2016年の熊本地震で崩れ落ちた熊本城の石垣を目の当たりにする

九州縦断旅:熊本編

 旅行期間:2020年8月中旬

 

熊本城の復興へ向けて

地震で崩壊している熊本城の景色

この2020年8月中旬に行った九州縦断旅で、ちょうど中日に熊本市内の中心部にある熊本城を訪れた。熊本というと今から約4年前の2016年4月に、震度7や6強を観測する地震が相次いだ”熊本地震”が発生し、それが今でもこのように傷跡が残っていたのには衝撃的だった。知人も居ないし、行った事もない熊本での被害だったのでそんなに深刻に思っていなかったけど、実際には頑丈なハズの城の石垣が、こんな簡単に崩壊していたのであった。

からし蓮君
からし蓮君

熊本城の崩壊は、これだけじゃなくもっと深刻ばい!

 

 

熊本の象徴である熊本城にて

熊本城の本丸前を流れる坪井川

熊本城の本丸前にある内堀は、これは池ではなくて川。それも先程歩いている時に見てきた坪井川で、しかも元々はこの熊本市役所がある辺りから一級河川の白川に合流していた流れを熊本藩初代藩主の加藤清正の治世時代に、その坪井川の流れを蛇行させて、防御も兼ね備える内堀ルートに改造させたもの。築城の名手とも言われる加藤清正だけど、城造りだけでなく、周囲の地形も改造させた手腕には驚くしかない。

 

熊本城の本丸前を流れる坪井川に架かる行幸橋を渡る

さてこの旅は今から約半年も前の2020年8月中旬に訪れたものなので、天気からして分かるようにとても暑い時期。

だけど「暑さには負けない」と心に誓って、汗を噴き出しながら歩みを進めるのであった!

 

熊本城の本丸前を流れる坪井川に架かる行幸橋を渡って見えた記念碑

そんな内堀代わりになっている坪井川に架かる行幸橋を渡ると、その付近にこの「西南の役回顧之碑」が置かれていた。明治10年(1877年)に九州で起こった西郷隆盛率いる反乱軍と新政府軍による西南戦争で、ここ熊本城も激戦地になっているのだ。

 

熊本城の本丸前を流れる坪井川に架かる行幸橋を渡って見えた記念碑の看板

江戸時代以降は平安が続いた日本にある城では、争いが無くなってしまった為に城本来の防御機能が発揮される戦いが無かった。しかしこの西南戦争における熊本城に籠城する新政府軍に襲い掛かる西郷隆盛率いる薩摩軍との攻防では、実に死傷者が約30,000人を超える激戦となったそうだ。

 

そして熊本城で実際に実戦が行われた最初で最後の事例でもあり、かつ熊本城に籠城する新政府軍を攻略できなかった薩摩軍の西郷隆盛は、

おいどんは官軍に負けたとじゃなか、清正公に負けたとでごわす!

 by   熊本城を攻略できなかった西郷隆盛の一言

と、その堅固な造りの熊本城に感嘆したそうな。。

からし蓮君
からし蓮君

今も昔も熊本城は名城に間違いないバイ!

 

 

まずは入口の「桜の小路」にて

熊本城の受付のような桜の馬場:城彩苑

さて勿論初めてやって来る熊本城で、南側から本丸を目指して進むと、このような城の入口のように売店や観光案内所などが立ち並ぶエリアが見えてくる。こちらは「桜の小路」といって熊本県下のお土産屋さんなどが、22軒ほど集まっている場所のようだ。

 

 

熊本城の受付のような桜の馬場:城彩苑の売店-1

この熊本城の入口的な場所でも、やっぱりお出迎えはくまモンである。ただコロナ禍の2020年8月中旬という、とても暑い時期だったので熊本城を訪れる観光客の姿はチラホラしか見られなくて、ここに入っているお土産屋さんとかも開店休業中のような感じだった。

 

熊本城の受付のような桜の馬場:城彩苑の売店

例年なら暑くてもそれなりに観光客の姿や軒先で客引きで声を掛けたりする店員さんの姿が見られるらしいけど、この時は全然見られない異常事態のような景色であった。お店の人も店の前に立っていてもお客さん自体がいなければ、どうしようもないから・・・といった感じで冷房の効いた店内に引っ込んでいたのだろう。

 

熊本城の受付のような桜の馬場:城彩苑の売店で見たポスター

熊本県に普段あまり興味を持たない人間からすると、熊本県民に対しては失礼な話であるが「もう4年前の震災だから、ある程度復興されているだろう!」と思っていた。けど実際には地震で被災した規模が大きすぎて、この熊本城全体の修復に約20年の計画を見込んでいて、まだ天守閣の復元に取り掛かっている最中だった。

 

熊本城の本丸へ続く道

技術の進んだ現代だと、簡単にお城を再現できるのかと勝手に思っていたけど、実際には崩れた石垣には全て番号を割り振って別の場所へ退避させ、元の造りをほぼ忠実に再現する為に元々使われていた石などを再利用するので、よ~~く考えてみれば気の遠い話である。。

からし蓮君
からし蓮君

単なる城の復元ではなく、加藤清正公の造った堅固な熊本城の復元ばい!

