鎌倉の円覚寺で、国宝の舎利殿は近づけない代わりに、方丈の日本庭園を眺める【神奈川旅行記⑰】

神奈川旅行記2020年秋-⑰

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(At Engakuji Temple in Kamakura, you can’t get close to the national treasure Sharyuden, but you can see the Japanese garden at Hojo. [Kanagawa Travelogue 17])

日本庭園はやっぱり綺麗!

神奈川県旅で2日目の午前中は、鎌倉幕府が置かれていた古都の鎌倉の街にやって来ています。そんな鎌倉でも”鎌倉五山”にも選ばれている円覚寺の境内を只今見学中で、今居る場所は「方丈」という昔は住職の住居だった建物。

 

【臨済宗:円覚寺】

住所:神奈川県鎌倉市山ノ内409
営業時間: 8時~16時30分頃
電話番号:0467-22-0478
拝観料:大人500円/小・中学生200円

 

 

 

 

円覚寺の方丈にて

そんな方丈という名前が付けられている建物の中庭には、こちらの「ビャクシン(柏槇)」というヒノキ科の木が植えられているのが見える。こちらのビャクシンの木は”鎌倉市の天然記念物”となっているが、この1本だけではなく、この円覚寺境内では数本の同じような古参のビャクシンの木が見られる場所ともなっている。

 

このビャクシンは国内では東北地方以南に主に生息していて、盆栽などとしても人気の植物。しかし、そんな植物も長い年月を経るとこのように大きく成長して、古い木ほどに縦に樹皮が裂けてくるようだ。

 

そしてこの方丈内は一般開放されており、勿論土足厳禁なので靴を脱いで、内部を見学しに入ってみる事にする。なおこちらの建物(方丈)はかつては住職の住居だったけど、今では説法や座禅などの多目的に使われる場所となっていて、普段から多くの一般客が立ち入る場所ともなっている。

 

建物内はこのように多目的ルームとして普段よく使われる事もあって、スッキリとした部屋になっている。そしてちょうど雨がポツポツと降り始めてきたので、雨宿りも兼ねて建物内の見学をしているようにも思える人も見かけた。

 

まずはこちらの大きく「佛心」と書かれた屏風が見えてくる。こちらの作者は翔子さんらしいけど、どこの翔子さんかは不明。なお、この佛心とは慈悲心を示しており、翔子さんの中に宿った佛心を体現した字になっているようだ。

鎌大仏君
鎌大仏君

やっぱり漢字は、書き手の心が表れるから好きダね!

 

建物内には勿論、このように仏像なども安置されているのが見える。しかし仏像の後ろにある光背は仏陀が出していたとされる黄金のオーラを再現しており、その為に金色に輝くように作られている物が多い。この黄金に輝く光背がある事によって、テレビなどで名女優が出る際に当てられる女優ライトの如く、その仏像をより高貴な物へと導いているのかもしれない。。

 

こちらの絵は「月からの飛来」という、昔の中国で描かれた五百羅漢図の複製の1枚が掲げられていた。この五百羅漢とは仏陀の周囲に常に居た弟子で、仏陀が涅槃した後に行われた最初の仏典で集まった弟子500人の事を示すという。

 

仏陀が居なくなってしまった世界で、彼の意向を継ぐ多くの人が残った。しかし弟子が500人以上も居ると、それぞれにバラバラの考えをしているので、仏陀の教えが正しく後世に伝わらなかった可能性が高いように思えてしまう。。

ブッダ君
ブッダ君

弟子が多ければ多い程に、色々と大変なんじゃ!

 

ここに描かれている五百羅漢もこのような頭がツルツルで凸凹しているので、ダルマ妖怪のようにも見えてしまうような気がする。

朋ちゃん
朋ちゃん

エロ坊主オジサンも五百羅漢のメンバーみたいに見える!(笑)

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

誰がダルマ妖怪やっ!!(怒)

 

 

こちらも昔の中国で描かれた五百羅漢図の複製の1枚で、「亡魂救済」というタイトルが付けられている。仏陀が居なくなった世界には主役が消えてしまったかのように、群雄割拠というよりは、他の何にすがろうかと悩む弟子達の顔にも見える様な気がするけども・・・。

ブッダ君
ブッダ君

人に頼れば頼る程に、自分で考えれなくなるんじゃ!

