九州縦断旅:北九州編
旅行期間:2020年8月中旬
日本帝国と清国の条約締結場所
ここは山口県下関市にある、高級フグ料理が食べれる料亭である【下関:春帆楼】の前です。建物入口脇には、日清講和条約が結ばれた場所の記念碑が建っているのも見る事が出来ます。日本国初代総理大臣の伊藤博文が通った料亭としても有名な場所で、この店名も伊藤博文が名付けたとされています。
それまでフグを食べると死ぬ人間が多かった為にフグ食を禁止していた日本であるが、1888年頃に伊藤博文がこの下関:春帆楼を訪れてフグを食べてみたら、その美味しさに感動し山口県で特例としてフグ食を許可制にして食べれるようにしたそうだ。
下関にて
その料亭前には日清講和条約で日本側の全権大使であった、総理大臣:伊藤博文と外務大臣:陸奥宗光の銅像が置かれている。見た感じリンカーン大統領のような風貌の右側の人物が伊藤博文かと思ったけど、実は左側の像が伊藤博文でした。
ちなみに初代総理大臣として有名な伊藤博文であるが、その後第3代・第7代・第10代と4期に渡って総理大臣を務めた人物である。なお若い頃にイギリスに10か月程留学していたので、それで英語も喋れて諸外国との交渉役としても適切な人物であったようだ。
日清講和条約記念館にて
そして春帆楼の建物の前にある、こちらの建物が「日清講和条約記念館」である。1937年にここに日清講和条約の歴史を残す為に造られた建物で、実際にこの建物で日清講和条約が結ばれた訳ではない。
住所:下関市阿弥陀寺町4番3号
開館時間 AM9時~PM5時 (年中無休)
”エロ坊主オジサン”が案内してくれるとあって、この記念館の入場料は無料。赤間神宮や春帆楼を訪れる時には、是非一緒に見ておきたい場所である。プレートには「この建造物は、貴重な国民的財産です」との、文化庁の文字がある。何気なく生きる現代日本人も自分達のルーツを勉強する事によって、一段と深みを増し、日本人の誇りを持って生きていけるのではないかと思う。
ここは無料で見学できるけ、入ろう!
日清講和条約記念館内はこのように無人で、自由に見て回るシステム。昔に造られた記念館だけあって、今時の映像が流れるようなブースはなく、このように当時の写真などが沢山飾られている記念館である。
まずは歴代春帆楼の建物の写真が飾られている。今見られる春帆楼の建物は建て直されたもので、初代は1885年頃に旅館兼料亭として運営が開始された頃の物。元々はこの辺りは赤間神宮の前身である阿弥陀寺の敷地だった場所で、明治時代に行われた”廃仏毀釈”により廃寺になった土地を買い取った医者が医院を開設した。その後その医者が亡くなり、その奥さんが旅館兼料亭を始めたのが、今では有名な下関の春帆楼である。
こちらには日清講和条約の交渉時に日本側代表だった伊藤博文と、清国側代表の李鴻章の写真である。当時53歳の伊藤博文と72歳の李鴻章の対決である。初回広島で交渉が行われた時の使者とは違い、清国の全権が与えられた李鴻章はその振る舞いなどに貫録があったという。
記念館の真ん中にはガラス張りの部屋があり、そこには日清講和条約時の会議場を再現したテーブルと椅子などの調度品がこのように飾られている。江戸時代の徳川家の支配から脱却し、明治28年(1895年)には畳の部屋ではなく、大事な場所ではこのような西洋文化が充分に取り入れられていた事が分かる。
元々日清講和条約の会議場であった春帆楼の建物自体は、第二次世界大戦で焼失した為に存在はしていないようだ。しかし一部の調度品は講和会議後に別の場所で保管されていた為に、焼失を免れてその当時使用されていた物が置かれているという。
日清講和条約は料亭:春帆楼2階の大広間で、この絵にもあるように合計11人が参加して行われた。どちらが日本帝国側か清国側かを見分けるには、服装などを見れば一目瞭然としている。和服ではなく洋式のスーツを着込んだ日本側と、帽子を被って辮髪を背中に垂れ流しているのが清国側である。
この日清講和条約には当時アジアに進出してきていたヨーロッパ強国による第三者は介入せずに、日本側と清国側で会議が持たれた。しかしその裏ではアヘン戦争を勝利して清国に勢力を伸ばしていたイギリスなどの圧力も配慮しつつ、日本側としてはイギリスを怒らせないような条約内容を慎重に選択したようだ。
