和歌山市旅行記2021年1月-⑬
旅行期間:2021年1月某日(当日旅)
和歌山の芸術品!
今回和歌山市までやって来たのは、この『暴れん坊将軍』とも称された江戸幕府の将軍になった徳川吉宗の、この銅像を見たかったからでもあった。江戸時代の日本はご存じのように鎖国体制が敷かれて、海外との交流が殆ど無くなっていた。しかし、海外の文化にも興味津々だった徳川吉宗は海外の動物やキリスト教以外の洋書などを取り寄せて、後の日本に大きな影響を与えた。
まずは昼飯タイム!
そしてそろそろ昼の時間帯となっていたので、歩いていた道の途中に見つけた、こちらの”味のありそうな”カレーショップを訪れてみる事にした。和歌山っぽい料理というと”和歌山ラーメン”しか思い浮かばなかったけど、今回は”和歌山カレー”にしたのであった。
店内はカウンター席がメインとなっていて、13時前という事で客入りはボチボチな感じだった。店内はこのように排気口に時代を感じさせるような焼けた感じが見られて、50年程の歴史ある店舗の風合いも感じさせてくれた。
そして選んだのは「ヘレカツ・カレー」で、カレーの辛さは「甘口」「中辛」「辛口」と3種類選べたが、舌がお子ちゃまなボクは勿論迷わずに「甘口」を選択した。このカレーのお味は”日本のカレー”というイメージ通りで、日赤病院やNHK和歌山放送局の職員が昼にフラッと立ち寄って食べていくのに丁度いいカレーに思えた。
「和歌山県立近代美術館」の鑑賞!
そして食欲を満たした後は、満を持して和歌山城近くにある大きな美術館と博物館の見学を行う。まずは先程見た徳川吉宗の銅像が設置されていた近くにある「和歌山県立近代美術館」から見ていく事にする。なお、今の建物は日本を代表する建築家:黒川紀章が設計しており、1994年に多額の予算を掛けて建築された立派な建物となっている。
住所:和歌山市吹上1-4-14
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:月曜日)
電話番号:073-436-8690
観覧料:大人350円/大学生240円/高校生以下&65歳以上 無料
この「和歌山県立近代美術館」はバブル期に建設予算を組んだ為に、かなりの費用を掛けて造った建物のようだ。予算がたっぷりあったので、建築界の巨匠:黒川紀章に建築を依頼しているが、このようなお金の使い方も今の価値で判断するのではなく、数十年後に判断すべきかもしれない。
この和歌山県立近代美術館では、10,000点を超える作品が所蔵されており、その中でもここ和歌山の郷土作家の紹介に力を入れているようだ。
こちらのコーナーでは日本人の作品ばかりが展示されていて、写真撮影も可能となっていた。このような写真撮影可能な美術館の存在は大変嬉しいけど、国内の美術館の大半は館内写真撮影が禁止となっているので、後でどんな作品を見たかが思い出せない。そういった時には帰りのお土産品コーナーに置かれているポストカードや額入りの小さな模写の絵を写真に撮っておくという技もあるが。。
by 高井 貞二(1911~1986)
大阪生まれで小さい頃に和歌山に移り住んだ高井貞二は、中学生頃から油絵を描き出した。身内が経営していた「日本航空輸送研究所」という今はもうない飛行機輸送会社に勤務しつつ、絵の勉強を続けた。
by 村井 正誠(1905~1999)
村井正誠は岐阜県で生まれて、幼少期に和歌山県新宮市に移り住んだ。そして小学生の時に、後に「文化学院」という専修学校を”日本国の命令に左右されない、自由で独創性を持つ”という思想の元、与謝野晶子・与謝野鉄幹らと共に創設した西村伊作がスケッチを描いている所に出会い、それから絵画に興味を持った。後にその文化学院に入学し、さらにフランス留学し藤田嗣治と出会って刺激を受けたようだ。
by 森 有材(1906~1946)
こちらは森 有材という、当時の国内では新進気鋭の画家だったようだが、ネットでその情報が全然出てこない。このようなピエロは戦前の日本国内ではまず見られなかっただろうから、恐らくパリなどに留学した時に見たのを描いたのかもしれない。。
by 川口軌外(1892~1966)
和歌山の有田町で生まれた川口軌外は幼い頃から画を描いていたが、15歳の頃に本格的に水彩画を描き始めたという。そして後にパリに渡り、シャガールなどの当時新進気鋭だった有名な画家と交流し、大きな影響を受ける。パリに移住する予定も考えていたそうだが、日本に帰国し、それ以来国内で活動を続けたという。
