三崎港から横須賀に移動し、戦艦三笠近くの猿島渡船乗船場に向かう【神奈川旅行記㊴】

神奈川旅行記2020年秋-㊴

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Move from Misaki Port to Yokosuka and head for the Sarushima ferry terminal near the Battleship Mikasa. [Kanagawa Travelogue 39])

日露戦争の英雄!

神奈川県三浦半島の南端にある、マグロの水揚げ量が多くて有名な三崎港。城ヶ島を散策してからこの三崎の町でマグロの刺身定食を味わった後は、三崎の町をもっと散策したかったのだがバスがやって来る時間が近づいていたので、大人しく散策は諦めてバスを待つ事にした。

 

 

三崎港から横須賀まで移動する!

こちらは三崎の港近くにある、京浜急行バス「三崎港」の乗り場。ここまで京浜急行もJRも電車は通っていないので、京浜急行バスしか公共交通機関はない。不便なようにも思うけど、まだ定期的に運行しているバスの路線があるだけでも幸せかもしれない。というのも地方では今までギリギリか、もしくは赤字で運営されてきた路線などもコロナ禍によって観光客の足が遠のいてしまった為に、今廃線の危機に立たされている路線が多い。

鎌大仏君
鎌大仏君

コロナ禍が続けば、住民の足となる路線が無くなってしまう・・・

 

そしてバス停で待つ事数分で、三崎口駅へ向かうバスが到着する。なお、ここを通るバスは何本かの路線があり、その全部が三崎口駅を通過する訳ではないので、事前にどのバスに乗ればいいかは念押しに確認しておいた方がいいとは思う。ただ三崎口駅行きにはそれなりの人が乗るので、周りの人の様子を見たり聞いたりしてみるのもいいかもしれない。

 

三崎港から京急の「三崎口駅」までは、バスで約15分程の距離。

 

この三浦半島の南端に位置する三崎から、最寄りの電車駅でもある「三崎口駅」までは昼の時間帯でもそれなりに乗車する人の姿が見られる。特に高齢化が著しい地方程にこういった公共交通機関が必要になってくるが、運営する側からすると利用客が減少しており、現実的には厳しいジレンマが発生しているのである。

 

しかしバスに乗ると快適に三崎口駅に到着する。こちらの看板には「三崎口駅」ではなく、「三崎マグロ駅」とも読める、遊び心が入った看板ともなっている。

 

なおこの三崎口駅からは上記サイトの「オープントップバス」という、屋根の無い観光客向け2階建バスが定期的に運行されており、城ヶ島までの間で普段の路線では巡らない観光客向けに魅せるルートを選んで走ってくれるようだ。料金は普通のバスに比べると割高ではあるが、京急のお得なチケット『みさきまぐろきっぷ』『三浦半島まるごときっぷ』のお土産券でも乗れるので、じっくりと三浦半島の魅力を楽しみたい人は是非乗るべきかと思う。

 

そして三崎口駅に到着すると、ちょうど横須賀方面に向かう電車が出発間際だったのでダッシュで飛び乗り、三崎口駅を後にする。三崎港でバスの時刻表はちゃんとチェックしていたけど、その後に直ぐに乗り継ぐ京急電鉄の時刻表はチェックしていなかった。

オカン
オカン

そういう詰めの甘さはアンタらしいな!(笑)

 

ただ個人的には全ての移動スケジュールを細かく決めてしまうと、柔軟性が無くなったりして遊ぶ余裕が消えてしまうので、適度なスケジュールの方が気楽で楽しいと思える。

鎌大仏君
鎌大仏君

典型的なO型の性格ダね!

 

今回はそこまで色々計画していた訳ではなく、”猫島”を目当てに三浦半島の南部に来た訳だけど、どこでも行ってみれば色んな勉強する物に出会うし、可愛い猫ちゃんにも出会えたので素晴らしい滞在が出来た三浦半島だったと思う。

朋ちゃん
朋ちゃん

三浦半島はいい所でしょ!

 

 

 

 

横須賀にて

そして三崎口駅から約25分程で「横須賀中央駅」に到着する。横須賀というとスカジャンの発祥の地でもある『ドブ板通り』などが有名だけど、横須賀のどの辺りにそのドブ板通りがあるかは詳しくは調べていなかった。まずは気になっていた「三笠」という日露戦争で活躍した戦艦が係留されている場所を目指すとする。

 

駅の近くにはこちらの「スカレー」という、海軍カレー横須賀の名前をかけて創り出された公式マスコットキャラの置物が見えた。この横須賀では江戸時代から海軍の要所となっており、戦争後には日本に駐留したアメリカ軍などの影響もあって、独特な雰囲気の街となっている。

 

