関東大震災に耐えた横浜正金銀行跡を利用した「神奈川県立歴史博物館」を訪問【神奈川旅行記㊿】

神奈川旅行記2020年秋-㊿

 旅行期間:2020年11月24日~27日(3泊4日)
(Visit the Kanagawa Prefectural Museum of History, built on the site of the Yokohama Shokin Bank, which withstood the Great Kanto Earthquake. [Kanagawa Travelogue 50)

横浜の歴史をお勉強!

さて迎えた神奈川県旅4日目で、この旅の最終日でもある朝。朝食は相変わらず宿泊しているホテルの同じ朝食会場で摂ったが、横浜の印象が強いシュウマイは取って来ずに、どこでも食べれそうな朝食になってしまった。まあ地方の食事のレパートリーがあるホテルに宿泊しているのならまだしも、都会のビジネスホテルなので、そこまで凝った料理はなかったのだが。。

 

横浜駅近くで宿泊した「JR東日本ホテルメッツ横浜」は、その脇に駅に向かう通路があるので、朝からサラリーマン達が忙しく出勤していく姿を見かける。久々に関東にやってくると、いつも見慣れた大阪の人混みよりも圧倒的にこの首都圏の方が人が多いという現実を目の当たりにする。なのでいつも大阪に戻ってくるとホッと一息入ってしまうのは、自分は都心の人混みには向かないという事なのかもしれない。

 

 

横浜市内の居留地跡にて

さて今日は神奈川県旅最終日で、大阪に向けて出発する帰りの飛行機は18時頃の出発となっている。だから16時過ぎまでは自由に動ける予定だが、この神奈川県旅では既に2人の知人と再会したけど、今日は川崎マダムの朋ちゃんと帰る前に再会する予定となっている。

朋ちゃん
朋ちゃん

私沖縄から帰ってきたばかりだけど、蒲田で集合ね!

 

こちらの馬が前足を上げて嘶く姿の像は、別にフェラーリのショールームがある訳でもなく、昨晩にこの周辺を散策した際に通った「馬車道」という居留地から横浜港に向けて、外人たちが馬車に乗って移動していた道だったので、そのオブジェらしい。

 

江戸時代末期に外国人を受け入れた日本には、このような馬車がドンドン入ってきて海外文化を知らない日本人達を大きく驚かせた。そして居留地に留まらずに日本国内を開拓しようとした西洋人達は、周りの目を盗んで色んな場所に出掛けて行った。しかしその時代はまだ侍は刀を帯刀しており、怪しい外国人が切り刻まれる事件が盛んに発生した。なので次第に日本に駐留している外国人は居留地から出る事も出来ずに、監視下に置かれるようになってしまう。

 

そしてその馬車道沿いにある、こちらの建物がボクの今日のチェックポイントの1つである。こちらの建物は現在は「神奈川県立歴史博物館」となっていて横浜の歴史を学べる博物館として選んだのであるが、それと共にこの建物自体が1904年(明治37年)に造られて関東大震災(1923年)でも倒壊を免れた歴史的な建造物でもあったからだ。

 

 

関東大震災直後の横浜正金銀行本店

関東大震災直後の横浜正金銀行本店

こちらの写真はこの横浜や鎌倉の街を大惨事に巻き込んだ関東大震災(1923年)直後のものであるが、周りに瓦礫と化した建物だらけの中でも、洋式建築物の建物で生き残っている「旧横浜正金銀行:本店」(現在の博物館)が見られる。さすがに天井ドーム部分や内部は焼けてしまったが、それでも崩れなかった建物はさすがである。

 

なお今見られる博物館の建物はその後に補修と増築されており、建物が建造されてから約120年程が経過する歴史的な建造物として今でも目の前に見る事が出来る。またその前にはこちらのチェスの駒のような馬のオブジェが見られるけど、チェスは全然しないのであまり興味を惹かれなかったが。。

 

江戸時代の日本では偉い人が馬に乗るだけで、庶民などは馬に乗れる機会はあまり無かったようだ。ところでヨーロッパの都市部では車が発明される前は馬車による移動が主な交通手段であり、多くの馬が都会で飼育されていた。しかし馬も排泄を行い、糞をボロボロとまき散らす。だからイギリスやアメリカなどの古い街並みを見ると、馬車に対応した建造物が造られている名残りを見る事が出来る。

 

