日本三大八幡宮とも称される、鎌倉の鶴岡八幡宮を訪れる【神奈川旅行記⑭】

神奈川旅行記2020年秋-⑭

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Visiting Tsurugaoka Hachimangu Shrine in Kamakura, one of the three most famous Hachimangu Shrines in Japan [Kanagawa Travelogue 14])

三大八幡宮の鶴岡八幡宮

神奈川県旅で訪れた鎌倉市で、奈良の大仏と共に一緒に観光する地としても有名な「鶴岡八幡宮」。日本国内には沢山ある八幡社の中でも、特に有名な神社として”三大八幡宮”にも数えられている場所でもある。

 

【鶴岡八幡宮】

住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
開門時間:6時~21時頃(※変動あり)
電話番号:0467-22-0315

 

 

 

鶴岡八幡宮を訪問!

鶴岡八幡宮前の参道に造られている三の鳥居をくぐると、目の前にやや古そうな石橋が見えてくる。この鶴岡八幡宮の入口付近には北条政子が掘らせたという言い伝えが残る「源平池」(左側が平家池、右側が源氏池)があり、そこにこちらの「太鼓橋」が架けられている。

 

この太鼓橋は元々は木造の橋だったが、この橋も鎌倉の街同様に関東大震災(1923年)で倒壊してしまい、今見られる石橋は1927年に再建された橋となっている。この太鼓橋も昔は通れたらしいけど、勾配30度を超えるという丸い石橋は滑って渡るのが困難だったようで、それもあってか今では通行禁止となっている。

 

昔は時の将軍などが鶴岡八幡宮に参拝した時は、この太鼓橋前で籠から降りて歩いて入る場所とされていた太鼓橋。だが、地震で倒壊した際に以前と同じ形を木造ではなく石造りで再建した為に、橋の上がとても滑りやすくなって、特に雨など降れば渡れない橋ともなっていたようだ。

 

そんな渡れない石橋の両脇にはそれぞれに新しい橋が架けられているので、問題なく鶴岡八幡宮の中へと進む事が出来るようにもなっている。ここは鎌倉観光スポットとしては欠かせない場所なので、多くの観光客や参拝客の姿を見かける事が出来た。

 

鶴岡八幡宮がこの場所に築かれたのは、源頼朝時代の1180年頃とされている。それから敷地が大きくなり、江戸時代に入ってからも江戸幕府から支援を受けた事もあって、発展していった。しかし明治時代を迎えて発令された廃仏毀釈によって、多くの仏像や仏堂などが破棄されてしまった歴史がある。

 


 

廃仏毀釈前の鶴岡八幡宮敷地内の図

廃仏毀釈前の鶴岡八幡宮敷地内の図–『明治維新と文明開化』より

明治時代を迎える以前は鶴岡八幡宮の境内にはこれだけの建物などが存在していたけど、黒四角で囲まれている仁王門など約半数の建造物が残念ながら廃仏毀釈によって取り壊されてしまったそうだ。

ブッダ君
ブッダ君

人間は造ってから壊すのが、好きな生き物みたいじゃ!

 


 

明治時代というのはまさに革命が起きた時代であり、今まで日本人の厚い信仰の源であった仏教に鋭いメスが入れられて解体されてしまった時代でもあった。しかし何とか仏教は生き残り、その多くは神社と融合して進化した形として現存する事になる。

鎌大仏君
鎌大仏君

宗教は解釈次第で、どうにでも姿を変えれるからね!

 

こちらの手水場はコロナ禍で使用が禁止されていて立ち寄れなかったけど、その手水場には沢山のザル菊のような花が浮かべられているのが見える。コロナ禍で使えなくなった手水場も、このように工夫をする事で参拝客を楽しませるポイントに変化させる事が出来るようだ。

 

さて鶴岡八幡宮の参拝とは言いながらも、信仰心がゼロの人間にとってはお祈りをしに来たのではなく、「これだけ多くの人が訪れる場所には何があるのか?」という好奇心だけしか正直なかった。このような神社ではどんな歴史的な建造物があるかと、神社を訪れる人達の人間観察がボクの楽しみなのである。

 

神社という存在は日本人には生まれた時から馴染みがあるので、特に珍しがることも、そこまで有難る事もないと思う。またここ鎌倉は観光地という場所でもあるので、若者達は着物などを着て古都でインスタ映え写真の撮影をする場所というような感覚でやって来ている子達もチラホラと見かける。

 

こちらは本宮前の石の階段手前に造られている「舞殿(下拝殿)」。こちらも例によって関東大震災(1923年)で建物が倒壊してしまい、その後に再建された物。また右側に見える、建物正面側の建物は21世紀に入ってから付け加えられた建物となっているようだ。

 

そしてその脇では、人々が嬉しそうに丸い輪っかのような穴を通り抜けている姿が見られる。こちらは「茅の輪潜り」とか「大祓(おおはらえ)と呼ばれる、日本神道の伝統的な儀式の名残。この茅の輪を潜り抜けるパターンというのが決められており、それを忠実に再現してくぐると、無病息災など汚れた体を浄化して、いい事が起きるようになるというおまじないの定番ともなっている。

これこそ、「ザ・宗教」って感じですね!