この「海軍カレー」とは、旧日本海軍で当時頭を悩ませていた”脚気”というビタミン欠乏症を改善する為に、イギリス人医師:ウィリアム・ウィリスに従事した軍医:高木兼寛が海軍で導入した物だとされている。


 

鹿児島の黎明館近くに設置されていた、ウィリス医師とその弟子であった高木兼寛の銅像

鹿児島の黎明館近くに設置されていた、ウィリス医師とその弟子であった高木兼寛の銅像

ウィリス医師は幕末に来日し、日本の現代医学の発展に大きく貢献した人物とされている。晩年は薩摩藩に協力したが、明治政府に牙を向いた西南戦争によって立場が悪くなり、最終的には帰国を余儀なくされてしまう。

東郷どん
東郷どん

優秀なウィリス医師が日本に来てくれて、本当に感謝しとるばい!

 


 

 

横須賀は電車に乗れば約1時間ほどで都心に行ける事もあって、交通の便としてはいい場所だけど、ただ軍隊以外にあまり産業が整っていない為に税収が少ない街ともなっていて、財政難に苦しんでいるという。

 

とりあえずドブ板通りを探すのは後回しにして、戦艦:三笠がある波止場へと向かう事にする。駅前の景色だけ見ていると、このように建物だらけの景色しか見えないので、この近くに海があるとは一見感じられないような場所でもあった。

 

横須賀の新港埠頭にて

しかし横須賀中央駅から北東の方角へ約10分ほど歩いて行くと、奥に大きな船が見えてくる。横須賀にはまだ在日米軍の基地がある街だけど、今の所は外人さんの姿は見かけられなかった。

 

そして進んで行くと、こちらの「三笠公園」という、日露戦争で主役にもなった戦艦:三笠が今では”記念艦”として保存されている場所に辿り着く。 1902年に竣工された戦艦:三笠は日露戦争などで活躍した後に、1923年に除籍となってから”世界三大記念艦”の1つとして今に至るのである。

 

【記念艦:三笠/三笠公園】

住所:神奈川県横須賀市稲岡町82
営業時間:9時~17時頃(※定休日:年末)
電話番号:046-822-5225

 

 

そして三笠公園に足を踏み入れると、まず目に留まったのがこちらの見た事のあるようなプレートのオブジェ。愛媛県の今治城やしまなみ海道のルート途中にこのようなデザインチックなサイクルスタンドを見かけた事があるけど、こちらは海軍元帥まで上り詰めた東郷平八郎をモデルにした物なので、ここに自転車を引っ掛けるというのも恐れ多いように思えるが。。

 

こちらの『東郷平八郎サイクルスタンド』は、富山県にある銅像やブロンズ像などを手掛ける会社:株式会社竹中銅器が製作した物のようだ。

 

そのホームページを見ると、愛媛県今治市にある今治城の中心に置かれていた、中村晋也さんが設計した藤堂高虎の像も(株)竹中銅器が製作しているようで、しまなみ海道などに設置されていたデザインチックなサイクルスタンドも、恐らくこの(株)竹中銅器が製作した物と推測される。

 

 

ここにやって来る人の大半は、目の前に見える巨大な戦艦:三笠や、その手前に設置されている東郷平八郎元帥の像などに注目が行くのだろうが、ボクはしまなみ海道などで見かけたデザイン・サイクルスタンドが(株)竹中銅器という会社で製作された物で、その同じ会社がこの東郷平八郎デザインのサイクルスタンドも造っていた事を知れて感慨深かったのである。

 

さてサイクルスタンドはさておき、まずは戦艦:三笠をバックにして立つ、東郷平八郎元帥像の写真をちゃんと撮る事にする。東郷平八郎というとこの三笠と一心一体のようなイメージが強いけど、戦艦:三笠は日清戦争後にイギリスに発注して造られた戦艦なので、ず~~っと一緒に戦ったという訳でもないのである。


戦艦:三笠で指揮を執る、東郷平八郎元帥の絵

戦艦:三笠で指揮を執る、東郷平八郎元帥の絵『三笠艦橋の図』(wikiより引用)

こちらは有名な日露戦争での日本海海戦時の、戦艦:三笠艦橋上に立つ東郷平八郎などの姿が描かれた、『三笠艦橋の図』という画家:東城鉦太郎の作品である。ちなみに今現存しているこの絵は関東大震災(1923年)で焼失してしまった為に、その後に描き直された絵だそうだ。


 

この軍神とも崇められた東郷平八郎元帥が生まれ育ったのは、当時は薩摩藩だった鹿児島である。江戸末期にいち早く海軍を導入した薩摩藩では、その後の明治時代に海軍で活躍する偉人を多く生み出している。

東郷どん
東郷どん

将来に目を向けていた島津斉彬公のおかげバイ!

