信州松本旅行記2022年3月-14
旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)
こちらも個人のコレクション!
何だかんだで城の周りを一周しながら、最適なポジションに戻ってきた松本城。
カメラ写真の技術が普及してきた明治時代以来、多くの人の手によって松本城が写されてきたけど、この場所からの写真が一番城を綺麗に収める事が出来るように思う。
また、この訪問した2022年3月に天守の下部分に足場が組まれていたが、これは「消防設備:改修工事」と「地盤調査」を実施する為のようだ。
古い歴史ある木造建築物では、定期的なメンテナンスと地盤の調査などは欠かせないようだ。
松本市内にて
いつもなら城見物の後に博物館に立ち寄るのだが、この訪問時には城近くに造られている「松本市立博物館」が老朽化で移転工事中だったので、残念ながら博物館の見学が出来なかった。
その代替えとして、別の博物館を訪れる事にしたのである。
そして城から大名通りという、江戸時代には武士しか通れなかった大手門跡へと繋がる大通りを進んで行く途中に、工事現場の仮設壁にこのような絵が描かれた場所が見えてきた。
ちなみにこの訪問時には描かれている絵と文字にしか注意が行かなかったが、この建設現場こそ、移転の為に建設中となっている「シン・松本市立博物館」の建設地だったのである。。
こちらの文字は地元「松本蟻ヶ崎高校:書道部」の部員が描いた字で、漫画絵は「高橋ヒロシ」というこの松本市在住の人気漫画家が描いた物となっていた。
漫画家「高橋ヒロシ」は、1990年代に週刊少年チャンピオンで連載された『クローズ』などに代表される、不良少年を描いた漫画で人気を博しているという。
個人的には育った世代が『クローズ』の連載時期とカブるのだが、残念ながら「週刊少年ジャンプ」と「週刊少年マガジン」しか見てなかった事もあって、全然知らない漫画家なのであるが。。
「松本市時計博物館」に到着!
そして次に訪れたのが、こちらの「松本市時計博物館」という、珍しい時計の博物館。
元々は個人で収集した時計コレクションが松本市に寄贈され、約400点のうち、100点ほどが展示されているそうだ。
全長11mの振り子時計は、国内最大級だってさ!
なお、こちらは現在移転建て替え中となっている松本市立博物館の「分館」として、2002年に開館した博物館となっている。
何故、松本で”時計”なのかと思ったけど、この時計博物館内に展示されている時計は、「本田 親蔵(ほんだ ちかぞう)」(1896~1985年没)という鹿児島出身の古時計研究者&技術者でもあった人物が、住んでいた松本市に寄付したからのようだ。
松本城内でも、松本市に住んでいた個人が集めて寄付した『赤羽コレクション』(鉄砲関係)の展示があったけど、偉大なコレクターが意外と多い場所なのかもしれない。
「時計」という道具は現代人なら誰でも日常的に活用しているアイテムで、時間に縛られた現代社会では不可欠な道具でもある。
しかし、最近では携帯電話やスマホなどで時間を確認出来たり、アラームなども設定できる便利な世の中になっているので、時計を持っていない人も増えていそうだ。
ボクは腕時計をしない派です!