当時清国との間で起こっていた日清戦争で優位に立っていた日本側と、次々に日本側との戦いに負けて劣勢に立っていた清国との力関係が一目瞭然に見て取れる絵である。日本としては条約締結を遅らせて清国との戦いを続けても良かったのだが、当時の世界を席巻していたイギリス帝国の存在を恐れていて、条約締結に至ったという。日本側は交渉裏でイギリスに「清国との戦争を止めて友好的な条約を結ぶだけで、同盟を結ぶ訳ではないので安心なされ!」と連絡していたという。
日清講和条約記念館はあまり大きくなく、1フロアだけの見学なので所要時間は3分程しか掛からなかった。その記念館の反対側には、このフグの記念碑が建てられていた。縄文時代から日本人はフグを食べていたとされていて、秀吉時代の朝鮮遠征時に全国から九州に集まった武将たちが美味しいフグを食べて命を落とす者が続出したので、フグ食禁止令が発令されたという。
天然フグの水揚げ量の上位は山口県・福岡県・島根県・愛媛県などで、この関門海峡~瀬戸内海付近までがその漁場として盛んな場所。フグと言えば山口県のイメージがあるけど、フグの消費量が一番多いのは大阪府である。去年破産したフグ料理の名店「づぼらや」の看板にもあるように、全国で獲れるフグの約6割を消費しているという。
ちなみに大阪ではフグの事を「テッポウ(鉄砲)」(※当たると死ぬという意味から)と昔から呼ばれていて、フグの刺身料理は「テッサ」(テッポウの刺身)、フグのちり鍋は「テッチリ」(テッポウのちり鍋)の語源となっているそうだ。
フグと一口に言っても約120種類のフグがフグ科に属していて、そのフグの主な毒性分は「テトロドトキシン」(種により違う毒も持つ)である。何故こんなにも今までにフグを食べて命を落とす人がいるかといえば、フグの種類により毒のある場所が異なり、同じ種類のフグでも時期によって毒の量が違ったりする為だそうだ。今では養殖で毒を持たないフグを育てる技術があるようだが、未だに天然物の毒を持つフグの方が需要が高いようだ。
ちなみに下関や北九州地方では自然の贈り物に対して語呂の悪い呼び方のフグ(不遇)とは呼ばずに、「フク」(福)と縁起を担いで呼んでいるそうだ。
李鴻章道を歩く
フグの銅像を眺めた後は、春帆楼から西に向かう小道を進む事にした。この先にハーフの日本人オペラ歌手である藤原義江の記念館があるという。戦前~戦後に活躍した、濃い顔の歌手だったそうだ。
昭和独自の濃い顔をしたオッサンだったよ!
少し歩くと「藤原義江記念館」の案内板が見えてきた。現代人にとっては全然聞き馴染みの無い名前である。
この道について”エロ坊主オジサン”から解説がなかったけど、実はこの道は『李鴻章道』と名付けられている。李鴻章と言えば先程日清講和条約記念館で見た名前であり、清国全権大使として下関を訪問した際に宿泊していた引接寺に繋がるこの道を歩いて春帆楼間を行き来していたという。
李鴻章道を進んで行くと突き当りに、この藤原義江氏の顔が描かれた看板が見えてきた。確かに昔の濃い系の顔をしていたようだ。1898年(明治31年)に母親の実家である大阪市で生まれて、父親でホーム・リンガー商会(貿易商)を営んでいたスコットランド人の住居がある場所に、その記念館が造られている。
ただここを訪れたのが盆の時期だったので、残念ながら藤原義江記念館は閉まっていて、見学出来ずじまいであった。この看板にあるように引接寺も近くにあったので寄る事も出来たけど、寺にはあまり興味がなかったので”エロ坊主オジサン”から「そろそろ近くの唐戸市場で寿司でも食べよう!」という意見に賛同して市場に向かう事にする。
下関にあるマンホールのふたは、勿論このように下関に福を与えてくれるフグのデザインであった。「美しいバラには棘がある!」ではないけど、「美味しいフグには毒がある!」の通りな生き物。そしてそんな毒がありつつも食べる日本人ってのは、とても食に貪欲な民族であるというのも思い知らせてくれるのである。
下関の海鮮市場「唐戸市場」にて
