神奈川旅行記2020年秋-57
旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Impressive Silk Road paintings by Yoshiyuki Koma that I saw at the Yokohama Eurasian Culture Museum [Kanagawa Travelogue 57)
行ってみたいシルクロード!
ここは横浜市内にある「横浜ユーラシア文化館」(同じ建物内に横浜都市発展記念館も入館)で、引き続き横浜にゆかりのある品々を鑑賞していきます。ちなみにこの訪問時は小間嘉幸氏の絵画展『杏咲く頃―絵筆と歩いたシルクロード』(©Koma Noriko)が行われていたので、じっくりと鑑賞していく事にしたのである。
住所:神奈川県横浜市中区日本大通12
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:月曜/他)
電話番号:045-663-2424
入館料:各 大人200円/小中学生100円
小間嘉幸氏の『杏咲く頃―絵筆と歩いたシルクロード』
こちらの絵はトルコのカッパドキアにある、大きな岩山を人間が住処にしていた「ユルギュップの穴居」という場所を描いている。ここは2019年7月にトルコを旅した時に訪れていた場所で、昔はこの岩山の上で鳩を飼っていたので鳩の糞で臭かった場所らしいが。。
こちらのスケッチブックに描かれているのは、トルコ北部にある「ネムルト山(Nemrut Dağı)」で約2000年前に存在していたコンマゲネ王国の国王が造らせた大きな墳墓跡に飾られていた神像などの頭部の数々。この遺跡は19世紀後半にオスマン帝国軍がたまたまこの場所を行軍した際に見つけた物らしく、約1800年間に渡って人々に発見されなかったという場所でもあった。
こちらはイランの世界遺産となっている『ペルセポリス』という、紀元前に栄えたアケメネス朝ペルシア帝国の都の遺跡。そのペルセポリスの都市にアケメネス朝の王様であったダレイオス1世の息子、クセルクセス1世が建造した「クセルクセスの門」を描いている。このクセルクセスの門は”万国の門”とも呼ばれる、高さ約10mもあった門。
こちらは「バーミヤン石仏」というアフガニスタンで『バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群』として世界遺産に登録されていた、6世紀頃に仏僧が岩山を掘って建造したとされている大きな仏像があった場所。
しかしそんな大きな仏像があった歴史的な場所は、20世紀後半に起きたアフガン紛争の影響を受けて荒廃していき、2001年には地域を支配していたイスラム原理主義のタリバンが、イスラム教では禁止とされている偶像崇拝に当たるとしてこの仏像を破壊してしまった。
仏像が破壊されるのを見るのは、苦しい事じゃ・・・
このスケッチなどはまだ大きなバーミヤンの大仏像が現存している頃に描かれているものだが、今は残念ながら大仏像が無くなった後の石櫃の穴だけしか残されていない。その大きな仏像が破壊された後に日本などから危機に瀕する文化財を守るための資金が寄せられたが、2021年にはアメリカ軍が撤退したアフガニスタンで再びタリバンが政権を握った為に、復興作業は再び頓挫しているようだ。
こちらはシリアにある『パルミラ(Palmyra)』という、古代ローマ帝国に支配されていた時代の都市跡である。このパルミラの都市はペトラのナバテア王国がローマ帝国によって滅ぼされた後にシルクロードの通商権がここに移った為に、その後はシルクロード貿易で栄えた都市。
しかしそんな都市もローマ帝国の衰退と共に荒廃していった。そして20世紀に入ってシリアも「ISIL」というイスラム過激派がパルミラの市街地を支配し、このローマ帝国時代の遺跡も一部が破壊されてしまって、今では”危機遺産”の一部としてリストに載っている。
こちらは「アレッポ城」という、シリア北部にある都市アレッポ旧市街地の中に現存している要塞跡である。なお、このアレッポ城は紀元前3000年頃からこの丘が使用されていた歴史があり、”世界で最古かつ最大の城”の1つとされている。このアレッポ城は『古代都市アレッポ』の一部として世界遺産にも登録されているが、ここも残念ながらシリア内戦の被害を受けて、またイスラム過激派が盗掘などを行い荒廃してしまっている。
こちらはシリア北部にある「アイン・ダーラ遺跡」で、紀元前10世紀頃に造られた神殿跡。この遺跡では多くのライオン像などが見つかっているが、2018年1月にトルコ空軍がシリア国内のクルド人民兵組織を空爆した際に、この遺跡も破壊されてしまっている。
人間は本当に壊すのが好きな生き物でもあるね・・・
このアイン・ダーラ遺跡はヒッタイトが鉄器を生み出した時代に造られた神殿跡で、ここも日本が資金援助などに協力して遺跡の補修作業などを行っていた。しかし、2018年にトルコ軍の空爆によって被害を受けてしまい、それらの歴史的な遺構跡よりも、現代人の領土争いの巻き添えになってしまった。
このようにシリアやアフガニスタンなどの国では歴史的な遺構跡も、宗教上の問題や周辺の対抗勢力との争いで荒廃してしまっている所が多い。それら歴史的な遺構跡を保存する為にユネスコの世界遺産に登録された所で、人間の生まれ持った争う本能の前には、昔の遺跡など取るに足らない物にしか思えないのであろう。
しかしこれらの絵を描いた小間 嘉幸さんは、それらの遺跡が壊される前に訪れて、まだ現存している景色を見れたのは幸せな事であろう。ボクはまだこのシリアやイランなどには行けていないけど、世界中にはキチンと保存されている遺構跡ばかりではなく、このように破壊されてしまう遺構跡も意外と多い。なので行ける時にこういった遺跡を訪れないと、そのうちに破壊されて見れなくなってしまうという事も起きるのである。
これまで世界を旅して訪れた所は基本的に安全な地区ばかりだったけど、このように中東などでは未だに色んな争いが起きていて、多くの戦いが行われている。そしてそんな争いが起きている場所では遺構跡の保存作業などはどうしても後回しにされてしまうので、なるべく早く平和な土地になってこういった歴史的な遺構跡が適切に保存される時代になって欲しいと切に思うのである。
「横浜都市発展記念館」の見学!
