福井県敦賀旅行記2022年4月-1
旅行期間:2022年4月上旬(当日旅)
松本零士作品の町!
さて松本旅の次にやって来たのは、福井県の南西部に位置する「敦賀市」。日本海側で北陸地方に長く位置する福井県の中でも、関西地方に近い敦賀市。大阪駅からは、JRの快速電車を使っても約2時間ちょいで訪れる事が出来る場所となっている。
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敦賀市に到着!
という事で人生で今まで行こうと思った事の無かった「福井県敦賀市」に到着する。敦賀市はおろか、福井県自体も来た記憶がないので初めて訪れたのである。
そして「何故、敦賀に行くのか??」という考えに至ったかというと、第二次世界大戦中に『命のビザ』でも有名な杉原千畝氏などが尽力して日本に渡ってきたユダヤ人の資料館がこの敦賀市内に設置されていて、その見学と共に逃げ帰る織田軍の殿を務めた羽柴秀吉の奮戦場所として有名な「金ケ崎城跡」に行こうと思い立ったのである。
普段からあまり旅行に行かない人からすれば、敦賀に行ったと言うと、「何で敦賀になんて行くの??」と必ず聞いてくる事だろう。これは行き先が敦賀に関わらず、普段あまり旅行しない人がよく口にする言葉である。
自分が”旅行”というものに対して興味を抱かない為に、「旅行でドコかに行く」という考えを許容できないのである。だから旅行に行き出すと、そういった面倒くさい会話のやり取りが面倒なので、そもそもそういう人にそういう会話をしないようになっていくのである。。
それはさておき、敦賀駅前でまず見えたこの銅像は「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」という、古代の朝鮮人の銅像となっている。日本国内で朝鮮人の銅像とは珍しく思うけど、『日本書紀』などの古書物には朝鮮国王の息子が渡ってきたと記載されているという。
敦賀は昔から朝鮮の玄関口として栄えたカニ!
この敦賀にやって来たのは、今から約1年ちょい前の2022年4月6日。桜が咲き出す春のシーズンに突入していた敦賀市だけど、思っていたよりも人の往来が見られない。敦賀駅前には「ゆめさき通り」という立派な屋根の付いた商店街が設置されていたけど、残念ながら活気は見られなかった。。
そんな駅前から続く商店街通りは意外と歩道部分が広く、その歩道部分にこちらのアニメ『銀河鉄道999』に関わる登場人物などの銅像が多く設置されていた。
アニメ『銀河鉄道999』というと松本零士作品であるが、この敦賀が松本零士の出身地などではないようだ。
調べてみると「シンボルロード」と呼ばれる敦賀市内のメイン商店街で、1999年の『敦賀港開港100周年』を記念して、【科学都市/港/駅】をテーマにして、松本零士作品の『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』に関連する銅像を合計28体も設置したという。
1体あたり500万としても、合計1億円を超えとるガニ!
昔は港町として発展した敦賀の町も、その後に陸上輸送などが発達していくに従って、港産業は衰退していき、すっかり今では停滞した雰囲気の町となっている。
その為にも新しい観光資源を造って観光客を呼び寄せる必要があるのだろうが、今流行りのアニメではなく、また敦賀とは直接関係ない作者の作品をわざわざ造る必要性をちょっと考えてしまう像であった。。
敦賀出身地の有名人は、大和田伸也/大和田獏の兄弟ガニ!
今から約20年前に設置された松本零士作品の銅像なので、それからもう20年が経過している。この松本零士作品自体はボク世代よりも更に上の世代が見ていたアニメなので、時代と共にこれらのアニメを知っている世代が高齢化していくのである。。
だから若い世代がここ敦賀に来ても、これらの銅像にそこまで興味を示さない事だろう。やっぱり自分が知っているキャラクターの銅像があれば記念写真をしたいけど、全く知らないキャラクターだと素通りしてしまう事だろう。。
素通りされるとメーテルも悲しむガニ!
個人的には『銀河鉄道999』のアニメを殆ど見た事がない。その代わりに『銀河鉄道999』とタイアップしたパチンコ台を打った記憶だけは残っているけど、あまりその台で勝った事がなかったので、いいイメージは残ってないのだが。。
ただそのパチンコ台で少し打っていた事もあって、辛うじて『銀河鉄道999』に登場するメインキャラクターの存在ぐらいは理解できる。昔と違って現代は多くのアニメ作品が次から次へと出てくる時代なので、こういった昔のアニメも徐々に忘れられていくのかもしれない。
こちらは銀河鉄道999の中で登場する『車掌』という、主人公:星野鉄郎が乗る列車の車掌さんである。意外と目立たないキャラクターのようだが、結構登場するキャラとして知られている。
この『銀河鉄道999』というアニメは、主人公が永遠の命を求めて旅する内容となっているが、今となってはその主題歌『銀河鉄道999』を唄った「ゴダイゴ」の曲に、聞き馴染みのある人も多い事だろう。
『銀河鉄道999』主題歌:ゴダイゴ
EXILEなどがカバーして、今も人気の歌ガニ!
