福井県敦賀旅行記2022年4月-8
旅行期間:2022年4月上旬(当日旅)
寄っただけ!
朝早く大阪を出発したにも関わらず、訪れた今日水曜日に閉まっていた観光施設ばかりだったので、想定していた以上に早く敦賀見物を終えてしまった。そして海鮮丼も味わってしまったので、昼過ぎに早々に敦賀を後にする事にした。
滋賀県の長浜に立ち寄る!
JR敦賀駅から長浜駅に向かうには、途中の「近江塩津」という駅で乗り換えて、そこで約30分ほど電車を待って乗り継ぎ、長浜駅に向かった。一応、「しらさぎ」という特急列車に乗れば乗り換え不要で行く事が出来るが、勿論特急料金が加算されるのであるが。
節約、節約・・・
敦賀駅から特急に乗らない場合だと、長浜駅までは1時間ちょい程の移動時間となる。
長浜の町に到着!
そして14時半頃に、JR長浜駅に到着する。この長浜は10年以上前に来た事があったけど、その時はガラス館で可愛らしいカエルの置物を買った記憶だけ残っている場所。
そんな若い頃には長浜に来ても何も思わなかったけど、この最近国内旅をして歴史に興味を持ってきた身としては、長浜というとやっぱり「長浜城」が一番に思い浮かんで来る。
この琵琶湖の畔にあった長浜城というと、やっぱり天下一の出世人であった豊臣秀吉が築いた城としても有名である。なお、羽柴秀吉時代にこの地は「今浜」と呼ばれていたが、仕えていた織田信長の「長」を貰って、今浜から『長浜』へと改名したとされている。
そんな天下人となる豊臣秀吉の居城だった長浜城も、羽柴秀吉が毛利家を攻める為に西国に移封されると城主が転々として、江戸時代には彦根城を築く為の資材として解体されてしまっている。なので今見られる長浜城天守の建物は、1983年に再建された”模擬天守”となっている。
「長浜城歴史博物館」周辺を散策!
この”模擬天守”となっている長浜城の天守閣は、他に現存している城の天守の建物を参考にして、形状は推測で設計された鉄筋コンクリート造り3層5階の建物となっている。また、建物内部は「長浜城歴史博物館」となっている。
住所:滋賀県長浜市公園町10-10
営業時間:9時~17時頃(展示替えなどで休館あり)
電話番号:0749-63-4611
入館料:高校生以上410円/小中学生200円
敦賀市内ではたくさんの綺麗に咲いた桜の花を見かける事が出来たけど、ここ長浜でも綺麗に咲き誇る桜の花が見られる。桜の花が満開の時は、「枝がその重みで折れてしまうのではないか?」と思ってしまう程になっていた。
歴史好きになってきたボクは最近では城巡りをするのがとても楽しいけど、このような鉄筋コンクリート造りの”模擬天守”にはあまり入りたいと思えない。
江戸時代にその地に城があって、明治時代や戦争で失われた天守を復興させるのは理解できるけど、江戸時代に存在していなかった天守の建物を建てるのは、いまいち賛同できないからである。
”模擬天守”というよりは観光用に造った、城の外観をした歴史博物館という認識の建物となっている今の長浜城。まあこの建物も「長浜城」と謳っている訳ではなく、「長浜城歴史博物館」とあくまでも歴史博物館であるという事を主張しているのであるが。。
なお、「長浜城歴史博物館」の館内は写真撮影禁止となっていた事もあって、内部の見学はしなかった。
最近は脳のメモリー残量がとても少なくなっているだけに、スマホなどで資料の撮影をしないと、とてもじゃないけど何を見たかも思い出せないのである。。
脳のメモリーを入れ替える手術、早くできないかな~!
