九州縦断旅:北九州編
旅行期間:2020年8月中旬
小倉は松本零士の街
ここは北九州の門司港で”門司港レトロ”として観光客に人気のある場所です。古くは諸外国との貿易で栄えた街ですが、その後衰退していく門司港。しかし昔ながらの建物が多い街並みを活かした”門司港レトロ”として町興しが成功し、今ではすっかりその名前が知られた場所になっています。
門司港周辺にて
そんな門司港の目の前に広がるのは、荒い水流で有名な関門海峡。昔は壇ノ浦の戦いで平家が源家に滅亡された舞台でもあった、この関門海峡。ひょっとしたらこの関門海峡の底には、壇ノ浦の戦いで身投げして入水自殺した人達の骨が未だに残っているのかもしれない。
門司港 地ビールを味わう
門司港の海沿いを歩いて駐車場の方に向かおうとしていたら、目の前に『門司港地ビール工房』の建物が見えてきた。なおこの『門司港地ビール工房』のお店は2020年9月中をもって新店舗への移転の為に閉店となっており、この記事が公開されている頃には門司港ではなく、JR小倉駅の南側付近にて新店舗で営業しているのでご注意ください。
この『門司港地ビール工房』ではここで地ビールを醸造しているので、鮮度の高い地ビールをすぐに味わう事ができるようで、また門司港から関門海峡などを目の前にしてビールを楽しめる景観も備えているので人気なスポットのようだ。
ただし新店舗に移転するとその景観が無くなってしまうので、移転後はまた違った雰囲気の店内になりそうであるが。。
運転は俺がするけ、ビール飲みたかったら飲めや!
とのお言葉に甘えてビール好きのボクは門司港地ビールに惹かれて、1杯500ml入700円(税込)で注文します。なおこの時移転記念キャンペーンで、店内でジョッキで飲むと半額セール中だったのですが、先を急ぎたかった”エロ坊主オジサン”から「持ち帰りにして!」と言われて渋々持ち帰りカップで注文しました。。
最近は若い世代にクラフトビール人気が出てきて、今では色んなお店でクラフトビールが飲めるようになっている。ただし大手のビール会社が販売するメジャーな銘柄のビールに比べると値段がアップするので、普段はあまり飲もうとは思わないクラフトビール。
ただしせっかく門司港を訪れて、晴れたこの景色の中で飲むビールは最高に美味しいので、ビール党にとっては飲まない選択肢など考えられませんね! という事で門司港地ビールを飲む前に、まずは記念撮影に入ります。
ビールが出てきても直ぐに飲まずに、まずは記念撮影で何枚かパチリとしないと気が済まないボクであります!
ちなみに頼んだ地ビールの種類は「ギャラクシー・ペールエール」という、フローラルな香りがするビール。とにかく景色のいい所で、しかも真夏の暑い炎天下の昼間から飲むビールは格別の味である。なおこの門司港地ビールの歴史は誕生してからまだ約20年位だそうだ。
さて地ビールを片手に持ちながら、関門橋付近に停めた車がある駐車場へと進んで行きます。その途中には門司港周辺で一番高い建造物である、高層マンション「門司港レトロハイマート」が近くに見えてきました。ただし写真を撮らない”エロ坊主オジサン”には、興味が無い場所のようで素通りしていきます。。
旧西鉄北九州線を走っていた路面電車100型148号
駐車場へと歩いて行くと、左手に古そうな路面電車が展示してあるのが見えてきます。大阪では「チンチン電車」と呼ばれる路面電車で、昔の西鉄路線で使われていた車両のようです。
住所:福岡県北九州市門司区東港町6−66
学生の頃はこの路面電車に乗って、2時間掛けて通学していたんだよ。懐かしいな~~!
と嬉しそうに展示されている路面電車に乗り込む”エロ坊主オジサン”。1985年に一部西鉄路線が廃線になって、その年限りでこの同型車両は全て引退し、元々は交通博物館に保管されていたけど、その交通博物館も閉鎖になったので今ではこの場所に展示されているようだ。
こちらの100型148号は1940年頃に製造された電車で、今回一緒に旅をしている”エロ坊主オジサン”よりも先輩である。ただ当初の姿ではなく、外観は引退後に塗り直されているそうだ。
青春時代を思い出して、嬉しそうに路面電車に乗り込み、運転席に座る”エロ坊主オジサン”。やっぱり青春時代の思い出ってのは、いくつになっても自分の中では楽しい思い出の詰まった時代なんだろうなと、このオジサンの様子を見ているとそう思う。
昔は満員電車でギュウギュウな状態で、毎日よく揺られたっけ!
