明治時代の趣ある中崎公会堂と、ひっそりと立つ子午線通過標【明石&加古川旅19】

明石&加古川旅(2023年)-19

訪問:2023年1月下旬(1泊2日)

子午線通過標だらけ?!

兵庫県明石市で明石市役所付近の堤防を散策してから、有名な「明石市立天文科学館」に向って歩いて行く事にした。

国道28号線を跨ぐように設置されていた歩道橋を進んでいると、その脇に松の木に隠れている歴史ありそうな建物が見えてくる。

 

 

「中崎公会堂」の見学!

歩道橋を進んでいると、このようにその歴史ありそうな建物が近くから眺める事ができ、通り道だったので少し建物を見物する事にした。

 

そして脇の道を通って反対側にあった建物入口に向かうと、「中崎公会堂」という明治44年(1911年)に建てられた明石市内でも最古級に古い建物だった。

 

 

この中崎公会堂が建築された1911年当時は、この裏側は海岸線となっていて浜と海が広がる景観だったという。

 

また建物が造られた明治時代末頃には国内では西洋風建築物が流行っていたが、奈良県技師を務めて東大寺などの修復等を担当した事がある建築家「加護谷 祐太郎(かごたに ゆうたろう)が日本古来の和風建築物として、設計した建物だという。

明石蛸一郎
明石蛸一郎

国の登録有形文化財にも指定されているタコ!

 

「明石市立中崎公会堂」として約110年の長い間に渡って明石市民の多目的ホールとして活躍してきた建物は、未だ現役で使われている施設でもある。

 

この「明石市立中崎公会堂」の内部見学は”無料”となっていたけど、玄関付近で「どうしようか、入ろうか??」と迷っていると、中から管理人らしきオジサンが手招きしてくれたので、ご厚意に甘んじて内部の見学を少しさせてもらう事にした。

 

建てられてから約110年が経過している建物で、明治44年に完成した落成記念では、何と文豪として知られる「夏目漱石」が訪れて講演を行ったという。

 

 

100年も前の建物なので建物の外窓枠に嵌められている窓ガラスは、現代のガラスのように平らではなく、ボコボコと湾曲して屈折しているように見える窓ガラスとなっていた。

 

なお、200人を収容できるという中崎公会堂の天井中央部分は、西洋建築で使われる「トラス構造」という屋根を支える技術が取り入れられており、その為に中崎公会堂内部の中央部には大きな柱が存在していないのであった。

 

中崎公会堂の建物も使用されていない時は見学可能であるが、わざわざこの建物を見に来る観光客は少ないようで、管理人のオジサンも暇つぶしとしてか、滅多に来ない観光客に色々と説明をしてくれたのであった。

 

明治時代末期に建てられた中崎公会堂も途中で改修工事が行われており、こちらには改修した際に新しく設置された「鬼瓦」のサンプルが展示されていた。

 

管理人のオジサンも暇すぎたからか、滅多に訪れない見学客に色々と説明してくれたけど、何故か普段このような建物に興味を示さないオカン目掛けて、色々と説明している姿が見られた。。

朋ちゃん
朋ちゃん

オカンのファンだったかもね~!(笑)

オカン
オカン

熱心に説明してくれるから、断れずに・・・

 

現代の鉄骨コンクリート建造物であれば広いホールなどは当たり前だけど、古い木造建築物ではどうしてもこのような広い場所には太い柱が必要になってくる。

しかし、この建物にはこのような天井部分に細工がされており、またこの凹んだ部分で音が反響する為に音楽の演奏などにも向いている施設だという。

 

施設内の照明も中は新しい電球が取り付けられているが、外観はレトロな雰囲気の照明となっていて、趣感じる建物となっていた。

 

そして建物の近くには、東郷平八郎が揮毫した筆跡が彫られた「忠魂碑」が設置されていた。

 

 

大日本中央標準時子午線通過地識標

そんな歴史ある建造物の見学を終えて北に延びる道を進んで行くと、このようにちょっと変わった外観の交番が見えてくる。

 

こちらの建物は交番で、その名前は「子午線交番」と珍しい名前になっている交番だった。

 

その交番脇にはこちらの「子午線通過標」が建てられており、この石碑は”日本標準時子午線”という概念が日本国民にあまり知られていなかった明治43年に、明石市の小学校の教員がお金を出し合って設置した物だという。

 

明治43年に設置されたこちらの石碑は『大日本中央標準時子午線通過地識標』と文字が彫られており、国内で京都府~兵庫県~和歌山県に設置されている子午線通過地識標の中でも、最も古い部類に入る識標だという。

オカン
オカン

ワタシより年上です~♪

 

そして道を歩いて行くと、覆いがされた物が見えてきた。

こちらは一見は判らないけど、実は中に「日本中央標準時:東経百三十五度:子午線通過標」という昭和8年に設置された標石が保存されていた。

 

今から約90年前の昭和8年(1933年)に鉄筋コンクリート造りで建てられた標識で、戦争中には金属供出により文字が刻まれたプレートが外されてしまい、現在は調査の為にこのように周囲が覆われているという。

 

この標石はモダンなデザインとなっていた為に、明石市でも知られる子午線通過標となっていたようで、今では『明石市指定文化財』にも指定されている。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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明石&加古川旅(2023)

2023年1月下旬に訪れた、1泊2日の兵庫県:明石&加古川旅です。

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