神奈川県立歴史博物館で学ぶ⑤:今となってはレトロな時代にも思えた戦前の日本【神奈川旅行記55】

神奈川旅行記2020年秋-55

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Learning at the Kanagawa Prefectural Museum of History (5): Pre-war Japan that seems like a retro era nowadays [Kanagawa Travelogue 55)

昭和時代の三種の神器!

ここは横浜市内にある「神奈川県立歴史博物館」で、幕末以降に日本近代化の中心地となってきた横浜の歴史が学べる素晴らしい場所。若い頃には歴史などには全然興味がなかったけど、色んな場所を旅すれば旅する程に訪れた現地の歴史を知ると、楽しくなってくる頃合い。

 

 

 

神奈川県立歴史博物館の見学!

横浜の街は文明開化の足音と共に、明治時代以降に急激に発展していく。しかし1923年に発生した関東大震災で壊滅的に街は破壊されてしまうが、外国からの支援もあって着々と復興していく。そして日本は第二次世界大戦へと参戦していき、ここ横浜の街は戦争末期の1945年5月29日に『横浜大空襲』で再び壊滅的に破壊されてしまうのである。

 

横浜の街を狙った横浜大空襲では、死者が約1万人程も出た大惨事となる。この頃になると日本軍も劣勢となっており、日本国土を守る空軍部隊も弱体化し、この横浜大空襲も昼間にアメリカ軍約600機を超える爆撃機が来襲した事からも、その日本が追い詰められていた当時の情勢が理解できる。

 

日本は日清戦争や日露戦争では本土が被害を受けなかったのでその後の戦争へと弾みを付けていくが、第二次世界大戦では本土の至る場所がアメリカ軍に爆撃された為により窮地に立たされてしまった。そして最終決戦の地として沖縄が選ばれ、破滅への道の最終地点へと向かっていくのである。

 

こちらには映画『スターウォーズ』の中に出てくる「R2-D2」のロボットのような外見をしている。これは昭和13年(1938年)に芝浦製作所という現在の東芝の前身とされている会社が製造した、国産第1号の後継機になる『SS-1900』という冷蔵庫である。

 

日本の冷蔵庫は大正時代の終わり頃にアメリカのGE社(ゼネラル・エレクトリック)が開発し、それが日本に輸入されて使われていた。そのアメリカ産の冷蔵庫を参考にして芝浦製作所が、国産冷蔵庫の開発を開始する。そして1930年に国産第1号の冷蔵庫となる『SS-1200』が開発に成功し、1933年から発売開始となる。

 

その初代国産冷蔵庫の後継機としてこちらの『SS-1900』が1938年に発売されたが、当時の日本国内で冷蔵庫があった世帯は約1万を超える位で、世間的には1,000軒につき1軒ほどしか冷蔵庫が無かった時代。今のように全家庭に冷蔵庫が完備されているなんて、当時からすれば想像にも付かなかった時代であった。

 

こちらは1962年に東芝が発売した冷蔵庫『GR-120TS』で、冷蔵庫を開くとドアポケットや冷凍庫などを兼ね備えていて、現在使われる冷蔵庫の形にだいぶ近づいてきているモデルともなっている。1950年代には”三種の神器”とされた冷蔵庫だが、この冷蔵庫『GR-120TS』が発売された頃は国内の約30%の家庭に冷蔵庫が備えられるまでになっていたようだ。

 

 

こちらは冷蔵庫と共に”三種の神器”とされていた白黒テレビである。今の若い世代には考えられない事だが、画面はカラーではなくて白黒のモノラルで、リモコンのような洒落た物はなく、チャンネルはテレビの下部に取り付けられているツマミを回して代えていた。なおよく聞く話ではチャンネルを代えさせない為に、このツマミを取って隠したりなどして、それで喧嘩の原因にもなっていたとか。

 

こちらは日本が敗戦した終戦直後の1945年(昭和20年)8月23日に発行された朝日新聞が置かれている。ペリー提督が来航して長年鎖国していた日本と国交を開いてから約90年後に、再び大きく日本に変革が起きた1945年。

