奈良旅(2022年12月下旬)-2
訪問:2022年12月下旬(1泊2日)
大きな大仏様!
約800年もの間に燃えずに残り続けてくれた東大寺の南大門を抜けて、東大寺の境内へと進んで行きます。
住所:奈良市雑司町406-1
営業時間:8時~17時頃
電話番号:0742-22-5511
入館料:大人600円/小学生300円
※2024年4月1日より拝観料を改定
⇒大人800円/小学生400円 となります
東大寺にて
こちらは奈良市だけに、工事現場で見かける単管バリケードも勿論「鹿」のデザインとなっていた。
鹿がメインの奈良ナラ!
こちらは南大門から中門に向かう参道脇に造られていた「東大寺ミュージアム」の前に設置されていた、実物大の大仏様の手。
ちなみに仏様の手の形は色んな意味合いがあり、この右手部分を挙げて手のひらを正面に魅せているポーズは「施無畏印(せむいいん)」と呼ばれて、「恐れる必要はない」と人々に勇気を与える仕草だとされている。
こちらは左手部分で「与願印(よがんいん)」と呼ばれる、手の平を仰向けにして人々の願いを叶えるという意味合いが籠められているポーズ。
施無畏印と与願印のポーズは、大体セットで使うぞよ!
大仏様の手もこれ程の至近距離で見る事が出来ない為に、近くから見ると等身大程のサイズ感がある事を感じれるオブジェとなっている。
世の中に救いあれ~~♪
こちらは南大門を北進していくとブチ当たる「中門」で、こちらは江戸時代の1716年頃に再建された建物とされている。
南大門と比べると、風格が無いようにも見えるデ!
普段は閉ざされている中門の正面には、このように「初詣:入堂無料」という文字が入った看板が設置されていた。
時系列的に先に公開している上記のブログ記事は、2023年元旦早朝に東大寺を訪れたものだが、実はこの12月下旬に東大寺を訪れた際にこの「入堂無料」の看板を見て、それで早速再訪したのである。
そして調べると、東大寺以外にも薬師寺や唐招提寺も無料参拝できると知ったので、寒い大晦日の夜にわざわざ奈良市内までやって来たという訳であった。
さすが、王子の「無料参拝」ツアー!
奈良市の初詣は深夜でも、人でごった返すナラ!
そして中門の脇にある入口から拝観料金を支払い、久々に大仏殿の境内へと足を進める。
こうやって見ると大きな大仏殿だけど、冷静に考えると1階の屋根までの高さがあれば大仏様を収納するのに充分なので、2階部分は無くても良かったように思える建物だが・・・。
「奈良の大仏様」だけを見て帰る観光客が多いだろうが、それ以外にもさっき見た「南大門」や周辺の装飾物などもじっくり見ていくべき場所でもある東大寺。
ただ、あまりにも大仏様のインパクトが強過ぎるので、どうしても初回に来た観光客は大仏様だけに目を奪われてしまうのだろう。
罪な存在でゴメン、スマンぞよ!
この大仏殿の正面の屋根の下部分には「観相窓」と呼ばれる小窓が取り付けられており、この窓は年に2回だけ開いて、外からでも大仏様の顔を拝む事が出来るようになっている。
「観相窓」が開くのは元旦とお彼岸のたった2日だけなので、それを知らずにたまたま来て見れた人はラッキーだろう。
※観相窓が開く日は、無料で参拝できます
奈良市内は古い建物が多く現存しているので、このような扉を見ているだけでもその歴史を感じさせてくれる重厚さを感じる。
そして大仏殿の入口に足を踏み入れる瞬間に、最も観光客が写真を撮りたくなるポイントのようだ。
”東の大仏”は鎌倉の高徳院の大仏様、そして”西の大仏”はここ東大寺の大仏様と称される程に有名な大仏様。
こちらは奈良時代に建物の上に取り付けられていた「鴟尾」で、戦国時代や江戸時代に天守閣の上に取り付けられていた鯱の原型となった物でもある。
鯱の先祖が「鴟尾」ナラ!
大仏様の脇に座っているこちらの像は「虚空蔵菩薩像」という、大仏様を守護する役目の像。
水戸黄門様の”助さん・格さん”的存在の像やデ!
なお、この像は大仏様のように銅造りではなく木像となっていて、江戸時代中期頃に30年近くの歳月をかけて、当時の一級仏師が彫り上げた物だという。
この大仏様は「東大寺:盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)」という名称が付けられているが、一般的には”奈良の大仏様”と呼ばれる。
「盧舎那仏像」って、100回言ってみ!
100回言っても、何も出ないぞよ!(笑)
そしてその斜め後方には、大仏様を更に護る四天王「広目天像」が睨みを利かせるように立ちはだかっている光景が見られる。
”広目天”は西側を護る守護神として考えられており、仏堂内では本尊の左後方(正面から見て)に配置されている事が多いという。
筆と巻物を持つポーズもお決まりじゃ!
こちらの怖い顔をした頭部だけの木像は、同じく四天王の「増長天」の頭部部分となっている。
さっきの広目天像は完成したが、こちらの「増長天像」は完成せずに完成済みの頭部だけがそのまま残されているという。。
江戸幕府も後半は財政難が続いたぜい!
こちらは大仏様の”光背”と呼ばれる、背中に付けられた現代の”女優ライト”的な、仏像の光り輝くオーラを演出する為の台。
金色のオーラは、キリスト教にもパクられたぞよ!
こちらの柱の下には四角い木の囲いが設置されていたが、コロナ禍前までは有名な”柱くぐり”の穴があった柱である。
この柱くぐりの穴は、高さ約37cm、横幅約30cmという大人のくぐり抜けは難しいサイズとなっていて、東大寺観光の昔からの名物となっている。
そんな名物の”柱くぐり”は新型コロナウイルスが世界的に蔓延した2020年4月から中止となり、この訪れた2022年12月もまだ中止のままだったが、去年2023年6月に緊急事態宣言解除を受けて”柱くぐり”が再開されているようだ。
こちらはその柱くぐりの穴を見守るかのように、大仏様の右後ろ(向かって)に立っている「多聞天像」。
この「多聞天」という神様は四天王の1人として配置されている場合にはそのまま「多聞天」と呼ばれ、単独で配置される時には「毘沙門天」と呼ばれるのが一般的なようだ。
謙信公が信仰した、毘沙門天様だ~!
という事で最後の四天王「持国天像」も、このように頭部のみ造られた段階で放置されてしまっている。
頭部だけしか造られていない持国天と増長天の大きな木像が、大仏殿の入口側両脇に立ちはだかっていたとすれば、かなりの威圧感を感じる大仏殿になっていた事だろう。。
こんな旅はまた次回に続きます!
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