信州松本旅行記2022年3月-41:完結編
旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)
〆のおやき!
松本市内のアルピコプラザ内にある「松本バスターミナル」。ここから松本空港まで直通のシャトルバスが運行しており、神戸空港行きの飛行機向けに17時10分発(⇒松本空港着17時40分–所要時間約30分)のバスが用意されている。
※松本バスターミナル(松本市内)⇒⇒松本空港までのシャトルバス運賃:大人650円/子供330円
↑※最新の運行情報/運賃は、上記公式HPをご確認ください↑
バスで松本空港に向かう!
この17時台の空港行シャトルバスは、神戸空港行き飛行機に登場する人しかほぼ利用しない為に、ボクらの他に3人ほどしか乗車していなかった。それと松本空港でレンタカーを借りずに、松本市内でレンタカーを借りたのは、松本空港内のレンタカーは需要が少ないためか、店舗が少なくて割高だったからである。
松本空港はほぼFDAの限られた飛行機しか発着していない為に、大きな飛行場に比べて、レンタカー会社の競争が少ない。それもあってか、レンタル料金も割高になり易い傾向がある。その為に、空港からレンタカーに乗る必要性が少なければ、シャトルバスで松本市内まで移動してから、レンタカーを借りた方がいいように思う。
価格は需要と供給の法則で決まるじゃん!
帰りの空港に向かう直通シャトルバスに乗り込んだ瞬間、今回の松本旅が終了になると油断して、その道中に寝てしまったオカン。しかし、よく旅行ツアーでガイドしてくれた添乗員さんが、「家に着くまでが旅行ですよ!」という台詞のように、まだ旅が終わった訳ではない。
そしてこの夕暮れ時には、奥の空に夕陽が沈む時間帯となっていて、綺麗な黄昏時が見られる機会なので、寝ているのが勿体ないのであるが。。
エエねん、もう早よ帰りたいねん・・・zzz
帰りの松本空港にて
そして到着予定から2分ほど早く、松本空港に到着する。18時30分の神戸行き出発の時間に対して、40分前の17時40分に空港に到着するシャトルバスとなっていた。
コロナ禍という事もあって全然帰りの便も利用者がいないのかと思っていたけど、いざ空港内に足を踏み入れると、このようにチェックインカウンターが全てうまい事埋まっていた。
ただ、逆に言えば、これだけ位しか利用者が居ないというべきなのかもしれないが。。
そしてこの松本空港は初日に到着した時点で、内部を見学して満喫していたけど、帰りの飛行機までの時間も再び館内を見回って楽しむ事にする。
2階部分にはこのようにお土産屋さんが1店舗だけ開いていたけど、ボクらが乗る神戸空港行の飛行機が出発したら、空港の利用者が居なくなる為にすぐ閉店するのだろう。
そして空港に着いた時のお約束でもある、空港内の展望デッキに出てみる。国内線でも基本的に早めに空港に着くようにしているので、それもあって搭乗までの時間が余る事もあって、その時間調整の為に展望デッキで時間を潰す事が多いのである。
一昨日に会った双眼鏡クンは、今日も顔色を全く変えずに再びその元気な姿を見せてくれている。いつもここで可愛らしい顔をしている双眼鏡クンだけど、雨の日も雪の日も台風の時も、ここで我慢して立ち続けているので、忍耐強い性格なんだろう。
この展望台は、三谷幸喜監督作品の特番ドラマ『大空港2013』のラストシーンで使われた場所で、ひと悶着起こした家族一団がやっと東京へ向けて帰っていくヘリコプターを竹内結子が見送るシーンが思い出される。
最後に可愛らしい笑顔を見せていた竹内結子チャンが、もうこの世に居ないとは思えないな。。
展望台には3組ほどの人がいたけど、飛行機に搭乗予定の人なのか、それとも地元の人が飛行機を見に来たのかは不明。
ただ、言える事はこれから松本空港を利用する人は、三谷幸喜監督作品の特番ドラマ『大空港2013』を何かで見てから訪れるべきだ。
ただ、このドラマを何回も見てから松本空港を訪れると、到着した時に空港から出たくない気持ちになってしまうけど・・・。
そして中途半端に遅い時間に昼食の「おやき」を食べたけど、18時30分の飛行機出発時間という事で、大阪に帰ってから晩飯を食べるのもちょっと遅くなるかと思って、空港内で販売されていた「おやき」を晩御飯に選んだ。
そんな晩御飯に選んだ「おやき」の具は、勿論”野沢菜”である。やっぱり長野県名物「おやき」の中身には、この長野県名産である”野沢菜”がとてもマッチするのである。
ワタシは茄子のおやきを食べましたよ♪
