九州縦断旅:鹿児島編
旅行期間:2020年8月中旬~下旬
昔は日本最南端だった駅
今回2020年8月に訪れた九州旅でやって来た鹿児島県。そんな鹿児島でも今日は九州の南西に位置する薩摩半島を、満喫する一日です。しかし満喫した薩摩半島もそろそろ帰る時間帯に差し掛かってきたので、長崎鼻という南端の岬から最寄りJRの駅を徒歩で目指します。
鹿児島県の薩摩半島にて
そして西大山駅を目指して早歩きで向かっていたら、どうやらちょっと道を間違っていたようで地元のおじいちゃんに道を聞いて再び歩き出したら、今年2021年3月をもって閉校となる小学校が看板が見えてくる。
「144年 ありがとう 徳光小学校」と看板には描かれていた。
なおこの徳光小学校のブログを拝見すると、この看板は2020年8月9日頃に設置されたようだった。ここを訪れたのは2020年8月22日だったので、まだ設置されてから約2週間後だったようだ。
地方ではこのように統廃合する学校が多く、過疎化が進んでいる現状をじかに見る事が出来ました・・・
こちらの小学校は「指宿市立徳光(とっこう)小学校」と言うが、徳光(とくみつ)と読みがちであるが「とっこう」と読む。なおこの地方には徳光神社があり、そこではサツマイモを琉球から持ち帰って鹿児島に栽培して広めたと言われる、この地出身の「前田 利右衛門」が祭神として供養されている。
元々芋はアメリカ大陸の熱帯地域が原産地で、それが大航海時代にアメリカ大陸に渡ったコロンブスなどが持ち帰った影響でアジア諸国にも伝わる。それが日本国内では最初に、中国の属国であった琉球王国(現在の沖縄)に広まった。鹿児島のこの山川周辺は桜島や他の火山の影響もあって火山灰土壌であまり栄養分が少なくて、農業には不適切な土地であった。
しかし琉球王国で栄養分の少ない土地でも生育するサツマイモに着目した前田 利右衛門は、そんなサツマイモを鹿児島に持ち帰り、品種改良を行い周囲の農民に配布して鹿児島一帯でサツマイモが栽培される事になる。このサツマイモが飢饉の時に農民たちを飢餓から救い、その後にサツマイモから作られる芋焼酎などにも影響を及ぼしたのである。
「西大山駅」まで歩いて進む
先程訪れていた長崎鼻の酒屋さんの大将からも「西大山駅まで歩くのは時間が掛かるから、バスにした方がいいよ!」と言われていたけど、歩くのが大好きなボクはここでも歩きを選択。さっきの小学校があるエリアは多少民家などが集まっていたけど、道を聞いたおじいちゃんが「西大山駅の周りには、畑しかないぞ!」と言っていた通り、何もなかった。。
そして畑しか見えない土地を進んで行くと、このように「西大山駅」の案内看板だけがよく目立つようになる。この後も進む度に西大山駅への案内看板を目にするのだけど、それの案内板の多さが印象に残った。というのも案内板が多いというよりも、他に何も無いから案内板に対してより大きな印象を抱いた為かもしれない。
そんな西大山駅に向かう途中に、田んぼの奥にそびえ立つ開聞岳が見えている。夕方の時間帯だったけど、ここから見ると山頂付近に雲と言うか霧のような雲が発生しているのが見える。山頂にはあのような雲が出来やすいから、さっき山頂まで登った時の景色がちょっと曇ったようで、あまり見渡せなかったのかもしれない。
これは「傘雲」や「笠雲」と言って、海から吹き付ける水蒸気を含んだ空気が山に沿って上昇する時に、急激に冷やされて出来る雲タケ!
このように畑しか無い場所だけど、それはその人の捉え方によって変わる。歩きながらも開聞岳を眺め続ける事も出来るし、この畑や土地の匂いも楽しめる。他府県から観光でやって来る人が、まずこれだけこの辺りを歩く事も無いだろうけど、このような場所で楽しみを探して歩くのも面白いのである。
だから「それだけ貴重な場所で、貴重な体験をしている」と思うだけで、楽しく歩けるのである!
「物は考えようでどうにでも変わる」という人間らしい哲学タケ!
