桜が咲き誇る春の金ヶ崎城跡天守跡と、後醍醐天皇の子:尊良親王の陵墓見込地【福井県敦賀旅行記6】

福井県敦賀旅行記2022年4月-6

旅行期間:2022年4月上旬(当日旅)

思い出の場所!

敦賀市 金崎宮の奥 金ヶ崎跡の本丸跡 月見櫓跡からの景色

この敦賀市内の海岸沿いの山の上に造られていた「金ヶ崎城跡」の、一番高い場所に造られていたという天守跡。天然の良港だった敦賀港がよく見渡せる景色となっていて、目の前に海が広がる光景は思わず見惚れてしまう。

 

 

 

金ヶ崎城跡にて

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 景色

この天守跡だった場所は、城が築かれた金ヶ崎山の最高点にあり、また一番奥の崖の手前に築かれていた、断崖絶壁の建物でもあったようだ。そんな場所はこのような柵が無ければ転落する人が続出するような、また高所恐怖症の人からすれば、近寄りたくない場所でもある。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 月見櫓跡の石碑

そんな天守の建物は「月見御殿」とも呼ばれていたようで、「月見御殿跡」と文字の入った石碑も置かれている。個人的にはこのような遺跡に存在していた建物の名称は1つに統一して欲しいと思うけど、昔の人は色んな呼び名で呼ぶのを好んでいたのかもしれない。

越善蟹男
越善蟹男

人間は同じ蟹でも、色んな蟹の名前を付けとるカニ!

 

敦賀市 金崎宮の奥 金ヶ崎跡の本丸跡から見える石炭積み下ろしポート

そんな天守跡の展望台となっている場所からは、広大な海だけではなく、下を見ればこのようにバラ積みのバルク船が停泊しているのが見える。そしてその脇にはそのバルク船に積まれて運ばれてきた、細かい物質が多く堆積しているのが見受けられる。

 

この港脇には北陸電力の「敦賀火力発電所」と、「敦賀セメント建材」が隣接している。敦賀火力発電所では主に石炭を原料として使っており、敦賀セメント建材ではセメントの原料となる石灰石のどちらかと見られる。ただ雰囲気としてはセメント会社用の石灰石に見えるが。

越善蟹男
越善蟹男

輸入しているエネルギー資源を有効活用するには、利用する施設が港の脇にあるのがベストカニ!

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡から見える駐車場

そしてこちらの足元に見える小さい駐車場は、「絹掛ノ崎」と呼ばれている、昔は小さな小島となっていた場所脇に造られている。昔からこの月見御殿から見えていた場所らしく、後醍醐天皇のもう1人の息子である恒良親王が落城して逃げる際に、この絹掛ノ崎にあった松の木に服を掛けて逃げたという伝説があるそうだ。

 

なお、その「絹掛(きぬかけ)の松」と呼ばれた松は既に枯れてしまっており、今では釣りスポットとして人気な場所なんだとか。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 記念撮影

この月見御殿跡なる展望台からは、脇に見えるバルク船や工場群などが無ければ”絶景”なるスポットとして自慢できそうだが、現代社会に欠かせない電力施設などが存在している為に、”見晴らしのいい、そこそこな景観”の場所となっている。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 皇太子の記念碑

この見晴らしの良い場所には、明治42年(1909年)に当時皇太子だった、後の大正天皇が敦賀を訪れた際にこの場所にもやって来て景色を眺めた事を記念する石碑が建立されている。

オカン
オカン

皇太子じゃなく、「〇〇皇太子」ってしないと誰か判らんデ!

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 降りていく階段

そして敦賀の若狭湾を見渡す景観を楽しんだ後は、断崖絶壁を下るか、それともこの階段を下るかしか選択肢がない。なので、仕方なしに階段を下って、下に降りていく事にした。

オカン
オカン

別に断崖絶壁から、飛んでくれてもエエんやで!

越善蟹男
越善蟹男

カニは断崖絶壁から飛んだら、確実にペシャンコになるカニ・・・

飛虎ヤン
飛虎ヤン

ボクなら飛べたのに!

