横浜イチ高い展望台から、その足元に残る「第2号ドック」まで急降下?!【神奈川旅行記㉕】

神奈川旅行記2020年秋-㉕

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(From the highest observatory in Yokohama to the No.2 dog at the foot of the observatory?! [Kanagawa Travelogue 25])

歴史的なドックの変わり身

ここは近代化が激しい横浜の街の中でも、最も高い高層ビルディングの「横浜ランドマークタワー」69階の地上273mに造られている展望台:スカイガーデンである。

 

【横浜ランドマークタワー】

住所:神奈川県横浜市西区みなとみらい2-2-1
営業時間:10時~21時頃(※展望フロア)
電話番号:045-222-5030(※スカイガーデン事務局)
展望台入場料:大人1000円/高校生&65歳以上800円/小中学生500円

 

 

 

横浜ランドマークタワーの展望台にて

神奈川県では最も高い建造物の横浜ランドマークタワーだけあって、ここから見える建造物の全ては完全に見下ろす事ができる。ちなみにこの横浜ランドマークタワーの高さは296.33mとキリのいい300mに僅か届かないけど、構想当初は300mを想定して設計していたそうだ。

 

しかし300mの高さにすると近くにある羽田空港の「標準出発経路」という、飛行機が離陸した後に障害物に当たらず安全に飛べるルートに抵触してしまう可能性があった為に、仕方なしに296.33mという中途半端な高さのビルになってしまったそうだ。

 

高さ300mを越す建物は「超高層建築物(スーパートール)」という部類に入るらしいが、その称号は大阪に後に建てられるあべのハルカスに泣く泣く譲り渡す事になったのである。ちなみにあべのハルカスは当初高さ270m程の建造物を建てる計画だったが、航空法の改正によってその高さ制限(約295m)が撤廃された為に、キリのいい高さ300mの高さに変更したという。

もしランドマークタワーが高さ300mで造られていたら、ハルカスはもっと高くなってたかもね!

 

この1980年代に再開発されたみなとみらい地区を上から眺めていると、昔流行った都市育成SLGゲーム『シムシティ』を連想してしまう。このみなとみらい地区がこれだけ高層ビルディング群が綺麗に立ち並んでいるのも、昔から人が住んでいる土地ではなくて、港だった場所で再開発しやすかった事も関係しているのだろう。

 

この展望台には勿論お土産コーナーも設置されていたけど、全然観光客が居なかったので、当然の如くこのように閑古鳥がカ~~カ~~と鳴いている状態だった。新型コロナウイルスという全世界を巻き込んだ感染症により、特に観光業は大きく情勢が変化し、お客が全然来ないという深刻な事態になってしまった。

 

それを見かねて政府は一部費用を負担する”GO TO キャンペーン”を開始したのであるが、何波も続けて襲ってくるコロナウイルスはその波が来る度に感染者を増やしていくので、しまいには”GO TO キャンペーン”も一時停止となってしまった。ちなみにボクは1年以上も前に発行して使えなかった地域共通クーポン(※)をまだ持ち続けているが、「また使える時期が来たら、差し替えの連絡をします!」との案内だったけど、このままだといつになる事だろうか?!

※使用予定期間に緊急事態宣言が発令された為に、後日に振り替えになるとの事だった

 

ガラガラの展望台を1周したけど、1000円分の料金の元を取る為にもう一周してみた。しかし、どこを見ても同じような景色だし、置かれていた椅子に腰かけて景色を眺めるにも曇っていて遠くを見渡せないし、座っている時間が勿体ないので、展望台を降りる事にした。

 

日本では最速エレベーターが設置されている横浜ランドマークタワーだけど、建造当時は世界イチの速度だったエレベーターも台湾の「台北101」に追い抜かされてしまい、今では世界で5番目になっている。ちなみに一番早いエレベーターは中国の「CFTファイナンスセンター」(高さ530m)に設置されているエレベーターで、そのスピードは分速1260m(秒速21m/秒)と、かなり早くなっている。

※世界5番目までのエレベーターメーカーは全て日本企業

 

 

 

下りのエレベーター! 動画

 

 

 

