武田信玄と上杉謙信の一騎討ちする姿の銅像が立つ、激戦地の川中島古戦場跡【信州松本旅行記28】

信州松本旅行記2022年3月-28

旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)

有名な対決!

長野市小島田町 川中島古戦場跡 入口

長野市松代町で「山本勘助の墓」を見学してから、長野市を縦断する千曲川を渡った対岸側に、あの戦国時代に何度も激闘が繰り広げられた「川中島古戦場跡」があったのでここでも寄り道してみた。

 

【川中島古戦場跡(公園)】

住所:長野県長野市小島田町1384-1

 

 

 

「川中島古戦場跡」の見学!

長野市小島田町 川中島古戦場跡 案内図

「川中島」というのは戦国時代の戦いでも有名なので聞いた事がある人も多いだろうが、「実際にその場所がどこなのか?」と聞かれても、なかなか即答できる人も少ないだろう。

というボクもこの長野県に来るまで、その「川中島」があるという事を知らなかったのである。

オカン
オカン

「長野市の川中島」って、教科書に書いててくれたらな・・・

 

千曲川沿いの川中島を示す地図--Googleマップより

千曲川沿いの川中島を示す地図–Googleマップより

「川中島」を調べてみると、1つの島を表しているのではなく、千曲川と途中で合流する犀川(さいがわ)周辺に多々存在する、小さな島や中州などの総称となっているようだ。

中世の頃より川で領地が区切られていた事もあって、この境目となっていた中州付近で度々戦いが繰り広げられていたようだ。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 入口

千曲川を西側に渡った一帯は「八幡原」と呼ばれる平地が広がっていた場所で、武田信玄が本陣を布いていたとされている。そんな場所にはこちらの「八幡社」が建立されており、平安時代以降にこの地に八幡神が祀られていたと考えられている。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 入口2

ただ何も知らない人からすれば、ここであの有名な激戦が起きたのかと思ってしまうけど、実際に激戦が繰り広げられた場所はここよりも西側2~3km付近の場所が「川中島古戦場跡」だと推定されている。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 入口 鳥居

川中島古戦場跡もその激戦から約500年近く経過しているので、勿論その跡などは見られる訳もなく、近くにその時の戦死者を祀った「首塚」くらいしか存在していないようだ。

城や城下町などの建造物は一部が残っていたりするけど、関ヶ原の戦いなどの合戦地というのは、基本的に何も跡が残っていない所が多い。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 説明板

武田信玄と上杉謙信との間で行われた”川中島の戦い”は、約10年程に跨る長期戦となっていたようだ。その中でも2人の名将が一騎打ちしたという戦いは、1561年の『第四次合戦』だとされており、それ以外は大規模な実戦は起きずに、にらみ合い状態が多かったとされる。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内

1561年の『第四次:川中島の戦い』では、善光寺側から南下してきた上杉謙信軍が、ここから南西に約5kmほどの所にある妻女山の上に陣を張ったとされる。妻女山からは東の方にある、武田信玄の城である「海津城」(後の松代城)が見える高台で、そこで武田信玄の本隊到着を待ち受けていたという。

 

 

 

一騎討ちの銅像!

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像

それに対して、武田信玄軍は妻女山を迂回するようにして警戒を続け、上杉謙信が直ぐに攻めてこない事を確認した上で海津城に入った。そして軍師から妻女山を別動隊に攻めさせて、それに驚いて妻女山から退く上杉謙信軍を八幡原に陣取った武田軍本隊が挟み撃ちする作戦を提案されて実行に移す。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像 上杉謙信

そして夜間に武田軍の別動隊が妻女山に向かって行軍を始めるが、対する上杉謙信は妻女山から海津城を監視しており、行軍を開始する前には兵士の食糧を多く炊く煙があがっていたのを確認し、妻女山に武田軍が攻めてくる事を察知して、夜間にも関わらず上杉軍を妻女山から降ろさせたのである。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像 上杉謙信 振りかぶる