よくアメリカ映画やドラマを見ると、古そうなアパートの建物が必ず1段上がった上に造られていたのは、馬の糞を避ける為だったという。またその馬車が全盛の時にはその辺り一面に馬糞が見られたらしく、馬糞の匂いやその馬糞から生まれるメタンガスがその辺に充満していたという。。

朋ちゃん
朋ちゃん

そんな時代に生きなくて良かった・・・

 

そしてそんな思いを馳せながら神奈川県立歴史博物館に入ろうとすると、残念ながらこちら側は博物館の入口ではなかった。ちなみにこちらのキャラクターは「パンチの守(かみ)という神奈川県立歴史博物館の営業部長で、そのオリジナルデザインは今から約150年前に報道画家としてやって来たイギリス人が風刺を描く際に生み出したキャラクターだったようだ。

 

 

 

神奈川県立歴史博物館に入場する!

その案内板に記載されている入口に向かう為に建物の反対側に向かうと、このようにさっきの正面側とは全然違う外観となっていた。ここで銀行を営んでいた旧:横浜正金銀行は1946年に設立された「東京銀行」に引き継がれ、その後に三菱銀行と合併して今では「三菱東京UFJ銀行」というメガバンクになっているのである。

 

やはり鎌倉幕府のあった場所で仏教が大きく発展した事もあって、神奈川県では仏像などが特に展示のメインになっているのかもしれない。歴史的にみても世界的に大きく発展した宗教というのも、芸術と同様にその後押しした権力者の影が必ずある。なぜなら何事も裏では大金が必要なので、そのお金なしでは発展できないのである。

 

こちらの大砲は東京湾の台場などに設置されていた大砲ではなくて、この近くの居留地で商人だった外国人の家の地中から見つかった物だという。というのも当時の居留地にいた外国人は武器商人が多く、このような大砲を輸入して政府などに売りつける事が多かったからだ。しかし関東大震災などで建物などが崩れた際に、一緒に埋もれてしまった可能性があるそうだ。

 

そしてやっと神奈川県立歴史博物館の中に入っていきます。このような歴史的な建造物ともなっている博物館は、中に入る前にその外側の建物を見ているだけでも充分にその歴史を味わえる。だからここではいきなり建物内に入る前に、まずその建物周辺を一周してから中に入った方がより楽しめると思うのである。

オカン
オカン

歩くのシンドイから、1人で歩けよ!(笑)

 

そしてまず入口で体温検査を受けて、また住所や名前や電話番号を記入してから、観覧料300円を支払う。それにしてもこのような歴史博物館が、たった300円で見学できるとは安すぎる。恐らく市町村からの補助金が出ているのでこの料金に抑えられていると思うのだが、勉強をしたい人にとっては有難い料金である。

 

この博物館は3階まであるようだが、それなりにボリューム満点のようだ。このような大きな歴史博物館はどこの博物館でも見所充分なので、ワクワクする。ただブログを作る側からすると、写真を多く撮りすぎて後の編集が大変になるだけなのだが、逆にそれだけ苦労が多い程に色んな事が学べるという事でもある。

 

 

「1:さがみの古代に生きた人々」にて

という事でまずは最初のブース「1:さがみの古代に生きた人々」に差し掛かる。この神奈川のある場所は”相模国”という名前でも呼ばれていた。そして鎌倉幕府が置かれた場所でもあるが、2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がまさにその鎌倉幕府に焦点を当てた内容になっているので、今年2022年は大いに鎌倉に注目が集まる年かもしれない。

 

 

まず初めに展示されていたのは、縄文時代頃の出土品の数々。普段博物館を見学する時はこのような大昔の出土品についてはあまり興味を持って見ないのだが、人類のルーツを勉強する事においてはとても大事な縄文時代である。

 

こちらは4000~5000年前の縄文時代に造られたとされる、女性の体や顔を模って作られた壺のようだ。古代エジプト文明が盛んだった頃に、日本ではこのようなちょっとブサイクに見えるような女性の顔が人気だったのかもしれない。当時は今みたいに海外から色んな血が入って来ている時代でもなかったので、日本人の顔といっても現代の顔つきとは大きく違っていた事だろう。

 

こちらはヘビ型の装飾が施された壺で、縄文時代からヘビという生き物を崇拝していたという事が分かる一品となっている。今でもヘビの脱皮した皮を財布に入れておまじない代わりにしている人が居るというけど、そのような思想が縄文時代頃から既に人類の脳裏に刻まれていたのがとても興味深い。

鎌大仏君
鎌大仏君

人類は希望がないと生きれない生き物ダよ!

