九州縦断旅:鹿児島編
旅行期間:2020年8月中旬~下旬
サイクリング後にも勉強!
さて桜島を自転車で一周するサイクリング旅も途中から急勾配の坂ばかりが続いた時点で諦める事がチラホラと脳裏をよぎる瞬間もあったけど、何とかほぼ無事ゴール出来るのが確定する地点までやって来れました。特に8月という真夏の時期だったので厳しい直射日光にも攻撃されながらのサイクリング旅であった。。
桜島にて
こちらは土石流などを誘導する砂防という用水路的な堀だけど、今まで見てきたものに比べるとちょっと昔に造られたように見える。堤防はコンクリートではなくて石積みになっているし、底部分には雑草も生えてきているし。火山灰の土壌に雑草がそれなりに生えだすのは、噴火後50年前後の歳月が必要になるという。
火山灰って植物にとっての栄養があるものだと思っていたけど、実際には殆ど栄養素が無いようだ。全く栄養が無い火山灰の土壌に長い時間を掛けて雑草のような植物が生えては枯れてを繰り返して、その枯れた植物の残骸をバクテリアが分解していった積み重ねで大きな植物が育つ土壌が出来上がっていくようだ。
塵が積もって山にはなるけど、森になるにはバクテリアの存在が必要のようだ!
無事、ゴールの桜島ビジターセンターに帰還
そして桜島で自転車をレンタルしてから約5時間30分後になる、16時35分にゴールとなる桜島ビジターセンターに帰還する。一応閉館が17時となっていて地方だと早めに閉店の準備をし出す所もあるようだけど、後で係のお姉さんに話を聞いたら「一応17時過ぎまでは待ってるつもりでした、もしもっと遅れるなら多分電話してくるだろうと思ってました!」との事。
そして今日の炎天下の桜島一周サイクリング旅で一番の功労者であるボクの体・・・ではなく、このGIANT社のロードバイクに感謝したい。無事パンクもなく、チェーンも外れる事なく、チョコチョコと寄り道するボクに怒る事もなく、雨が降ってきた時も独りほったらかしにしても文句を言わなかったのである!
名前を付けるのを忘れていたので、ここ別れ際だけど「桜ちゃん」と名付けました!
名前付けるの、遅か~~!
自転車のレンタル料金は当初の予定時間3時間を更に3時間オーバーしていたので、追加で1,500円(1時間超過毎500円)支払う。これで自転車のレンタル料金は合計で4,000円となったけど、自動車をレンタルして回るよりも自分の体を一生懸命動かして巡ったのでとてもいい経験になった、桜島サイクリング旅であった。
今日はワシの爆発が無かったから、あまり楽しめなかっただろド~~ン!
まだ閉館まで時間があったので、この桜島ビジターセンター内に設置されている桜島のミニ博物館を、ちょっと勉強がてら覗いてみる事にする。まずはこちらのボードに2020年8月時点での爆発回数と噴火回数が書かれている。結局2020年トータルでの爆発回数は219回となっていて、ここ2年間とあまり変わらない数字となっている。2010~2015年の爆発回数を見ると、その頃はしょっちゅう爆発していて警戒レベルも高かったのだろう。
ビジターセンター内にあるミニ火山博物館の見学
こちらのパネルは「安永の噴火」で、江戸時代の安永8年(1779年)に起きた桜島の大噴火であった。この時は井戸水が沸騰したり、海水が紫色に変わったりしたそうな。この爆発で桜島に住んでいた150人余りが犠牲になり、またこの大噴火によって新しい島が何個か生まれたそうだ。
こちらはその「安永の噴火」の際に噴き出た溶岩の場所が赤く塗られている。この時点で注目して欲しいのが右側の大隅半島側との境目。見て分かる通りにこの時点ではまだ桜島は名前の通りに「島」であった。そしてこのまだ繋がっていない桜島と垂水の境目辺りに造船業で盛んだった瀬戸集落があって、そこで島津斉彬の時代に日本初の西洋式軍艦である昇平丸が造られた場所なのである。
そして次は「大正大噴火」で大正3年(1914年)に起きたもので、近世に起こった噴火なので以前の物よりもある程度詳細に記録が残っている。今日見た神社の鳥居が1.5~2mほども埋まってしまう程に火山灰や軽石などが飛び散り、更には溶岩も約30億トンという想像できない位の量が噴き出て、桜島を陸続きに変えてしまったのである。
こちらは「大正大噴火」を再現した模型で、これも赤色部分がその際噴き出した溶岩が飲み込んだ場所である。左の赤い部分は桜島港のちょっと南西部にある、ちょうどこの桜島ビジターセンターや溶岩グラウンドがある地域である。だから今ここでこのような模型などを見ているけど、その足元にはこの大正大噴火の際に流れ出た溶岩の上に立っている訳である。
そして右側を見るとさっきは陸地と離れていた島だった桜島が、完全に大隅半島の垂水地区と繋がってしまっている。また先程スルーした有村溶岩展望所はまさにこの溶岩の上に造られているのである。
そしてお次の昭和時代の「昭和噴火」はまだ大正大噴火に比べると約10分の1程の規模だったようだ。昭和21年(1946年)に起きた噴火は大正大噴火と比べると静かなものであったらしいけど、その代わりに黒い表面の溶岩がドロドロと迫ってきて東側の黒神町や南側の有村町などを飲み込んでしまったという。
こちらは「昭和噴火」時の模型で、黒神小学校があったエリアに溶岩が流れていき、そのまま海上まで流れていって約2kmの新しい溶岩台地が出来たという。そしてここには「平成大噴火」というパネルはなくて、比較的平成は大きな活動がなく終わったようだ。そして今の令和の時代に「令和大噴火」というものが起こるのか、起こらないかは実際に時間が過ぎてみないと何とも言いようがない。
ワシは気まぐれなんで、いつ大爆発するか分からんド~~ン!
