信州松本旅行記2022年3月-4
旅行期間:2022年3月上旬(2泊3日旅)
多くの武士が歩いた道!
流れる川の水が綺麗な、長野県松本市内。周辺が高い山脈などで囲まれている盆地にある松本市では、豊かな湧き水がその辺りから湧き出す、”綺麗な水の楽園”ともなっている場所である。
繩手通りにて
このような綺麗な水も、人類はバカな生物なので、経済発展の為に汚してしまう。この松本市でも戦後の経済発展時に、松本市内を流れる女鳥羽川が汚されてしまい、昔から生息していたカエルなどの生物が姿を消してしまった。
しかし、その後に川の水質改善の運動が起こり、今では昔の綺麗な景色を取り戻している。
かつて松本城の外堀となっていた「女鳥羽川」のすぐ北側にあった、縄のように細い道「縄手通り」。
元々は女鳥羽川の北側に大きな堀が造られていたが、明治12年にその堀が埋め立てられ「四柱神社(よはしらじんじゃ)」が建立された。
そして四柱神社が建立された翌年の明治13年に、明治天皇がこの松本市に行幸してきて、この四柱神社などを参拝したという。
今では完全な陸地にしか見えない場所も、江戸時代には大きな堀が存在していたようだ。
四柱神社が建立されてからは、この「縄手通り」はその参道として人々の大切な道となり、車などが通れない歩行者天国の道ともなっている。
そんな縄手通りの1軒の日本家屋風建物の正面に、何故か一匹の魚の形をした物が吊るされているのが見えてくる。
一見にはお土産物屋っぽい建物にも見えるけど、扉は閉められており、営業している様子でもない。
どうやらこの建物は、2000年頃に縄手通りが再開発された際に出店した居酒屋らしく、その建物の飾りともなっている鮭を干した物となっているようだ。
ただ、この鮭が本物かまで触って確かめた訳ではないので、見た目だけで”鮭の飾り物”としておく。
こちらには、腕組みしたようなポーズで鎮座する、カエルの形した木像が置かれていた。この縄手通り商店街では、”カエル大明神”が祀られているようだけど、そこまで歴史が古いものでもない。
ただ、今となっては町興しも兼ねて、カエルをモチーフにした『松本かえる祭り』が毎年開催されているようだ。
午前9時前に松本に到着したのだが、松本城に向けて歩いている内に11時過ぎとなっていた事もあって、そろそろオカンの胃袋が昼食を求めて動き出す頃合いとなっていた。
その為に適当に歩いている最中も、良さげな昼食を食べれるお店を知らず知らずのうちに求めて、目が勝手に移り行くのである。
そして明治時代に創業されたという文字が看板にあった、こちらの良さげな雰囲気を出す蕎麦屋は、残念ながら閉まっていた。
こちらのお店は『弁天 本店』という、松本市内で最も古いとされている蕎麦屋さんだが、コロナ禍の煽りを受けて現在でも閉まっているようだ。
信州に来たら、やっぱり”信州そば”食べたいわ!
「四柱神社」にて
縄手通りをブラブラして、「四柱神社(よはしらじんじゃ)」も見学しておく事にした。
こちらの四柱神社は、元々は明治5年(1872年)に設置された神道の中教院で、明治7年に『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』、『高御産巣日神(たかみむすびのかみ)』、『神産巣日神(かみむすびのかみ)』、『天照大神(あまてらすおおみかみ)』の4神を祀った事により、「四柱神社」という名称になったようだ。
日本人はこのような神社を崇める存在のように扱う人が多いけど、歴史を調べていくと、このような神社は明治政府がそれまで主導権を持っていた仏教を排除して、神道を国教にしようとした政策の影響を強く受けている。
そのような宗教の歴史を調べていくと、神社という存在が”一宗教団体”にしか思えなくなってくるのだが。。
そして境内には、こちらの「招魂殿」という文字が入った提灯のある門が見えてくる。
この建造物は「松本市招魂殿」という、西南戦争以降の戦争に参加した松本市出身の戦死者を祀る場所となっている。
そして「松本市招魂殿」の建物は、正倉院のように高床式倉庫みたいな形状になっている。
ただ建物の外観だけを見ていると、そんなに古い建物には見えずに、比較的新しいような建物の印象を受ける。
今見られる建物は、伊勢神宮にある豊受大神宮の外宮である「外幣殿」の舎古材を、2015年に移築再建した物となっていたようだ。
このような建物の舎古材は、神宮とゆかりのある全国の神社に活用されるのだという。
さて、縄手通りをブラっと散策した後に再び大手門通りの道に戻る。この道はかつて武士が登城する際に通っていた道という事もあって、「大名通り」とも呼ばれているようだ。
江戸時代には武士しか通れなかったという大名通りを城に向かって進んで行くと、道路の脇にこちらのレトロな外観のビルディングが見えてくる。
こちらの建物は1937年に鉄筋コンクリート造りで建てられた、「旧第一勧業銀行:松本支店」の建物。のちに「みずほ銀行」として2003年まで使われてきたが、老朽化の為に取壊し計画が進んだ。
しかし、歴史ある建物を保存したいという住民達の強い運動が起こり、「松本丸の内ホテル」のレストラン棟として現役で今も使われ続ける建物となっている。
昔の城下町の雰囲気を色濃く残す松本市内中心部の道沿いでは、このように「なまこ壁」デザインの自動販売機が設置されているのが見える。
日本国内では”犬も歩けば自動販売機に当たる”並に、「こんなに必要なの??」と思う程に自動販売機が設置されている。
世界中での自動販売機の設置数は日本はアメリカに次いで2番目となっているが、人口密度からでは世界で一番となっている。
また日本国内では屋外に設置する自動販売機が荒らされる事も少ないために、治安の良くない海外と比べても、多い傾向にあるという。
日本の自動販売機を見て、驚く外国人観光客が多いわ!