 

こちらの絵には戦いの神である阿修羅も描かれているようで、仏陀の居なくなった世界で天下を獲るのを虎視眈々と狙っているかの佇まいをしているのも印象的ではあったが・・・。

ブッダ君
ブッダ君

ワシの居なくなった世界で群雄割拠が起こったのか?!

 

そしてこの建物は昔の日本家屋なので、窓は無くて直に裏の日本庭園が目の前に見えている。元々は住職の住居だった建物でこのように直ぐ裏に綺麗な日本庭園があるので贅沢にも思うけど、このような庭園もその管理にはかなりの手間が掛かるので、維持するのも大変だろうと思ってしまう景色でもある。

 

この建物「方丈」は昭和4年(1929年)に再建された物で、平成10年(1998年)に改修工事が行われている為に、建物内に入ってもあまり古さは感じなくて、とても綺麗に管理されていた建物でもあった。

 

こちらが先程チラっと見えた、方丈裏庭に造られている日本庭園。このような日本庭園は全国でも見られるけど、このように綺麗に周囲の石庭が掃かれていて、”枯山水の池があるVer”のようだ。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

まあ普通に綺麗な庭園という事やけ!(笑)

 

日本庭園というのはよく全国の大名屋敷の庭などに造られていて、隠居した大名がその景色を日々楽しんでいたとかが多い。ここは大名ではなく住職の趣味だったのかもしれないけど、自然との融合を果たす日本庭園の魅力に溢れる一画だった。

 

この円覚寺境内はそれなりに広くて、まだまだ奥まで続いているようです。しかし、今日は天候が優れなくて方丈を出た頃からポツポツと雨が降ってきました。日本人は少しの雨が降っただけで傘を差しやすい民族ですが、ボクは傘を持たないタイプなので少々の雨は無視する事にしているので、傘を差さずに進むとします。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

酸性雨が頭に掛ると、ハゲてしまうけ!

朋ちゃん
朋ちゃん

酸性雨に当たり過ぎて、エロオジサンはハゲちゃったのね!(笑)

 

 

国宝:舎利殿にて

この円覚寺の奥にはこの寺の開基でもある北条時宗の霊廟もあるが、その前に「国宝:舎利殿」という看板が見えるので、先に舎利殿の方を見学する事に。

 

こちらがその国宝である舎利殿の入口であるが、このように普段はその近くにも入れない。ちなみに舎利殿はこの神奈川県で唯一国宝に指定されている建物で、鎌倉時代~15世紀頃に掛けて建造されたという歴史的な建物でもある。また年始とGWと11月上旬頃に毎年特別に一般公開されているらしいが、その時でも建物内には入る事は出来ずで、外から眺めるだけとなっているが。

横浜市の歴史博物館に、舎利殿と同寸の復元物が展示されてます!

 

舎利殿とは”仏舎利”が収められている建造物の事を示す。その”仏舎利”というのは、あの仏陀の骨や歯などの事である。仏陀が亡くなった後にその骨で奪い合いが起きないように8等分されてインドに埋められたが、その後にインドを支配したアショーカ王がその埋められた仏舎利を掘り起こして、全国に配ったとされている。

ブッダ君
ブッダ君

ワシの骨まで愛して~~♪(笑)

オカン
オカン

『骨まで愛して』といえば、城卓矢の歌やな!

 

この舎利殿に納められている仏舎利は、鎌倉幕府第3代征夷大将軍:源実朝の時代に中国大陸から渡ってきた物とされているようだ。ただスリランカを訪れた際にも仏舎利(仏陀の歯)などが収められているという場所も行ったけど、それが本当に仏陀の歯なのかについては詳しく検証されていない。だから仏舎利だからと有難く思っている人もいるようだけど、”黒くなく限りなくグレーに近ければ無罪”というような感覚に近いかもしれない。

 

全国に保管されているという仏舎利も今では精度の高いDNA検査が出来るので、その検査を行って本物かの鑑定をすれば真偽が確かめられてハッキリとするのだが、寺側からすると、もし偽物と判定された場合に今までその仏舎利の信仰してきた過去が崩れ去ってしまうので、そのリスクを掛けてまで検査してハッキリ白黒をつける事はまずしないのであろう。。

ブッダ君
ブッダ君

仏舎利の真偽よりも、ワシを崇める気持ちが大事なんじゃ!