 

このような出土品は縄文時代に人々が暮らしていた貝塚などで、見つかった物が多い。昔から人類が住んでいた場所を調べると、その暮らしていた時に使われていた物も見つかる。そしてそれらの出土品を調べていくと、当時の人類がどのような暮らしをしていたかという事が分かり、それによって色んな考古学研究に役立てられていく。

 

人類という生物は不思議なもので、他の生物は大昔の過去を振り返らないけど、人類は大昔の歴史などを振り返って調べていくのが大好きである。それは”未来は分からない”ものであるが、”過去は分かる”から。そして過去の積み重ねが新しい未来を作るので、未来を見通したければ過去を調べていくのが一番最良の方法という訳である。

 

そして人類が大昔に使用していた斧や道具などと共に、このような当時の食糧の食べカスなども、今の時代には貴重な資料となる。こういった出土品を考古学者が調べて、それでどの生物を人間が縄文時代から食べていたかというのが判明する。だからマグロなど遠洋の魚も縄文時代の人々は何かしらの方法で捕まえて食べていたという事も、その発見されたマグロの骨を見ると分かるのである。

 

「猫は雑食」とか言うけど、世界で一番の雑食生物は人間である。これらの骨を見ると人間は食べれる物は何でも食べており、海の中にいてトゲだらけで黒くて直感的には食べたいと思わないウニなども食べる。それ程に貪欲さを持っているのが人間であり、逆にそれだけの貪欲さで色んな物を何でも食べてみようとしたからこそ、この21世紀まで厳しい地球上で生き残っている訳でもある。

 

こちらは日本の中で出土した縄文時代の品物で、当時の物としては最大級の土偶の頭だそうだ。現代の女性の顔としてはかなりにブサイクという分野に入りそうな顔立ちにも見えるけど、これが作られていたという事はこの顔が当時はとても人気あった顔という事なんだろう。

 

こちらの頭部の後ろにはわざわざ鏡が置かれていて、後頭部に刻まれている模様を見る事が出来る。この顔には目の周辺には模様のようなのが刻まれているのも見えているけど、縄文時代頃には仲間意識を高める為に、その部族によって顔に刺青を入れたり、歯を抜いたりしてお互いの絆を強めていた形跡があるそうだ。

 

こちらは神奈川県で最古の仏像の欠片らしいけど、『螺髪』と書かれているので大仏様の髪の毛のカケラのようだ。この博物館に保存されているからいいものの、もしこのカケラがその辺の道端で発見されても、通行人に蹴り飛ばされるだけにしか見えない・・・。

ブッダ君
ブッダ君

ワシの大事な髪の毛じゃぞ!(怒)

 

今の日本人は中国人が海外の進んだ技術を真似してパクる事を批判する人が多いけど、遠い昔は逆に進んだ文明だった古代中国の色んな技術をパクって取り入れていた日本だった事実。というよりも優れた技術などは多くの人に伝播していき、それによって新しい技術が開発されていくだけで、逆に新しい技術革新を生み出せない時点で負けとなるだけでもある。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

もう日本には技術革新が生まれにくい国となってるけ!

 

昨日は神奈川県南端の三浦半島の城ヶ島を訪れた際に、海沿いにこのような波に浸食されて空いた岩などを見て来た。しかし縄文時代の人々からすれば、今みたいに重機の無い時代に屋根付き住居を構えれる、大事な場所だったであろう。

 

そのような場所は「海蝕洞窟遺跡」と呼ばれていて、その人類が住んでいた周辺からはその当時に使われていた品々が多く出土する場所ともなっている。人類は火を熾すという画期的な発明をしたのであるが、焚火を燃やすには雨水がかからない場所で行う必要があった。その為にこういった天然の洞窟などが、昔の人達には大いに好まれた事だろう。

 

そんな場所では獣の肉などを切る為に、尖った石などと共にサメの歯なども出土している。人類は他の生物を食べるだけではなく、そんな生物の歯までも利用して生きていたのである。今みたいに簡単にネットで包丁を買える時代では無かったので、生き残る為には僅かでもこのような切れ味のいい歯があれば、活用せざるを得なかったのであろう。

 

そしてこのような貝も包丁代わりに使われていた。現代人はサバイバル状態に追い込まれる事が殆ど無くなっているけど、急に天地が崩壊して極限のサバイバル状態となれば、このような貝でもナイフ代わりとしてとても重宝するのだろう。。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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