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 降りていく階段2

桜の名所とあって、敦賀市内でも多くの人がやって来ていた金崎宮&金ヶ崎城跡。ただ、この金ヶ崎城跡の本丸までは行きたくなさそうな年配の人を数人見かけたけど、「ここまで来たから、仕方ないな・・・」という顔をして無理やり登っているような雰囲気だったが。。

 

 

尊良親王の墓所見込地にて

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓地跡

そして階段を降りていくと、登ってくる途中に脇に進む階段があったけど、その時は無視したがこの帰り道にちょっと寄り道してみる事にした。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓地跡 階段

ただ、ここもこのように昇りの階段となっていた事もあって、オカンは付いて来なくて

オカン
オカン

アンタだけ行ってき!

との声が背中越しに聞こえたのである。。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓地跡2

その昇りの階段を上がっていくと、このように下の方にちょっと広場のような場所があり、そこの真ん中に一本の木が植わっている光景が見えてくる。周りに木が植わっていない様子からみて、特別に植えられた一本の木のように思われる。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓地跡の階段

そして階段は更に右側の方に延びており、まだ上に登った先の方に何かありそうな雰囲気が漂っている。当然の如く、ここまでやって来て諦めて引き返す訳にはいかないので、まだまだ先に進んで行く。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓地跡の階段2

そして先に進んで行くと、奥の方に記念碑のようにも見える丸い柱が立っているのが見える。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓石

その柱のような石碑に近づいて行くと、「尊良親王:御陵墓見込地」と文字が彫られているのが見えてくる。

ここは南北朝時代にこの金ヶ崎城で足利氏の攻撃を受けて、後醍醐天皇子の第一子であった「尊良親王(たかよししんのう)が追い詰められて自害した場所と考えられている。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓石2

なお、尊良親王の墓自体は京都市左京区に指定されている事から、ここには自害した場所だった可能性が考えられている。

 

敦賀市 金ヶ崎跡の本丸跡 尊良親王の墓 説明

江戸時代末頃にこの地から墳墓のような古墳が見つかり、その中の石室からは遺物が色々と出土したという。しかし、その当時は話題にあがらずに、そのまま遺物と共に埋められたようだ。そして明治時代になってから、過去の歴史を調べて、尊良親王が亡くなった地として整備されて今に至るという。

越善蟹男
越善蟹男

発掘調査が行われていないから、「陵墓見込地」となっているカニ!

 

敦賀市 金ヶ崎跡本殿跡

そして下にあった一本の木がある場所は、明治26年に建立された金崎宮の本殿が建っていた場所だった。

 

敦賀市 金ヶ崎跡本殿跡の碑

しかし、その明治時代に造られた最初の本殿は、明治36年に近くの町内から出た火によって焼失してしまったそうだ。

その為にこの場所より下に、明治39年に本殿が再建され、今我々が見られる本殿となっているようだ。

 

敦賀市 金ヶ崎跡本殿跡の景色

そんな金崎宮の本殿跡だった為に、このように広場のように整備されて、一本の木が植えられていたようだ。

しかし、その明治時代の町並みまでは分からないけど、町内から火が出て、こんな窪みの地にあった本殿まで火が移るなんてあまり想像できないのであるが。。

越善蟹男
越善蟹男

火は生き物のように飛び移る悪魔だカニ!

 

 

敦賀市 金ヶ崎跡から降りていく階段

約200mに渡って続く「花換の小道」では、明治時代に『ねるとん紅鯨団』並みに”告白タイム”が行われていた場所だったのかもしれない。特に江戸時代までは、結婚相手を自分で選べずに親に決められていた時代だった事もあって、現代の告白とは比べ物にならない位に、緊張な一瞬だった事だろうが。。

 

【ねるとん紅鯨団 OP とんねるず】

朋ちゃん
朋ちゃん

”告白タイム”、懐かしいな~~!

