下関から渡船で門司港へ渡り、跳ね橋「ブルーウィング」可動を眺める

九州縦断旅:北九州編

 旅行期間:2020年8月中旬

 

意外と近い、下関と門司

唐戸市場の外観

今回の九州旅で九州地方から、少し足を伸ばしてやって来た下関。関門海峡の底にある関門トンネルの人道を歩けば、実際に徒歩で北九州から山口県に入れるので意外と下関と門司は近い。

 

下関の唐戸市場付近にて

唐戸市場近くにある、フランシコス・ザビエル上陸の記念碑

そんな唐戸市場付近のウォーターフロント周辺に、何やら日本人であれば絶対知っている歴史上の外国人のモニュメントが置かれているのを発見する。

さて、誰のモニュメントでしょうか??

 

唐戸市場近くにある、フランシコス・ザビエル上陸の記念碑-1

正解は「フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)」のモニュメントでした。日本人であれば学校で歴史の時間に必ず学ぶ、外国人で最も有名なひとりに入る程の人物。ポルトガル人宣教師のザビエルがやって来た当時は16世紀中頃で、今みたいに簡単に世界中を安全に移動できる時代ではなかった。

 


遠い遠い遥か彼方のヨーロッパから船に乗り、危険と隣り合わせの長い航海を経て日本に辿り着いたのである。この当時ではヨーロッパからアジア地方に来るだけでも約半年以上の時間が掛かっていた。

 

唐戸市場近くにある、フランシコス・ザビエル上陸の記念碑-2

ただこのモニュメントで勘違いしてはいけないのが、”ここがフランシコス・ザビエルが日本に初上陸した場所ではない”という事。この石碑にも「日本に初上陸」とは彫られておらず、「下関上陸の地」と彫られているのである。確かに冷静に考えてみてもヨーロッパからやって来て、まず下関に辿り着くというのも可能性は低い。

 

唐戸市場近くにある、フランシコス・ザビエル上陸の記念碑-3

左側の石碑にもあるようにフランシコス・ザビエルが初めて日本に上陸したのは1549年で、鹿児島の薩摩半島南端付近である。この時代に日本にやって来る船は主に琉球王国を目指してやって来ていたので、その後ヨーロッパからやって来る船は主に琉球王国や奄美大島などが多かった(江戸時代に琉球王国や奄美大島は鹿児島の島津藩の領土であった)。

 

フランシスコ・ザビエルが日本に滞在した時の海路ルート図

神戸市立博物館「ザビエルの間」にある、日本滞在時にザビエルが移動した海路ルート図

なのでこの旅後半に鹿児島県で島津氏28代当主である島津斉彬公の歴史などを勉強したが、琉球王国や奄美大島などを支配していた島津藩に対して、鎖国していた江戸時代の日本に対する開国を迫るヨーロッパ勢が多くやって来たそうだ。そういう緊張感にあった薩摩藩では、当時の日本国内でも一段とヨーロッパ勢の莫大な国力に危機感を募らせていくのであった。

そしてそれが島津斉彬公の富国強兵政策へと繋がり、西洋式船舶の建造や尚古集成館の整備などへ邁進していくのである。その西洋式近代化への努力がその後の江戸幕府の倒幕や明治時代の近代化へと繋がっていく。

 

唐戸市場付近にあるザビエルの記念碑

たとえ全世界を手に入れても、自分の魂を失ったならば、なんの益になろうか!

by   マタイ福音書16章26節

この新約聖書の言葉がザビエルを遥か遠い地である日本へ行かせる決心をさせたという。

ちなみにこの石碑の上に置かれている「ザビエル城の石」は、フランシコス・ザビエルの出身地であるスペインのバスク地方にある、彼が幼少期を過ごしたハビエル城(ザビエル城とも呼ばれる)の石だそうだ。スペインの地方貴族の息子に生まれたザビエルが住んでいたハビエル城は1980年頃に復元されて、今では博物館になっているという。

 

 

下関の唐戸市場から北九州側を眺める

下関側から眺める、北九州の門司港周辺の景色である。明治初期には諸外国の商船を多く受け入れる港として発展し、その後も石炭発掘の炭鉱産業や八幡製鉄所などの鉄鋼産業で当時の日本国内産業をリードして繁栄していた北九州。ただその副産物として、北九州を流れる川には工場から排出する汚染された水が垂れ流しされて、多くの健康被害も続出するのである。

 

下関の唐戸市場から北九州側を眺める-1

その北九州から関門海峡を挟んで対面にある下関も、21世紀の観光産業に力を入れる為にこの海岸部分のウォーターフロント周辺の再開発を行った。ただここから見える観覧車や水族館など、どこの場所に行っても見られるものなのでもう少し下関らしさのあるレクリエーション施設があればいいのだが。。