そして『杏咲く頃―絵筆と歩いたシルクロード展』の素晴らしい絵画の鑑賞を終えて、下の階に向かうとこちらの「横浜都市発展記念館」が待ち受けている。
ただこの横浜都市発展記念館もこのように、「展示室内は撮影禁止となっております!」との札が置かれており、何ともガッカリな瞬間でもあった。日本の博物館や美術館では写真撮影が禁止されている所が多いのが何とも残念なポイントでもあるが、それらは理由があってそうなっているのでそのルールに従う他ないのである。。
横浜ユーラシア文化館にて
そして更に下の階に降りると、そこには「横浜ユーラシア文化館」の入り口が見えてくる。さっき上で観たシルクロードの絵が展示されていた階は、横浜ユーラシア文化館の企画展示室だったので、このフロアが横浜ユーラシア文化館の資料などが収められているようだ。
そしてこの横浜ユーラシア文化館が素晴らしかったポイントは、同じ建物に入っている横浜都市発展記念館とは違って、館内の写真撮影が可能だった所である。
ボクにとっては写真撮れる所が素晴らしい所です!
横浜というと西欧文化が入ってきた場所という印象が強いけど、勿論西欧文化だけではなくて、ユーラシア大陸の文化なども大きく入って来ている。しかし、ユーラシア文化よりも西欧諸国に憧れを抱く日本人が、西欧文化を強く崇拝している事もあって、このようなユーラシア文化にはあまりスポットライトが当たっていないのだろう。
ユーラシア大陸の中でも中東のイランやシリアという国では、未だに内戦や周辺国と争いが置き続けているので、政情が安定せずに治安もあまり良くない印象がある。でもその国々が築いてきた文化はしっかりと残されており、こちらは12~13世紀にイランで造られた「藍釉押型人物騎馬文水差」という壺が置かれている。
こちらに飾られていたのは『ラスター彩(Lusterware)』という、9~14世紀に造られていたイスラム陶器の一種。この「ラスター」という言葉には”落ち着いた輝き”という意味があるらしく、その技法で多くの焼き物が造られていた。
こちらは「塑造頭部」という、2世紀頃にアフガニスタン周辺で造られたとされている像の一部。アフガニスタンというと映画『ランボー3:怒りのアフガン』を思い出してしまうけど、冷戦下のアメリカとロシアの代理として戦場に変えられてしまった悲しい場所でもあった。
こちらは千手観音みたいに見える物は、「ヒンズー教神像拓本」という14世紀頃のもの。ヒンズー教で三位一体の神の1人とされているのが『ヴィシュヌ』で、そのヴィシュヌの化身を表した装飾になっているようだ。
インド付近ではヒンズー教が根強いよね!
こちらの小さなお祈りをしているかのように手を合わせている像は、「男女祈念者像」という紀元前第3千年紀頃のイラクにあったシュメール人都市の遺跡跡で発見された物のようだ。
こちらは紀元前5~3世紀頃にシリア地方で作られたとみられる、「ガラス製香油瓶」で高さは20センチほどの大きさとなっている。現代でも香水は女性には人気の品であるが、昔は今よりも貴重な物となっていた。
このようなガラス容器が開発されたのは、紀元前第2千年紀のシリアやエジプト周辺だと考えられている。日本国内では江戸の終わり頃まではガラス容器の製造は殆ど行われていなかったが、世界的にはそんな昔から開発されていたという事実に驚くのであった。。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓神奈川旅行記:初回↓↓