と1人ウキウキと運転席に座り込み、足元に設置されていた足ペダルとかをパタパタ踏み込む”エロ坊主オジサン”。まるで昔の恋人に逢えたかのようなテンションの上がり方であった。
こちらは運転席に取り付けられていた、その当時のままの計器類。これも”エロ坊主オジサン”は嬉しそうにツマミをグリグリ~~と弄っていた。カタカナ表記がなく、ほぼ漢字表記なのがこの路面電車が製造された時代を物語っている。
運転席とは打って変わって、車内の座席などは至って普通。ボクも大阪で未だに走る路面電車”通称チンチン電車”に乗っているから、こういうレトロな車内風景を見てもそんなに違和感は感じない。それに2020年1月に訪れたポルトガルのリスボンで乗った電車もこれに負けない位にレトロな電車だったので、逆にまだまだ門司港レトロに活用できるのではないかと思ってしまう。
1940年というとまだ第二次大戦前の大日本帝国時代の車両。江戸時代から明治時代を経て昭和になって(間に大正時代も)、西洋化が一気に激しくなったけど、こうやって見ているとそれでもまだまだカタカナや和製英語の普及は進んでいなかったようだ。
そんな旧友のような昔の路面電車を懐かしんだ後に再び歩いていると、今度は「門司メディカルセンター」が見えてきた。こちらは去年5月末に医療スタッフなどを含めて10名のコロナウイルス感染者が発生して、北九州でのクラスター発生源でその当時は悪いイメージが蔓延していた場所だそうだ。
次に目に入ったのは、こちらの「甲宗八幡神社」。この神社の起源は古く、9世紀中頃に創建されたそうで関門海峡での壇ノ浦の戦いで勝利した源軍の源義経などが参拝したという記録が残っているそうだ。ただし現在の社屋はその当時の物ではなく、例に及ばず長い歴史の間で焼失などして再建されたものである。
駐車場まで向かう道にあった、この線路は門司港レトロ観光線でトロッコ型観光電車『潮風号』用の線路。
門司港駅の隣にある九州鉄道記念館駅から出発し、北九州北端の駅である関門海峡めかり駅まで行く、僅か4駅だけの観光列車路線である。
単線なので列車は1台だけ運航して、折り返し運転をしている。片道10分間で折り返し駅に到着し、10分後に再び折り返し運転を行う路線。この時は実際に走るトロッコ列車の姿を見る事は出来なかった。
北九州市小倉にて
門司港から約15分程歩いて関門橋手前にあるフォーク広場の駐車場に到着、勿論汗だくの2人であった。そしてそれから車で北九州で最も大きい小倉の街へと向かう。
ここでちょっと俺、用事があるんで3時間後にまた会おう!
という事で小倉駅で一旦解散して、3時間後にこの太鼓を叩く像前で集合するまでフリータイムである。小倉の街は小倉駅の北側は全然何も無いので、南側に行った方がいいとの助言があった。
小倉駅にある松本零士作品の銅像たち
しかしそんな声を無視して、一旦小倉駅北側2階の歩道橋スペースへ向かう。目的は最初に小倉駅に着いた時に目に入った、こちらの駅前に設置されていた像の写真を撮りたかったから。
そんなお目当ての像はというと、日本アニメ界を代表する重鎮:松本零士先生の『銀河鉄道999』のヒロインでもあるメーテルである。『銀河鉄道999』といってもアニメが放送されていたのは約40年前で、ボクらの世代にはあまりその内容が理解出来ていない時代のアニメである。
こちらも『銀河鉄道999』に出てくる主人公の星野鉄郎である。実はボクもこの『銀河鉄道999』のアニメの内容自体は殆ど知らないのだけど、一時ハマっていたパチンコでこの『銀河鉄道999』とタイアップした機種を何回か打った事があるので、それで記憶に残っているのである。
【公式】銀河鉄道999 第1話「出発のバラード」
パチンコ台とアニメのタイアップは有名なのは「ヱヴァンゲリヲン」で、そのヒットした影響はパチンコ業界だけではなく、逆にアニメ界にも波が押し寄せた。すでに放送が終了していた「ヱヴァンゲリヲン」のアニメも、そのパチンコ台がヒットした後に劇場版映画を数本製作したりとかなりの影響を及ぼした。
そしてその横に立っていた『宇宙海賊キャプテンハーロック』の主人公であるハーロックも、例に及ばずこちらも約40年前の作品であるが、これもパチンコ台とのタイアップ機を打った事があるので、それでハーロックというアニメを知ったのである。逆にパチンコをしていなければ、このハーロック像を見ても何なのか全然分からなかっただろう。そういう意味では過去にパチンコにハマった時の経験が今になって生きてきていると思うと、何事も無駄ではないと感じる。
ハーロック像も腕を組んでカッコイイ感じで立っていたけど、この真夏炎天下のちょうど一番暑い時間帯に直射日光を思いっ切り浴びているので、この銅像もかなりの熱を帯びているハズ。。 この時でも最高気温は36~37度ほどはあったと思うので。
【公式】宇宙海賊キャプテンハーロック第一話「宇宙にはためく海賊旗」
