彦根城旅行記2022年1月-7
旅行期間:2022年1月(当日旅)
寒くても立ち続ける!
冬場は流石に寒い滋賀県。彦根城がある彦根市は滋賀県内でも積雪はそこまで多くない地域であるが、普段雪が積もらない地域に住んでいる人間からすれば、これ以上雪が積もれば何も出来ない場所に思えてしまうが。。
彦根城の見学!
こちらは本丸の南東側にある「着見台」という櫓が建っていた跡地。
今ではちょっとした展望台のような場所になっており、何かの台座と双眼鏡が並んでいるのが見える。
そして台座の壁には、このように『4つのテスト』なる文章が書かれたプレートが見られる。
意味が深そうな4つの文章だが、個人的には1番目の「真実かどうか?」という問いに目が行く。
話は横道に逸れるが、「真実を伝える事の重要性」を学んだのが、こちらの『失敗の科学:失敗から学習する組織、学習できない組織』という本からである。
この本は過去に起きた航空事故などの失敗例を分析していて、それらに多く見られたのが、失敗の兆候が出ていたのに、自分より目上の役職の人間に伝達出来なかった事だったという。
大きな事故などは、その事故が発生する前からその兆候が出ている事が多いが、その失敗の兆候が出た時点で手を打っていれば被害は最小限で済むが、それを見過ごすと大きな事故に繋がっていく。
特に航空機内では機長が最高権力者であり、そのトップに反対意見を怯まずに返せる勇気ある人間が少ないという。
権威ある人に、自分の意見を通せる人は貴重やね!
自分の確信している事実を突き通す事は、意外と難しいんだよな・・・
そんな意味深い台座の上には、銀色のプレートが載っていて、周囲の地の説明がなされている。
個人的にはこの彦根までやって来たのは、この彦根城天守閣を見学する為だったので、あまりそれ以外の場所に興味を持たなかったのであるが・・・。
そしてこの2022年で最初に出会った双眼鏡クンが、この彦根城本丸に設置されていた「双眼鏡クン」だった。
この双眼鏡クンはこのように雪が積もる寒い地域にもあったり、また灼熱の日差しが照りつける暑い場所にも設置されていたりで、そんな両極端な温度差に対応できる、強いからだとなっている。
そしてこの双眼鏡クンの背後には、頂上付近がハゲたように見える「佐和山」が見える。
ここにこの双眼鏡クンが設置されているという事は、ここで「石田三成の居城であった佐和山城跡を見ろ!」という、設置者の意図が感じられる配置になっている。
如何にもその通りやね!
この彦根城が築かれる前までは、この遠くに見えている佐和山に築かれていた「佐和山城」が、この地域を治める城であった。
もし、関ヶ原の戦いで西軍が破れる事が無ければ、この佐和山に築かれた城がそのまま残っていたのかもしれない。
そして北東側の遠く向こうには、大きくて白い山が見える。この山は滋賀県でも一番標高の高い「伊吹山」で、最近ではスキーや登山などで人気の山となっている。
伊吹山も滋賀県の象徴の山やね!
そしてこの展望台にはもう1つの双眼鏡クンが設置されていたけど、こちらはこのように琵琶湖側を向いていた。
滋賀県には今の伊吹山という素晴らしい山があるけど、やっぱり琵琶湖が滋賀県を象徴する大自然の結晶である。
この先に見えている海のようにも思える琵琶湖は、日本で最大の面積を誇る湖だけあって、滋賀県の総面積の中でも約15%を占めている。
湖の面積が県内でも約15%を占めている事もあって、滋賀県民にとって必然と関りが大きい湖となっている。
そんな伊吹山と琵琶湖を遠目に眺めた後は、彦根城天守の裏側に進む道があったので、その先を散策してみる事にした。この先には、「西の丸:三重櫓」という建物があるという看板が見られる。
また、右手には「黒門」という、大阪の市場街を思わせる本丸に出入りする3つ目の門もあるようだ。
この本丸は縦に細長くなっており、西の丸三重櫓まで向かう道中には、このように木が植えられている広場のようになっている景色が見える。
今では公園のようになっているけど、江戸時代の城として使われていた時代にはこんな本丸のど真ん中に公園を設置している訳がなかったので、何かしらの建造物が建っていた跡地なんだろう。
こちらの中途半端な長さで立っていた木の幹には、横風に乗って吹き付けられた雪が、綺麗に北側だけびっしりと付いている姿が見られた。
雪は上から降ってくるイメージがあるけど、実際には風に乗って吹き付けてくる事もあって、このように横面にだけ雪が付く事もあるのだろう。
「西の丸三重櫓」内の見学!