そして保安検査を済ませて空港ターミナル内に入っても、ドラマ『大空港2013』を見た事のある人だったら、この見送りに来てくれた人とガラス越しに電話できる場所にも感激する事だろう。
全国的にマイナーな松本空港でこれだけ面白いドラマが撮影されたのだから、松本空港内にその記念の写真やらサインやらが飾られているのかと思っていた。しかし、今から約10年程前に製作されたドラマという事もあってか(しかもWOWOW向けの特番)、空港内ではこの『大空港2013』のポスターすら見当たらなかったのが残念だったが。。
松本空港にとっては、素晴らしい宣伝にも観光資源にもなるのにな・・・
それにしても竹内結子って、可愛かったじゃん・・・
そしてこの搭乗待合室もドラマ『大空港2013』で、竹内結子役のグランドスタッフの上司を演じた「甲本雅裕」が、面白いアナウンスをしていたシーンも思い出される。
ちなみに甲本雅裕という俳優さんは、織田裕二主演で大ヒットした『踊る大捜査線』にチョイ役でレギュラー出演していた事から顔を知っている俳優さんでもある。元々は三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団した事もあって、三谷幸喜作品によく出てくる人だ。
そしてこれは最近になってから知った事であるが、この甲本雅裕という俳優さんは、あの『リンダリンダ』というカラオケでシメにみんなで絶叫しながら歌う定番曲をリリースした『THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)』のボーカル:甲本ヒロトの実弟なのであった。
【公式】ザ・ブルーハーツ「リンダ リンダ」
そして飛行機に乗って移動の旅では、この飛行機に乗り込むまでは「まだ旅行中だから・・・」と身構えているものの、飛行機に乗り込む段階となると、流石に気構えていた力が抜けていくのである。。
既にビール飲んだ時点で、油断してるヤン・・・
全国的にもマイナー路線でもある松本⇒神戸航路で、かつコロナ禍という事もあって、今回の搭乗客の姿はまばらだった。しかしコロナ禍も人々が慣れてくると、インフルエンザのような一過性の症状という認識になってくるハズなので、来年頃には搭乗客も増えてくる事だろう。
そして飛行機が闇夜に飛び立っていく。全国的にもマイナーな飛行場である松本空港だけど、”マイナーな空港”という事が今回の松本旅に繋がったキッカケを与えてくれたのである。
そう思うと、”マイナーな空港”であった松本空港に感謝したい気持ちになったのである。。
ありがとう、松本空港!
ありがとう、全国でおやきを食べた事のある人!
ありがとう、真田幸村公!
だから、早よ帰りたいねん・・・
<まとめ>
2020年にはコロナ禍があって、更にはGO TO キャンペーン割引もあって色々と国内を旅させてもらったが、今回の松本旅は初めて「空港」に行ってみたかった旅でもあった。
「大空港2013」ワンシーン・ワンカットプロモーション映像
というのも三谷幸喜監督特番ドラマ『大空港2013』が、この松本空港内を早朝に貸し切って撮影された場所だったからである。個人的にはこの『大空港2013』が面白過ぎて何回も見てしまい、それにつられて「松本空港に行きたい!」という気持ちが日々大きくなっていったのである。
この長野県にある「松本空港」は、今ではFDA(フジドリームエアラインズ)しか乗り入れが無い地方空港となっていて、それもあって全国的にはマイナーな空港となっている。
というボクも最近まで松本空港の存在を知らなかったのですが。。
その為にこの松本空港をロケ地として撮影された『大空港2013』のドラマも、つい最近までその存在を知らなかったのである。この『大空港2013』という三谷幸喜監督作品のドラマを知った経緯は、最近とあるケーブルテレビで再放送されていた田村正和主演の『古畑任三郎』の再放送を見て、他に作られた三谷幸喜作品のドラマを調べた時だった。
その際にYoutube検索で出てきたのが『大空港2013』で、その時にこの面白いドラマの存在を知ったのである。
そしてそのドラマの舞台を見たいという気持ちと共に、もう1つの目的だったのが江戸時代から現存する天守を持つ「国宝:松本城」だった。
日本のアチコチを旅するようになってから、江戸時代から現存する『現存天守』と呼ばれる歴史的建造物に対して興味がとても出てしまい、最近はその『現存天守』を見に行くのを目当てに旅をするようになってきている。
最近は犬山城や丸亀城も行きました!