そして大名通りを歩いて行くと、見落としてしまいそうなビルの合間に、こちらの小さな城風の外観をした建物も見えてくる。
こちらの建物は「青翰堂(せいかんどう)」という、約70年前から営業する古書店だった建物。しかし、2020年に閉業してしまったが、特徴的な建物は今ではお土産物屋さんとして使われ続けているようだ。
そして大名通りの道端には、このように”松本藩の歴代藩主を勉強していけ!”というメッセージが籠められたようなボードが見えてくる。
江戸時代に大小含めて300程の藩が全国に存在していたというが、そんな全国の藩についての知識が義務教育で教えられていないので、意外と日本人はその場所の藩主を知らないのである。
藩主の移り変わりが多い藩は、覚えにくいんやけども・・・
そして道を進んで行くと、奥の方に天守閣のような立派な建物が徐々に見えてくる。
ただ、さっき道の脇で見た天守風の建築物などもあった為に、前方に見えている建物がフェイク品である可能性も排除できないので、まだぬか喜びせずに近くまで行って天守だと確認が取れてから喜ぶ事にする。
松本城:本丸入口にて
そして道を進んで行くと、車道が左右に分岐して車ではこれ以上前に進めない場所に突き当たる。
恐らくこれから先が松本城の中心部で、もうすぐ松本城の国宝となっている天守閣とご対面できるハズである。
そして本丸の近くに付き物の水堀が見られる。ただ江戸時代には、さっきの縄手通り付近まで大きな中堀があったというのだから、現代に見られる堀はあくまで飾りのような小さな存在と化しているようだ。
松本城の入口にて 動画
ただこの堀は沢山の鯉が泳いでいる事もあって、そこまで透明度は高くない堀となっていた。
そして鯉に餌を与える人が多いのか、ちょっと堀の際に立ってみるだけで、鯉が餌をもらえると思い込んで近寄って来ていた。
江戸時代から現存する天守は12個残っているが、その中で”国宝”に指定されているのはたった5つだけ。
この松本城以外に国宝に指定されている現存天守は、「犬山城」「彦根城」「姫路城」「松江城」となっている。
この『国宝五城』でこれから訪問する松本城以外でまだ訪れていないのは、愛知県の「犬山城」のみとなっている。
だがまだ旅行記は作成していないものの、2022年9月に犬山城を訪問済なので、個人的には”国宝五城を制覇”した事になる。
この国宝となっている松本城天守、所有者は「国(※文部科学省)」となっていて、松本市は管理団体となっている。
このように城の所有者まで訪れた際に注意が行かないけど、城によって自治体や国などに分かれている。
そして進んで行くと、段々と松本城の天守閣の全貌が見えてくる。
松本城の天守閣は5重6階と、現存天守の中でも大きい部類に入る天守なので、その全貌が徐々に見えてくるだけで興奮してくるのである。
松本城は天守閣のある本丸内が有料ゾーンとなっていて、その本丸周囲に築かれている内堀の外側までは無料で入れる。
そして松本城天守閣は、その内堀際に建造されているので、より美しく全貌を眺める事が出来る城となっている。
このように松本城天守を写した写真の多くは、本丸内からではなく、この内堀の外側から写したものばかりとなっているのが、よく理解できる光景となっていた。
内堀の外からだと、城の下に築かれた石垣が露出していて、更には奥に見える北アルプス連峰の背景も一緒に写せるのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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