし江戸幕府のキリシタンへの取締りが強くなり、踏み絵などでキリシタン達に棄教を迫る。勿論中には棄教した人達もいるけど、このアダム荒川のように最後まで棄教せずにキリスト教を守った為に、最後には処刑されて近くの海に重石を括りつけられて遺体は沈められてしまった。

 

なのでアダム荒川の遺体がここにある訳ではないけど、最後の最後までイエズス会を守り通して死んでいったアダム荒川の功績を記念して今ではここに石碑が設置されている。2015年までは近くの別の場所に設置されていたこの記念碑だけど、今ではこのような見晴らしがいい場所に置かれている。

 

アダム荒川は約三ヶ月間の拷問にも耐えて、最後まで棄教しなかったという。その後ローマ法王によって、アダム荒川は「福者」として列せられている。宗教の違いが同じ日本人なのに多くの争いを招いたのであるが、逆に見れば鎖国時に他の宗教を徹底的に弾圧した為に、その後は大きな争いにならなかったのかもしれない。

 

キリスト教は『隣人を愛せよ!』とかの戒めをよく聞くけど、キリスト教の国ではそんなイエスの戒めを全く実践していない。所詮宗教というのは人生に迷った人達が求める、都合のいい癒しである。だからみんな自分に都合のいい解釈しかしないので、同じ宗教の信者でも人によって行動は大きく変わる。

 

 

富岡城にて

こちらが2005年に復元工事が完了した「富岡城」。1670年頃に天草の庶民の負担を減らす為に当時の城主が廃城を選択した為に、本丸や二ノ丸の建物などは破棄されて、大手門や石垣しか残らなかった。しかし今ではこのように綺麗な石垣も整備されて、奥には綺麗な櫓なども見えている。

 

【富岡城跡】

住所:熊本県天草郡苓北町富岡2240

 

 

この富岡城周辺は今では公園としても整備されており、地元の人達の散歩コースにもなっている。家から散歩できる範囲内にお城があるのも、羨ましいと思う。

 

天草で一揆が起こったのは多くのキリシタンが居た事もあるけど、その背景で大きかった要因にあるのは厳しい年貢の取り立てであった。というのもこの天草領を与えられた寺沢広高は、4万2千石という数字が天草にとっては倍ぐらいに多過ぎたので再三江戸幕府に石高を下げるように懇願したものの、受け入れられなかった。

 

どの時代も同じようで、会社に例えると売り上げ目標を到底達成できそうにないと主張する部下の意見を、そのまま受け入れる上司などまずいない。そう言われると、「お前の頑張りが足らない!」と一蹴されてしまう。そうやって減石が認められないと、そのしわ寄せが庶民に回ってしまう。そして厳しい取り立てが始まり、ただでさえ厳しい生活を行っている農民たちは次第に怒りを蓄積していったのである。

 

だから大きなデモとか起こる背景には、それだけ人々に大きな不満を抱かせるだけの不合理な状況が発生しているのである。しかし既得権益を得ている人からすれば、自分の富を失うしかない選択は到底選べない。人間という生き物は損を選ぶという選択が、大嫌いな生き物である。それには何十万~~何百万年という長い時代を経て生き残ってきた人類が、生存本能としてそのような考えを脳に刻み込んでいるからでもある。

 

だから今の時代でもこのような事が起きて、既存権益者の富を守るために庶民が犠牲になって、たまに暴動が起きて鎮火されて・・・の繰り返しでもある。だから一番いいのは自分が既得権益側に立てればいいのであるが、なかなかそう簡単にはいかない。株も一攫千金を夢見ているだけでは、いつまで経っても資産は増えない。大事なのは夢を見る事ではなくて、現実を見て最善を尽くす事である。

 

富岡城内へと入っていくと、このように天守閣はなくて、その代わりに公園のような広場になっていて、手前には銅像が設置されていて、奥には櫓などの復元された建物が見える。

 

この天草では江戸時代に庶民が苦労した歴史があるので、そんな庶民の苦しみを代弁して江戸幕府に直訴して、挙句の果てには望みが受け入れられなくて切腹した人物の像なども設置されている。そんな歴史を知らず天草の景色だけを見ていると綺麗な場所だけど、悲しい歴史が詰まっている天草でもあった。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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再び始まる、福岡~佐賀~長崎~大分~熊本の九州旅【九州縦断秋旅行記①】
2020年10月下旬に訪れた、福岡県から開始して佐賀~長崎~大分~熊本を巡る旅の開始。なお今回は旅仲間と巡りますが、初日の福岡巡りは前乗りという事もあって、1人で巡ります!
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