この松本城はその周囲の素晴らしく綺麗な景観もあって、見た瞬間に”一目惚れ”してしまった城だった。会社員を辞めてから海外旅行にしか目を向けていなかった時期があるけど、国内にこれだけ素晴らしい観光資源があるという事に、最近になってようやく気付いたのである。
そして松本城は信州の交通の要所でもある場所を守る役目もあったので、立派な天守が築かれていた。城の構造なども興味を持って調べていくと、その土地や城の役割などによって、その構造から変わってくる。
この松本城は元々は豊臣側の城として、江戸に移封された徳川家康を牽制する為に作られた城であった。そして、江戸時代になって譜代大名や親藩が入り、結城秀康の三男で雲州松平家の祖となる「松平 直政」時代に月見櫓などが増築されて今に至る松本城。
天守閣という建物は最上階からの景観を楽しめる観光地としても人気な場所なのであるが、個人的には最上階からの景色よりも、松本城の外観や内観自体を楽しめる素晴らしい城であった。
ただ標高があまり高くない場所から長野県に観光に行く人が注意する点は、”長野県が平均標高が国内で最も高い場所”という事である。この松本城がある松本市内で600mに満たない程であるが、オカンはこの松本城の月見櫓を見学している時に、息苦しくなって座り込んでしまった。。
そして松本城をこれから訪れる予定の人は、必ず夜にライトアップされた松本城の姿も見学して欲しい。日中にも素晴らしい姿を見せてくれていた松本城も、夜になるとライトアップされて、このように水堀の水面にその姿が反射して、更に美しい姿になっているからだ。
海ではなく堀の水面に反射している天守の姿は、このようにいつまでも眺めていられる景観となっている。同じ松本城でも日中と夜でこのように二面性の顔を見せてくれる松本城なので、これから観光に行く予定の人はこの両方の顔を見て欲しいと思う。
そして令和になってから国宝に指定された、明治時代に造られた建造物で3番目に国宝となった「旧開智学校」の建物。この建物が建設された当時は、西洋の真似をした違和感しか感じない建物だっただろうが、それから100年以上が経過すると、そのような角のあった建物も歴史的な建造物という認識に変化していくようだ。
そして松本市を訪問予定の人は、このような昔の時計が多く展示されている「松本市時計博物館」まで足を延ばして欲しい。普段何気なく使っている時計も、昔から色んな時計が開発されて人類の発展と共にその形を変えており、そういった時計の歴史を学べる貴重な場所になっているからだ。
そして真田家が治めていた松代藩のあった松代町では、この「佐久間 象山」という江戸後期によく名前が出てくる思想家の出身地でもあった。
佐久間 象山というと、佐藤一斎の下で朱子学などを学び、備中松山藩で幕末に財政改革を行った山田方谷のライバル的存在だった人物だが、坂本龍馬や勝海舟などに大きな影響を与えた人物として、ここ松代町では神社も作られて神様として祀られていたのである。
その松代町は以前バルト三国旅で知り合った”エロ坊主オジサン”から教えてもらった、「松代大本営地下壕」を見学する為に訪れたのであった。エロ坊主オジサンは社会の教師でもあったので、こういった日本の歴史には意外と詳しく、この松代大本営地下壕は行ってみる価値があると熱弁していたのである。
オレが言った通り、凄い場所やったヤロ!