 

熊本城の本丸へ続く道-1

という事でここ熊本城の天守閣も熊本地震で被災した為に、現在は復元作業中で天守閣自体には立ち入れない。この天守閣の復元作業は2021年春まで行われて、その桜が咲き始める春頃にやっと天守閣内を見学できる予定で計画が進められている。

 

熊本城 飯田丸五階櫓の看板

この看板がある辺りから見えていた「飯田丸五階櫓」は、加藤清正の家臣で築城に長けていた飯田覚兵衛が築いたとされる櫓である。しかし西南戦争後前の明治時代初期に陸軍によって櫓は破棄されてしまい、石垣のみが残された状態だった。そこに2005年に五階櫓が復元されて中の見学も可能な建物となっていたが、2016年の熊本地震を受けて堅固な石垣が崩れてしまった。

しかし一部の石垣は崩壊したものの「角石」と呼ばれる、石垣の角にしっかりと積まれた石はしっかりと建物を支えながら残った為に”奇跡の一本石垣”と称されて、熊本復興のシンボルともなった。だが現在では櫓・石垣ともに崩壊の可能性が高かったので撤去されてしまっており、現物は残念ながら見る事が出来なくなっている。

 

 

熊本城の本丸へ続く階段

こちらの通路は熊本城本丸へと繋がる通路で、修復中の熊本城で南側から本丸へ繋がる道はこれのみ。そしてこの2020年8月時点では、平日は有料500円にて熊本城本丸周辺に造られた足場の上から、復興作業中の本丸を外側から見れるコースがある。とりあえず今日は熊本城の下見だけの予定だったので、本丸近くの見学は明日に持ち越しとした。

 

熊本城の本丸へ続く階段を登る

そんな本丸へと向かう道には、このように両サイドに「熊本城」と文字が入った旗が揺らめいていた。そしてこの階段を登った所で係員が待ち受けており、本丸へ入場する人は右側へ、入場しない人は左側へと進む。なお、熊本城に居たボランティアスタッフや警備員の人達は、とても愛想が良くて皆さん暑い中でもしっかりと挨拶してくれた。

こういったハートフルな対応には、感激しますよね!

 

熊本城 未申櫓

そして階段を登って西側を進むと、目の前に見えてきたのは南西隅にある「未申櫓(ひつじさるやぐら)」である。この熊本城西出丸は北西にあった戌亥櫓(いぬいやぐら)と共に1600年頃に造られたとされているが、残念ながら明治時代になってから城に駐在した陸軍によって石垣と建物は解体されてしまった。なので今見られる石垣と建物は、2003年(平成15年)に戌亥櫓と共に復元されたもので建物自体は木造であるそうだ。

 

熊本城内の循環バス

先程の観光案内所で無料で熊本城本丸を一番近くで見れる場所を聞いてみたら、「熊本城の北側にある加藤神社からだと、本丸がよく見えますよ!」と教えてくれたので敷地内を北側に向かう事にした。するとこのように歩行者向けに熊本城内を走る循環バスが走っていたので、あまり熊本城内の敷地広さを理解していなかったので、無料という言葉に乗じてバスに乗り込んで途中の二ノ丸公園まで向かう。

 

 

 

二ノ丸公園側の通路から本丸を眺める

熊本城内の循環バスに乗って、二ノ丸公園に到着

循環バスも出ている位だから上にある二ノ丸公園まで、歩くとそこそこの距離があるのかと思っていたけど、実際にバスに乗っているのは2~3分程。実際にはその距離は歩いてもそんなに時間が掛からない距離であったけど、真夏の時期は熱中症対策も兼ねてバス移動を推奨しているのかもしれない。そして二ノ丸公園に到着すると、その駐車場からはこのように遠くにやっと本丸が見えてきた。

 

熊本城内の循環バスに乗って、二ノ丸公園に到着して見える内堀

そんな本丸西側にあった内堀は、このように芝生がキレイな緑色で溜まった水とのコントラストがとても美しい景観を創り出していた。実はこの熊本城を訪れた約2ヶ月後にまた熊本城を訪れるのだが、その際にボランティアスタッフさんに話を聞いてみた所、この内堀には西南戦争時に焼失した建物の残骸などが埋められているのが発見されたらしく、元々加藤清正が築城した時の堀はもっと深かったという話を教えてくれた。

 

