背中に釘が刺さった河童封じの地蔵がある高塔山展望台&ごんぞう小屋

九州縦断旅:北九州編

 旅行期間:2020年8月中旬

 

カッパ伝説のある若松区

若松地区の高塔山公園に到着

北九州にやって来てから関門トンネルを抜けて下関を散策し、その後は小倉城や小倉の街も散策した後は車に乗って若松地区にやって来ました。今晩は同行する”エロ坊主オジサン”の自宅に泊めて貰うのですがまだ時間的には早いので、ちょっと寄り道して小倉の街が見渡せる展望台に連れて来てもらいました。

 

夜景が綺麗な高塔山公園にて

若松地区の高塔山公園に到着し看板を眺める

この高塔山公園にあった看板にはこのように「日本夜景遺産」と書かれていたが、残念ながらまだ夕陽になりかけた頃合いでまだまだ太陽は沈まない時間帯であった。太陽が沈めばこの看板にあるような、綺麗な小倉の街の夜景を眺めれるようだ。

 

高塔山公園(展望台)

 

住所:福岡県北九州市若松区大字修多羅 
JR小倉駅から車で15~20分程

 

若松地区の高塔山公園に到着-1

高さが124mの高塔山頂上に造られている、この「高塔山公園」は元々中世頃には山城があった跡地だそうだ。中世の城や砦などは攻めにくい&戦いに有利な高台かつ、見晴らしのいい場所に造られている事が多い。

 

若松地区の高塔山公園の展望台へと向かう

その高塔山公園内には展望台もあり、そこからの景色が小倉などの北九州市を見渡せるので是非見て欲しいとの事で早速階段を登って向かいます。なお、1942年に開業した高塔山公園の展望台には、身体障害者用スロープも設置されていてバリアフリーも完備されています。こういったバリアフリーも健常者から見ると何気ないものにしか見えませんが、車椅子の人とかにとってはとても大事なもの。

 

高塔山公園の展望台にて

若松地区の高塔山公園の展望台へと向かう-1

北九州の海岸沿いには工業地帯になっていて、工場群が並んでいるのでそれらの街灯が夜になると綺麗に見えるんだとか。なおこちらの影は同行してくれている”エロ坊主オジサン”の影で、元々中学の社会科教員だった経歴のオジサンだが見た目にそう思われないらしく、「オレってどんな仕事、してたと思う??」と聞くのが楽しいみたい。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

こう見えても、オレ、元社会科の教師やってたんよ!

 

こちらは北九州でも南側の方向。目の前に見える運河は川ではなく、洞海湾(どうかいわん)と呼ばれる長さ10km程の細長い湾である。元々はあまり水深が深くなかったけど若松地区などから採れる石炭を輸送するタンカーが通り易いように、湾底を掘ったのでそこそこの水深になったという。

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台の景色-2

この時はクソ暑い真夏でも一番暑い時期だったし、まだ夜景の時間でも無かったのでこの展望台にはボクら以外の人影は奥にいたオジサン1人位だった。なおこの展望台2階部分は屋根が無いので、思いっ切り直射日光が当たる真夏は激アツスポットでもある。

 

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台の景色

こちらは高塔山公園から北東側で、先程渡った若戸大橋やその奥にはJR小倉駅がある方向。そして真ん中に見える、北九州を横に流れる洞海湾も今でこそ青っぽく見えているけど、”エロ坊主オジサン”が小さい頃は黒い川だったそうだ。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

オレが小さい頃は、ホント魚も住めない位に汚く汚染されていたんやけ!

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台の景色-1

こちらは高塔山公園から北側の八幡製鉄所などの鉄鋼産業が盛んな地区で、この辺りは埋め立てされた地区だという。なので公園みたいな場所も湿地帯のように、地面が濡れている場所もそこそこにあるんだとか。経済成長期にはこの北九州は全国から大勢の人達が働きに来ていたらしい。

 

高塔山展望台からの北九州の景色 動画

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台で景色を眺める

生まれも育ちも北九州の”エロ坊主オジサン”はいつも見ている景色ながらも、旅で知り合ったボクが大阪から来たから、わざわざ色んな北九州の名所を案内してくれた。

ただこうやって半円版の前に立っているオジサンの姿を見ると、映画orドラマで一世風靡したSF『スタートレック』のような宇宙船を操縦しているようにも見えてしまうのはボクだけかな?!

