模擬天守として建てられた唐津城の最上階から、見渡す雄大な景色【九州縦断秋旅行記⑲】

九州縦断旅行記(秋)2020年-⑲

 旅行期間:2020年10月24日~28日
(A magnificent view from the top floor of Karatsu Castle, which was built as a mock castle tower.)

中身は近代的な唐津城

ここは佐賀県の海沿いにある唐津市に、江戸時代になってから転封されてきた寺沢広高が初代唐津藩主となって、その際にこの地に建造された唐津城があった場所。しかしその当時は今このように見える天守閣その物は存在しておらず、今見られる建物は”模擬天守”として、想像上の構造で建てられた物であるが。。

 

 

 

唐津城の見学!

唐津城の入場料は大人1名500円となっていて、小学生以上の子供は250円。何回も来ているというエロ坊主オジサンは、この500円の入場料を節約する意味もあって、この唐津城見学には同行せずに近くをウロウロと歩き回っているという。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

城で500円払うより、その金で昼飯にビール飲みたいんやけ!

 

そんな唐津城に足を踏み入れると、直ぐに「大老の松」という展示物が見えてきます。こちらの松は唐津湾沿いに観光名所ともなっている、約4.5kmに渡って続く松林『虹の松原』の中でも最も古い松として生えていたもの。しかし2019年に死亡事故が起きた松の倒木事件によって、他にも倒木の可能性がある松が伐採されて、その中にこの「大老の松」も含まれていたという。

 

松の木も寿命が比較的長い木だけど、害虫とかの影響もあって、やっぱりいつかは朽ちてしまう時が来る。先日奄美大島を訪れた際にも「西郷松」として地元民から親しまれてきた大きな松があったけど、そんな松も数年前には立ち枯れてしまって、今では伐採されてから加工されて西郷隆盛像として今も外観を変えて存在している。なお、この「大老の松」は地元有志の活動によって、伐採される前に種子を取り出して培養し、そのDNAを継ぐ苗が今では虹の松原に植えられているという。

 

 

この唐津城は1966年に建てられたもので、外観は当時に存在していた他の城を参考にして造られているが、内観はこのように近代的な建物になっている。最近では歴史考察の影響もあって、昔あったであろう天守閣を当時造られていた物と同じように金属を使わない木造建築で復元されている物が多いけど、ここは残念な近代的な内観になっていた。

 

ただしそれは勿論城を造る予算にも関連しており、税収入の大きな大都市であれば立派な城を造れるだろうけど、地方の小さな都市であればこのレベルの建物が限界なのかもしれない。大阪城も中にはエレベーターなどもある近代的な造りになっているので、あまりそういった城は個人的には好きではないのであるが。。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

あまりそういった事に文句を言っても仕方ないけ!所詮は全て”城もどき”やけ。

 

ここを居城にしていた唐津藩は秀吉の家臣であった寺沢広高が初代唐津藩主となったけど、その寺沢家はたった2代しか続かなかった。その寺沢家以降は大久保家2代⇒松平家(大給)3代⇒土井家4代⇒水野家4代⇒小笠原家5代と、頻繁に家が変わった藩でもあった。ただ江戸時代は平穏な時代ではあったけど、藩を維持するのはそれなりに困難な時代で、江戸幕府を怒らせると簡単に改易(お家取壊し)させられる時代でもあった。

それだけお家を守る事が大事だった時代でもあるのです!

 

佐賀県と言うと「伊万里焼(有田焼)」が全国的に有名だけど、ここ唐津では戦国時代の終わり頃から「唐津焼」が作られるようになっていき、唐津藩が出来た頃には『文禄/慶長の役』で連れ帰った朝鮮半島の焼き物職人などの技法が伝わって、唐津焼が確立されていったようだ。

 

戦国時代後半に茶のブームが起こり、名だたる有名な茶人はこの唐津焼の茶碗を所持していたという。なお唐津焼には素朴なデザインが多く、それでありながら渋みも含まれているので当時の茶人には重宝されたようだ。

 

唐津焼の最初の頃は日用品などの焼き物が多かったが、途中から茶と同化したような詫び錆精神があったので、茶碗やお皿などの茶道具などが増えていく。そんな事もあって江戸時代になると唐津焼の人気が博して繁盛し、佐賀県周辺では多くの窯場が増えていった。

 

 

どの時代でもある物の需要が一気に増えると、それを供給する為にその物の製造が急に増える。この窯が急増した江戸時代には、火を起こす為に周辺の木が薪として伐採され過ぎて、山林の荒廃が社会現象として問題になったという。

 

今では唐津焼よりすっかり全国的に有名になっている伊万里焼は、そんな唐津焼をルーツに持ち、有田周辺(現在の伊万里)で窯元を厳しく管理していた鍋島藩によって栄えて、逆に唐津焼は明治時代になってから反対に廃れてしまったので、こんにちではあまり唐津焼の名前を聞く事がなく、伊万里焼の方が有名になっているようだ。

 

日本では古来より焼き物が造られていたけど、やっぱりそれが芸術的にも向上していったのは秀吉が朝鮮半島に出兵していった影響が大きい。今の時代から見ると、明らかに失敗に見えた秀吉の朝鮮出兵であるが、中にはこのように朝鮮半島からの技術を持ち帰った事により、工芸品のレベルが格段に向上して名産品を産み出した事に繋がっている物もある。

 

江戸時代にはすっかり全国区として有名だった唐津焼の茶器は、江戸幕府への献上品としてよく贈られていたので『献上唐津』とも呼ばれていたそうだ。

 

