信州松本旅行記2022年3月-3
旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)
道なりに・・・!
さて松本空港からバスに乗って、長野県松本市内に移動してきました。長野県では県庁所在地のある長野市に次いで、2番目に経済規模が大きい市ともなっている。
それと今回の旅のもう一つの目玉でもある、”江戸時代から現存する天守”の国宝「松本城」が建っている場所でもある。
住所:長野県松本市
アルピコホテルに荷物を預ける!
この松本市に本社を置く「アルピコ交通」は、”松本市民の足”というべき存在のインフラ会社で、鉄道・バス事業以外にホテルなどの旅行事業なども営んでいる、それなりに大きな会社。
松本市内にやって来た観光客は、何かしらアルピコ交通のお世話になる機会があると言っても過言ではない。
そのアルピコプラザというバスターミナルも併設された大きなショッピングセンターの、道を挟んで向かいにあったのが今回宿泊する「アルピコ ホテル」である。
ちなみにこの「アルピコ」という社名は、松本市に本社を置く会社だけあってアルプスの英語『Alpine』と、会社の『corporation』から、それぞれ「アルピ」と「コ」が採られてガッチャンコされているようだ。
似たような会社の名前があるから、名前考えるのも大変だわ!
今回はそのアルピコ交通系列の「アルピコ ホテル」に2連泊で泊まる予定だが、特に口コミや立地などで選んだ訳ではなく、HISセールでホテルもセットになっていて、値段的に他の選択肢が殆ど無かったので、何も考えずに決めたのであった。
とりあえずアルピコホテルの中に入って、リュックサックなどの荷物をフロントに先に預けておく。
こういう荷物を預けれるのは駅前など立地が良い場所にあるホテルの特典でもあるので、ホテルの質にそこまでこだわらない人は便利な場所にあるホテルを選ぶのが無難だと思う。
松本城へ向かって歩く!
そして荷物を預けて身軽になった所で、目的地の松本城へと歩いて向かう事にする。
簡単に松本城に向かうには、駅前からバスに乗れば簡単に辿り着けるのであるが、やっぱり旅先の土地勘を得るには自分の足を動かして歩くのが一番である。
アンタは歩けてエエけどな・・・
いつもながら、今回も目的地の松本市について、殆ど知識がないままにやって来ている。
一応2泊3日の旅程なので大まかな訪問予定は頭の中で作ってはいるけど、その訪問先の事前情報はあまり入れずに訪れるのがいつものパターン。
いつも行き当たりばったりな子です・・・
そして時間がギリギリで猶予が無い時以外は、なるべくGoogleマップという便利な物にも頼らずに、自分の五感を働かせて目的地に向かうように心掛けている。
最近の人々はスマホの普及で急激に便利になり過ぎた為に、スマホアプリを大いに活用して行動しているけど、別の見方をすれば、スマホという機械に大きく依存してしまっている。
現代人は五感をどんどん失っているぞ!
歩いていると、足元にこのようなデザインマンホールを見つける。このマンホールに描かれていたキャラクターは『ガンズくん』という、この松本市などをホームタウンとするプロサッカーチームの「松本山雅FC」のマスコットキャラクターとなっている。
オレには声が掛からなかったな・・・orz
こちらは松本駅前にあった、創業から約90年の歴史がある老舗和菓子屋の「御菓子司 藤屋」。中でも「松本城」の形をした最中が人気商品となっていて、ばら売りもしているのでお土産に人気な商品ともなっているようだ。
ただまだ松本市内に到着したばかりで、お土産を買うには早過ぎるので、予定通り松本城へ向かって歩いて行く。
松本市内は平均標高が約590mと、大阪市内に比べれば圧倒的に高い場所にあるけど、そこまでの違いは今の所何も感じない。
こちらは「手毬」のデザインが入った、デザインマンホールも見られる。
この松本市では江戸時代に松本藩で生み出された「松本手毬」が伝統工芸品となっているらしく、その文化を残そうとしてアピールしていたデザインマンホール。
こちらは松本市とは関係がないけど、昔よくパチンコ屋で打った『CR花の慶次シリーズ』の訴求POPが置かれていたので、ついつい目が行ってしまった。
パチンコは25歳頃から約8年間ほどハマって、仕事が休みの日は没頭するようにパチンコに興じていた日々が、今では嘘のようにここ数年全くパチンコをしなくなってしまった。。
パチンコ業界の先行きを不安に思った為に、パチンコを卒業したのです。。
そしてGoogleマップを使わずに、五感を使って「松本城はこの先にあるぞ~~!」という感じで、道なりに進んで行く。
すると道の反対側に、何やら大きめの記念碑的な物を見つけた為に、ちょっと寄り道してみる事にした。
こちらの石碑は『犀川通船(さいがわつうせん) 船着場跡碑』と文字が彫られている。
「犀川(さいがわ)」は北アルプスの槍ヶ岳付近から流れてくる信濃川水系の一級河川で、他の川と合流してこの松本盆地まで流れてくる川でもある。
『犀川通船 船着場跡』という江戸時代の1832年頃に始まった、この犀川の海運を活かして荷物を運搬する「犀川通船」の船着き場がこの辺りにあったようだ。
それまでは人馬などで物資を運んでいた所を、船で川を進んで信州新町まで運び、そこから馬などで長野盆地や上田まで運ぶようになったという。
そんな船便を使っての輸送は便利になるから全員に歓迎されると思いきや、発想から実現に至るまで約100年近くの時間を要していたという。
というのも船便が出来るという事は、それまで使われていた運送手段に関わる人達の仕事が無くなるという事でもあったので、旧来の運送業に携わる者達の大きな反発を受けて、なかなか実現しなかったという。