by 保田 龍門(1891~1965)
こちらは和歌山出身の彫刻家だった保田 龍門の作品で、中学卒業後は医学の道を志すものの、芸術への想いを断ち切れずに20歳になってから東京美術学校に入学する。そして後にアメリカ・パリへと渡り、パリではロダンの助手を務めた人物の教室に通って感性を身につけていったようだ。
by 保田 龍門(1891~1965)
こちらも日本神話の元にした彫刻作品で、出雲大社の祭神ともなっている「大国主命」と、一緒に逃げた「須勢理毘売命(すせりびめのみこと)」がモチーフになっているようだ。
by 建畠 大夢(1880~1942)
建畠 大夢は和歌山で生まれ育ち、小学校を卒業した後に叔父を頼って大阪医学校へ入学する。しかし医学の道に進むのが嫌になり、京都市立美術工芸学校を経由して、東京美術学校彫刻科に編入する。そして後に東京美術学校教授となり、多くの芸術家を育てた。なお、彼の代表作は国会議事堂中央広間に設置されている伊藤博文の銅像だそうだ。
by 木下 義謙(1898~1996)
両親は和歌山出身者で、父親が明治大学の総長の下に東京で生まれた木下 義謙。学習院中等科から東京高等工業学校に進む、卒業後は同学校の助教授となり、独学で油彩画を描き始めた。後に渡仏して芸術の都であるパリを訪れ、帰国後は現在の女子美術大学で教授を務めて、後進の育成に尽力したという。
和歌山城も見学している人が少なかったけど、ここ和歌山県立近代美術館も全然見学者が見当たらなかった。恐らく見学者より美術館側のスタッフの方が、人数が多かったかもしれない。これだけ暇だと、監視する役割のスタッフさんも椅子に座っていると思わず眠ってしまいそうな雰囲気だった。
by 妻木 良三(1974~)
この作者「妻木 良三」はこれまで見てきた作品の作者に比べると、まだ比較的若くて存命な人物である。彼は和歌山県有田郡湯浅町出身で、武蔵野美術大学に入った後から東京で活動を始め、2008年に実家の寺を継ぐ為に和歌山に戻ってきた。寺の僧をしながら、鉛筆一本で絵を描き続き、モノトーンながら深みのある立体的な作品が特徴的のようだ。
by 坂井 淑恵(1965~)
こちらの作者「坂井 淑恵」は千葉生まれで、和歌山育ち。京都市立芸術大学美術学部に進んで絵を勉強し、人が生きていく上で必ずある他人との「間」の空間を、このように水で満たされた空間として表現している作品が多いようだ。
このように”芸術品は感性だ!”という言葉を聞くけど、一見同じように見える人間もそれぞれに思考回路が異なっており、それによって目から見る視野が変化してくる。またその視野に見えている物の中でも、どれに焦点を当てて見るかで更に変わってくる。だからどちらかというと、感性というよりは”どういう思考回路での捉え方”をしているかで変化しているのではなかろうかと思うが。。
こちらにはウサギがジャンプしている彫刻作品が置かれていた。この時はあまり興味を持たずにスルーしたのであるが、今年2022年に開館した「大阪中之島美術館」でも似たようなウサギの彫刻作品を見かけた。それで興味を持って調べてみると、このウサギの彫刻作品を製作した「バリー・フラナガン(Barry Flanagan)」が手掛けた作品だったのである。
バリー・フラナガンはイギリスの彫刻家で、それまでの像というとブロンズ製の作品ばかりだったけど、石膏像などの柔らかい素材なども使った独創的な作品を生み出した。そしてこちらのウサギは1979年に制作した『野ウサギ』シリーズで、以降は主に動物像をメインに製作していったという。
このような美術館鑑賞も何気ない展示物を見るだけではなく、その作品について少し興味を持って調べてみるだけで、色んな事に波及して知識が繋がっていく事もある。せっかくそれなりの入館料を払って美術館鑑賞をするのであれば、その時に鑑賞するだけではなく、帰ってから復習して更に知識を増やすべきだと思った、和歌山県立近代美術館での鑑賞だった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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