さて松本零士作品の銅像達以外にJR小倉駅北側で特に写真に収めたいと思う物が見当たらなかったので、とりあえず南口の方へと進む事にする。さて小倉の人々は荒っぽい性格の気質が受け継がれているとの事で、チンピラみたいな人が沢山いるかもしれないと、少し構えつつ歩くのである。
JR小倉駅は新幹線も停まる駅なので、なかなかに大きく発展していて、駅構内を通行する人も流石に多い。伊達に北九州一番の都市だけある。
そしてこの小倉駅にはモノレールも走っているのである。ここは始発駅になっていて、地下鉄はないけどその代わりに高架を走るモノレール路線が南側へと続いている。
”エロ坊主オジサン”からの情報では、ここから見えているモノレール路線も昔は小倉駅の1つ手前である平和通駅までしか無くて、このJR小倉駅には直結していなかったという。そしてモノレール利用者にとってその不便な手前で降ろされて小倉駅まで歩かないといけなかった原因はというと、JR小倉駅南側商店街などのお店に人が流れていかないからと小倉駅直結を反対していたそうだ。
しかし結局利便性を考慮しモノレール路線は小倉駅まで延伸された。手前で降ろされても商店街で買い物をしたいと思わない人は、買わないのである。
小倉の街を進む
小倉駅から南へ伸びる平和通りを進んで行くと、旦過市場と丸和の店舗が見えてくる。旦過市場は昔から小倉の街を代表する市場で、魚などが新鮮でかつ安く買える場所として地元の人達に人気の場所だそうだ。
そして右側に見える丸和(MARUWA)という建物は、小倉に本社を置く食品のスーパーマーケットで、初めて24時間営業したスーパーマーケット(くしくもボクが生まれた1979年に)なのである。大阪だと激安と黄色い派手な看板で有名なスーパーマーケットの「スーパー玉出」があるけど、小倉ではこの丸和なのだという。
この建物が丸和の第一号店だけど、経営難により2011年に広島の同業社「ユアーズ」に吸収合併されて、今では『ゆめマート小倉』という店舗名に変わっている。丸和という店の名前は消滅してしまったけど、何とかその歴史を残そうと頑張る人達の踏ん張りによって、建物の看板だけは昔そのままになっているようだ。(旦過市場の改修工事の際に取り外す予定だとか)
小倉城を目指して歩いていたら少し南に行き過ぎたのでちょっと戻り、この小倉の街を流れる紫川に差し掛かった所で、奥に小倉城を発見する。”エロ坊主オジサン”からは「小倉城はあまり大した城ではないぞ!」とは聞いていたものの、日本人としてはやっぱり城がある地方だと、とりあえず城は訪れたくなるのである。
そして小倉城の方へと足を進めて歩いて行くと、紫川沿いのリバーウォークが綺麗に整備されていて、周辺には大きなショッピングセンターや複合施設などが見えて、小倉の街もなかなかの都市に見えてくる光景である。
そして紫川に架かる『太陽の橋(中の橋)』という大きな橋に差し掛かると、今まであまり見た事のない人型のオブジェを発見する。タイルも結構カラフルだし、それなりのデザイナーが造形したものだと予測する。
正面から見るとマカロニ頭をしていて、地元の人たちからは「マカロニ君」と呼ばれる、何とも可愛らしいオブジェである。これはグラフィックデザイナーの福田繁雄氏(1932年生~2009年没)の作品で、『宇宙七曜星の精』というタイトルが付けられている。
タイトルの通り、このマカロニ君達は全部で7体がこの場所に設置されている。普通に見るとマカロニ君にしか見えないけど、1年に2回このマカロニ君の頭部の穴を抜けた太陽の影が北九州市の花である向日葵の形をする日があるという。それが福田繁雄氏の狙いだったようだ。
さて回り道をしたおかげでマカロニ君とも会えたので、まさに『急がば回れ!』の通りに回り道はプラスにしかならないと改めて感じた。最近はスマホがすっかり普及して性能もどんどん良くなっていくので、自分の感覚で目的地には向かわずにスマホの地図ナビの指示通りに歩く人が増えているようだ。
確かにナビの指示通りに行けば間違いなく目的地に辿り着けるけど、そこには何の面白味もなく、かつ自分の身の為にも良くない。どうしても時間の無い時は仕方ないけど、たまにはスマホは置いといて自分の感覚を研ぎ澄まして知らない街を歩くのもオススメである。
そうすると予期していなかった、色んな物などと出会えるから!
だんだんと小倉城が近くに見えてきました。コロナ禍で緊急事態宣言が出ていた2020年中頃は、このようなお城の天守閣にも入場禁止だったりと全然観光など出来なかったけど、7月頃から入場再開していた施設が多かったのでこの小倉城も天守閣まで登れるようになっていた。
さて天守閣へまず向かう前に、小倉城の石垣を眺めます。日本のお城って石垣の上に建つ建物に思わず目が行ってしまうけど、何でも土台がとても大事なようにこのお城もその建物を支える石垣が重要なのである。簡単に崩れなく強固な石垣で、かつ侵入しようとする敵が登りにくいような石垣にしないといけないのである。
こんな旅はまた次回に続きます!
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