スリランカ旅行記:5日目
クラブツーリズムツアー「お1人様参加限定:スリランカ6日間」-2020年2月6~11日
日本食?中華料理?
さてスリランカ旅行で最終目的地のコロンボにやっと到着しました。スリランカがまだ「セイロン島(Ceylon)」と呼ばれていた時代の首都で、今では一部首都機能を近くにあるスリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ(Sri Jayawardene pura Kotte)に移しているものの、現在でもスリランカでは一番大きな都市である。
コロンボ市内にて
コロンボに到着して訪れるのは、まずは昼食のレストランです。案内されたのはこちらの日本食&中華料理のお店のようです。
中華レストラン「SAKURA」にて
お店の外装には中華料理のお店と書かれていましたが、店内に入ると日本風の内装となっていて、信楽でよく見かける狸の大きな置物まで置かれています。
テーブルには「日本料理 さくら」とお店の名前が入ったお箸が置かれています。ひょっとしたらレストランを訪れる観光客グループによって、日本料理店と中華料理店を使い分けているのかもしれませんね。
海外の日本食レストランは、実はその経営者は殆どが日本人ではないんじゃ!
ここは日本では無いので、お箸の袋の裏にはこのようにお箸の使い方が絵と英語で書かれています。
そして運ばれてきたお手拭きはこのようにビニール袋に包まれて、熱々の状態で出てきました。ただ意外とこのビニール袋が分厚くて、人によってはなかなか開封する事が出来ずに手間取っていましたね。
まずはウエイターのお兄ちゃんがやって来て、熱々のスープを各自のカップに入れてくれます。この時に「ア~ユ~ボ~ワン」(シンハラ語でこんにちわ!)と挨拶しますが、無反応でした。この時は全然気にしていなかったけど、スリランカにはシンハラ人以外にもインド系タミル人が居て、彼らはタミル語を話します。
だからシンハラ語と共にタミル語でも挨拶をする必要があったのかもしれません。今まで訪れた海外の国では大体公用語は1つだっただけに、スリランカではシンハラ人とタミル人で内戦が勃発した過去もあるので、人種問題は根深い問題になっているようです。
さてまずは中華的なスープが出てきます。見た目にも片栗粉が沢山入れられているような、トロミがありました。しかも結構熱かったので、食べるにはちょっと間をおいて冷やして食べる必要があった。
そしてテーブルのオジサン達は、食事前にビールで乾杯します。いつもならボクもビールで一緒に乾杯しているハズなんですが、昨晩飲み過ぎて軽い二日酔い状態だったのでこの昼食時はアルコールは辞退しました。
という事でアルコールの入っていないライムジュースをオーダーします。
日本食レストランとあったけど、出てきた料理は中華料理ばかりでした。メニューを見たら日本食も多かったけどあまり美味しくなく、中華料理の方が美味しいとの事。
海外で食べる日本料理と中華料理では、まだ中華料理の方があまり外れが無いような気がする。ただ旅慣れしている添乗員さんに聞くと「それは訪れる店毎に違うので、何とも言えませんね・・」との事。
ボクは二日酔いの影響があってあまりお箸が進まなかったけど、オジサン達はどんな中華料理の味なのか、興味深々なご様子。
続いて出てきたのはサッパリとした感じのビーフン。中華料理店は世界中、どこの国に行ってもあるので「困った場合は中華にしておけ!」ってイメージがあります。
ドンドンと中華料理ばかりがテーブルに運ばれてきます。どれも味はそこそこに美味しくて、お腹さえ空いていれば問題なく食べれる料理です。
そして”キング・オブ・中華”であるチャーハンが出てきました。前に中国出張に連れて行ってくれた某社長は現地で「チャーハン・キング」と呼ばれる位に、毎回食事に行くと必ずチャーハンを食べていました。
しかしその社長に後から話を聞いてみたら「中国の空港に降り立った瞬間から、あの独特な匂いがダメなんだよ・・・。だからチャーハン以外は食べる気がしないんだ」と言っていた。だからチャーハンが大好きな訳ではなく、チャーハンしか食べる物がなかったという事だったようだ。
そして最近結構ボクのお気に入りである空芯菜炒めが出てきます。こちらはニンニクが入っていたので、横に座っていたお姉さんはパスしていました。女性はニンニクが入っているという理由だけで、食べない料理が多いので、そういう意味では少し人生で損をしているのかもしれないな。
そしてデザートはストロベリー味のアイスクリームが出てきます。
日本食でもあり中華でもあったレストランだけど、内装は日本寄り。
日本酒「月桂冠」の一升瓶が並んでいたけど、置物的な感じにも見えた。
一応カウンター席もあるようだけど、勿論ツアーでお店を訪れた場合はカウンターには座れません。。