 

敦賀市 金ヶ崎跡から降りて金崎宮の鳥居をくぐる

こちらは来る時にくぐった、金崎宮の大きな鳥居。裏側には「明治26年」という文字が見られ、左側には「初代 大和田荘七」という文字も見られる。このような神社も地元財政界の大物からの援助によって、色んな建造物が造られて支援されてきた証が見られる。

 

敦賀市 金崎宮の鳥居をおりていく

それにしてもたまたまこの時期に何も考えないで敦賀に来たけど、このような桜満開の名所を訪れる事が出来て、とてもラッキーであった・・・と思える光景である。

オカン
オカン

何がラッキーやねん、行きたい施設が3つも定休日やったクセに!(怒)

『何事も前向きに!』ですよ(笑)

 

敦賀市 金崎宮近くの愛宕神社の鳥居

そして階段を降りていく途中には、こちらの「愛宕神社」も建立されていた。愛宕神社というと、『愛宕大権現』が祀られている場所で、あの「愛」の文字が有名な前立ての兜を所有していた直江兼続も、この愛宕大権現から1文字をもらって取り付けていたとされている。

直江クン
直江クン

「愛」の兜が、現代ではすっかり有名になってしまったね・・・

 

敦賀市 金崎宮近く 花換え祭ののぼり

昔から行われていた、告白タイムでもあった『花換まつり』。現代のようにお節介焼きのような人が居なくなり、また人との付き合いが大きく減った世の中では、マッチングアプリで異性を探す若者が増えている。

 

しかし、そんな人との面と向かった出会いが減っている今だからこそ、『花換まつり』で「ねるとん紅鯨団」並みの”お見合い”を実施しても面白いかもしれない。若者が減っている敦賀でお見合いイベントを行い、カップルが成立したら、住居提供や子供が生まれた際の支援金が出るとか、色んなやり様があるようにも思えるが。。

朋ちゃん
朋ちゃん

その前に王子がやりなさいよ~!

 

敦賀市 金崎宮近くの桜

それにしても満開の桜ほど、元気強くて美しい植物は見られない。日本人が昔から愛してきた樹という事が、よく理解できる景色でもあった。

 

敦賀市 敦賀倉庫前に停まっていたトレーラー車

そして最終目的地の金ヶ崎城跡を訪れて、これ以上行く目的地が無かったので、敦賀市内で昼ご飯を食べてから、滋賀県の長浜付近に寄り道する計画に変更する事に。こちらはさっき通った”国の登録有形文化財”にもなっている敦賀倉庫で、その前に4トン車らしきトラックが、両ウイングを広げて荷物を降ろそうと準備している姿が見られた。

オカン
オカン

鷲みたいな恰好やな!

 

敦賀市 敦賀倉庫の景色

昭和8年(1933年)に建造された敦賀倉庫。鉄筋コンクリート造り(RC造)の建物なので、“法定耐用年数”(事務所用)は50年とと法律で定められている。

ただし、これは減価償却をする際の年数であり、実際に建物が使える年数はケースバイケースではあるが、大きな問題がない場合は60~100年近くは使えるとされているようだ。

 

敦賀市 相木魚問屋の建物

そして港が近い敦賀市だけに「美味しい海鮮丼を食べれるお店」を探して、周辺をウロウロと散策していく。すると、海鮮系を食べれるお店ではなく、鮮魚系を扱っている「相木魚問屋」という、如何にも港近くの卸売のお店が見えてくる。

 

なお、この福井県で有名なブランドとなっている『越前ガニ』は、蟹の種類を表しているのではなく、福井県の漁港で水揚げされた”雄のズワイガニ”の事を指すようだ。その為に、雌のズワイガニは「せいこがに」と呼ばれているが、メインは体の大きな雄となっている。

越善蟹男
越善蟹男

越前ガニは黄色いバンドをして、区別しているカニ!

 

 

敦賀市 うお吟の建物

そしてネットで調べて訪れた、美味しそうな海鮮丼が食べれるお店「うお吟」は、本日水曜日が定休日となっていて閉まっていたのである。。

オカン
オカン

ホンマ水曜日ばかりが休みって、アンタ呪われてるな・・・

 

越善蟹男
越善蟹男

敦賀市内では人気の海鮮丼屋だカニ!

 

敦賀市 海鮮みなと家の建物

そして他のお店を探しても、この水曜日が意外と定休日になっているのが多くて、そろそろオカンの堪忍袋が切れかけてきた。その為に、最初に見かけた、こちらの「海鮮みなと家」に入る事にしたのであった。

オカン
オカン

ワタシは腹減ると、大魔神に変身するデ!(怒)

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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