明治期の洋画家:黒田清輝が描いた夫人画の魅力とは?!【神奈川&東京旅51】

神奈川県&東京旅(2022年12月中旬)-51

訪問:2022年12月中旬(2泊3日)

ここも無料!

東京 上野 「黒田記念館」建物

東京の上野にある東京国立博物館の北西側に、こちらの趣あるレンガ造りの建物が見えてくる。

 

 

「東京国立博物館:黒田記念館」にて

東京 上野 「黒田記念館」前の道

訪問時は12月中旬だったけど、このように周囲の道端には黄色いイチョウの葉っぱが散乱して、まだ季節が秋であるように錯覚してしまいそうな景色ともなっていた。

 

東京 上野 「黒田記念館」 看板

この建物は「黒田記念館」という、明治~大正時代に活躍した洋画家「黒田 清輝(くろだ せいき)の遺言により、創設された美術の研究機関だった建物で、今では美術の研究機関が移転した為に黒田 清輝の絵画が展示されている美術館となっている。

 

【黒田記念館(東京国立博物館)】

住所:東京都台東区上野公園13-9
営業時間:9時30分~17時頃(※定休日:月曜/他)
電話番号:03-5777-8600
入館料:無料

 

 

東京 上野 「黒田記念館」建物入口

今見られる黒田記念館の建物は、黒田清輝の遺言を受けて昭和3年(1928年)に造られた建物で、2002年には”国の登録有形文化財”にも指定されている。

 

東京 上野 「黒田記念館」建物入口2

約100年近く前に建造された黒田記念館の建物は、「岡田 信一郎(おかだ しんいちろう)という大正~昭和初期に活躍した建築家による設計となっている。

 

ちなみに岡田 信一郎が設計に携わった建物で有名な所は、大阪の北浜に現存する「大阪市中央公会堂」(※原案)や、2010年に惜しくも取壊されてしまった「歌舞伎座」(※銀座)などがある。

 

 

東京 上野 「黒田記念館」建物 入口階段

玄関だけでも趣を感じる造りの建物であったが、周囲に建物に入っていく人影が見当たらなかった事もあり、恐る恐る扉を開けて中に進んで行くと、ご丁寧にも係員のお兄さんが階段上で待ち受けている姿が見られた。

 

東京 上野 「黒田記念館」建物 入口階段2

この時はまだコロナ禍だったので館内に入場する際には、検温と用紙に連絡先記入を行い、黒田清輝の絵画が展示されている2階に案内される。

 

東京 上野 「黒田記念館」 黒田清輝の胸像

そして2階のフロアに登ると、展示室の前で待ち受けていたのが、こちらの「黒田清輝先生:胸像」だった。

こちらの胸像は黒田清輝が亡くなってから約8年後に、有名な彫刻家:高村光雲の息子である「高村 光太郎(たかむら こうたろう)が制作した作品となっている。

江戸春男
江戸春男

高村光太郎は彫刻以外にも、絵画や詩などの名作も世に生み出しているぜい!

 

 

黒田記念館の鑑賞!

東京 上野 「黒田記念館」 内観

この黒田記念館は元々は文化財研究所が運営する建物だったが、2007年に国立博物館と統合した為に、今では「東京国立博物館の施設」となっている事もあり、豪勢にも”無料”で見学する事ができるのである。

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作 『編物する女』

こちらは1890年頃に制作された『編物する女』という絵で、日本画のように墨と筆で描かれた物ではなく、”木炭デッサン”で描かれた作品である。

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作 『雪景』

こちらも1890年頃に制作された『雪景』で、同じく”木炭デッサン”で描かれた作品である。

雪の白さを際立たせる為に、それ以外の場所に木炭で色を付けている。

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『田舎家』

こちらは1888年頃に作られた『田舎家』で、黒田清輝の油彩画としては初期頃の作品になるという。

1884年にフランスに留学した黒田清輝だが、当初は画家ではなく、法律関係を学ぶ為の留学だったそうだ。

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『画室の一隅』

こちらは1889年頃に描かれた『画室の一隅』

そしてフランスの地で日本人の西洋画家達と出会って、彼らに触発されて西洋画の道に進む事になる。

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『構図(羊飼二天女)』

こちらは1887年頃に描かれた『構図(羊飼二天女)』

1893年に帰国してからは洋画研究所を開設したり、東京美術学校の西洋画科教員などを務め、日本国内の画家達に西洋画を教えていった。

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『七面鳥』

こちらは1892年頃に描かれた『七面鳥』で、日本ではなく、フランスに滞在していたからこそ、七面鳥を題材として描けた作品だろう。

 

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『夫人肖像画』

こちらは1912年頃に描かれた、黒田清輝の照子夫人を描いた『夫人肖像画』

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『夫人肖像画』2

黒田清輝の照子夫人との出会いは、知人の画家から紹介された芸者で、結婚した後に「照子」と名前を変えたという。

江戸春男
江戸春男

確かに髪型が芸者っぽく見えるぜい!

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『夫人肖像画』 サイン

肖像画の左脇にはこの絵を描いた大正時代の「大正」と、その下には一般的なサインであった「清輝」ではなく、それぞれの漢字の”へん”を取った2文字の「水光」が書かれている珍しい作品だという。

朋ちゃん
朋ちゃん

”さんずい”だったら、「氵光」でも良かったのでは?!

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『夫人肖像画2』

こちらは1897年頃に描かれた、同じく照子夫人を描いた『夫人肖像画』

 

こちらの肖像画は黒田清輝が残した代表作でもある『湖畔』とほぼ同じ構図で描かれており、上の夫人肖像画と比べても約15年程前に描かれているので、夫人が若く感じる作品ともなっている。

江戸春男
江戸春男

夫人は1873年生まれだとされているので、24歳くらいだぜい!

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

一番、色んな意味でピチピチな年頃やけ!

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『夫人肖像画3』

こちらはまた時代が後ろに下がった1910年頃に描かれた、同じく照子夫人を描いた『夫人肖像画』

黒田清輝が照子夫人と知り合ったのは明治30年前の事らしく、それ以降は照子夫人は黒田の家で一緒に暮らす事になったが、清輝の養父であった黒田清綱が”子爵の黒田家”の相手に相応しくないという理由で結婚を反対された為に、1917年に清綱が死去するまでは結婚できずに、内縁の妻状態だったという。

江戸春男
江戸春男

日本にもカースト制度的なモノがあったぜい!

 

東京 上野 「黒田記念館」黒田清輝作絵画 『夫人肖像画4』

清輝の養父であった黒田清綱が死去してから約5年後の1922年に、晴れて黒田清輝と照子夫人は結婚する事になったのだが、その2年後の1924年7月に黒田清輝は亡くなってしまい、短い結婚生活となったのである。。

朋ちゃん
朋ちゃん

結婚せずとも、心が繋がった時間を長く送れたから2人は幸せよ~!

 

こんな旅はまた次回に続きます!

よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!

にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ

↓↓↓↓神奈川&東京旅:一覧ページ↓↓

神奈川&東京旅(2022)

2022年12月中旬に『どこかでマイル』を使って訪れた、2泊3日の神奈川県&東京旅です。

タイトルとURLをコピーしました