 

こちらは昭和30年代の各家庭に普及していた風邪薬の紙袋。こちらに置かれている商品は1956年に奈良県御所市で設立された「大同薬品工業株式会社」の風邪薬で、ダイドードリンコ株式会社はこの大同薬品工業の飲料部門から分離独立した会社でもある。

 

 

旧:横浜正金銀行について

こちらの模型は今、この神奈川県立歴史博物館の建物となっている「旧:横浜正金銀行本店」。この横浜正金銀行は急速に海外との貿易が増えた明治時代に、外国為替などの海外との貿易システムが不確立だった日本の増強の為に”貿易金融・外国為替に特化した銀行”として、明治12年(1879年)に設立される。

 

そしてこの歴史博物館にもなっている建物は、明治37年(1904年)にレンガ造りの建物として建造された。そして横浜や鎌倉の街が大惨事となった関東大震災(1923年)では被災したものの、建物自体は倒壊する事なく何とか耐え延びる。

 

この横浜正金銀行は明治時代の日本の発展に不可欠な銀行だったので、福澤諭吉や大隈重信などの後押しもあって、国内や世界中に支店が造られていく。幕末に開国した日本であるが、それまで約250年間に渡って諸外国勢との貿易をしてこなかった為に、為替システムなどが構築されていなかったという弱点が露わになった。

 

しかし日本の発展の為に設立された横浜正金銀行は、こちらの世界地図にもあるようにイギリスやアジア地方やアメリカなどにもドンドン進出していく。しかし第二次世界大戦で敗北した日本に乗り込んできたアメリカ軍によって、横浜正金銀行は解体されてしまう。そして東京銀行にその役目が移されて、東京銀行はその後に統合などで現在の「三菱UFJ銀行」になっている。

 

という事でじっくりと見学してきた神奈川県立歴史博物館の館内も、これで一応終了となる。このような色んな歴史的な資料が収められている歴史博物館も、その建物自体が明治以降の日本を支えた歴史的な銀行跡地だった。だから横浜の歴史などと共にその歴史的な銀行の建物も味わえる博物館であった。

鎌大仏君
鎌大仏君

入館料の元、採れたね!

 

神奈川県立歴史博物館の見学を終えて、館内入口付近で販売されていたお土産コーナーも見学する事にする。今回の旅ではあまりお土産を買うつもりはなかったけど、どんなお土産が置かれているかを見る事はとても大事な事である。

 

ヨコハマカレーなる物があったり、ヨコハマドロップやヨコハマキャラメルなどもあったりと、なんでも「ヨコハマ」という名前を付けているだけにしか思えないようなお土産だらけ。しかし幕末頃から日本に入ってきた外国人が持ち込んできた、これらのお菓子は当時とすればとても貴重で人気だったお菓子である。

 

そんな中でもやっぱりパッケージのデザインに惹き付けられてしまうボクが着目したのは、こちらの「横濱カレー:ペルリパッケージ」だった。横浜のカレーとペリー提督のコラボほど、横浜を印象付ける物はなかなか見当たらない。名実ともに日本を開国に導いたペリー提督には、日本は感謝しきれない恩人でもあろう。もしこの時に日本が開国していなければ、更に世界から取り残された国のままになっていた事であろう。。

 

こちらには先端が赤い靴下も販売されている。こちらの『赤い靴下』とは大正11年(1922年)に野口雨情:作詞/本居長世:作曲で発表された童謡で、その童謡で歌われる結核だった女の子が履いていたのが赤い靴下だったようだ。

 

 

【赤い靴/日本の歌】 動画

 

 

その『赤い靴下』の話に便乗した商品のようだが、1セット990円(税込み)という中々なお値段設定になっている。またそれ以外にもチョコレートやストラップやメモ帳など、『赤い靴下』ロゴを入れた色んな商品が販売されているのが見える。

 

 

 