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台で景色を眺める-1

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

北九州は荒っぽい人間が多いけんど、ええ所や! どうや、気に入ったか??

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台にあった看板

水俣湾じゃないけど九州全体では石炭・鉄鋼産業などが盛んだった半面、その産業排水で川などが汚されていった。そして遂には魚の漁獲量がゼロになってしまい、魚なども住めない場所になってしまった。そうして汚れきった洞海湾は”死の海”とも呼ばれる位になり、1970年代から工業排水などを規制する法案を作り、自然保全に努めるようになっていった。

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台からの景色

今ではなるべくクリーンで自然に負荷のかからない工場や産業などに転換して、だいぶ洞海湾の水質自体は改善していっており、今ではいなくなった魚類なども少しずつ戻ってきたという。自然を汚すという事は自分達にも影響が出るのだけど、急に経済発展してしまうと、どうしても後からしか影響の出ない自然環境保全については後回しになってしまう。

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台からの景色-1

「失ってから分かる、失った価値」とはまさにその通りである。人という存在は地球に比べればとても小さい存在なので、人間からすると地球環境の資源は無限にあると錯覚してしまう。しかし現実には大きな地球にも勿論限度があり、その限度を超えると資源は枯渇してしまう。北九州の人達はそんな暗い歴史もありながら、逆にそれを経験したからこれからの未来にとって自然を大事にしていけるのかもしれない。

 

高塔山展望台からの北九州の景色2 動画

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台からの景色-2

今の21世紀では工場の煙突から、モクモクと煙を吐きだす光景が少なくなっている。ボクが会社員をしていた頃に担当していた得意先の洗剤メーカーも、工場の煙突から煙らしきものが立ち昇っていたけど、それは燃やした煙ではなく水蒸気だった。

ボクもこう見えて、サラリーマンとして営業職で働いていた時代があるんよ!

 

北九州若松区にある高塔山公園展望台からの景色-3

今ではすっかり青く見える洞海湾も、一時は”死の海”と呼ばれていたという。「死の海」と聞くと、ボクはやっぱりヨルダンとイスラエルに挟まれた「DEAD SEA(死海)」の方を連想してしまう。

 

一昨年2019年8月にヨルダン&イスラエルを訪れた際に、現地の死海(DEAD SEA)に実際に入って浮遊を楽しんだ。なお、この死海は塩分濃度が海よりも高い為に、魚介類が生息できないので死海と呼ばれていたが。ただこの死海も人間の手による汚染や開発などにより、消滅する可能性も出てきている。

そう思うと人間の力って恐ろしいものである。。

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵

この高塔山公園には、こちらのお堂の中にお地蔵さんが安置されているという。そしてこの辺りにはカッパ伝説があり、それにまつわる小話があるという。

 

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵の看板

このお堂の中にある地蔵は「カッパ封じの地蔵尊」という名前が付けられている。なおこちらの看板には平成11年9月にその大事な地蔵尊が、誰かの手によって破壊されたという。その寄付を募る看板のようだ。

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵の看板-1

「カッパ封じの地蔵尊」の由来は、この地方に昔から伝わる河童伝説からきているそうだ。この若松地区では昔からの伝説で、河童同士が空中戦で戦い、負けた河童が落ちると田んぼがドロドロになって使い物にならなくて困っていたという。そこで、そんな空飛ぶ河童を退治しようとした山伏がこの様な地蔵を造り、その背中に鉄の釘を打ち込んだら河童が現れなくなったという。それ以来、河童は姿を現さなくなり、めでたしめでたしという話だとか。

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵の正面

まあでもそれは人間側から見た、自分勝手な話であって、河童側からすると虐待でもあり、たまった話ではないようだ。なお河童話はここだけではなく日本全国で聞かれるので、ひょっとしたら落ち武者や外国から漂流してきた外国人などが、それらの河童と思われていたのかもしれない。

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵に近づく

こちらがその「カッパ封じの地蔵尊」である。そしてこの地蔵尊が珍しいのは、そんな河童を退治した伝説に倣って背中に鉄杭が刺さっているという。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

地蔵の背中側に回って、鉄釘が刺さっているのを見てみい!