先程の李鴻章道西端から徒歩にて約3分で辿り着いた唐戸市場。1933年頃に開設された下関の中心部にある市場で、卸しと小売りが両方とも行われているという珍しい市場でもあるようだ。それと市場内には新鮮な獲れたての魚で作るお寿司屋さんもあって、安くて美味しいお寿司を食べれるので人気だそうだ。
なお現在の建物は2001年に完成したもので、2003年には日本建設業連合会主催の「第44回BCS賞」という賞を受賞しているという。ちなみに同じ時に受賞した建物には、札幌にある札幌ドームなども含まれている。
住所:山口県下関市唐戸町5−50
営業時間 月~土:AM5時~PM3時
日+祝日:AM10時~PM3時
そんな下関を代表する唐戸市場に入ろうとしたら、盆休み期間中だったので休館日で残念ながら入る事が出来なかった。盆休みに国内旅行すると、開いていないお店や施設があったりするのでどうしても訪れたい施設があれば事前に盆休みも営業しているか調べるに越したことはないのである。
元々この唐戸市場では青果部門も一緒くたに入っていたようだが、1976年に青果部門が移転してからは鮮魚部門がメインの市場となっているだけに、この辺りはとても魚臭い場所となっている。
普段は卸業者と共に一般客なども混じっている為に多くの人で溢れるという唐戸市場。ただ盆の時期だけはこのように閉館されていたので、閑散とした風景しか見れなかった。
唐戸市場を見ながら関門海峡の方へと歩いて行くと、海沿いにフグのオブジェなどが北九州をバックにして見えてきた。フグの名産地というよりはフグの集積地となっている下関では、海外からの輸入(主に中国)からのフグもこの下関を経由するそうだ。
唐戸市場前から先程下周辺を歩いた関門橋が見えている。ここから北九州に移動する手段として、あの関門橋まで戻らなくても唐戸市場周辺から渡船が出ているので、それで簡単に北九州に移動できるという。
そして反対側を振り向くと、観覧車が見える。
ここ最近高い場所に行きたくなる傾向があり、高いタワーの展望台や観覧車などに行きたくなってくるボクである。。
唐戸市場の2001年新装と共にこのウォーターフロント周辺も再開発が行われて、この見える正面に下関市立しものせき水族館や観覧車かショッピングモールも合わせて造られたそうだ。
そんな観覧車を見ながら唐戸市場の西側に辿り着くと、こちらは締め切られておらずに市場の中が直に見れた。ただこの辺りは魚臭いというよりは、別の臭い匂いが何故か充満していたのであまり入っていきたい場所ではなかった・・・。
でもそんな臭い匂いをガマンして、大きなフグのオブジェの写真撮影を優先する事にした。世界や日本の各地に旅行しに行っての一番優先する事は、現地の写真を沢山写真に収める事である。なので辺りをグルグル見回して写真に撮りたい物を見たら、いきなり歩く方向を変えて進みだすボクなので、全然写真撮影をしない”エロ坊主オジサン”にとってはちょっとシンドイ旅だったかもしれないな。
ただ中に入ってみると唐戸市場は休館日だったけど、2階にある食堂や寿司屋さんは営業している様子で、盆休みだけに多くの人が並んでいる光景が見えた。”エロ坊主オジサン”から「あの列に並んでまで、唐戸市場の寿司が食べたいか??」と聞かれたが、並んでまでご飯を食べたくないボクは「NOです!」と答えて、混んでない店で昼食を取る事にした。
唐戸市場前の海ではイケスが並べられていて、ハマチのような魚が狭いイケス内で大量に放り込まれている光景が見えた。こうやって狭い場所で育てられる養殖魚も、実際に目の当たりにすると何だか可哀想に思えてくる景色である。
北九州旅でちょっと足を伸ばしてやってきた下関だったけど、肝心の名物であるフグ料理は食べずじまい。そして唐津市場周辺にあった寿司屋さんも盆期間中で、普段は全然人が並ばない店までも行列が出来ていたので魚系の料理も食べずじまい。
「まあフグは大阪でも食べれるし・・・」と思いつつ、唐戸市場をあとにするのであった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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