そして翌朝、武田軍の別動隊が妻女山に到着すると、そこには上杉軍の大軍が見当たらなかった。そして時を同じくして八幡原に布陣した武田信玄の本隊は、周りに霧が掛かっていた事もあって、戦の準備を行っている最中だった。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像 武田信玄が受け止める姿

そして霧が晴れると、何と目の前に上杉軍の大軍が姿を現した。それに驚いた武田軍に上杉軍は攻めかかり、参陣していた信玄の弟:武田信繁や、軍師の山本勘助などの有力武将が討ち取られて、一時は壊滅状態寸前に武田軍は陥ったとされる。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像2

しかし、武田軍も壊滅する一歩手前で、別動隊が妻女山から八幡原に移動してきて、上杉軍の背後から攻め込んできた。

その為にもう少しで武田軍の本陣を落とす事が出来た可能性もあったが、挟み撃ちとなって戦況が不利だと悟った上杉謙信は退却する事を選択する。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像3

そしてこの有名な武田信玄と上杉謙信の一騎討ちシーンは、その武田軍が防戦一方の時に手薄になった武田軍本陣に、騎馬に乗った兵が武田信玄を目掛けて切り込んできたとされる話から創られている。

ただ、記録には本陣に切り込んできた騎馬に乗った兵が武田信玄に向かってきたという記述はあるものの、この騎馬に乗った兵が上杉謙信だったという確証は見当たらないとされる。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像 上杉謙信 振りかぶる2

”白手拭い”で頭を包んだ騎馬に乗った兵が武田本陣に切り込んできたとされるが、個人的には数千人規模の兵士がブツかる合戦で一騎討ちなど、まず起きないように思う。

もし、それが上杉謙信だったとしても、その脇に謙信を守る親衛隊が追随して、万が一自分の大将が返り討ちにあった際に救う必要があったと思うので、単独で斬りかかるというのは想像しにくい。。

おやきマン
おやきマン

逸話はデカい方が面白いじゃん!

 

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像 武田信玄が受け止める姿2

それと武田信玄も本陣に切り込んできた騎馬兵に対して、手に持っていた軍配で防いだとされているが、本当に敵が切り込んで来たら、軍配を捨てて刀を抜いて応戦したように思う。

遠くから弓や鉄砲で狙われた訳ではなく、馬に乗った兵が切り込んでくるだけの時間があったので、その時間があれば刀を抜く時間が無くて、軍配で立ちまわって刀を防いだとは想像しにくい。。

おやきマン
おやきマン

刀で受けるより、軍配で刀を受けた方が面白いじゃん!

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 

まあ今となってはその当時に実際に起きた事が分からないだけに、噂話が面白おかしく大きな話に創作されていったのかもしれない。戦国時代の歴史を説明する史料にしても、自軍に都合の良い内容で記述している事も多く、それもあってこのような合戦の話も本当なのかも、定かではないのである。。

鹿角クン
鹿角クン

フィクションという名の”脚色”だな!

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 本堂

こちらはこの八幡原に建立されている、八幡神社の本殿。ここに八幡の神様が居たとすれば、その川中島合戦の際の様子を見ていたと思うが、その時の様子を八幡の神様が教えてくれる訳でもない。。

ブッダ君
ブッダ君

神様はいつも忙しくて、そんな合戦見てられないんじゃ!

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 執念の石 説明板2

そしてその銅像の脇に置かれていた、こちらの石は『執念の石』という名前が付けられている。

一説によると、上杉謙信が武田信玄目掛けて切り込んできた際に、近くに居た兵士が槍を持って騎馬に乗る謙信に向かって突き立てたという。

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 執念の石 説明板

しかし、謙信は向けた槍は当たらず、その槍を返す力で振り回すと、騎馬に当たって馬が驚いてしまい、それを受けて逃げ帰っていったという。

なお、その槍を突き刺そうとした兵は、敵兵を逃がした事を大きく悔やんで、その鬱憤をこの岩に槍を突き刺して晴らしたという。ただ、当時の兵には刀や槍は自分の命並みに大事な道具であり、いくら悔しいからといって、刃こぼれする可能性が高い岩に向かって、大事な槍を突き刺さないと思うのであるが。。

おやきマン
おやきマン

おやきも大きい方がいいじゃん!