 

こちらの奥に見えているのが国宝の舎利殿。この建物は禅宗様式で室町時代頃に造られたと推測されており、またここも関東大震災(1923年)で倒壊してしまっていて、今見られる建物自体は1929年頃に復元して再建された物となっている。

 


 

【国宝舎利殿】特別公開  動画(円覚寺)

普段は近づく事も出来ない舎利殿内部などの様子は、円覚寺がこの動画を公開してくれているので、興味ある方はこちらの動画をご覧ください。

 


 

 

スリランカのキャンディにある仏歯寺(世界遺産)では、仏陀の犬歯が保管されていて多くの人々がその仏舎利を崇める為に、スリランカ中から多くの信者が訪れる場所になっていた。しかしその犬歯も昔は支配者の権威を示す物として奪い合いが起きており、イギリス統治時代にその仏舎利を見たイギリス人が「これ、オオカミの歯だよ!」と言って物議を醸したとか。。

なので余計にDNA検査なんて出来ませんね・・・

鎌大仏君
鎌大仏君

実はオオカミの歯だったなんて、仏教徒には死んでも受け入れられない事実ダね!

 

黄梅院にて

そして奥の道を進んで行くと、こちらの「黄梅院」という石碑が見えてくる。ここは華厳塔という、北条時宗の夫人が亡くなった時宗に対して建立した三重塔が造られていた跡地である。

 

その華厳塔の跡地に「夢窓疎石(むそう そせき)という、鎌倉時代末期以降に存在した臨済宗の禅僧の塔所として、夢窓疎石の弟子が建立した建物が今では見られるようになっている。

 

 

「塔所(たっちゅう)という言葉は一般人にはあまり聞き慣れない言葉であるが、禅宗寺院で主に高僧が亡くなった後にその弟子が師を慕って、建てた塔や庵などの小院などを示すようだ。簡単に言うと、自分の尊敬していた師匠を弔う建物といった感じ。

 

ここに弔わられている夢窓疎石という禅僧は、色んな場所で修業し、その才能を認められて後醍醐天皇から”国師号”という朝廷から与えられる称号を合計7回も授与されている。またそれだけではなくて、夢窓疎石は禅庭・枯山水など作庭家としても名高く、京都でも美しい庭園として有名な天龍寺西芳寺なども、この夢窓疎石が手掛けた庭園となっているのだ。

 

こちらは黄梅院の門をくぐって行った中の様子だけど、色んな木々が植えられて緑が生い茂る場所となっている。”作庭家として世界史上最高の1人”とも称される夢窓疎石の塔所ではあるけど、さすがにその場所までは綺麗な日本庭園は造られていなかった。

 

この黄梅院では千手観音が本尊として祀られているが、このように途中には木の幹の表面だけを削って作った千手観音像も鎮座していた。綺麗に像の形になっている観音像はよく見かけるけど、このように木の幹の部分まで残った状態の観音像ってのも、なかなかに見れないような気がする。

 

こちらはその敷地内にあった建物の内部だが、奥には本尊である千手観音像と共に、夢窓疎石の像も鎮座しているのが見えている。なお、ここはこれ以上先には入れずに、ここから眺めるだけとなっている。

 

仏教の僧侶というと空海が全国に像が造られているのをよく目にするので知っているが、この夢窓疎石という僧はここで初めて知ったのである。今までは国内の仏教に興味を感じた事は無かったけど、やっぱり日本国内を巡ると、このように自然と仏教に触れる機会が多くなるのでその歴史も徐々に覚えていくのである。

 

さっきの建物にも観音像が置かれていたけど、こちらの小さな祠のような建物にも本尊である観音像が、狭い空間に押し込められるかのように鎮座しているのが見えている。ただこんな近くに複数の観音像を設置するのに、そこまで意味があるかと思ってしまうのであったが・・・。

ブッダ君
ブッダ君

仏教にルールはないんじゃ!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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