旧横浜船渠:第2号ドックにて

そして横浜ランドマークタワーを出て向かったのが、その足元に造られている「旧横浜船渠:第2号ドック」で、さっき展望台から足元に見えていた巨大な遺跡のような場所だ。旧横浜船渠のドックは1~3号ドックまで造られたが、3号ドックは取り壊されており、1号と2号が今では国の重要文化財にも指定されて遺構として現存している。


 

旧横浜船渠のドック全盛時代の航空写真(1935年以前)

旧横浜船渠のドック全盛時代の航空写真(1935年以前)

こちらは旧横浜船渠の1935年以前の上空から撮影された写真であるが、今とは全く違う横浜港だったのが良く分かると思う。

 

旧横浜船渠のドックがあった場所の現代写真

旧横浜船渠のドックがあった場所の現在

こうやって現代の上空からの景色を見てみると、帆船:日本丸が係留されている旧横浜船渠:第1号ドッグ跡だけは分かる。しかしそれ以外には大きく景色が変わっていて、昔はなかった埋め立て地も増えており、僅かにその当時から造られていた汽車道だけが当時の名残を残している。

 


 

このように日本は明治時代になってから大きく発展し、それに伴って外国との通商も増えて、船便の取り扱いが増えていく。そんな船の取り扱い荷物が増加していくと、①外国船が直接横浜港に接岸できない②船舶の修理をする施設が横浜港にない などの問題点が出てきて早急に解決する必要性に迫られる。

 

そこで渋沢栄一を始めとする財界人が動いて、旧横浜船渠株式会社を立ち上げて船の修理する為のドックや、荷物を保管する倉庫などを建造していく。最初は日本郵船や外国船の船舶を修理するだけだったが、次第に船を建造していくようにもなって、山下公園脇に係留されている氷川丸はここ旧横浜船渠のドックで建造された船である。

 

そしてここから奥の方に帆船が見えているが、あそこが旧横浜船渠:第1号ドッグ跡で、今では「日本丸メモリアルパーク」として港湾緑地になっている。

 

こちらにはこのように下にレストランやショップがあるという表示になっているが、この旧横浜船渠:第2号ドック跡は今では改装されて、外側から見れば昔のドックのようにしか見えないけど、この裏側には商業施設がズラリと並ぶ建造物となっているのだ。

 

 

旧横浜船渠:第2号ドックの景色 動画

 

 

この旧横浜船渠に造られたドックは戦争後にどんどん船舶が大型化していき、このドックに大型船が収まらないようになってしまった為に1973年に使用が停止となり、造船所は1980年にもっと南側の本牧・金沢地区に移転していった。

 

このように明治30年(1897年)に造られた旧横浜船渠:第2号ドックと、その約100年後の1993年に造られた近代的な横浜ランドマークタワーが並ぶという、この100年間が如何に激動の時代であったかを象徴するような景色となっているのだ。

鎌大仏君
鎌大仏君

本当に横浜だけは、大きく変わっタよ!

 

旧横浜船渠のドックには、神奈川県真鶴町産の小松石が合計1万7,000個も用いられたとされている。このドックは”ブラフ(Bluff)積み”という、横浜市の山手などでもよく見られる各段に長辺と短辺のレンガを交互に積み重ねた方法で造られている。

※積み方は「フランス積み」や「フランドル積み」と呼ばれている方法と同じである。

 

なおこの旧横浜船渠:第2号ドックは閉鎖になった後に、一旦解体されてその構造研究が行われた後に再び復元されているが、当初のドックよりも僅かに内側に小さくなっているそうだ。またドックを解体した際に底から工事着工を記念した純銀製のプレートが見つかっている。なお、その着工記念のプレートは現在ランドマークタワー3階の、このドックが見える窓側に設置されているそうだ。

 

このドックは基本的には乾式ドックとなっていて、船をドック内に入れてから海水を抜いて、船の修理を行っていた。なおこのドックの建造責任者は提案したイギリス人技師が当初務めていたが、工事が開始して間もなくそのイギリス人技師が急死してしまい、その代役として日本帝国海軍の技術者だった恒川柳作氏が後を引き継ぎ完成させたのである。

 

今ではそんな船を修理していた場所とは思えないような場所になっている、旧横浜船渠:第2号ドック。ちなみにここにドックを建造した旧横浜船渠の初代社長であった川田龍吉氏は、スコットランドに留学して船舶機械技術などを学んで帰国し、旧横浜船渠の社長に着任して第1号ドックと第2号ドックを完成に導いた後に退社し、北海道へ渡り函館の造船会社の取締役となる。

それと共に北海道で農業にも力を入れて、スコットランドに留学していた経験を活かしてその地方の寒さに強いジャガイモの種を輸入し、冬の大地で普及させた。その川田龍吉が育てたジャガイモは、彼が”男爵”の爵位だったのでそれで「男爵イモ」と名付けられて、今では東日本を代表する農作物になっているのである。

メグちゃん
メグちゃん

へ~~、船舶界の竹鶴政孝さんみたいだね~!