ただ、観光客向けにはここに何も無くて「本丸跡」という石碑だけを置いておくよりも、このように外観だけでも昔風の建物を再建するだけでこの場所のイメージが大きく違ってくる事だろう。そういう意味ではこのような天守風の建物を造るのはいいと思うけど、城好きな人間からすれば不評な建物だろうと思われる。
そしてこの城風建築物が建っているのは、『琵琶湖国定公園』にも指定されている琵琶湖の畔である。琵琶湖というと日本で一番大きな湖であり、かつ滋賀県内で約18%の面積を占める、まさに”滋賀県の象徴的シンボル”となっている。
そんな長浜城風建築物周辺の琵琶湖沿いには、このように芝生と綺麗に咲いた桜の木が並んでいる絶景もあって、多くの人で賑わっていた。やっぱり桜の木だけではなく、目の前に水の存在があるだけで、桜の木がより印象的に思えるのだろう。
なお、琵琶湖の畔にあった長浜城が江戸時代になって廃城となり、新たに彦根城が築城された。その理由には、このように同じ琵琶湖の畔という立地より、西側からの残党が米原~関ヶ原付近まで攻めあがってくる事を防ぐ陣地だった事が地図を見ればよく分かる。
長浜城の資材が、彦根城で再利用されているよ!
琵琶湖に来た事が度々あるけど、このような桜の花が咲く季節に来たのは今回が初めてだったので、以前のイメージよりも遥かに素晴らしい記憶が残った。やっぱり人間の脳という物は自分の都合のいいように解釈する物であり、昔の記憶を殆ど忘れかけている為に今見た記憶が素晴らしい物として理解しているのだろう。
そんな咲き誇っているように見える桜の花も、よ~~く見ればこのようにまだ咲いていない蕾もあった。同じ桜の木に生えている蕾でも、人間のように個人差があって、自分の咲きたいタイミングで咲く準備をしているようだ。
ただ、生物の多様性からすれば、一斉に桜の花が咲いて花粉を飛ばすよりも、バラバラに咲く事によって種子を撒く期間を長くする事に繋がるので、このようにデコボコにも思える咲き方の方が”種の生き残り”の上では大事な要素なんだろう。
長浜市内を散策する!
そして琵琶湖の畔で桜見物を終えたので、10年振り以上となる長浜の町を散策する事に。人間という生き物は面白い物で、10年前に訪れた事のある場所に再訪しても、その時と比べて自分が変化しているので、その土地から受ける印象が大きく変化するのである。
そんな長浜の観光地となっている”北国街道”を歩いていると、こちらの西洋風の建物が見えてきた。この建物は滋賀県で最初に開校された小学校である「長浜旧開知学校」で、明治4年に開校となった小学校の校舎として明治7年(1874年)に建てられた、木造3階建ての”擬洋風建築”となっている。
昭和12年(1937年)に約150mほど場所が移転されてこの地に落ち付き、2000年頃に大規模な復元工事が行われて、今の姿になったようだ。どうりで100年以上も前の建物のはずなのに、綺麗な外観をしていた訳だ。
建物は”国の登録有形文化財”になっていて、1階はお酒が飲めるパブになってるよ!