時間に縛られる生活、してないからな・・・
まず入口には、こちらの時計を耳元に掲げているオジサンの人形が置かれていて、その手前にモニターが設置されていて、この時計博物館の簡単な紹介VTRを眺める。
まず見えてきたのは、こちらの「床置塔時計」。
19世紀のフランスで製作されたという時計の文字盤は、大理石製となっていて、側面などは金メッキが張られているようで、豪華な時計となっている。
ちなみにこのブログを作成している時点まで全く気付かなかったけど、このような”ローマ数字の時計文字板”では、4時の部分が「Ⅳ」ではなく、「IIII」という表示になっているのが多いという。
確かにこの床置時計の文字盤も「Ⅳ」ではなく、「IIII」となっていた。
これには諸説あるようだけど、よく言われているのが14世紀後半のフランス王:シャルル5世が、ローマ数字の「Ⅳ」が5世の「Ⅴ」から1マイナスしたようで縁起が悪いとして、「Ⅲ」にⅠをプラスして「IIII」にさせたという話がある。
他には、「Ⅳ」では「Ⅵ」と見分けにくいという説もあるけど、同じ理屈であれば、9の「Ⅸ」と11の「Ⅺ」はそのまま入れられているので、説明がつかないような。。
これ以降は、アラビア数字の「1、2、3、4」という表示が増えたとか。
確かに言われてみれば、ローマ数字の文字盤は4の部分が「IIII」となっているのが多い。
ただこのようなローマ数字の文字盤は日常的にそこまで見かける物でもなく、また自分が腕時計を使わない人間という事もあって、そこまで注視していなかっただけかもしれないが。。
こちらは「時計塔と人物」というタイトルが付けられた、フランスの版画も飾られている。
中世のヨーロッパでは、時計というと「時計塔」に設置されていて、合わせて塔の中に吊るされた鐘が時間に応じて鳴って、時報代わりとして使われていた。
人類にとって時計の始まりは「日時計」から始まり、現代ではテクノロジーが進歩した事もあって、文字盤を持つ腕時計ではなく、スマートウォッチという文字盤をもたず、代わりに液晶でデジタルに時間を伝え、しかもスマホの機能の一部がそのスマートウォッチで表示されたり使えたりする時代になってしまっている。
昔には想像もつかない時代になったんやな・・・
ただし、日時計からスマートウォッチに進化するまでの過程で、長い時間が掛けられて多くの時計が生み出されてきた。
今となっては骨董品の部類に入る古時計だけど、古い時計にしかない魅力もあり、コレクター達は古い時計を追い求めて世界中を駆け回るようだ。
時計の進化の歴史では、まず”動力”の開発によって大きく変化していく。
現代人にとっては普通の腕時計も、昔は小さな時計を動かす動力が造れなかったので、時計というと家に置く大きな時計となっていた。
「おお~きなノッポの古時計~~♪」
持ち運びできるようになった「懐中時計」は17世紀頃に開発されたというが、毎回ポケットから取り出して時間を確認する事が手間でもあったので、19世紀頃から「腕時計」の開発が進んで行く。
日本じゃ、懐中時計持っている人なんて全然見ないよね!
こちらは19世紀にアメリカで作られたという、「目覚し付掛時計」である。
掛時計としては珍しい”目覚し付き”で、目覚用には鈴が鳴り、時報用には鉄線のゼンマイが鳴るという仕組みになっているようだ。
こちらは18世紀のオランダで作られた、初期の機械時計でもある「掛時計」。
上部にはベルが2個取り付けられていて、上は60分の、下は30分の時報が鳴る仕組みとなっていたようだ。
この機械時計は手作りの真鍮歯車、脱進機は”冠形歯車”が用いられていて、かなり古い時代の時計の構造となっているという。
時計は大事な時間を示す”重要な道具”だったので、中世の頃より王様達が挙って最新鋭の時計を開発させるのに尽力していたようだ。
時計という道具は太古の人類時代から使われてきた道具で、集団生活をするようになった人類が強調して行動する為に必須な道具になっていく。
元来、人体には”体内時計”という素晴らしい時計の機能が備わっているが、時計という文明の利器を開発してしまった為に、その体内時計に頼る生活が少なくなっていく。
朝、早く起きないといけない日は、目覚ましよりも早く目が明くよね!
この”古代の時”ブースに展示されていたのが、こちらの古代の人類が使っていた「日時計」である。
日時計は太陽の傾きだけで時間を図る道具だったが、雨の日や夜など、太陽が顔を出していない時間帯は時間を図れないという欠点があった。
それと共に古代の人類が使っていた「水時計」も、最古の計時器である。水時計は器に水を注ぎ、その器に水が溜まるまでの時間を計測した『注入型』と、一定の量を貯めた容器から水を流していき、その水が無くなるまでの時間を計測した「流出型」の2種類の使われ方をしていたという。
地球に欠かせない、「太陽」と「水」という物質に頼ったのも面白いな!