 

そんな横浜の発展に大きく尽力したドック跡も、今ではこのようなインスタ映えを求めてやって来る若者達に媚びるかのような場所になっていて、この周囲は商業施設ともなっていてその歴史をあまり感じさせない場所になっている。

 

 

ドックヤードガーデンで昼食!

このドック跡の内側から見ていると、その内側が商業施設になっているとは全然思えなかったけど、扉を開けて中に入るとこのように飲食店がズラリと並んでいる光景が目に飛び込んできた。

 

このドックヤードガーデンB1F&B2Fには「みらい横丁」という、かつて世界中から船がやって来ていたイメージのままに、世界の色んな料理を提供する飲食店が軒を揃えているエリアだった。

 

このみらい横丁を発見した時は14時を過ぎていたけど、こんな飲食店が軒を揃えているエリアを発見してしまったので、遅めの昼食を食べる事にした。そして選んだお店は沢山ある中から、こちらの「うどん居酒屋:讃岐宮武」だった。

 

こちらの「うどん居酒屋:讃岐宮武」の前身のお店は、”日本最初のセルフうどん店”を始めた店らしい。(※ただしWikiペディアには記載されていないが・・・)

 

ちなみに今は宅配ピザの「ピザーラ」などの飲食ブランドを全国展開している、株式会社フォーシーズ・グループの傘下に入っており、この「うどん屋宮武」だけでも全国に15店舗も出店している。冷静に考えればこのような横浜ランドマークタワー近くの家賃が高そうな場所に、個人経営のうどん屋さんがまず入れる訳はなくて、大きな資本のグループ会社しか出店する事が出来ないのだろう。

 

では普段ならパスするようなお店を今回何故選んだかというと、こちらの「ハッピーアワー」という文字に吸い寄せられてしまったからである。そして好物のカツ丼もメニューにあったので、その2つを目の前にして通り過ぎる事が出来なかったという訳である。。

オカン
オカン

アルコール、飲み過ぎやで!!

 

という事で注文したカツ丼が出てくる前に、先に冷えたジョッキに注がれたビールがテーブルに到着します。今回の神奈川県旅では車を運転する予定がなかったので、このように真っ昼間からアルコールを注入できるという幸せな旅でもあった。

 

今回注文したのはこちらのメニューに載っている「カツ丼とうどん」である。こういうチェーン店のうどん屋さんだったら700~800円ぐらいの値段までという認識があるけど、この旧横浜船渠:第2号ドック跡に造られているという場所代が更に1割乗っているような料金だった。

 

そして冷えたビールを飲んで少々ほろ酔い気分になった所に、注文したカツ丼とうどんが運ばれてくる。この「うどん宮武」では香川から直送された讃岐うどんが使われているようだが、「だけど、それがどうしたの??」という程に個人的には全くその謳い文句には惹かれない。

 

カツ丼好きからすると、ちょっとボリュームが物足りないカツ丼となっている。この場所が横浜のみなとみらい地区で賃料も高そうな立地の飲食店では、これぐらいのレベルのカツ丼しか出てこないのであろう。ちなみにここの宮武は”うどん屋”ではなく、”うどん居酒屋”となっていてカツ丼よりもアルコール類に重点を置いているお店だったようだ。

 

うどんはと言うと、食感や味からこれが香川で造られたうどんかなんて分かる訳でもないし、大きなグループ会社のうどん屋だからどうせ手打ちではなく機械打ちで造られたうどんだろう。個人的には「可もなく不可もなく」といった感じで、歴史的な旧横浜船渠:第2号ドックの脇で食べれた、小さなカツ丼と うどん という想い出が残ったのであった。。

オカン
オカン

嫌なら食べんかったらエエねん!

文句は言いながらも、ちゃんと食べますよ~!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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