秀吉の朝鮮出兵の際に現地の陶器職人を日本に連れ帰って、その朝鮮人達が住んでいた場所が「唐人町」として、今もその名残りを残している。しかし現代人から見ると、その行為はれっきとした朝鮮人の拉致問題にしか見えないけど、今から見ると野蛮行為もその当時は普通に力が強い者が行っていた事なんだろう。

 

このように茶器が栄えたルーツになった唐津焼も、時代の変革と共にその存在が薄れてしまった物。しかし現代でもその当時の唐津焼の技法を守り抜き、未だに唐津焼を行っている窯元も存在しているようだ。

 

なおこの唐津城内については基本写真撮影が禁止となっており、先程の唐津焼ゾーンやこちらの展示パネルなどだけが例外的に写真撮影可能となっていた。

 

また最近の若い世代をターゲットにしたかのような、このような2次元アニメキャラクターのパネルなども置かれている。今では全国的に城毎に女子アニメのキャラクターなどが生み出されている場所もあって、それに引きつられて来場する若い子も少なからずいるのだろう。

 

天守閣内では唐津市内の小中学校に通う生徒達による『唐津城絵画コンクール作品展』(令和元年度)が展示されていて、その中でも優秀な作品がこちらに展示されているようだ。

こう見えてボクも小学校4年の時に描いた大阪城が入選したので、このような絵を見ると感慨深いです!

 

このように唐津城は見晴らしのいい土台の上に建てられているので、唐津の街を360度眺める事が出来る。まだ天守閣の最上階ではないけど、このような窓からの景色を見ていると最上階の展望台まで行くのが待ちきれない程に楽しみになってくる。

 

こちらが令和元年に行われた『唐津城絵画コンクール』の中でも最優秀賞を受賞した、井手 伶央斗(いで れおと)君という小学校4年生の作品。この絵画コンクールには中学生の作品も入っているようだけど、圧倒的に小学生4年前後の年齢層の作品が賞に選ばれているように思う。ボクも小学校4年の時に入選したけど、この小学生4年頃が一番絵画についての独創的な画風が発揮される年代なのかもしれない。それが中学生になると一応に絵画の勉強もする事になって、画風が一般的になってしまうので独創性が失われてしまうのかもしれない。。

 

5層となっている天守閣内部はこのように近代的な造りになっているけど、少しでも昔の雰囲気を醸し出すかのように見受けられる丸い照明が見られる。ただこれぐらいじゃ、昔の城という雰囲気が殆ど感じられなかったけども。。

 

 

唐津城の天守閣最上階からの景色!

さて唐津城内の階段を登って、やっと最上階の展望台へと辿り着きます。この建物自体は模擬天守と呼ばれる、この江戸時代初期頃に建造された一般的な天守閣の構造を基に再現された建物だけど、その建物から見れる景色はまがい物ではなくて、素晴らしい景色が見れるハズである。

 

そして天守閣の展望台へと身を乗り出すと、まず目に飛び込んでくるのは唐津湾の海の景色。そして先にはさっき中を通ってきた虹の松原も見えているし、その脇にある海岸線も綺麗に見えている。

 

こちらは城の脇を通って唐津湾に流れ出る松浦川や、その手前に架かる舞鶴橋も見えている。更に左側には先程訪れた、台形のプリンのような形になっている鏡山も見えている。

 

こちらの方角が東側になるので、この先には糸島や福岡の街がある。またこの海岸線は福岡から長崎まで続く『玄海国定公園』に指定されているエリアで、綺麗な自然環境が残されている場所でもある。

 

こちらは唐津城から北側の唐津湾にポッカリと浮かんでいるように見える、これまた台形のプリン型をしている高島。なお今回の旅に同行している川崎マダムでもある朋ちゃんは、この高島を訪れてみたいという。ただこの島には橋が無いので、渡船で渡るしか方法はないのであるが。

朋ちゃん
朋ちゃん

だって宝くじが当たりやすい島なのよ!

ただ普段宝くじは買わないけど!(笑)

 

この唐津には以前の九州横断旅で出会った、ふくらはぎが立派な”佐賀の岡ちゃん”が住んでいる街でもある。なお地元で教師をしている岡ちゃんは、この日はボート競技の大会があり、それに参加しているという。

 

 

 

天守閣からの眺め! 動画

 

 

こちらは唐津城から北西側の景色で、この先をず~~っと進めば「イカ」で有名な呼子の街や、秀吉の朝鮮出兵の際に全国の大名達が築いた名護屋城跡もある。また左手前に見えているのは早稲田系の「早稲田佐賀中学校/高等学校」があり、佐賀県出身で早稲田大学創設者の大隈重信の影響もあって、2010年に創立されたというまだ新しい学校。そして右側には「西ノ浜海水浴場」という海水浴場があり、夏場には賑わう場所のようだ。

 

その奥には唐津港があり、九州電力などの工業系の施設も見える。昔からの景観地となっている虹の松原や鏡山から離れた場所に、わざわざ工業系の工場が造られていたのかもしれない。

 

このように天守閣の上に登って周囲の景色を見てみると、この周辺の山は一般的に見れる先が尖がった山はあまり見られずに、先程訪れた鏡山のように台形型になっている山ばかりという事に気付く。

 

そんな台形の山の代表格でもある鏡山の手前には、本日宿泊する「ダイワロイヤルホテル:ホテル&リゾーツ 佐賀唐津」という、ホテルも見えている。大和ハウス工業の子会社が全国的にリゾートホテルチェーンを展開する会社のホテルで、虹の松原のすぐ近くにある立地もあって、唐津では有名なホテルともなっているようだ。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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2020年10月下旬に訪れた、福岡県から開始して佐賀~長崎~大分~熊本を巡る旅の開始。なお今回は旅仲間と巡りますが、初日の福岡巡りは前乗りという事もあって、1人で巡ります!
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