第二次世界大戦で日本が追い込められた最期の時代に、ここ松代の堅い地盤の下に大本営を移転する計画で掘られた、大きな地下壕となっていた「松代大本営地下壕」。
この地下壕は現代の感覚では、”超過酷な労働”だった事だろう。戦前の日本国内では「天皇の名のもとに」を謳い文句にして、戦争に参加した若者達の命の重みを感じる事なく、特攻隊で命を散らせる作戦を執っていた程だったので、追い詰められた日本がこの地下壕を掘っていた背景も何となく理解できる気がした。
そんな地下壕が掘られた松代町は、江戸時代に真田家が藩主として守り続けた土地でもあった。真田家というと現代人からすれば、「大阪の陣で真田幸村が討ち死にして、真田家は滅びたのでは??」と思う人が多いだろう。
その松代藩を治め続けた真田家は、真田幸村の子孫ではなく、幸村の実兄であった真田信之の子孫であった。真田信之は当初から徳川家康の家臣側にあった事により、関ヶ原の戦いや大阪の陣で東軍に加担した事で、その領地が保証される事になった。
真田信之も領土は沼田城や上田城から、この川中島周辺の松代藩に移封され、常に父:真田昌幸や弟:真田幸村が豊臣方に加担した懸念を気にして生きていった。江戸時代には江戸幕府のご機嫌1つで、簡単に改易されてしまう事も多々あっただけに、領土安泰とあっても油断は出来なかった時代であった。
そんな松代町には、「長国寺」という松代藩真田家の歴代藩主が葬られた菩提寺があった。その長国寺の建物には、真田家の菩提寺だけあって、真田家の”六文銭マーク”が入っているのが見られた。
この長国寺には、真田家松代藩初代藩主:真田信之の霊廟や、こちらの歴代藩主の墓石も保存されている。意外と知らなかった真田家の江戸時代だが、長男:真田信之が耐え忍んだおかげで、明治時代まで真田家が存続する事になった。
それと標高が日本イチ高い長野県は、食べた料理も特に美味しかった印象を受けた。
こちらは松代町にあった、出川哲朗の『充電旅』でも訪れていた「食いしん坊 かじや」で、全国第3位の生産量を誇る長芋のトロロを掛けたご飯が絶品級に美味しかった記憶が残っている。
そして長野県というと
信州そばや!
である。蕎麦という穀物は米と違って、荒地や寒冷地でも育ち、昼夜の温度差がある程に良い品質の蕎麦になるとされている。それもあって、山間部ばかりの長野県では、「蕎麦」が昔から人々の日常を支えてきていたのである。
こちらは松本名物の「とうじ蕎麦」で、簡単に言うと”蕎麦のシャブシャブ”である。標高が高くて寒くなり易い松本の奈川地区では、少しでも温かい蕎麦を食べたい為に、このように温めた出汁に浸けて”シャブシャブ”として味わっていたようだ。
そして蕎麦と共に小麦も栽培されていた長野県では、こちらの「おやき」という、肉まんのような食べ物も郷土料理として昔から愛されてきた食べ物である。肉まんとの違いはその中身で、こちらは長野県名物「野沢菜」が入っていたが、野菜が入れられている場合が多く、野菜が美味しい長野県を満喫できる食べ物となっていた。
そして松代町近くには千曲川という長野県を代表する河川が流れていて、その千曲川沿いであの戦国時代に有名な『川中島合戦』が行われていた場所だった。その為に川中島古戦場跡には、この武田信玄と上杉謙信の有名な一騎打ちシーンを再現した銅像が設置されていた。
そしてその有名な『川中島合戦』で、武田信玄側の軍師でもあった「山本 勘助」が討ち死にしてしまった場所でもあった。その為に千曲川沿いにこちらの山本勘助の墓も設置されていたのであった。
そして長野県でも最も有名な観光地ともなっているのが、こちらの「善光寺」であろう。何を隠そう、そんな善光寺の存在を全く知らなかったボクは、今回の長野県に来て初めて知ったのであるが。。
この善光寺は飛鳥時代に日本に伝来した仏像が収められているとされる、とても歴史がある無宗派の仏教寺となっていた。
そしてその保存されているという御本尊は、『秘仏』となっていて、善光寺の住職ですら見た事が無い仏像となっているという。という事はその仏像の存在を証明できないのであるが、逆にその仏像が無い事も証明できないので、信じる心が試される善光寺となっていた。
その善光寺でも名物の行事になっているのが、7年に1度しか開催されない”御開帳”の儀式である。
くしくもこの2022年は前年に実施予定だった御開帳がコロナ禍の影響で1年繰り越された事もあって、開催される年だった。御開帳ではこのような大きな木の柱に、御開帳される本尊の分身とを紐で繋ぐ事によって、この柱を触る参拝客にそのご本尊の分身を触るのと同じ御利益があるとされている。
こちらは戦国時代に徳川家の大軍を2度もはねのけたとされる、真田家の居城だった「上田城跡」。ただ江戸時代に入ると、徳川家康の手によって棄却され破壊されてしまった上田城。