長浜の町は秀吉が長浜城に入城した際に築かれた城下町として発展し、更には北国街道を通る人達や、琵琶湖の水運を利用して荷物を運ぶ近江商人達の往来によって大きく発達していった。また江戸時代には「国友」という国内でも有名な鉄砲生産拠点として大きく賑わった場所でもある。
そんな長浜の町も約40年程前から賑わいが薄れて衰退しかけたが、1988年に「黒壁」という旧市街の景観保持と再生を行う”第三セクター”が設立されて、それからはすっかり滋賀県内でも人気の観光地と姿を変えて、今でも多くの観光客が訪れる人気の場所となっている。
この古そうなお店の軒先には、「豊臣秀吉」や「石田三成」や「大谷吉継」などの有名な戦国大名の文字が入った表札が展示されていた。最近の小さい子供の名前は『キラキラネーム』というのが流行りとなっているけど、このような歴史上の有名な人物と同じ名前を付けられるのは少ないのかもしれない。。
彦根藩主だった「井伊直弼」公の名前はないんだね・・・
こちらの古そうな建物は「安藤家屋敷」という、豪商だった商家の跡。この建物は大正時代初期に建てられたようだが、”至高の芸術家”として有名だった北大路魯山人がプロデュースした建物となっており、離れに造られている「小蘭亭」という建物は、魯山人が手掛けた天井画や襖などが見られるという。
※現在は閉業中のようです。。
そして北国街道には観光客向けのお店も多々並んでいたけど、その中で絶えず行列が出来ていたのが、こちらの「芋平長浜店」だった。
ここは和菓子店で「芋きんつば」という、さつま芋あんに餅米粉等のタレを絡め、それを釜戸で丁寧に焼いたお菓子が人気となっているようだ。
そして『黒壁スクエア』としてすっかり人気の観光地となっている長浜市内を代表する建物が、こちらの「黒壁一號館:黒壁ガラス館」である。
この建物は明治33年(1900年)に建てられた「旧国立第百三十銀行:長浜支店」の建物跡を改装して、今ではガラス製品が販売されるお店&アートギャラリーとなっている。なお、建物は”国の登録有形文化財”となっており、2021年に外観が補修された為に綺麗な外壁へと変わっていた。
長浜に来た観光客の大半が訪れる場所にもなっている「黒壁ガラス館」だけあって、販売されているガラス製品はそこそこにいいお値段となっていた。また、この地方で造っていないガラス製品も多く販売されており、ご当地で造られたガラス製品ばかりという訳でもないようだ。
ちなみに以前に大阪で購入した、泡立つビールグラスと同じ物がここでも販売されていたが、大阪市難波にある道具屋筋で売っていた値段に比べて、3割ほど値段が高かったが。。
観光地は、”観光地プレミア”という値段が上乗せされてるからね!
そんな”観光地プレミア”という値段が上乗せされている商品など買いたいとも思わなかった事もあり、江戸時代に栄えた北国街道沿いの古い街並みを散策する事。
金欠オヤジみたいな行動やけ!(笑)
そんな北国街道沿いにあった、長浜名物”武者隠れ道”という顔出しパネルが設置されていたので、そこでオカンの記念写真を撮る事にした。どうもこの街道沿いに立ち並ぶ屋敷が道に対してデコボコとしていた為に、その隙間に武者が隠れていたというようなパネルだった。
こちらは滋賀県のご当地ナンバープレート。滋賀県ではやっぱり象徴的存在となっている「琵琶湖」のイラストとなっていた。
琵琶湖が無くなったら、滋賀県も無くなるよ!
そして適当に道を歩いていると、脇にこちらの「日本イチの万華鏡!」と文字が書かれた看板が見えてきた。
”日本イチ”という言葉に日本人は吊られやすいのです。。
”無料”という言葉に貧乏人は吊られやすいのです。。
こちらがその”日本イチの万華鏡”となっている「竪型万華鏡」である。手作り感満載の竪型万華鏡は、その下に立って設置されているハンドルを回すと、上にある万華鏡が回転して綺麗な景色が見られるという物だった。。
なかなかに斬新的な万華鏡でした♪
そしてその万華鏡が置かれている敷地はフリーマーケット・スペースにもなっているらしいけど、この時は何も開催されていなかった。それよりも気になったのがこちらのビールジョッキを両手に持った女性の像で、確かにドイツではこのような胸元がちょっと見えている女性が2リットルの大ジョッキを何個も運んでいる姿が見られた記憶が甦る。。
そして長浜の町中を散策していると、昔風の町並みの奥に大きなお寺の山門が見えてきた。このように昔の景観を保存する一方で、現代的な観光客の心を掴む為に、昔の建物を現代風にリフォームして観光地化している長浜の町は、国内でも観光地化に成功した地として知られているのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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