 

下関の唐戸市場周辺のウォーターフロント周辺

この2020年8月はまだコロナ渦で観光地に出掛ける人が少なかったけど、さすがに盆休みの長期休暇中なので平日よりかは人出は多かったようだ。盆の期間は真夏の時期なので、とても暑かったからか、アイスクリームを食べる人ばかり見かけた。

 

下関の唐戸市場周辺のウォーターフロント周辺にあるフグのオブジェ

そしてまだ比較的新しい商業施設の前には、関門海峡をバックにしてまたフグのオブジェが置かれていた。さっき唐戸市場内で見かけたフグのオブジェよりかは、まだこちらのオブジェの方がフグらしい顔をしている。

 

下関の唐戸市場周辺のウォーターフロント周辺にあるフグのオブジェ-1

下関といえばフグのイメージが大きいけど、フグを食べる量は大阪が一番多いというのを知って少々驚く。確かに大阪市内を歩いていても簡単にフグ料理屋さんを見かける事が出来る。フグの水揚げ量自体も下関がナンバーワンではなく、今では下関は”フグの集積地No.1”という認識の場所になっているようだ。

 

下関の唐戸市場周辺のウォーターフロント周辺で行われていた、猿の芸

そしてフグのオブジェにはみんな目もくれずに、その横で炎天下の下で行われていた猿のお芝居を見物していた。ボク個人は、無理やり人間が教え込ませて”人間の道具化”された猿を眺めて楽しむつもりは無かったので全然見なかったけど、周辺には多くの観光客が足を止めて猿芝居を眺めている姿があった。

エロ坊主オジサン
エロ坊主オジサン

お~~なかなか猿も賢いな~~!

 

下関の唐戸市場周辺のウォーターフロント周辺にあるフグのイラストが入った提灯

このように猿芝居を見物する人だかりが出来ていた。でもボクの視線が行った先はその周辺に飾られていたフグの提灯である。づぼらやの提灯よりもこっちのデザインの方が、なんとなく可愛く見える提灯である。

 

下関の唐戸市場周辺のウォーターフロント周辺にあるフグのイラストが入った提灯-1

魚の種類の中でもこれだけ愛嬌がある顔をしていて、長年人間に愛されているフグならではのデザインではなかろうか。暗くなってこの提灯に灯りが灯った景色も出来れば見てみたかったな。

 

下関の唐戸市場周辺にある、旧イギリス大使館の建物

さて猿芝居が終わった所でこの人が多かったウォーターフロント周辺を抜けて、もう少し人が少なくてゆっくり食事が出来る場所を探しに行く。その途中に道を挟んだ反対側にあった、こちらの赤レンガ造りの建物は1906年に建設された旧英国領事館だという。その後1940年に第二次世界大戦の激化により、その領事館としての役目を終えて、今では博物館兼カフェとなっている。

 

 

 

下関市周辺を歩く

道路を挟んだ旧下関英国領事館側に渡るのには、こちらの歩道橋を使う。ただ真夏で灼熱の8月中旬だったので、少し歩くだけで汗だくになる。まして歩道橋には日陰が殆ど無いので、体力の無い人にとって歩道橋の横断は拷問に近いかもしれない・・・。

 

下関市周辺を歩く-1

そしてその歩道橋を渡った先にある商店街付近で、昼食を食べれそうなお店を探す事にする。ただしこの商店街もよくあるようにシャッター街になっていて、何年もシャッターが閉まったままのようなお店ばかりを見かけて、昼食を食べれそうな店を探す事に難儀しそうな雰囲気である。

 

下関市にある商店街を進む

シャッター街で更に盆休み期間中に訪れた事もあって、開いているお店は少なかったけども今回アテンドしてくれる”エロ坊主オジサン”は今まで色んな所を歩き尽くしているので、前にも行った事のあるうどん屋さんを案内してくれた。

 

下関市の商店街にある「桃太郎」といううどん屋さん

それがこちらの”下関のソウルフード”を食べれると噂の『桃太郎 本店』である。全然知らなかったけど意外と人気店らしく、こんな寂れた商店街のお店なのに、中に入ってみるとほぼ満席状態のうどん屋さんでした。そしてここでの一番の名物が天麩羅うどんらしいけど、ボクは普通のうどんを食べました。

特にそんな目が輝く程のおいしさのうどんではなかったけど・・・

 

そしてこの時に大失策を犯してしまいます・・・。ボクの旅行といえば何でも写真に撮るのが代名詞でもあるのですが、なんとこの桃太郎でのうどんを写真に撮る事をすっかり忘れてしまっていたのです・・・orz。

という事で下関のうどんの写真はございません。申し訳ありません!