そんな上田城では、真田家の有名人「真田 幸村の城」という感じでアピールされていたけど、江戸時代には殆ど真田家が治めていた期間は無くて、その後に移封されてきた仙石家と藤井松平家の統治期間の方がよっぽど長かったのである。
それなのに今の上田城跡では、このように真田幸村の銅像が設置されていて、過去の歴史よりも近年の流行りを重視して、真田幸村推しになっていたのである。
こちらの道は江戸時代に”5大街道”として有名な「中山道」。江戸時代には多くの人々が行き交った街道だったが、車社会となった現代では、チョコチョコと曲がりくねった道なので車では走りにくい道となっていた。
そして諏訪湖の畔に造られていた高島城跡も訪れた。こちらも明治時代に入ってから取り壊された城だが、戦後に市民の強い気持ちと寄付によって再建された城となっている。
このような江戸時代から現存する天守も、その背景にはその城を残そうという強い気持ちを持って行動した人々の存在が隠れていた。観光客の立場からすると、このような歴史的な建造物の写真を撮って、眺めているだけで満足してしまうけど、その裏で城の保存に尽力してくれた人々への感謝の気持ちは忘れてはいけないと思う。
そして今回の旅で初めて知ったのが、この真田家を江戸時代以降に渡って存続させた功労者:真田信之が93歳という長寿を全うしたという事。今でも90歳を越えると”長寿”という印象を受けるけど、この江戸時代に90歳を越えて、更に91歳になって藩主を隠居したという事実を知って、更に驚いたのである。
真田家というと、大阪の陣で華々しく討ち死にした「真田幸村」が今では有名になり過ぎている印象を受ける。それもあってか、真田家は滅亡した印象を持っていたけど、その幸村の兄だった真田信之が江戸幕府の信頼を受けて、真田家を現代まで存続させたのである。
人間の歴史は事実よりも、そのストーリー性が過大評価されて、地味に90歳を越えるまで藩主を続けて真田家を守り続けた人間よりも、大きな戦で見せ場を造りながら討ち死にしてしまった人間の方が評価されてしまう。
特に現代ではドラマや映画などを描く際に視聴率を稼ぐ為に、90歳を越えて藩主を続けた人間よりも、華々しく戦で散った人間の方を選んでしまう。
しかし、実際に生きた人の歴史を無理やり脚色して大きな人物に見せるよりも、そのままの人物の歴史をそのまま描いて欲しいと思う。ただ、そうなるとテレビなどでは視聴率を稼げない。
だから、ドラマなどの主人公には、ストーリー性のある人物しか選ばれない。
それもあって、個人的にNHKの大河ドラマをまともに見た事が無い。
2022年に放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、三谷幸喜脚本という事もあって試しに見てみたが、1年間を通して放送される為に48話という、とても長いドラマだったので、途中で見飽きてしまって見なくなってしまった。
だから大河ドラマの登場人物に、これまで影響を受ける事は無かった。
そして、これからも無いかもしれない。
ただ、自分で実際に過去の偉人が生まれたり、育ったり、活躍していた場所を訪れて、自分なりにその歴史などを調べてみると、非常に多くの気付きを得れて勉強になる。
そうすると、ドラマや映画では描かれてこなかった、素晴らしい業績を残した偉人が大勢埋もれている事に気付いた。
それは埋もれているという事ではなく、過去の歴史に興味が無い人間世界の副産物だったかもしれない。
ただその偉人達も後世の人達に自分が生きた歴史を知って欲しいと思って、行動していた人も少ないだろう。
それよりも、その時代に生きる、自分以外の人々の幸せを願って、他人の為に命を捨てる覚悟で行動していた人ばかりだった事だろう。
現代に生まれた人からすれば、今の世の中がごく当然な世の中に思える。
しかし、歴史を少し調べてみるだけで、多くの人達の汗と血と涙の結晶が積もり積もって、今の世界が出来上がっている。
そのように今の世界を創ってきた数えきれない人達の歴史を知れるのがこのような旅であり、テレビを通して見ているだけではそこまで勉強出来ないと思う。
その為に、歴史に興味を持ったならば、”すぐ飛ぶ”位の気持ちでその場所を訪れて、自分で勉強してみる事の大事さを今回も改めて思い知った。
特に今回の松本旅(長野)は、松本空港と松本城と大きな地下壕位にしか興味が無かったけど、実際に訪れてみると多くの学びを得れた。
そして、このように多くの気付きを得れた喜びで、また次の旅が加速していくのである。
テレビや雑誌で見て終わりではなく、実際に自分の足を運んで、自分の目で現場をじっくり見る必要性を大いに感じた、今回の松本旅であった。。
<終>
2023.2.9
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