朋ちゃん
朋ちゃん

日本人なら誰もがする事よ!

 

 

国の重要文化財の「本宮」へ

更に奥へと進むと、鶴岡八幡宮名物という感じの石の階段が見えてくる。この鶴岡八幡宮では本宮だけこのように一段と高い場所に造られているが、その訳は他の建物で火災が生じても本宮まで一緒に炎上させない工夫だったとか。ただそんな高台に造られた本宮時代も実は何回も火災にあって焼失している歴史があり、高台に1軒だけ建物を造っても”燃える時は燃える”という事実は変わらなったようだが。。

鎌大仏君
鎌大仏君

木造建物は燃える運命が隣合せダからね・・・

 

なお、この左手にはつい最近まで樹齢が800~1000年と推定される大きなイチョウの木が生えていて、この鶴岡八幡宮名物ともなっていた。しかし2010年に発生した台風の影響で倒壊してしまったが、倒れた木を分割して近くに植えた所、新しい芽が出てきたのが確認されたという。また折れたイチョウの木の根元部分もそのまま残されており、その名残りを感じさせてくれているようだ。

 

石階段を登っていくと「八幡宮」という文字が入った扁額(へんがく)が見えてくる。鶴岡八幡宮の社殿は源頼朝が築いてから残っていたが、1526年に勃発した”鶴岡八幡宮の戦い”(北条氏と里見氏の戦)で、それらの社殿は殆ど焼失してしまったという。その後に荒廃していた鶴岡八幡宮を復興したのが北条氏綱で、更には江戸時代に入ってからも鶴岡八幡宮の増築が行われ、1828年に当時の江戸幕府将軍だった第11代:徳川家斉の時代に今見られる社殿などが改築された。

 

この拝殿の奥にある本宮などは江戸時代後半に造られた建物となっており、国の重要文化財にも指定されている歴史ある建物。首里城じゃないけど、このような赤漆塗の木造建物は燃えやすい運命でもあるので、燃える可能性が高くても綺麗な見た目の見栄えを人々が選んでいるというのは興味深いと思う。

 

ただ一般人は立ち入れない本宮は写真撮影が禁止されており、中にも入れないのでちょっと残念。仕方なしにその脇に造られていた「宝物殿(有料)に、せっかくなので寄り道する。しかし、この宝物殿も勿論写真撮影が禁止されているので、写真を撮る為に訪れているボクのような人間には残念な鶴岡八幡宮であった。。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

写真ではなく、脳裏に焼き付けるバイ!

朋ちゃん
朋ちゃん

でも時間が経ったら、その景色も忘れちゃうでしょ?!

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

忘れるのではなく、無駄な物が削ぎ落されていく感覚やけ!(笑)

 

 

北鎌倉方面を散策!

さて鎌倉の有名な大仏像を見たし、鶴岡八幡宮も一応見学したしという事で、今日の想定していた見学内容はほぼ予定通りに消化。そして今晩は久々に来た関東という事で、会社員時代に大変お世話になった得意先の担当者だった人に連絡を取ると、「今晩、相手しますよ!」と返事が返ってきた。個人的にはギリギリまで鎌倉の寺を見学しようかなと思っていたのだが、意外とその元得意先担当者の人が「早く仕事終わるから、早く来て!」という事だったので、寺の見学は明日にして今日は寺の近くをただ散策するだけにしたのである。

 

鶴岡八幡宮の見学を終えると16時を過ぎていた。寺の見学では16時という時間帯だと、もう既に門が閉まっている所も多い。夏場だったらまだ開いている所も多いかもしれないけど、秋口から冬にかけては門が閉まる時間が早くなっている所も多いので、この時間帯は寺の見学はあまり出来そうもなかった。。

 

鶴岡八幡宮から鎌倉駅の隣の駅である「北鎌倉駅」まで向かう道沿いにあったのが、こちらの「円応寺」で別名”閻魔寺”とも呼ばれている1250年頃に創建されたという歴史ある寺。国の重要文化財となっている閻魔大王の像が有名な寺らしいけど、11月は16時で閉まっていたので見学できず・・・。

 

 