 

 

唐戸から渡船に乗り、北九州へ

下関の唐戸渡船ターミナル

さてとりあえずお腹にうどんを入れた事により空腹が解消され、これから北九州の門司側へと船で帰る事に。帰りは関門トンネルには戻らずに、この下関と北九州を結ぶ渡船に乗って帰ります。こちらは唐戸市場近くにある渡船乗り場です。

 

下関の唐戸渡船ターミナル-1

こちらの関門汽船という会社が渡船を出していて、渡船以外にも関門海峡クルーズや門司港レトロクルーズなども行っているようです。下関と門司港間を約5分で渡る渡船は、だいたい20分に1本の割合で運航している。

 

関門汽船 下関乗り場

住所:山口県下関市南部町31−2 
TEL:083-222-1488
運航時間 (下関~門司港:関門連絡船)
朝6時頃~21時50分頃まで(※要下記ホームページ確認)

 

 

 

下関の唐戸渡船ターミナルのチケット売り場

その船が停まっていた先に渡船の「唐戸ターミナル」があり、こちらで渡船のチケットを購入します。片道:大人は400円、子供は200円です。なお、ここからはあの宮本武蔵と佐々木小次郎の闘いが行われた、有名な巌流島にも行く事が出来る連絡船が出ています。特に何もない島らしいけど歴史的に有名な島なので行きたかったけど、”エロ坊主オジサン”の予定ではそろそろ小倉へ戻る時間だったので大人しく帰る事にする。

 

下関の唐戸渡船ターミナルで船に乗り込む

唐戸ターミナルでゆっくり写真を撮ろうかと思っていたら、「門司港行連絡船はあと2分で出航します!」というアナウンスが鳴り響く。それを聞いて”エロ坊主オジサン”と慌てて券売機に走り、チケットを急いで購入し連絡船へと向かう。

エロ坊主オジサン
エロ坊主オジサン

うお~~走れ~~~!

 

急いだ甲斐もあって、何とか門司港行きの連絡船に無事乗船出来た。なお、このコロナ禍で連絡船に乗るにはマスク着用が必要との表示があった。

 

下関の唐戸渡船ターミナルで船に乗り込む-1

連絡船に乗り込むと船外のデッキ席と、船内のクーラーが利いた室内席の2種類があったけど、今回は室内席を選ぶ。デッキ席で関門海峡を吹き抜ける風と、暑い直射日光を浴びながら景観を眺めるのもいいけど、真夏は暑すぎるデッキ席。もう充分に汗だくになっていたので、空調が利いていて涼しい船内でゆったり対岸へと渡る道を選択する。

 

下関の唐戸渡船内の景色

今回の旅であまり人混みに行かなかったり、接触する事もほぼ無かったのであまりマスクする姿を見なかった”エロ坊主オジサン”もここではさすがにマスクを取り出して着用していた。眼鏡を掛けている人はマスクから漏れる吐息で、眼鏡が曇り易いのでマスク着用には少々抵抗があるような感じであった。

 

下関の唐戸渡船内の景色-1

連絡船の船内席には人影はまばらで、大半の乗客は暑いデッキ席に行っていた。ボクも1人だったらデッキ席に行っていただろうけど、”エロ坊主オジサン”の休憩も兼ねて室内席から関門海峡を眺める事にする。

 

下関から門司港へと向かう景色 動画

 

唐戸渡船内から見た、関門海峡を渡る時の景色

船内から関門海峡を横断する様子を見ていると確かに流れの早い関門海峡らしく、船に当たる水飛沫が一段と激しいように見える。また近くを大きな貨物船が通過したりするので、少々タイミングを誤るとボクらも安徳天皇や平時子のように関門海峡下の竜宮城へと導かれる可能性があるので、大型貨物船を見ると少しヒヤヒヤする気分になる。

 

唐戸渡船で門司港へと到着

約5分での関門海峡横断はあっという間に到着したような感じであった。

無事に門司港まで到着したので、今回は竜宮城に行く事が出来なかったね!