このようなアニメ/漫画で大人気になった作品の銅像が町興しとして多く設置されている場所は、『ワンピース』の登場キャラクターが設置されている熊本県や、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』でもお馴染みの東京都葛飾区亀有などがある。
最近では、銅像でも過去の偉人ではなく、最近のアニメキャラの銅像を設置する所が増えてきている。
そんな敦賀駅前商店街の活気があまり感じられなかったが、その要因の1つでもあるのがこの「アル・プラザ敦賀」という、大きなショッピングセンターの影響だろう。
元々港町として発展した敦賀の町も、鉄道や内陸輸送トラック網の整備で活気を失い、更には大きなショッピングセンターが造られた事によって、車社会の地域ほどに昔からの個人商店を離れて、何でも揃う大型店を利用していくようになる。
その為に駅前商店街などはシャッター街と化している所が国内には多く、これも時代の流れなのかもしれない。。
問題はそのシャッター街跡地の活用がされない事ガニ!
そんな大通り商店街の通りを外れると、このように道の両脇に桜並木が植えられている通りがあった。そして4月上旬という事で、このように桜の木々には綺麗に花が咲いている、ちょうじ良い時期でもあった。
桜の木というと日本人にとってはお馴染みで象徴的存在でもあるが、その桜の木から咲く花はこの4月上旬しか見れない貴重な物である。日本人はその桜の花が咲くシーズンには”花見”を楽しんできたのだが、2020年に発生した新型コロナウイルス感染により、その楽しみも奪われてしまった。。
花見は一般的にはできなくなってしまったけど、それでも桜の花はこのように例年通りに綺麗に咲き始めていた。
こちらは枝ではなく、木の幹部分から伸びた新芽部分に咲いていた桜の花で、”人と違った場所で咲く花”という変り者のイメージを受けた桜の花であった。
敦賀城跡地にて
そんな桜並木道を通りながら日本海側へと向かっていると、こちらの「敦賀城跡」の石碑が置かれている、「敦賀市立敦賀西小学校」の建物が見えてくる。
こちらにあった石碑には、戦国時代に築城された「敦賀城跡」の説明が彫られている。秀吉の配下だった蜂屋頼隆が築城した城が築かれて、後に大谷吉継が城主となった。そして関ヶ原の戦いで大谷吉継は西軍に加担して戦死し、江戸時代に入って一国一城令によって廃城となってしまった。
その為に江戸時代には城は存在せずに代官所が建てられた場所だった為に、あまり「敦賀城跡」という言葉自体も聞かれない存在となっていた。
4月の桜が咲く季節は、日本国内を散策するには最も良い時期である。日本国中ではだいたいどの場所でも、このように桜の木が植えられている事が多い。特にその桜が満開となるシーズンには、桜の木の生命力を感じれる旅ともなる。
こちらは”福井県のご当地ナンバープレート”である。この福井県のデザインに恐竜の骨格標本が選ばれているが、この恐竜は『フクイラプトル(Fukuiraptor)』という、福井県勝山市で発掘された肉食恐竜である。
越前蟹デザインも、選ばれる可能性あったガニ!
そして最近では”恐竜の福井県”というイメージが定着しつつある。その背景には、2000年に学名が与えられた肉食恐竜フクイラプトルが、『初めて全身骨格が復元された、日本国内で発見された肉食恐竜』という事もあって、観光資源に乏しい福井県がその恐竜を全面にアピールしている事が大きく影響しているようだ。
そんな満開となっていた桜の木に導かれるように適当に道を歩いていると、正面の方に「真願寺」という真宗大谷派の寺の立派な山門が見えてきた。どうやらこの真願寺の建っている場所辺りも、かつて戦国時代に存在していた敦賀城跡の敷地内に相当するようだ。
そしてここから”三大松原”とされる「気比の松原」へと、歩いて向かう事にする。すると、海岸の方にこのような敦賀の町に似合わない近代的な外観をした建物が見えてきた。
こちらの建物は2016年に造られた、福井県漁業協同組合連合会の「敦賀水産加工場」だった。衰退しつつある敦賀の町を再生する為に、近代的な水産加工場を建築し、水産物強化に打って出ているようだ。
敦賀の町の真ん中を縦断するように流れている、二級河川「笙の川(しょうのかわ)」。敦賀港は日本海から入り江のように入り組んだ内側に造られているが、その脇にある気比の松原は笙の川から流れ出てくる土砂が一旦日本海に出てから、うち戻されて返ってきて砂浜となり、その砂が風で内陸の町まで飛ばないように整備したものとなっている。
このように川は水だけではなく、上流からの土砂なども含めて河口に押し出してくる。それにより、鳥取砂丘などの砂岸などが形成されるが、海岸近くに住む人からすれば、その砂が海からの強い風を受けて内陸に飛んでこないようにと、昔から防砂林やネットを張って防いでいたようだ。
人類は地球の自然現象に、立ち向かう希少な存在ガニ!
「松原公園」に到着!
そして笙の川を渡って道路沿いに進んで行くと、やっと「松原公園」という大きな松の木が立ち並ぶ公園入口に辿り着く。
こちらの『松原公園』という石碑は、大正9年(1920年)に建立された物で、「後藤新平」が書いた文字が彫られている。
この気比の松原は”日本三大松原”の1つともなっているそうだが、他には以前に佐賀県唐津市で訪れた「虹ノ松原」なども含まれる。
オレが案内してやった所やけ!
そんな松原公園内に足を踏み入れて行くと、こちらの小学生の女の子をモチーフにしたデザインの「飛び出し坊や」があった。ただ、この看板も印刷された色が落ちてしまっていて、衰退化してきている敦賀市らしさを感じてしまったが。。
さて、初めて足を踏み入れた福井県の敦賀市。初めての場所は、何事においてもとても勉強になるので、どんな些細な事でも興味をもって、相変わらず楽しい出会いを期待しながら歩みを進めるのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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