明石&加古川旅(2023年)-20
訪問:2023年1月下旬(1泊2日)
子午線の街!
兵庫県明石市にやって来て、名物の「明石焼き」を食べて海岸沿いにある明石市役所も外観だけを見て、更には明治時代に建てられた中崎公会堂と、歴史ある標準子午線の標石なども眺めながら、明石市内を散策してきた。
明石市内にて
明石市では『都心回遊路・時の道』として明石市立天文科学館を起点に、その周辺の歴史あるスポットを巡るコースが観光用にイチオシとして紹介されていた。
ちなみに後でこの『都心回遊路・時の道』の一部を歩いてみると、明石市内は海沿いの方は平地が開けているが、北側の山手付近は勾配の有る坂道がジグザグに走っているので、中々に”歩き応えのある道”となっていた。
逆に言えば”シンドイ道”って事です。。
そして坂道になってきた道を進んで行くと、程なくして大きな「明石市立天文科学館」の建物が間近に見えてきた。
この明石市立天文科学館は”日本国内に現存する最古の天文科学館”としても知られており、1960年に開館した建物ながら”国の登録有形文化財”にも登録されている。
長寿院にて
そんな明石市立天文科学館の手前には、巨大なセイコーの時計台が背景として目に入り、寺らしい雰囲気を感じない浄土宗西山禅林寺派「長寿院」という寺がある。
この長寿院は明石藩を長く治めていた「明石松平家」の霊廟だった寺で、越前国大野藩から移封されてきた「松平 直明(まつだいら なおあきら)」から8代に渡る藩主とその家族の墓が安置されていた場所だという。
その松平直明の父が”明石松平家の祖”となる松平直良という越前松平家の家系で、越前松平家というと越前国福井藩の初代藩主となった「結城 秀康(ゆうき ひでやす)」の子孫である。
※松平直明⇒父⇒松平直良⇒父⇒結城秀康⇒父⇒徳川家康
松平直良は結城秀康の6男で徳川家康の孫でもあったので、小藩である越前木本藩を与えられ、更には越前勝山藩や越前大野藩へと転封され、3男だった松平直明に家督を譲って亡くなる。
そして越前大野藩主となった松平直良は1682年に明石藩に移封となり、それから江戸時代が終わるまで明石松平家が代々藩主として明石藩を治め続けたのである。
ただ境内には沢山お墓が設置されていて、明石松平家の霊廟らしき建物を見つけきれなくて、代わりにこちらの涅槃に入った仏陀を見つけるだけだった。。
また境内には宗教法人:長寿院として「長寿院保育園」も運営しているらしく、宗教法人として運営しているので売上から税金を支払う必要がないというメリットを活かしているのだろう。
オレも「エロ教」という宗教法人を興したいけ!(笑)
それと境内にはこちらの「ボケない六か条」が記された張り紙があり、的を得た内容に感激したのである。
「旅の好きな人」って書いてあるよ~!(笑)
エロが好きな奴もボケないけ!(笑)
そして嫌でも目に入る「明石市立天文科学館」の観覧は大人700円となっていて、そこまで時間を掛けて見学したい施設でもなかったので、やむなくここの見学はパスする事に。。
人丸山公園にて
そして明石市立天文科学館の裏手の高台には「人丸山」という小高い山があり、その上には「柿本神社」と「月照寺」がある場所となっていた。
個人的には旅先でこのような階段を見ると思わず登りたくなってしまうが、オカンからすれば
アンタ、独りで行ってきや!
と見るだけでシンドイ想いが想像できる、登りたくない階段のように感じたようだ。。
という事で”荷が下りた”ような体の軽さで石段の階段を駆け上っていく。
年を取ると高い場所に登るのがシンドクなるようだが、高い場所に登れば登る程に素晴らしい景観が見られる可能性が高くなるので、体を動かして高台に登っていくべきだと思うが。。
アンタと何歳違うと思ってんねん!(怒)
そして勢いよく階段を登っていくと、このような綺麗に整備された道と「人丸山公園」と呼ばれる小さなスペースが見えてくる。
この高台に登ってくると、目の前に明石市立天文科学館の展望台/天体観測室の建物が見えてくる。
有名なセイコーの時計もこのように北側には設置されていない為か、明石市立天文科学館の建物の写真は殆ど南側から撮影された物ばかりとなっているのかもしれない。
それと高台だけあって、手前には明石市立天文科学館の野外展望台と、奥には大きな明石海峡大橋もよく見られるスポットとなっていた。
そんな場所には1688年に松尾芭蕉が旅の最西地として訪れた明石で詠んだ句が彫られた、「蛸壺塚」の石碑が設置されていた。
明石の地で蛸壺で捕らえられた蛸を前に詠んだ句だが、松尾芭蕉が明石に来た時代にはまだ「明石焼き」が開発されていなかったのかもしれない。
そんな松尾芭蕉の句碑と共に、こちらには水平日時計も設置されていた。
日時計はとても単純な物だが、この単純な物でもそれなりの時間が測れるので、古代の人達の発明品には本当に頭が下がる想いしかないのである。。
そんな事をしている内に、一旦下に降りて呼んできたオカンがやっと高台の人丸山公園に登って来ていた。
フムフム・・今の時間は・・・
さすが、昭和のアナログ人間やな!
そんな場所には更にこちらの『トンボの標識』として知られる、「子午線標示柱」も見られた。
この『トンボの標識』は昭和5年に近くの月照寺山門前に設置された物だが、昭和26年の再観測によってちょっと場所が離れた現在地に移動されて、今に至っているという。
このように何とも言えないデザインとなっていた『トンボの標識』(子午線標示柱)。
何でトンボが子午線標示柱に取り付けられる事になったかというと、昔の日本では『秋津島』と本州の事を指して呼ばれていた事があり、トンボも古くは『秋津(あきつ)』と呼ばれていた事から、地球のデザインをした丸形の上にトンボが取り付けられていたという事らしい。。
ちなみに高さは約7mタコ!
こんな旅はまた次回に続きます!
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2023年1月下旬に訪れた、1泊2日の兵庫県:明石&加古川旅です。