この鎌倉には多くの寺院があり、円応寺の次にはまた違う大きな寺も見えてくる。こちらも1250年頃に建立されたという「建長寺(けんちょうじ)で、歴史ある境内は国の史跡に登録もされているようだ。ちなみに左側に見えている近代的な建物は「鎌倉学園(高校/中学)」となっている。

 

この石碑に彫られている”鎌倉五山”とは、この鎌倉にある5つの臨済宗であり禅宗の寺を差す言葉のようだ。具体的にはこの建長寺、先程入口前まで行った円覚寺、他に寿福寺・浄智寺・浄妙寺が今では”鎌倉五山”と称されているが、時代によって寺は入れ替わっていたそうな。

 

この建長寺は16時30分まで拝観可能となっていたけど、もう既に後20分位しか時間が残されておらず、そんな短時間に500円の拝観料を払って見学するには不十分だったので、こちらもパス。

 

 

鎌倉駅から北鎌倉駅へと繋がる神奈川県道21号沿いを歩いていると色んな寺があるけど、境内の景色が綺麗と人気の寺も多い。事前にネットで調べていたら、北鎌倉駅近くの寺が結構人気があったけど、さすがに今から拝観するには遅すぎるがどこにその寺があるか場所だけでも確認しておく事に。

 

こちらの道は「明月院」という、これまた”アジサイ寺”としても有名な寺だそうだ。寺の拝観料は大人500円となっているが、その境内には奥に庭園もあるが、その庭園へは別途入場料大人500円が必要となる。普通に考えれば寺の拝観料だけで合計1,000円にもなるのだが、それだけの値段設定をしているという事は、それだけ価値のある景色が待ち受けているという事だろう。

この明月院は岩合さんの『世界ネコ歩き』の撮影でも訪れた場所ですね!

 

個人的にはあまり寺には興味を惹かれないのだけど、古都だった鎌倉の雰囲気に身を浸すと、やっぱり歴史ある寺の散策をしないと鎌倉に来た意味が無いと感じてしまう気がした。今日はもう寺の見学には遅いし、元得意先担当者が品川で待ち受けているのでゆっくりする時間が無いので、明日早起きして朝一番でまた鎌倉に戻ってくる事に決めたのであった。。

鎌大仏君
鎌大仏君

再訪、お待ちしてま~~す!

 

ボクが寺で一番興味を持って見てしまうのが、このように住職が掲示板に張り出しているメッセージ。寺の住職は法事などで最後に説法(良い御話)をしてくれるのが印象的だけど、このようなメッセージを見ると生き急ぐように感じる現代人の生き方が本当に正しい物なのかと感じてしまう。

 

仕事をしている時には忙しくて余裕が無いのが当然だと思っていたけど、仕事を離れてしまうと、そんな多忙で仕事優先だった人生は自分が勝手に思い込んでいた選択肢の無い時間だった。しかし冷静に周りを観察すると、定期的に時間が移り行く世界は同じペースで動いていて、自分が籠の中のモルモットの如く、滑車内を何も考えずに延々走り続けていたのであった。しかし心に余裕を持つ事によって視野が広がり、今では知らぬ内に色んな事に興味が出てしまう人間となってしまった。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

確かに仕事を辞めると、世界観が変わるけ!

 

北鎌倉駅から横浜に帰還!

そんな風に歴史ある寺が立ち並ぶエリアを散策しながら進んで行くと、こちらの「北鎌倉駅」が見えてくる。今回の神奈川県旅で宿泊するホテルのある横浜駅はとても便利な立地で、この鎌倉からは電車一本で訪れる事が出来る。

 

そしてその横浜駅から、今晩会食する品川駅までも電車1本で移動できる。約1年振りに訪れた関東方面だけど、こうやって久々に来てみると、その電車などの公共交通機関の利便性の凄さを感じたのであった。

朋ちゃん
朋ちゃん

神奈川県は便利で、結構良い所よ!

 

 

そしてJR北鎌倉駅から横浜駅までは、電車に乗って約20分程で到着。神奈川県観光にはとても便利な場所である、横浜であった。

 

横浜駅に到着したのは17時頃で、11月下旬だったので駅に降り立った頃には既に暗くなっていた。会食に向かう前にとりあえず横浜駅近くの宿泊するホテルに一旦チェックインして、手荷物を置いてから会食に向かう事にする。

 

そんな交通の利便性がとても高い横浜駅から徒歩3分圏内にある、今回の旅で3連泊する「JR東日本ホテルメッツ」。個人的にはホテルは泊まれればいいと考えているので、雰囲気のいい旅館や温泉宿に泊まりたいという気持ちはあまりない。逆に駅の近くなど便利のいい場所にホテルがあって、かつ綺麗で新しく、またスタッフさんのサービスが良いホテルであれば満足である。

 

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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