こちらは約100年前に発生した大正大噴火の際の「輝石安山岩」だそうだ。桜口というと今では大隅半島側と陸続きになっている地域である。
こちらの奥に飾られている輝石安山岩はそれよりも古い安永大噴火の際の岩で、その手前に置かれているのはそれよりもっと前の噴火である「文明噴火」時代に出来た岩のようだ。文明時代の噴火は1471~1476年頃のようで、その頃は室町時代だった。
普段から活火山の近くに暮らしている人であれば身近な火山であるが、普段はそんな活火山の近くに暮らしていない人からすると全然火山についての知識が無い。なのでこういった初心者でも分かり易いパネルを見て、勉強できるのは有難い。火山が大爆発をすると①火山ガス(有毒)②砕せつ物(砕かれた岩など)③溶岩流(マグマ)などが噴出される。なお溶岩(マグマ)はゆっくり進むイメージがあるけど、流れ始めのスピードは時速約100kmにもなるという。
なのでまず大爆発前から避難を始める事が重要ですね!
ワシが大爆発を起こせば、どうあがいても無力なだけド~~ン!
一口に火山灰と言っても、こちらにあるように「白灰」「黒灰」「赤灰」と異なる火山灰があるようだ。噴火する時期や噴火する場所によっても、厳密的には全く同じ火山灰が発生する訳ではないようだ。
桜島の爆発回数や噴火回数は鹿児島地方気象台によってちゃんと計測されており、下記のホームページで各年毎の記録を閲覧する事が出来る。火山の大爆発で大きな被害を出さない最善策は、大爆発の予兆を捉えて早めの避難指示を出す事である。
そして桜島を観光する際に興味深く観察して欲しいのが、これら火山灰や溶岩の土壌から植物がどれぐらいのスパンで再生していくのかという情報。火山から噴き出た火山灰や溶岩には殆ど栄養分や水分が含まれていなくて、噴火から約30年の間は殆ど雑草なども生えない無毛地帯になる。しかしそんな無毛地帯に見えてもごく僅かな小さい生命体が住み着き、枯れてはまた住み着きを繰り返すうちに腐植が栄養分となって土壌に溜まっていくのである。
このように噴火から30年程では全然植物は再生してこない。しかし目には見えないレベルでは続々と生命が集まって来ていて、この土の中では腐植を繰り返して着々と命を新しい時代に繋いでいっているのである。なお我々が現代で当然の如く地球環境の石油や石炭などの資源を使わせてもらっているが、これらも相当古い時代の生物の命が現代に引き継がれていったものである。だから人類は地球に住んでいるのではなく、地球が育む命に生かされているのである。
人間は地球上の生物の中でも、一番図々しいド~~ン!
このように噴火から50年程が経過すると、徐々に草木が成長できる土壌となってくる。だからただ何もない無毛地域に木や植物を植えるだけではダメで、ちゃんとそれらの植物が育つ栄養素がある場所に植えないと枯れてしまうだけである。桜島サイクリング途中に見かけた火山灰が見える大地で、チラホラとススキが生えている場所が見えたけど、その辺りは噴火後50年以上経過した土地なんだろう。
そういえばボクの親父が住んでいた家の庭には、ゴルフが好きで庭にグリーンのような芝生を植えていた。しかし2019年秋に親父が亡くなってからほったらかしていたら、2020年の夏場には1.5~2m程の高さにまで成長した雑草が辺り1面に生い茂っていた。その時は「クソ~~雑草の力は凄いな・・・どっかから胞子で飛んできて勝手に生えやがる!」と思っていたけど、その前に庭に雑草が成長するだけの栄養素や水分があった訳だ。逆に言えば栄養分のない火山灰などをある程度撒いておけば、10~20年間はほったらかしていても雑草はあまり生えないのかもしれないな。。
ほったらかしは、いかんです!ちゃんと責任もって手入れするでごわす!
噴火から100~200年という長い時間が経過すると土壌内にはそれなりの栄養素が蓄えられてきて、それに見合った大きな木が成長していくという。人類は世界中で自分達の欲望の為に木々を切りまくっているけど、それは地球という場所で100~200年掛けて作ってきたものである。その有難みを理解せずにどんどん木を切っていくと、地球上にしか住めない人類の滅亡も早くなるのかもしれない。。
人類は勝手にワシの体を削ったりするから、全滅してもいいド~~ン!