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵の背中に刺さっている釘

「カッパ封じの地蔵尊」の背中を見てみると、このように確かに太い鉄釘が刺さっていた。こんな鉄釘を背中の真ん中に刺された河童が可愛そうに思えるほどに太い鉄釘であった・・・。

 

北九州若松区にある高塔山公園にあるお地蔵に近づく-1

ボクは基本的には宗教心が無くて、信仰心も全く無いので特にこのお地蔵さんが置かれているから、平和に過ごせているという気持ちなんて持たない。もし信仰の先に神が居るとすれば、地球を守る為に地球上に住む増え過ぎた人類を間引きすると個人的には思っている。なので信仰ってものは結局その人の自分勝手な思想を後押ししてもらう為だけの、自己都合のいいものだと考えている。だから信仰ってのには興味が無いのである。

 

若松地区側の景色

さてそろそろ18時頃になってきたけど、真夏なのでまだ日は沈まないつもりのようだ。だけどだいぶお天道様も傾いてきたので、暑さは若干マシになってきているが。という事で高塔山公園からの展望を楽しんだ後は、また車で移動します。

 

若松南海岸周辺

高塔山公園から”エロ坊主オジサン”の家へと向かうのかと思いきや、ボクがブログ作成時にその場所について歴史も調べると言ったら、この地方の産業の歴史が分かる場所へ連れていってくれた。

 

 

旧ごんぞう小屋にて

若松南海岸緑地休憩所である「旧ごんぞう小屋」

ここは先程高塔山公園の展望から見えた、青い色に戻った洞海湾沿いの道にある若松南海岸緑地休憩所「旧ごんぞう小屋」という場所で、無料で見学できるとの事。

 

若松南海岸緑地休憩所「旧ごんぞう小屋」

 

住所:福岡県北九州市若松区本町1-14-16
※見学無料

 

 

 

若松南海岸緑地休憩所である「旧ごんぞう小屋」に立ち寄る

”ごんぞう”というのは個人名ではなく、このイラストにもあるように採掘した石炭を人力で運んだ船積み夫の総称である。「ごんぞう」と聞くと〇〇権蔵さんの何かかなと思ってしまったけど、明治時代には石炭積出港として栄えた若松港にはこのような”ごんぞう”が多く働いていたそうだ。

 

若松南海岸緑地休憩所である「旧ごんぞう小屋」に立ち寄る-1

かつてそのゴンゾウが沢山居て賑わった場所には、その歴史を後世に伝える為にこのような小屋が再現されており、建物内にはその資料が展示されている。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

ここで若松の歴史を勉強していこうやっ!

 

「旧ごんぞう小屋」内の資料に目を通す

明治時代には今のようにトラックやクレーン車が勿論無かったので、採掘された石炭は主に人手で運ばれて、船に積まれて海を越えて運搬された。現代では石油から造られる石油製品の発達ですっかり石炭産業は下火になってしまい、その存在感も無くなっているが、この明治時代から昭和初期が石炭産業の最盛期といっても過言ではなかっただろう。

 

「旧ごんぞう小屋」内の資料に目を通す-1

石炭を扱うのは肉体労働の重労働だったけど、男性だけではなく、このように女性も労働に駆り出されていた。この当時は健康被害に関してはまだ全然気にしていなかったけど、石炭から生じる粉塵などを沢山吸い込むとそれで肺を壊して早死にする人も多かった。

 

「旧ごんぞう小屋」内の資料に目を通す-2

この”ごんぞう”と呼ばれる仕事は重労働であったが、その分給料は一般職に比べると倍の給料で、しかも働く人の経歴は関係なしに健康な体だけあればそれ以外は不問に問われたので、全国から犯罪を犯した人なども多くやって来たという。なので小倉(北九州)の人達は荒っぽい人が多いというのは、そういった全国からやって来た荒くれ者達の資質を受け継いでいるのが要因だとか。

 