そして神奈川県立歴史博物館の見学を終えて、近くの街並みを散策しているとこちらの『財布をくわえた犬(どうしようかな?)』というタイトルが彫られた彫刻作品が見えてくる。この彫刻作品は故:藤原吉志子さんの1996年に設置された作品のようで、がま口財布を口に咥えたワンちゃんらしき像になっている。

 

今日は神奈川県旅最終日という事もあって、この横浜でも居留地となっていた場所付近に残されている歴史的な建造物の見学を考えていた。それで明治時代以降に金融の中心だった旧:横浜正金銀行のあった神奈川県立歴史博物館のあとは、近くにある「日本郵船歴史博物館」の方へ進んでみた。

 

この建物は横浜郵船ビルとして1936年にギリシャ風の建築物として建てられて、今は「日本郵船歴史博物館」として一般開放されている。ただこの施設は当然ながら入場料金が必要で、大人400円という事だったので、この時はそこまで日本郵船に興味が無かったのでパスしてしまった。

 

ちなみにこの辺りは”海岸通り地区”として、この横浜郵船ビルはホテルとしても使われるようになり、隣に隣接する横濱ビルは取り壊されて2027年頃に高さ100mを超える高層ビルディングに生まれ変わる予定になっているという。なお、当初の計画案では横浜郵船ビルも取壊しの予定だったが、その後に解体は白紙となってそのままホテルに使われる予定になったようだ。

鎌大仏君
鎌大仏君

横浜もこれからも変わり続ける街ダよ!

 

そしてその建物の東側にあった大きな建物は「神奈川県警察本部」で、1991年に建てられた地上20階地下3階の高さ90mを超える建物。 さすがに首都圏の県警本部はデカいというのが印象的だった。しかし神奈川県警察本部には歴史博物館や資料館のような部屋も無さそうだったので、ここもパス。

 

そしてそのまま進むと、その神奈川県警察本部の横にある「横浜税関」の建物が見えてくる。この横浜税関にも資料館が設置されており、ここの資料館は入場が無料だったので最初から狙っていたのである。

鎌大仏君
鎌大仏君

人間ほど「無料」という言葉に弱い生き物はいないね!

 

無料の資料館に向けていざ進もうとすると、その入口付近に「新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う臨時休館」という、何とも残念なお知らせの貼り紙が目に入ってきた・・。この横浜税関の資料は下記HPからでも見られるようなので、それもあってか休館していたのかもしれない。

 

 

なかなか税関の資料館なんて入る機会がないだけに楽しみにしていたのに、新型コロナウイルスの影響で閉まっている博物館や資料館があったのも2020年のいい思い出として割り切る事に。。

無料なだけに入りたかったですが・・・・

 

今の横浜税関の建物は関東大震災(1923年) でそれまでの建物が倒壊した為に、1934年に再建された物となっている。またこの建物も洋風建築で取り付けられたドームが『クイーンの塔』という愛称が付けられて、横浜の街でも人気の建物となっている。

 

横浜税関の無料の資料館が閉まっていたという事で少々ガックリしたが、気を取り直して次の資料館へと向かう事にする。ただこの付近には近くに資料館などの施設が集まっている為に、殆ど歩く事なく次の目的地に考えていた「横浜開港資料館」の建物が見えてくる。

 

その建物に向かう手前の通りは「日本大通」という、明治3年(1870年)にこの奥にある横浜公園とこの後ろ側にある象の鼻波止場を結ぶ通りとして造られた。この日本大通は道の脇に街路樹が植えられて”日本初の西洋式街路”ともなっていた通りで、ちなみにこの奥を進んで行くと横浜ベイスターズの本拠地である横浜スタジアムがある場所。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓神奈川旅行記:初回↓↓

プライベートで訪れる神奈川県は見所満載の地【神奈川旅行記①】
2020年11月下旬に訪れた神奈川県の旅。紅葉が赤くなりつつある頃に訪れた神奈川県で、まずは最初に観光客に大人気の江の島へと向かいます。
タイトルとURLをコピーしました