そして日時計や水時計が使えない時や場所でも時間を計測できるようにと開発されたのが、こちらの「火時計」とも呼ばれる『燃焼時計』である。
こちらには「ローソク時計」(複製品)が展示されており、10世紀のイングランド王時代には、長さが約30cmで目盛が12個あって、全部燃えると4時間になったという。
ただ、燃焼時計は現代の時計ほどに精度は良くなかったけど、当時としては問題のない時間の誤差範囲内だった事だろう。
こうやって古代の人類が使っていた、超アナログな時計は今では考えられない時計でもあるけど、何も無い所からこのような時計の仕組みを考え出せたアイデアに驚く。
そしてそんな時計から、このような展示されている中世の時計へと発展し、様々な時計職人たちの苦労の結晶が今現代の時計に繋がっているのだ。
そしてこの時計博物館では、このように動力で動く時計が作動した状態で展示されている。
このように動く時計は毎朝綿密にメンテナンスされているようで、ちょっと動きが悪かったりすると、時計職人が調整しているんだとか。
現代のコンパクトな時計に慣れてしまっている世代からすれば、このように色んな歯車が付いている時計を見て、「何でこんなに大掛かりな仕掛けで動いているのだろう?」と思ってしまうだろう。
しかし、機械時計という物は発明された当初はとても高価な物で、王様の部屋か、もしくは大きな町の中心部に時計塔として位しか、設置されていない貴重品だった。
そして機械時計を動かすパーツなども、昔は何でも大型からスタートして、時代と共に進化していき、小さいパーツになっていったのである。
ただ昔の人達は、時計というとこのような”動きがある物”だという認識になっているので、逆に現代のデジタルな時計を嫌う人もいるようだ。
そして携帯用の懐中時計から進化した腕時計で、こちらの「ナース・ウォッチ」はその腕時計を使う職業用に特別に進化した時計である。職業上、よく手を洗う看護士は、手洗いの際に手首まで消毒する。
しかし、腕時計だと手首部分が洗えず、その時計の付けている部分が不衛生になってしまう。
また腕時計を付けている事によって、患者や点滴のチューブなどに引っ掛けてしまう可能性があるので、このナース・ウォッチは腕に巻くバンドがなく、代わりにピンで衣服の胸付近に取り付けるようになっている。
そして胸などにピンで取り付けた時計を手で持ち上げて見る際に、見やすいようにと時計板が上下逆さまになっている。
これはただ単に間違えて上下になったのではなく、敢えて効率を重視して逆さまにしたという。
それとナース・ウォッチには患者の脈拍を数える際に活用できる”目盛り”が刻まれており、15拍を打った秒数で簡単に脈拍数を計測できる仕組みになっている。
どうりで看護婦さんは、簡単に脈拍を図れる訳だ!
今では日常的には殆ど見る事が出来なくなった懐中時計であるが、実はまだ大いに利用されている職場がある。
それが鉄道の世界で、運転席に置いて常に時間を確認するのに、「懐中時計」が最適だとしてこの21世紀にも使われ続けているという。
使われる職業によって、時計に求められる機能が違うんだな!
このブログを作成後に乗車した、JR西日本の車両運転席で実際に懐中時計が使われている場面を目撃した。
ただ、運転席に備え付けられている計器に比べると、懐中時計が小さくて、見えにくくも思えるが。。
初めて運転席をじっくり見たけど、このように懐中時計をわざわざ嵌め込む穴が造られており、また夜間でも文字盤が見やすいようにとライトも取り付けられていた。
よく見れば、色んな歴史が隠されているんだ!
そして時代と共に、「水晶時計」や「電波時計」など、その仕組みがどうなっているのかすら理解できない時計が溢れる時代となっている。
しかし、時間を常に確認したいという人類の欲求や必要性が続く限り、これからも色んな時計が用途によって開発されていき、そのうちに時計を体内に埋め込んだ”体内時計”という形で回帰していくのかもしれないな。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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