店内にはお寿司の置物が置かれていたが、日本人から見るとちょっと微妙な色をしていたお寿司。
こちらはお寿司のメニューだったが、至って日本風の寿司。日本人が関わっていそうな感じにも見える。
握り寿司は結構種類があったし、このように巻き寿司も色々とメニューがあったりで結構凝ったメニューのようだ。
そしてボクの大好きな玉子焼きも置いてある。こんな写真を見ていたら、あまり美味しくなかってもここのお店で日本食をちょっとは味わってみたかった。。
そしてレストランの入口付近には日本語の本が沢山、誇りまみれだったけど山積みされていた。こちらは「こんなはずじゃなかった!」と面白いタイトルの本があった。
それ以外にも数十冊の本が置かれているのが見える。そんな中でボクの目を惹いたのが・・・
こちらの「藤堂高虎」の本である。見覚えあると思っていたら、昔購入して読んだ本だった。藤堂高虎は戦国時代の武将で築城に優れた人物で、豊臣秀吉や徳川家康に重宝されたそうだ。
そしてバスに乗り込み、次の目的地へと向かいます。
そして次はスリランカで有名な建築家ジェフリー・バワのオフィスの見学です。その近くまでバスはやって来ましたが、どうもバスを停めるスペースがなかったようで、近くで休憩していたゴミ運搬車に「その場所に停めさせてくれ!」とアシスタント君が交渉していました。
その近くの建物の壁には、昔食べたスーパーレモンの袋に描かれていたようなデザインの絵が描かれているのが見えます。
スーパーレモンの飴チャンを想像するだけで、口の中が酸っぱくなるんじゃ!
ただし絵はレストランでハンバーガーを扱っているからか、スリランカ風の絵ではなく、洋風の絵でしたが。。
バスにはスリランカの旗と仏旗が飾られており、その手前にはポリンキーの袋が見えます。このポリンキーは添乗員さんが日本から持って来たもので、ドライバーさんにプレゼントした物のようです。
さてやっとバスから降ろしてもらって、高級住宅街にも見えるような通りを進んで行きます。今までの街並みとはちょっと違い、路駐されている車も高級外車などが見えます。
そしてこの突き当り辺りにあるのがジェフリー・バワの元事務所だという。その奥にはアジア人のオジサンが1人だけ座っていた。近所のオジサンかと思っていたけど、実際は日本人観光客で息子がジェフリー・バワのオフィスを見学している間、外で待っていただけだった。
ジェフリー・バワのオフィスにて
こちらの建物がスリランカでも有名な建築家である「ジェフリー・バワ(Geoffrey Bawa)」が、生前事務所として使っていた所だそうだ。
住所:3, 11 33rd Ln, Colombo 00300
こちらジェフリー・バワの元オフィス見学は予約制だけど、働くスタッフはあまり歓迎的な感じではなく、高飛車な態度を取る事が多いそうだ。だから予約時間には必ず前もって余裕ある時間に辿り着いておかないと、場合によっては入れてくれない事もあるんだそうだ。
そして元オフィスの見学だけではなく、こちらは1室だけだがホテルにもなっているようで宿泊(1泊300ドル~)も可能のようだ。
オフィス前に着いたものの、まだ前の見学客を案内している時間なので、少しの間外で待ちぼうけタイム。
現地ガイドのパリタさん曰く、このジェフリー・バワ氏が有名になってきたのは死んだ後になってまだ最近なんだそうだ。だからパリタさんもあまりここはよく来る場所ではなく、ジェフリー・バワが何歳まで生きたとか、何年に死んだとか知らなかった。
この場所は「NUMBER 11」と呼ばれているが、それはこの番地が11番地から来ている呼び方である。
この建物の玄関ドアのガラスの模様には、まるで太陽の塔の顔みたいな絵が描かれていた。芸術的な建築家だったので、こういったような絵が好きだったのだろう。
足元にもは「NUMBER 11」だけあって、11のプレートが埋め込まれている。バワ氏がここに引っ越してきたのは1958年で、その後周囲の建物も購入し、今では4軒をくっ付けた建物となっているそうだ。
そんな建物の郵便ポストで、映画「ローマの休日」でグレゴリー・ペックがした有名なシーンを真似してみた男。。
ここはイタリアじゃなくて、スリランカじゃ!
表のガレージの扉が少し開いて、建物内の様子が見えた。どうもそろそろ前の見学者達の建物内ツアーが、そろそろ終了するようだ。
家の手前には2本の木が植えられていたけど、これらもジェフリー・バワ氏が選んで植えられたものだろう。
ジェフリー・バワのオフィス周辺の景色 動画
こちらの見学は事前の予約が必須で平日は1日3回、土曜日は1日2回、日曜日は1日1回で入場料は1,000ルピー(約600円)である。
こんな旅はまた次回に続きます!
よければ下記ブログ村のボタンをポチッとお願いします!
↓↓↓↓スリランカ旅行記:初回↓↓