100~200年の間に数えきれない微生物も含めての命の積み重ねが、このような林を形成する。となると地球上で見える景色には、そこら辺で何億以上にもわたる微生物も含めて限りない命の育みの上に、ボクら人類は立たせてもらっているのである。
一口に森と言っても段階があるようで、このような200年が経過してくると直射日光の元で育つクロマツなどの木は一旦大きく成長するけど、自分が大きくなり過ぎて子供の木に陽が当たらなくて育たなくなって一緒に枯れていくようだ。その間隙を縫うように陰樹という日陰でも育つ木が、枯れてもまた下に新しい後継ぎが生まれてくるので、それらが代わりばんこに森を形成し続けるようだ。この陰樹が森を形成し続ける流れを「極相」というそうだ。
このような木々の成長が陽樹を生み出し、その下で地道に長い事我慢して枝葉を伸ばして、僅かに得られる直射日光を受け止めて成長しつつ、上に立つ邪魔な陽樹が枯れるのを待つ。そして邪魔な陽樹が枯れると下で我慢していた陰樹が日光を思いっきり受け止めて成長していき、自分が枯れてもその下でまた新たな子孫(陰樹)が次々に生まれて森を維持していくという。
まさしく徳川家康が造った江戸幕府のような、自然界の流れですね!
家康公は陰樹の見本のような人物やったが、最後は土壌に栄養分が無くなって腐ってしまったでごわす!
あくまでも植物の自然界での掟だけど、これを植物だけの掟と決めつけるとバチが当たる。これは単なる植物界だけではなく、地球上に生命を受ける生き物全てに共通する”地球上の絶対の宿命”でもあるのだ。ただ陰樹が支配した森は何百~何千年も保たれるけど、人類が支配した森は長くても200~300年ぐらいしか継続できなかったが。。
人間は植物に比べると、邪念が多過ぎるのでしょうね・・・
人類は他の生命体から見ると、実は一番レベルが低い生き物とみられているブヒ!
他の地域だと自然が出来ていく経過に長い時間が掛かり過ぎていて、あまりその育成を実感できない。だけど活火山のある地域は噴火による新陳代謝がある影響で、他の地域よりも生命体の動向が分かり易い。という事で桜島を訪れると、単に噴煙を上げるゴツゴツした山を眺めるだけではなく、このように色んな生態系の知識も得る事が出来る場所でもある。
人間の体も同じように膿や血を噴き出す場所の方が、新たに組織細胞が成長していく可能性を秘めている場所でもある。だからこんな噴火ばかり起こして、住んでいる住民からするといい事など何もないように思ってしまうけど、それなりに得るものがあるからこそ、こういった場所に住み続ける事が出来るのかもしれない。
この桜島も島津斉彬と関わりのある場所で、日本初の洋式軍艦「昇平丸」が造られた集落があったのである。このような事実も知って桜島を周遊するのと、知らずに周遊するのでは全然満喫度が変わると思う。そういう意味では桜島から帰って、このように桜島を復習して色んな知識を増やしたからこそ、またもう一回桜島に行きたいという気持ちになっている。
どこでもそうだけど、行けば行く程に知識欲が高まってしまう!
おいどんも利通とかと一緒に、ヨーロッパに行けば良かったでごわす!
溶岩なぎさ公園の足湯にて
という事で桜島ビジターセンターのミニ火山博物館で色々お勉強した後に外に出ると、まだ暗くなかったのでもう少し桜島内を散策してみる事にする。本当は「湯之平展望所」という桜島北岳4合目付近に展望台があるのだけど、そこまで行くバスはもう終わっていて、歩きでも約1時間半ほどは掛かるというので断念した。代わりにビジターセンター近くにある足湯で、今日のサイクリングでの疲れを癒す事にする。
こちらの「桜島溶岩なぎさ公園」は平成13年(2001年)に造られた、全長100mに渡る足湯が設置された公園である。そしてこの辺りは大正大噴火によって、流れ出てきた溶岩の上に造られているのでもある。
ここの足湯は隣にある国民宿舎レインボー桜島でも使われている、約1,000m下にある温泉を引き上げて使っている天然温泉の足湯でもある。これが無料で入りたい放題の場所なのである。
そして足湯コーナーに向かうと約100mに渡る足湯に入れる場所があったけど、そこにいた人は1組2人だけ。こんな贅沢な温泉を何と独占できるというチャンスはなかなか無い。
そして桜島内の良い所は高い建物がないので、四方八方どこからでもこのように桜島の火山を眺める事が出来るのである。まるでギリシャのアテネにあるパルテノン神殿などが設置されているアクロポリスの丘のように、周囲どこからでも見る事が出来る。なおアテネではその景観を守る為に、アクロポリスの丘周囲には高い建物を作れない条例にしているという。
そして目の前には鹿児島湾が拡がるという、これまた贅沢な景色が見られる足湯ゾーンである。
という事でクタクタになったサイクリングだったけど、その分この足湯を楽しめるのであった。
こんな旅はまた次回に続きます!
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