熊本城内の二ノ丸公園から見られる、崩れ落ちた石垣

そんな二ノ丸公園から加藤神社に向かう通路の途中には、このように熊本地震で崩れ去ってしまっている石垣などがこんな近くに見られた。基本的にお城に築かれている石垣は強固なものなので、簡単に崩れる光景など想像していなかったけど、あの堅固な熊本城で実際にこのように崩れている光景を目の当たりにすると地震の強大な力に恐ろしさを感じてしまう。

 

熊本城内の二ノ丸公園から見られる、崩れ落ちた石垣-1

ここには太鼓櫓という建物があり、先程見た未申櫓などと共に2003年(平成15年)に復元されていたが、やっぱり2016年の熊本地震によって石垣が崩れた。石垣は崩れながらも太鼓櫓は何とか崩壊する事なく、櫓は傾きつつも辛うじて残っていたが、その約2年後の2018年(平成30年)6月20日に降った大雨の影響で建物は倒壊してしまったそうだ。

この熊本城を訪れた時も石垣が崩れつつも櫓が現存する建物があって、「このまま放置していても倒壊するだけだから、早い事建物を撤去すればいいのに!」と思っていたけど、そこまで手が回らないのが現状のようだった。

 

 

熊本城内の二ノ丸公園から見られる、崩れ落ちた石垣にカバーが掛けられている

そして今では櫓の建物も無くなってしまい、石垣も崩れ落ちてしまっている太鼓櫓跡。しかし櫓の部材や崩れた石垣などはちゃんと保管しているので、いつになるかは不明だけど必ず元通りに復元される日が来るだろう。

からし蓮君
からし蓮君

約20年計画での熊本城復興作業なので、気長に待つばい!

 

熊本城で崩れ落ちた石垣などの写真

その近くの工事用壁には、このように太鼓櫓の地震前の姿と地震後の姿が比較できるようにと写真が貼られていた。勝手に石垣は簡単に崩壊しないと思っていたけど、現実にはこのように大地震の前では石垣も無力なのかもしれない。

 

熊本城で崩れ落ちた石垣などの写真-1

そんな太鼓櫓以外の場所でもこのように熊本地震によって崩れ去り、今では立ち入り禁止になっている西大手門などの写真が貼られている。地震前の健在な時にもし訪れていたら、特に感激も無くて”あって当たり前!”という感覚でそんなに記憶にも残らずに通り過ぎていた場所かもしれないけど、こういった写真を見た後に復元された場所を見ると感激もひとしお状態になるかもしれない。

 

熊本城で崩れ落ちた石垣などの写真-2

自分たちが生まれてくる前から存在しているものは、”あって当たり前!”という気持ちになっているから、失って初めて分かる大事さがある。特に自分の親というのは居て当然という感覚に陥りやすいけど、亡くなって初めて分かる、その有難みを感じる人が多いのではなかろうか。

そういう意味ではこのように崩れ落ちた熊本城にショックを受けた熊本県民も多いかもしれないけど、これから地道な道のりが続く復元の道を登り詰めた後には素晴らしい世界が待ち受けていると思うので、是非頑張って再建に取り組んで頂きたいと思った。

 

 

熊本城で復旧作業中の景色

そして本丸周辺では復元作業中なので、この手前に柵があってこれ以上中には入れなくて、そんな本丸近くには再建作業中の現場が広がっている。元々は簡単にこの道を進めば本丸に辿り着けたのだろうけど、今となっては近寄る事すらできない道となっていた。

 

熊本城で復旧作業中の景色-1

今なお再建作業が進む熊本城だけど、さすがに日曜日と祝日は工事を担当する作業員さん達も休み。その為に日曜日と祝日限定で特別に、作業現場内を歩ける北ルートにも入れるようだ。

 

熊本城で復旧作業中の本丸が見える

そんな本丸を遠くに眺めながら、工事現場の手前に設置されている歩行者用の道を歩く。そして全然知らなかったけど、熊本城には天守閣がなんと大小に分かれて2つも存在しているという事実を知った。ただこの大小天守閣は加藤清正の時代に造られたものとされているけど、明治時代初期に起こった西南戦争時に原因不明の火事によって焼失してしまったので、今見られる大小の天守閣は昭和時代に再建されたコンクリート造りの建物なのである。

 

熊本城で復旧作業中の通路を進む

なので約400年間も歴史を刻んできた天守閣ではなくて、まだ新たに築城後60年程しか経ってない建物の再建である。こちらは工事現場に造られた、加藤神社側に抜ける歩行者専用の道。

 

熊本城で復旧作業中の通路脇にあるプレハブ

そんな道のすぐ隣に設置されているプレハブの中では、熊本城の復元作業中の作業員たちが暑い時期ながらも頑張りながら作業をしているのだろう。

 