そして本丸を北の方にそこそこ歩いて行くと、このように壁は白い「西の丸三重櫓」という、江戸時代に建造された櫓の建物が見えてくる。
こちらの建物も内部を自由に見学できるのだが、天守に比べるとその存在感を知られていないからか、ここにやって来る観光客の姿は少ないようだ。
このように西の丸三重櫓は本丸の奥の方に設置されているので、その存在に観光客は気付きにくいのだろう。
彦根城にやって来る観光客の殆どは、天守の建物にしか興味を持っていないので、見向きもせずに帰る人も多いのかもしれない。。
ただせっかく入場料を支払って入った本丸なので、追加費用無しで見学できる施設であり、しかも江戸時代に建造された歴史ある建造物なので、この西の丸三重櫓内を見ないという選択肢など考えられない。
という事でこの「西の丸三重櫓」でも”土足厳禁”となっているので、靴を脱いで内部を見学していく。
ちなみにこの西の丸三重櫓の、まだ北側に「山崎三重櫓」という同じ3階建の櫓がかつて存在していたが、今ではその山崎三重櫓は跡形が無くなってしまっている。
この西の丸三重櫓は本丸の西側の斜面の上に築かれており、西側から敵が攻めてきた際の防御拠点として造られた建物である。
しかし、敵に攻め込まれる事のなかった彦根城では、山崎三重櫓近くに屋敷を与えられていた彦根藩の家老:木俣 守勝が、築城当初は主に月に20日程度出勤する場所になっていたという。
江戸時代の城に造られていた、このような櫓の建物は全て城を守る為の要塞の一部だった。
江戸時代を迎えるまでに何百年も内乱を続けてきた日本国内では、兎にも角にも戦の事を最優先していた事がよく判る建造物でもある。
そしてここからも琵琶湖がよく見える。江戸時代初期の琵琶湖は水運がとても盛んで、その当時はまだ北前船で運ばれてきた荷物が、福井県の敦賀から近江商人によって、琵琶湖経由で京や大坂まで運ばれていた時代だった。
それもあって琵琶湖上を行き交う水運は発展していったが、後に北前船が大坂まで向かう西廻り航路に乗り出して衰退し、明治時代に鉄道が全国に敷き詰められた事によって、今では琵琶湖上を行き交う水運は姿を消している。
琵琶湖の水運が消えたから、琵琶湖に住む生物達は喜んでいると思うよ!
この西の丸三重櫓も、外側を向いている壁と、内側を向いている壁で、その壁の厚みに違いがあるという。外側の壁は敵が攻めてきた際の砲撃などに耐えれるように、厚さ30cmを越える厚みで「大壁造り」と呼ばれている。
こちらの壁は外側を向いた厚い壁であるが、このように柱まで壁に埋め込まれているのが分かる。そしてこのように内側から柱が埋め込まれているのが見えるのは、「真壁造り」と呼ばれている。
このように櫓の建物は、敵襲に対応できる事を最優先して設計されており、ボケ~~っと見ていると見逃してしまうようなポイントが多い。
なので、櫓内に設置されている説明板などをしっかり確認して、それらの情報を見逃さないように見学していきたい所である。
この西の丸三重櫓内部に入ってみると、建物があまり古そうな雰囲気を感じなかった。
しかし、どうやら江戸時代に建造された西の丸三重櫓だけど、幕末頃に行われた解体修理の際に、建物に使われている木材の約8割が新しい物と交換されていたからのようだ。
この西の丸三重櫓の建物は、一説には長浜城から移設された建物だともされているらしいけど、今の西の丸三重櫓は幕末以降に姿を変えてしまっているようだ。
同じ江戸時代と言っても、江戸時代の前半に造られたか、それとも幕末に造られたかで、約200年近くも差が出てしまうのである。
そして「三重櫓」という名前からも分かる通り、この建造物は3階建になっているので、このように上に登る階段が用意されている。
ただこの階段も江戸時代の古そうな階段ではなく、比較的新しい時代に取り替えられた階段のように見えるが。。
江戸時代に造られた櫓で上まで登れるのも、そこそこに珍しい。今では耐震診断の結果で、次に大きな地震が来た際に倒壊する可能性があるとして入れない所が多い時代なだけに、こういった所は貴重である。
地震が多い日本に長年暮らしている日本人は、耐震基準について厳し過ぎる側面もある。
新たな大地震毎に耐震基準を引き上げていく事で、震災の被害者を減らそうとしているのだが、それは良い事だと思う反面、このような昔からの建造物の存在を否定する事に繋がる。
この櫓の2階部分はそんなに広くはなくて、階段周辺の踊り場ぐらいの広さしかなく、更に上に登る階段を登るしか選択肢がないようなフロアだった。
そんな上に向かう階段を登って3階部分に到着する。3階に辿り着くと「順路⇒」という案内板が置かれていたけど、順路を示す程の広さもなく、階段周りを一周するスペースぐらいしか無いのであるが。。
こうやって室内を見てみると、天井部分の梁の木材にどうしても目が行ってしまう。
壁云々の説明はあったが、このような天井の梁などの説明板はあまり見られないだけに、個人的にはこのような天井裏の梁についての案内板を欲しい気がする。
色々と文句が多い奴やね!(怒)
今ではこの櫓内に窓ガラスが嵌め込まれていて、外側からの冷たい風が入ってくるのを防げているけど、昔は窓ガラスが無かったので冷たい風が思いっ切り室内に入ってきていた事だろう。
そう思うと、冬場にこの櫓に20日間に渡る出勤も、今となっては拷問に近い仕事だったのかもしれない。
西の丸三重櫓:3階部分の景観! 動画
窓の脇には一応スライド式の木の板が備え付けられているけど、昔は隙間風が沢山入っていたのだろう。各家庭でも衝立が置かれていたのは、そんな冷たい隙間風を防ぐからだったという。
隙間風を防いだから、衝立が現代では見られなくなったのか・・・
このように3階部分まで見学できる「西の丸三重櫓」は、江戸時代からの木造建築物の雰囲気を残す建物で、かつ敵襲に備えた仕掛けが多く見られる施設となっている。
だから、彦根城にやって来た際には、見逃さずに必ず内部の見学をしておくべき建物でもある。
こんな旅はまた次回に続きます!
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