鹿角クン
鹿角クン

岩じゃなくて、木に突き刺した事にしとけばよかったな!

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像を眺める

こちらの『川中島合戦両雄一騎討像』の銅像は、1969年に放送された7作目のNHK大河ドラマ『天と地と』の放映を記念して、その1969年に作られている。

 

1969年のNHK大河ドラマ『天と地と』は、小説家:海音寺潮五郎の同名小説をドラマ化した内容となっており、上杉謙信の生まれる前からの話に始まり、謙信が主役となっている。

オカン
オカン

上杉謙信の青年期を演じたのは、石坂浩二です♪

また、この銅像を製作したのは東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を卒業した、後藤 光行という昭和期に活動した人物。

 

そしてそのNHK大河ドラマ人気により同時期に、山梨県の甲府駅前広場に武田信玄の高さ約3mの巨大な像と、上杉謙信の居城だった春日山城跡に謙信の銅像も設置される事になったようだ。

鹿角クン
鹿角クン

NHK大河ドラマの影響って、凄いんだな!

 

長野市小島田町 川中島古戦場跡 八幡社 境内 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち像 前で記念撮影

そのNHK大河ドラマ『天と地と』が放送される前の、過去の2作品『三姉妹』『竜馬がゆく』がイマイチの視聴率だった為に、この『天と地と』次第で大河ドラマがこの年限りで打ち切りになっていた可能性もあるようだ。

 

しかし、『天と地と』が人気を博した事によって大河ドラマはそのまま例年の風物詩のような長寿番組となり、今年2023年は第62回目となる松潤が主演の徳川家康を演じる『どうする家康』が放映されるに至っている。

 

そして充分に武田信玄と上杉謙信の一騎討ち銅像を眺めてから、次の目的地である善光寺に向かうのであった。

 

善光寺に到着する!

長野市 善通寺駐車場に到着

長野県内で最も有名な場所とも言っていい程に、全国的な観光地でもある「善光寺」

しかし、今までの人生で日本の歴史に全然興味が無かった事もあって、個人的はこの長野県に来て初めてその存在を知ったのであるが。。

鹿角クン
鹿角クン

「遠くとも一度は詣れ善光寺!」だな!

 

長野市 善通寺駐車場からの景色

この善光寺は飛鳥時代の654年頃に中国から伝来してきた、”国内最古の仏像”とされる本尊『一光三尊阿弥陀如来(善光寺式阿弥陀三尊)』が祀られている。そしてその日本最古の仏像にあやかろうと、時の権力者が奪い合う対象となっていた善光寺でもある。

 

長野市 北側から眺めた善通寺の本堂

川中島合戦で戦った武田信玄と上杉謙信の間でも、この善光寺にあった本尊の奪い合いが起きていた。

そして戦国時代にはこの信濃地方から持ち出されて、豊臣秀吉によって京にて保管されていたりして、最終的にこの善光寺に戻ってきたとされる。

なお、その本尊は普段は住職ですら拝む事が出来ないようで、本尊は本堂に設置されている厨子内に保管されており、7年に一度の”御開帳”時に、その分身とされる『前立本尊』が本堂の前に建立されて、多くの参拝客が触れにやって来るという。

鹿角クン
鹿角クン

次の善光寺御開帳は、2027年か、2028年の予定かな?!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓信州松本旅行記:初回↓↓

日本イチ標高が高い場所に造られた「信州まつもと空港」に、初めて降り立つ!【信州松本旅行記1】
2022年3月に訪れた長野県松本市と周辺の旅行記。まずは早朝の神戸空港から飛行機に乗り込んで旅立ち、日本国内で最も標高の高い「信州まつもと空港」に到着します!
タイトルとURLをコピーしました