「旧ごんぞう小屋」内の資料に目を通す-3

ただ給料が一般の仕事の倍というだけで、その重労働の過酷さは一般職の数倍も大変だったようだ。しかしそこでしか働くすべの無い窮地に立たされていた人達は、ここで”ごんぞう”として働くしかなかった。

 

「旧ごんぞう小屋」内の資料に目を通す-4

この説明によると石炭運びには陸仲仕沖仲仕と呼ばれる2種類の役割があったようだ。まずは炭鉱で採れた石炭を小舟に運んで積み込む陸仲仕。そして小舟に積んだ石炭を大型船近くまで寄っていき、その大型船に辿り着いたら船に横付けして、人間キャタピラーのように大型船へと石炭を運搬する沖仲仕

 

「旧ごんぞう小屋」内の資料に目を通す-5

こちらは火野葦平(ひの あしへい)と呼ばれる、この若松区出身の小説家である。芥川賞受賞した作家であるが、先程訪れた高塔山公園にあった「カッパ封じの地蔵尊」も河童好きだったとされる火野葦平がこの伝説をモチーフにして『石と釘』という作品を作った程である。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

火野正平とは違う人物なので、勘違いしないように!

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事

この辺りにあった”ごんぞう小屋”は1901年に建てられてから、1965年頃まで”ごんぞう”の詰め所として利用されていたが、1992年に地域整備の為に撤去されてしまったそうだ。しかしこの若松地区を代表する仕事であった”ごんぞう”をオマージュする為に、またその場所に休憩所&資料室として再建されている。

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事-1

かつての筑前と豊前地方で石炭が採掘されて、それが明治時代になって消費と共に生産量も増大した為に、石炭の輸送用に鉄道が敷かれた。現代人からすると鉄道ってのは人を運ぶものというイメージが勝手に出来上がっているけども、昔はそうとは限らずにこのように産業用の為に鉄道が敷かれる事も多かった。

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事-2

筑豊で採れた石炭を川で運んでいた全盛時には、川に隙間もない位に石炭を積んだ小舟が行き交っていたそうだ。最盛期には3万隻を超える小舟が行き交ったこの地方だけど、その後の石炭産業衰退に伴い、姿を消してしまった。

 

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事-3

こちらはこの石炭を運搬していた若松港100年の歴史が展示されている。この若松港は1939年頃には貨物取扱量が全国1位になる位に栄えていたという。そして第二次世界大戦時にはこの洞海湾に投下された機雷とかが未だに見つかったりして、今でもたまに撤去作業が行われたりするそうだ。

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事の歴史

この年表によると戦後の1958年頃には石炭産業が不況というよりも衰退し出して、失業者が8万人以上になったという。平家物語でも出てくる”盛者必衰”じゃないけど、産業に最盛期があるという事は必ずいつかはその産業が衰退する時代が来る。そして失業者は溢れるけど、またその陰で新しい産業が生まれて、新しい仕事が出来ていくのである。

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事の歴史-1

ただ旅行と一言で言っても、その人それぞれで趣向や興味が違うので、色んな旅行スタイルがある。綺麗な景色を見たり、美味しい地元の郷土料理を食べたり、豪華な温泉のあるホテルに泊まったりと。ただボクはこうやってその土地の歴史を勉強する事によって、よりその土地で滞在している時間を満足度の高い時間に変換できると思う。なにげなく立っている今の場所にも色んな歴史がある。

それを感じ取るだけで深みのある時間を送れると感じているから!

 

「旧ごんぞう小屋」で昔行われていた石炭関連の仕事の歴史-1

この辺りで”ごんぞう”が活躍していた時代に建てられた、色んな建物の案内図。この中には未だに現存する建物もあるようだ。産業の繁栄と衰退によって、現れては消える仕事。そして街。色んな事を勉強させてくれる、見学料が無料の「ごんぞう小屋」であった。

 

 若松南海岸から洞海湾を眺める

自分1人で北九州を回っていたら、このような若松地区の歴史になどまず触れる機会がなかっただろう。そういう意味では北九州に誘ってくれて、色々と案内して説明してくれた”エロ坊主オジサン”に感謝である。

エロ坊主オジサン
エロ坊主
オジサン

ちゃんと勉強になったか??

こんな旅はまた次回に続きます!

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