熊本城で無傷の宇都櫓と、再建中の本丸

こちらはそんな本丸をちょうど西側から眺めた景色である。右側から、大天守閣小天守閣、そして一番左が宇土櫓となっていて、こうやって見ると3つの天守閣が熊本城にはあったのかと思うような景観である。なおこの左側に現存する宇土櫓は隣に領土を持つ加藤清正と敵対視していたキリシタン大名の小西行長が、熊本市から南の方にある宇土という場所に造った宇土城を移送したものとも考えられている。

 

熊本城で復旧作業中の通路脇にあるプレハブ-1

こちらの通路に掲げられている看板にもあるように、熊本城の修復には元々用いられていた部材をそのまま流用して使う予定になっている。なのでそれらの構造を分析したり、清掃したり補強したりする為に新たに城を築くよりも多くの時間が掛かってしまうみたい。

 

熊本城で復旧作業中の通路から見る、崩れた石垣

そんな通路の西側の出丸に築かれていた土塁も、このように瓦が崩れ落ちているのが見える。

 

 

熊本城で復旧作業中の通路から見る、崩れた石垣-1

このような土塁の石垣も整備したいのはヤマヤマなんだろうけども、他に再建すべき所が多過ぎて手が回らない状態。こういった場合は仕方なしに復元する優先順位を付けて、順番に地道に復元していくほかないのである。まずは観光客が最も見たがる、大小の天守閣の復元である。なお復元計画は順調に行っており、この2021年4月の桜が咲き始める頃を目安に天守閣の見学を再オープンする予定になっている。

 

 

熊本城で復旧作業中の通路から見る、本丸

このように天守閣付近には生々しい復元作業中の為に、城には似合わない足場が組まれており、更にはクレーンなども見られる。ただこういった景色が見られるのは、天守閣が復元中の今の時期限定でもある。

そういった意味ではいいものを見れている訳ですね!

 

熊本城で復旧作業中の通路から見る、戌亥櫓

そして歩行者専用の道を加藤神社目指して歩いて行くと、先に崩れかかった石垣の上に現存する櫓が見えてくる。こちらは戌亥櫓という建物で、さっき循環バスに乗る前に見た未申櫓と同時期(2003年)に復元されたもの。崩れそうになっている石垣の上でかろうじて建物が踏ん張っているように見える。

 

熊本城で復旧作業中の通路から見る、戌亥櫓の案内板

勿論建物が倒壊する危険性があるので、手前には柵が設置されていて近づけないようになっている。そしてこちらの修復・復元も残念ながら後回しになっているのである。

 

熊本城で復旧作業中の通路から加藤神社へ向かう

そんな熊本城西出丸の北西に造られている戌亥櫓から東側を見ると、そろそろ目的の加藤神社の脇に設置されている旗がチラホラと見え始めてきた。明日も熊本市内に日中は滞在する予定なので、その際に熊本城本丸の特別観覧ルートを訪れる予定にしている。

 

 

熊本城内にある加藤神社にて

熊本城敷地内にある加藤神社へ向かう

そして南側からグルッと回り込んで、約10分ほどで到着した加藤神社。そして神社の名前からも分かるけど、熊本城を築いた加藤清正公を主祭神とする神社である。

 

【加藤神社】

 

住所:熊本県熊本市中央区本丸2−1

 

 

熊本城敷地内にある加藤神社から見える宇土櫓の先は入れない

こちらは熊本地震前までは普通に通れた、本丸への通路へと繋がる通路。今ではこのように残念ながら工事関係者以外は立ち入り禁止となっている。

 

熊本城敷地内にある加藤神社から見える宇土櫓と本丸

そんな本丸に一番近づける柵の所から、本丸方向へと目を向けると本丸は痛々しく復元作業中にも関わらず、その手前では雄大にあまり損傷が見られない石垣の上に鎮座している宇土櫓が見える。この宇土櫓の建物の高さは約19メートルあって、昭和以前に築城された天守閣や櫓の中では4番目の高さだという。

 

熊本城敷地内にある加藤神社から見える宇土櫓の看板

そして国指定重要文化財にも指定されている宇土櫓は、西南戦争の時に火事で焼失した大小の天守閣とは違って、その際に無傷で残り、加藤清正時代から約400年に渡ってこの地に残っている重要な建造物なのである。そういった意味では鉄筋コンクリート造りになってしまっている天守閣に比べると、より一層歴史的価値の高い建造物の宇土櫓なのである。

 

熊本城敷地内にある加藤神社から見える宇土櫓

そんな歴史的な建造物である宇土櫓は熊本地震までは、築城後約400年も経ちながらも内部見学も出来ていた。しかし熊本地震でも大きな損傷はなかったものの、一部に損傷が見られて安全性が担保できない為に今では見学が中止されている。ただいつかはこの宇土櫓にも再度立ち入れる日が来るだろうから、その際は是非訪れて内部を見学してみたいと心から思える建造物である。

 

こんな旅はまた次回に続きます!

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