 

 

北九州の門司港にて

唐戸渡船で門司港へと到着-1

約1時間半ぶりに戻ってきた北九州の門司港。渡船から降りて桟橋に出ると、目の前には門司港レトロの景観を壊すとして物議を醸し出した高層マンション「門司港レトロハイマート」と、その手前には可動式跳ね橋の「ブルーウィング橋」が目に入る。跳ね橋のブルーウィング橋は是非、その稼働している姿を見たかった橋である。

 

門司港から見る、海の景色

そして反対側には関門海峡の上を繋ぐ関門橋と、その奥には小高い「火の山」と呼ばれる山が見えている。明治時代には船舶が通行する要所であったので、ここを通る敵船に対して砲撃を浴びせる為に砲台が置かれていたという。なので当時は軍事的に重要な場所で一般人は立ち入り禁止で、第二次世界大戦後に解放されて今では眺めのいい観光地となっているようだ。

 

門司港から見る、海の景色-1

そんな景色のいい門司港の関門海峡を眺めながら、駐車場がある関門橋の袂方向へと足を進めていきます。

 

 

跳ね橋「ブルーウィング」を眺める

門司港にある「ブルーウィング橋」の景色

そしてちょうど見たかった跳ね橋「ブルーウィング」が目の前に表れる。跳ね橋って意外とあまり開閉しているのを見る機会が無いし、2020年3月にロシアのサンクトペテルブルクに行った時も開閉している橋の様子を見れなかったのでここで稼働する橋をとても見たかったのである。

 

ブルーウィング橋

 

住所:福岡県北九州市門司区港町4−1

橋の開閉時間:10時~16時20分

開橋時間 10時・11時・13時・14時・15時・16時
閉橋時間 上記開橋時間のそれぞれ20分後

※橋が開いているのは実質20分間のみ

 

 

 

門司港にある「ブルーウィング橋」の景色-1

全然行く前に調べていなかったけど、このように橋が開いている時間は閉じている時間に比べて短いので、たまたま開いている時に門司港に戻って来れたのは幸運であった。そしてまた跳ね橋に辿り着いてすぐにアナウンスが鳴り響き、「これより、橋が約8分かけて閉じていきます!」との事。

 

跳ね橋「ブルーウィング」が閉まっていく 動画

とりあえず閉まっていくブルーウィング橋の横で、スマホを構えて橋が閉じていく様子を動画撮影してみる。最初は「こんな橋が閉じるのに、本当に8分も掛かるのか??」と思う位に、早く動いていく橋であったが。。

 

門司港にある「ブルーウィング橋」が閉まっていく

この辺りまでは早く稼働していた橋だけど、これからがとてもゆっくりで橋の噛み合わせ部分を慎重に合わせていくような感じで時間をかけながら閉まっていった。

なのでこの様子をず~~っとスマホを構えて動画撮影するのも、思ったよりもしんどかった・・・

 

門司港にある「ブルーウィング橋」が閉まっていく-1

そして閉まりだしてきっかり8分後に橋が通行可能になった。なお橋の両端ではそれぞれ係員さんがちゃんと橋が閉まるのを確認してからロープを外して、それから橋を通行できるようになる。なお、このブルーウィング橋は歩行者専用の橋だけど、歩行者専用の跳ね橋としては国内最大級だという。

 

 

門司港にある「ブルーウィング橋」が閉まって、通行する人達

やっと橋が通行できるようになると、わざわざこの橋を通るのを楽しみにしていた観光客の人達で溢れる橋の上。観光客を集める為にか、この橋は”恋人たちの聖地”とも呼ばれているようでそれを聞いてやって来るカップルも沢山居るようだ。

ただしカップルがその関係性を上手く保っていくには、この橋を渡るのが秘訣ではなく、お互いに相手を尊重して思いやる気持ちを持ち続けるのが大事かもしれないが。。

 

門司港の「ブルーウィング橋」を渡る

この跳ね橋は歩行者専用で橋が開いている時は、奥の街付近の道を通れば迂回できる。ただあくまでも観光客用の見世物として跳ね橋になっているので、開いている時間よりも閉まっている時間の方が長いので、そんなに不自由する橋でもないのだが。

 

門司港の「ブルーウィング橋」を渡る-1

昔ながらの雰囲気を醸し出して観光地として成功した”門司港レトロ”の目玉でもある「ブルーウィング橋」だけに、橋が開いている時には周辺にあまり人が居なかったけど、いつの間にか橋が閉まったタイミングを見計らって集まってきた人達が見える。

 

門司港の「ブルーウィング橋」を渡る-2

ボクが約8分間に渡ってブルーウィング橋が閉まる様子をじ~~っと動画撮影していたのを、我慢強く後ろで眺めていた”エロ坊主オジサン”。

 

そんなオジサンが開口一番に発した言葉はというと、

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

じっくり動画撮って、充分に満足したか?!

であった。。

こんな旅はまた次回に続きます!

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