しかし、そんな船便も近代化で陸上輸送ルートがメインになり出すと、川を進む船便は廃止になってしまった。
かつてはこの川沿いに船が行き交う景色も見られたのかもしれないが、今ではこのように穏やかな水流が流れるだけの川となっている。
そして五感を頼りに自信満々で松本市内を進んでいたのだが、進んで行っても松本城が全然見えずに、更に郊外に向かって進んでいるような感覚になったので一旦ストップした。
途中にあった歩道橋に登って周辺を見回しても、見えるハズの松本城が見えなかったので、仕方なしにGoogleマップを確認した。
すると全然違う方向に進んでしまっていて、通ってきた女鳥羽川(下流で犀川となる)沿いに戻る事になったのである。。
「人間Googleマップ」とか偉そうに言っても、所詮ポンコツなんですよ!(怒)
からくり時計を眺める! 動画
松本城に向かうには、松本駅から北側の方向に進む必要があるのだが、間違って西側に進んでしまっていたので、いくら歩いても松本城が見えなかった訳である。
しかし、このように道を間違えるという事がとても”いい経験”となって、もう次からは松本城へ向かう道を間違えなくなるのである。
できれば、間違える事なく、松本城へ連れてってください・・・
だいたい城というのは城下町の中心部に造られていたので、さっき向かったような郊外っぽい町並みの中に、城跡があるハズもない。
今回は気を取り直して松本城のある方向に舵を切り替えて向かったが、確かに城に近づくにつれて、街中っぽい雰囲気となってきた。
本町と伊勢町の交差点脇には、こちらの「牛つなぎ石」という石碑が設置されていた。
この石自体は「道祖神」を祀る石のようだが、この場所はかつて上杉謙信が甲斐の武田信玄に『敵に塩を送った』際の流通ルートになっていた「塩市」があったとされる場所のようだ。
ただ実際にこの石に、塩を積んだ牛が繋がれたかは不明らしい・・・
そして松本城の外堀ともなっている「女鳥羽川(めとばがわ)」に架かる、「千歳橋(せんさいばし)」を渡っていく。江戸時代には木造の大手門橋が架かっていた場所で、渡った先に大手門がそびえていた場所だった。
この橋より南側は商人の町で、この大手門橋から先へは武士だけしか通れなかったという。ちなみに今の橋は昭和中頃に、架け替えられた鉄筋コンクリート造りの橋となっているようだ。
そしてこの千歳橋を渡った先に、こちらの『花いっぱい運動 発祥の地』という記念碑が見られる。
『花いっぱい運動』とは戦争後に荒廃していた町を元気に明るくする為に、1952年に松本市の教員だった人物が提唱して、公園や住宅などに花を植える運動の原点となったようだ。
今ではその辺の住宅でも色んな花や植物が植えられているが、それらも『花いっぱい運動』のような取り組みで全国的に普及していったのであろう。
現代では普通に行われている事にも、それぞれに原点があり、それらの起源や発祥を知る事で、よりそれらの物事の素晴らしさに気付くのである。
縄手通り商店街にて
女鳥羽川沿いには、こちらの「縄手通り」という昔の景観を再現した商店街が見えてきた。この辺りは江戸時代には『縄』のように細い道だった場所なので、「縄手通り」という名前が付けられたという。
しかし、今では北側の南総掘りが埋め立てられているので、「縄手」ではなくなり、普通の陸地となっている。。
そんな商店街の入口には、こちらの大きなカエルのオブジェが見られる。
これは昭和中頃に隣を流れる女鳥羽川が生活排水などで汚れてしまい、それまで川で生息していた「カジカガエル(河鹿蛙)」が見られなくなってしまったという。
そこで松本市民から「以前のように綺麗な川を取り戻したい!」という気持ちになって、川の浄化活動が始まった。
その1972年頃に『カエル大明神』がこの地に祀られ、それから市民の熱心な川の浄化活動などのおかげで女鳥羽川が綺麗になったという。
そういう訳で、縄手通りのマスコットキャラは『カエル大明神』となってます!
そしてその脇には、こちらの一見は交番に見えないような「大手交番」も見られる。
郵便局などの公的機関の建物が昔の城下町に合わせてデザインされているのはチラホラ見かけるけど、交番がこのように城っぽいデザインになっているのは珍しいように思う。
『カエル大明神』を祀って崇めている松本市民だけど、そんなカエルが住めないような汚い環境にしたのも人間である。
近年は昔に比べて環境問題に特に敏感な時代となっているだけに、過去の人間の過ちは繰り返して欲しくないと切に思うのである。
以前だったら多くの観光客で賑わう「縄手通り」も、コロナ禍ではこのようにガラ~~ンとしていた。
この頃は徐々に観光も解禁されだし始めた頃だったが、昔の賑わいが戻ってくるまでは、もう少し時間が必要なんだろう。
そして近くには、こちらの『若がえりの水』という小さな水場が用意されていた。
この松本市内は周囲を山脈で囲まれているという環境もあって、豊富に湧き水が出る地域となっている。その為に松本城の堀には、綺麗な湧き水で常に満たされている。
カエルはこの『若ガエル』のように言葉の”願掛け”として使われる事が、昔から多かった為にそれにあやかってカエルを大明神に祀り上げたのであろう。
しかし、カエルという生物はどこまで行ってもカエルでしかないので、願掛けするよりは自分で目標に向かって努力する方が、願いが叶う確率が高くなると思うのであるが・・・。
こんな旅はまた次回に続きます!
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