西大山駅まで歩く 動画
だから歩くのがシンドイとか、面白くないとか思う人はまず「歩く事を楽しもう!」という気持ちが無いからそうなるのである。単なる労働のように”したくないのに動かされる”のではなくて、”自分の意思で動いて行く”のが大事である。そうすると歩きながら周囲に見えるものを見て楽しんで、嗅げる匂いや聴ける音なども楽しめるようになると、歩くという事がより一層楽しくなってくるのだ。
また西大山駅までの案内看板が見えてくる。ただ肝心の駅の方向を示す矢印の赤色が、飛んで(消えて)しまっている。これは屋外看板などに見られるように、太陽光を長時間浴び続けていくとだんだん印刷物のインキやペンキは色が蒸発してしまう現象である。印刷の世界では「CMYK」という基本カラー4色(C:藍,M:紅,Y:黄,K:墨)をベースに印刷する。ただしそれぞれ同じように蒸発しやすいのではなく、明るい色程飛びやすい。逆に墨(黒)が一番耐光が強いので、残り易い。
ただ印刷物に使うインキやペンキは野外設置用であれば、長時間太陽光に当たり続けるので、最初になるべく光を日々浴び続けても色が蒸発しにくい”耐光インキ”を使用するのが基本。ただ耐光インキも色が落ちにくいレベルのインキとなると段々と値段が上がってくるので、印刷業者としては予算があまり無ければ使いたくない。そこにこういった公共事業であれば入札事業となり、最安値の業者に委託される。そんな予算が少ない最安値の業者はなるべく安く印刷する為に、太陽光に強いインクは使わずに通常よりかはちょっとだけ耐光性があるインクを使用して誤魔化すのである。
そうすると看板が出来上がった納品時には特に問題ないから、その時だけはいいのですが・・・
するとそんな耐光性があまり無い看板が屋外に設置されると、すぐに色が飛んでしまい、さっきのように矢印部分(明るい色)が欠けてしまうのである。だから自治体の公共事業などはそういう事に無知な担当者が「最安値だったから、その業者に依頼した」をすると、出来た時はいいけど後になると使い物にならない無駄遣いになるケースが多いのである。
目先の値段にこだわるか、それとも中長期的に使える品質にこだわるかが、迷い所なんです!
なるほど、だから歴史を見ても中長期的に国を豊かにするというビジョンを掲げて実行した人達は、名君として今も尊敬されている訳タケ!
目先の利益にこだわると、その後に失敗してしまう事が多いでごわす!
さてひたすら歩き続けると、JR指宿枕崎線の単線路が見えてきました。しかしこの辺りから西大山駅の駅舎が見えるハズなんだけど、それらしき建物は全く見えない。今日の朝にやって来た開聞駅も簡素な駅だったので、この利用客が少ないJR指宿枕崎線の駅はどこも同じように、一応ホームと看板と雨宿りできる席が2~3個設置されている位の駅なんだろう。
元々日本国内でサツマイモが普及したのが鹿児島でもこの地域だったけど、今では全国的に全く珍しくない物になってしまったサツマイモ。だからそれ以外にこの町を代表するものが少なくて、その中での貴重な観光資源でもある”JR日本最南端”の「西大山駅」。
今の看板の後ろにあったこちらの看板は、さっき矢印が消えていた看板と同時期に同業者が作製したものだろう。同じように赤色のインクが飛んでしまっていて、「JR日本最南端の駅」のハズが「JR」が消えてしまっていて「日本最南端の駅」となってしまっていた・・・。
肝心の「JR」という文字が消えてしまったら、この看板も意味無いタケ!
この看板だと誤解を招くから、この看板の前側に上の新しい看板が造られたのだろう・・・
長年設置するという前提で、デザインの色使いも考察しないといけないド~~ン!
そんな道中の看板を見て1人色んな妄想をしながら歩いていると、小さな無人駅舎の「西大山駅」が見えてきます。なおこの西大山駅が開業した1960年には、この駅が正真正銘”日本最南端の駅”でした。しかし2003年に沖縄に「沖縄都市モノレール線(通称:ゆいレール)」が開通し、その路線の赤嶺駅に”日本最南端の駅”の称号を譲り、西大山駅は”JR日本最南端の駅”という称号に変わったのである。
そして西大山駅に近づくにつれて、このようなソフトクリームやスイーツなどの旗が立ち並んでいるのが見えてくる。西大山駅は今では乗降客よりも見学客が多いので、それを目標とした売店が近くで営業しているのだろう。
アイスクリームか、マンゴースイーツを食べたいブヒ!