 

日の本乃

海にととろく

かちときは

御陵威かしこむ

聲とこそしれ

by 東郷平八郎(日本海海戦後言志)

こちらの内容は「日本の海に轟く勝どきは、天皇陛下のお耳にも届く!」という意味らしい。

東郷平八郎が活躍した時代は江戸時代ではなく明治時代だったので、それ以前の薩摩藩や江戸幕府は消え去り、天皇主体の国となっていた事が分かる言葉ともなっている。

 

この戦艦:三笠は1902年にイギリスから日本海軍に引き渡されて、約2ヶ月かけてスエズ運河経由で日本に到着する。ただこの三笠は活躍したのは日露戦争だけで、1922年に締結された”ワシントン軍縮条約”により廃艦となってしまう。だから日露戦争で有名な三笠だけど、大きな手柄が日露戦争しか無かったとも言えるのかもしれない。

 

 

三笠ターミナル/猿島ビジターセンターにて

こちらは2020年7月に新しくオープンした「三笠ターミナル/猿島ビジターセンター」で、近くにある無人島の「猿島」へのフェリーのチケット売り場でもある。この時は猿島よりも戦艦:三笠の見学に少し惹かれていたのだが、中に入って猿島に行った方がいいのかを聞いてみる事にした。

 

【三笠ターミナル/猿島ビジターセンター】

住所:神奈川県横須賀市小川町27-16
営業時間:9時~16時30分頃
(※猿島観光なら遅くとも14時30分までに乗る必要あり)
電話番号:046-825-7144
料金:大人(往復船代)1400円&猿島公園入園料200円

 

 

とりあえず三笠ターミナルに入って、猿島行きのフェリーがまだあるかを聞いてみる。するとあと15分後の14時30分に猿島に向けて、出発するフェリーの便があるそうだ。

なお、猿島行きの最終便は15時30分にもあるけど、こちら側に帰って来る最終便が16時に猿島を出てしまうので、最終便で行ったとしても殆ど猿島を見学できずに帰らざるを得ない。猿島で最終便を逃すと、チャーター便を呼んで帰るしかない。
※横須賀港と猿島までのフェリー乗船時間は15分程。

だから猿島に行くには、遅くとも14時30分発の便には乗りたい所。そういう意味ではギリギリいいタイミングで、ここに到着した訳だ。

 

なお三笠ターミナルの受付のお姉さんに「戦艦:三笠の中を見学するか? 猿島を見学するか?どっちが楽しめますか??」と聞いてみた所、「それは人それぞれに違うと思いますので、答えられません!」とハッキリ返されてしまった。。

こういう答え方をする人は好きじゃないです・・・

オカン
オカン

それが普通の人の答えや!

 

それと三笠ターミナルにはこちらの『猿島ビール』というクラフトビールも販売されていたが、こちらのビールは横須賀市内で製造されたビールで、猿島で造られたビールではないので注意である。

 

という事で少々迷ったものの、せっかくタイミングが合ったので猿島に行ってみる事にした。猿島までは往復のフェリー代金が1,400円(大人)で、そこに猿島公園入場料としてプラス200円となる。

 

それに加えて【猿島 探検ツアー】(別途500円)も、せっかくなのでついでに申し込んでみた。何も猿島の事を知らないので、知っている人に教えてもらった方がより深みのある見学になる事だろう。。

 

ここからは「戦艦:三笠」改め、「記念艦:三笠」の正面顔が見えている。ちなみに戦艦:三笠は日露戦争で活躍したが、戦争をしていない時期に沈んでしまう事もあったそうだ。というのも艦内に積み込んでいた爆薬が誤爆して、それで死者300人以上も出る事故も記録されている。昔は爆弾の精度にも問題があった為に、敵に砲撃されるよりも自軍内の爆薬が誤爆する方が恐ろしかったのかもしれない。

 

この建物は2020年7月にオープンしたばかりで、この訪問時はそれから約4ヶ月しか経っていなかったので、とても新しく感じた。ただ次の14時30分のフェリー出発までは残り僅かなので、あまりゆっくりする時間はなかったが。。

 

この奥に見えている小さな島が今から向かおうとしている猿島だが、実はこの神奈川県に来るまで全くその名を聞いた事もなく、存在さえも知らなかった島。だから何があるのか全然分からず、ただフェリー出航の時間がタイミング良く合っただけで行く事に決めたのである。

朋ちゃん
朋ちゃん

やっぱり適当なO型の性格だね~!

 

しかし猿島に行くフェリーがあって、その案内所でもあるこの三笠ターミナルをわざわざ新設して建てる位なので、「観光客が猿島に行くのには、それなりの価値がある!」・・・という事だろうと推測してみた。

果たして猿島には、行く価値があったでしょうか?!

鎌大仏君
鎌大仏君

答えは次回のブログを見てね!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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