そして進んで行くと、こちらの「かいもん市場 久太郎」というお店が見えてくる。早歩きでここまで歩いてきたので、まだ電車が到着するまで約20分ほど時間があったのでちょっと店内を覗いてみる事にする。
しかしこの時は真夏のコロナ禍もあって観光客が全然来ないからか、お店はこのように閉まっていた・・・。なおこちらでは「JR日本最南端の駅:到着証明書」という書類が110円で購入できるそうだ。
JR日本最南端の駅「西大山駅」に到着!
そして長崎鼻を出発して約50分後に無事「西大山駅」に到着する。なお次の電車は約20分後に到着する予定だが、もし次の電車を逃したら約2~3時間は待たないといけない。このJR指宿枕崎線も指宿駅までは乗降客も多いので本数はそこそこあるけど、山川駅より遠西の駅はガクっと利用客が減るので廃線も検討されている程なので本数も極端に少なくなっている。
住所:鹿児島県指宿市山川大山602
※無人駅
そんな西大山駅前には、こちらの「伍代夏子氏 金木犀(キンモクセイ)発売記念植樹の碑」が設置されていた。
伍代夏子「金木犀」ミュージックビデオ 動画
この記念碑の右側に、その『金木犀』という歌が発売された記念に植樹されたキンモクセイの木が見える。ただ伍代夏子さんがこの鹿児島出身な訳でもなく、『金木犀』の歌詞にも西大山駅が出て来ないので、何故ここに来て植樹したかは不明。ひょっとしたら熱烈な後援者がこの辺りに住んでいただけかもしれない。。
この駅は北緯31度11分の位置にあり、JRの駅としては最南端にあるので、それをPRして少しでも観光客を誘致しようと頑張っているようだ。「こんな単なる無人駅になんか、わざわざ人がやって来るのだろうか?!」と思っていたけど、電車を待っている20分の間でこの駅で記念写真を撮る為に、3グループがやって来ていた。
ただしその3グループの人達は車で来ていたので、電車には乗らずに帰って行ったけど・・・
この駅は1日に100人も利用しないので、その内に消えてしまうかもしれないタケ!
そして”JR最南端の駅”というだけではここをせっかく訪れたお客さんがガッカリするので、それを楽しまそうと西大山駅前には色んな物が設置されていた。まずは若い女性が好きそうなベルが置かれているのが見える。
このベルには「ここは菜の花王国 訪れる人にはやすらぎを 去りゆく人には・・・・・」と文字が入れられていた。なお、後でやってきた中年女性グループ達の人がこの鐘を楽しそうに鳴らしていた。。
その鐘の反対側では、他の場所でも見かける「幸せを届ける黄色いポスト」が設置されている。あまり見かけない黄色い郵便ポストだけど映画『幸福の黄色いハンカチ』の影響もあってか、全国の観光地でもチラホラと見かける。
なお郵便ポストの色というのは、実は世界各国によって採用されている色が違う。ヨーロッパではこの視認性の高い黄色い郵便ポストを採用している国が多い。ではなぜ日本の郵便ポストが赤いかというと、「イギリスの郵便ポストが赤かったから」だそうだ。日本の郵便制度はイギリス方式を導入した為に、イギリスで採用されていた赤い郵便ポストになったそうだ。
なお初期は黒色の郵便ポストもあったけど、夜などは黒い色だと郵便ポストが見えにくく、また公衆トイレが黒色だったのもあって、差別化しやすく赤色に統一されたという。
そしてこの黄色いポストの横に立って、バックに開聞岳を入れての記念写真がここの名物。しかしこの旅で持って来ていた百均ショップのスマホ三脚スタンドが早々に壊れてしまい、自撮りの記念撮影はできずに眺めているだけだった。。
黄色い幸せな郵便ポストと、開聞岳がマッチしているタケ!
廃線を何度も検討されてきたJR指宿枕崎線の山川駅から西側の路線だけあって、本当に鉄道駅としての最低限の設備しか置かれていない。だから無人駅で緊急停止などのボタンなども無いし、「何か問題が起これば、このフリーダイヤルに電話してください!」とも書かれていた。
西大山駅にはこのように日本国内で東西南北、それぞれの先端にある駅一覧が描かれている看板があった。
何にも知らない人からすると間違って、”日本の駅の中で最南端の駅”と思う人もいるだろうの「西大山駅」。そんな駅から実際に電車に乗って、鹿児島市内に帰るとします。
そんなボクも最初は、”日本の最南端の駅”だと思ってました・・・
こんな旅はまた次回に続きます!
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